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野菜将軍と赤いトマト  作者: 海水
第五部
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第八十一話 予想以上に平和だな

 離宮の医務室のベッドに寝かされているオーツの周りには、医師と思われる中年の男性が数人、忙しなく作業をしていた。オーツの体は自らの血で赤く染められ、左腕に群がる医師たちとは違う方へ顔を向けていた。

 血の気の薄い、青ざめた顔のオーツは、不屈な意志を瞳に宿し、脇で泣きべそをこらえているネイ-シャを見つめていた。

 燃えるような赤い髪もぼさぼさ。顔は拭ったから煤は取れていたが服はオーツの血で赤く染まっており、部分的に焦げている。

 オーツの横にいるならば着替えているべきなのだが、そのオーツの願いで乱れたままの恰好でネイーシャはいた。


 オーツの左腕はエッカルトの短剣で斬り裂かれ、肘から手首まで負傷。斬られたのが内側ではなく外側だったことが、まだ幸いだった。

 カーテンを裂いた布での応急の止血。リクが作り出した消毒用の薬草での傷周りの消毒。

 この手当がオーツの命を救った。今は傷の内部の損傷具合と縫合の処置中だ。弛緩剤の薬草もリクが作り出した。痛みを感じてはいないが、縫合する針が皮膚に刺さるたびに、オーツの顔は歪んだ。


「泣かないで、ネイーシャ」


 か細いがしっかりと意志を乗せ、オーツはネイーシャに声をかけた。オーツが右手を差し出すと、ネイーシャが縋るように掴んだ。


「わ、わたしが、しっかり、オットーしゃまに、けが」


 ほろほろとネイーシャの赤い瞳から涙が落ちていく。彼女がしっかりと両手で掴んだオーツの掌に、それはたまっていった。


「利き腕じゃなくて、左腕だから」

「う、うごかな、かったら」

「動かなかったら、ネイーシャに手伝ってもらうさイテテ」

「オットーしゃま!」


 縫合で皮膚が引きつる痛みでオーツは眉を寄せる。


「へうぅぅ」


 ネイーシャが涙を駄々漏れにしながらも唇を食いしばってこらえている様子を見たオーツは、ふとニブラ近郊の雪洞を思い出した。リクが助けに突入したときに、ちょうどカレンがそんな顔をしていたのだ。


 ――あの人みたいに無傷ってわけにはいかなかったけど。


 オーツは右手をネイーシャの頬にあて、指の甲で優しくなでた。流れていく涙をそっと食い止める。


「王子様には、なれたかな」


 痛みで頬を引きらせながらも、オーツはネイーシャに向けて、笑顔を作るのだった。





 ネイーシャの怒りを孕んだ業火は消す手立てもなく、煌びやかだった宮殿を灰にしていった。おりからの寒風にもあおられ、あっという間に延焼したのだ。

 宮殿に残っていた人々の避難を見届けたリクによって粉々にされ、土に帰るまで、その焔は公都の夜空を赤く染めていた。


 宮殿を燃やし尽くす騒ぎだったが、公都は別な騒ぎで大わらわだった。リクがやらかした果物たちである。

 大通りを埋める果物を取ろうと住民が殺到したために、宮殿へ駆けつけるはずのエッカルト派の兵士が足止めを食らっていた。いかな兵士とはいえ、住民に狼藉はできない。排除するには無秩序すぎた。

 フル武装のガスパロ率いる憲兵隊がその兵士たちを検挙して回った。住民に声を張り上げ、兵士の居場所を聞いて回っていた。無視されれば他の住民に声をかけ、あくまで紳士的に振る舞っていたと、後にガスパロは強調していた。猟犬は、住民に対しても、猟犬だった。


 その騒ぎの張本人であるリクは、また離宮にいた。燃え尽きた宮殿の処置は公都との兵士に任せておけばいいといわれ、ガスパロに追い出されていた。

 オーツのための薬草などを一通り作った後は、最初に案内された豪華すぎる部屋で無聊(ぶりょう)をかこつていた。


「……腰が落ち着かねえ」


 ふっかふかのソファに座ることを許可されている、といった風情のリクが膝に頬杖をついてぼやいた。すでに夜は明け、オレンジ色の陽がサンサンと降り注いでいる、さわやかな朝を迎えていた。

 徹夜明けではあるが、リクに眠気はない。理由は簡単だ。隣にカレンがいないのだ。

 動き回って髪も乱れ、煤だらけの上に土だらけだったカレン。リジイラ育ちのカレンは、夜間にリクと一緒の行動というのもあって、その格好を気にしてはいなかった。

 が、夜が明け、アルマダが公太子夫妻を伴って駆け付けた際に、オリーヴィア夫人の命によって侍女軍団に拉致されていったのだ。そこにリクの意志は介入できなかった。侍女とオリーヴィアに死ぬほど睨まれ、異議を申し立てた瞬間に撫で斬りにされかねなかったのだ。

 身支度を整えているのだろうという予想は間違いようがないのだが、隣にいて当然のカレンがいない不安を、リクはため息が出せないほど味わっていた。

 我慢しきれないリクは立ち上がり、窓辺に立った。公都のあちこちで朝を告げる白い煙が立ち上っている。昨晩の喧噪の痕跡は、ないに等しい。


「予想以上に平和だな」


 大騒ぎで大荒れよりは、格段にいいはずだ。そうリクも思う。だが走り回って大騒ぎしたリクにとって、この静寂は不気味でもあった。

 公都の住民があずかり知らないところで事件が起きても、日常が変わらないということを示していた。日々色々なことが起こる公都では、時間の流れがリジイラ程ゆったりとは流れていないのだ。


「ま、俺にはこんな都会は似合わねえってこった」


 リクは窓から離れ、現実に戻った。これから、リクの軍事法廷が始まる。

 どんな沙汰が下されるのかはリクにはわからないが、諒承(りょうしょう)しかねる判断には毅然と反抗するつもりだった。

 リクが眉をひそめた時、扉が遠慮がちにノックされた。


「は、はいるからね」


 カレンの、妙に緊張した声が扉を乗り越えてきた。何を緊張してんだ?と片眉をあげるリクは、足音も荒く扉へと歩いた。

 リクがノブを握る前に扉がゆっくりと開かれた。扉の前には、恥ずかしそうにうつむいたカレンがいた。

 肩を露わにし、たわわな胸の谷間をこれでもかと見せつけるほど抉られた胸元。普段は隠されている透き通る冬景色の肌。豊かな胸から続く女性らしい曲線をまざまざと見せつけるマーメイドのシルエット。赤い瞳に負けない紅をさした艶やかな唇。目元にのせた濃い藍色が誘う色気。

 オリーヴィア夫人付の侍女部隊によって、カレンはその辺の貴族令嬢を蹴り飛ばすほどの淑女へと、変身していた。


「……どうよ」


 全てを台無しにする台詞で、カレンはぐっと背筋を伸ばした。たわわ過ぎる胸元が更に露になる。見上げてくる赤い瞳が不安に揺れていた。綺麗になった自覚はあっても、リクがそうとると確証はないからだろう。

 そのリクは、絶賛、魂の散歩中である。中途半端に開いた口がみっともないが、カレンに見惚れているのは、間違いない。


 ――カレンっぽいけど、いや、カレンだな、間違いねえ。


 リクの視線は、ずっとカレンの赤い瞳を見つめている。露出した、いつもなら視線が釘付けなはずのたわわな胸にも浮気せず、ずっとカレンの吸い込まれそうな瞳から逃げられなかったのである。


 ――こいつ、こんな美人だったっけ?


 失礼な感想を察知したのか、カレンの眉間に皺が寄る。


「お淑やかに」


 落ち着いた紺色のお仕着せを着た侍女がスッとカレンの額に手を添えた。びくりと肩を揺らすリクは、いつの間にか侍女三人に取り囲まれていた。

 リクの額から冷たい汗が流れ落ちる。


 ――おい、気配を感じなかったぞ?


 単にリクが惚けていただけである。リクが感想も述べずに見惚れている間に、褒めろという圧力をかけるために囲まれたのだ。

 

「ッ」


 リクが言葉を発しようとしたその時、カレンの眉が下がり少し寂しそうな表情に変わった。

 リクの心臓が、ビタっと、止まりかけた。


 ピンチである。

 フル武装の兵士百人に囲まれた時よりも、超ピンチである。

 以前もあった気がするが、生涯最大のピンチである。


 カレンの悲しそうな顔など見たくない。そんな顔をさせないために、常に連れ歩いていたのに。


 ――探せ! 何でもいから探せ!

 

 リクはなけなし頭を振り絞ってかけるべき言葉を模索する。

 目の前のカレンを見つめながら、この場に相応しい言の葉を探した。


「き、きれいだ」


 握りしめた拳を震えながら口にした言葉がこれである。著しく語彙にかけるが、リクの精一杯の言葉だ。

 その言葉を聞いたカレンが、すこし困った顔をした後に、桃をもらった時のように笑った。


「ま、あんたから素敵な言葉が聞けるとは思ってなかったけど、綺麗って思ってもらえたんなら、頑張って着飾った甲斐があるってもんよね。ありがと」


 カレンの本心からの笑顔に、リクの口はカラカラの砂漠になった。飲み込むためのつばも出ない。


「あ、アルマダさんが来てくれって言ってた」


 放心状態だったリクの眉が瞬時に寄る。襟首を掴まれ、一気に現実に引き戻された。


「……そうか」


 リクの元気ない呟きにカレンの顔が曇る。

 アルマダが呼ぶ理由。それはリクへの措置だ。目的を達した今、リクの今後が言い渡される。


「んな顔するなって」


 リクは少しだけ口もと緩め、カレンの頭に手を乗せる。このままカレンをさらってどこかに逃げてしまいたい気持ちを押し殺して。

 カレンの顔が寂しげな面持ちから、何かを思いついた、悪い笑みへと変わる。ぎょっとしたリクの首にカレンの腕が巻きつく。


「なに――」


 苦情の言葉は、強く押し付けられたカレンの唇によって、遮られた。

 大きく開かれたリクの目に、いたずらっ子なカレンの赤い瞳が映りこむ。

 小さな黄色い声が上がる中、数秒間ではあるが、リクとカレンの時は止まった。

 惜しむように強く吸われ、唇が離れた。茫然とするリクに対し、カレンが腰に左手を当て、右手人差し指を突きつけてくる。


「あたしが大事だったら、さっさといって、ケリつけてきな!」


 涙目で、耳まで赤く染めるカレンに対し、リクは口角をつりあげた。


「女神様に祝福のキスをもらったんだ。負けるわけはねえな」


 カレンから移った紅で唇を真っ赤にしたリクは、そういって部屋を出た。

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