表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
野菜将軍と赤いトマト  作者: 海水
第五部
85/89

第八十話 今後お目にかかることはないと存じ上げますが

 大公の執務室だという扉を前にして、リクは大きく息を吸った。歩いて冷めて凝り固まった筋肉をほぐす。

 武器となる野菜はない。

 リクはガスパロに視線をくれた。真意の不明な笑みを浮かべ、姿勢正しく直立不動だ。


 ――よく躾けられた猟犬だことで。


 リクはカレンとオットーに視線を動かす。

 中にいるのがエッカルトとネイーシャだけだとしても、この二人は守らねばならない。目の前のガスパロが手を貸すことなどないのは予想できる。

 

 ――問題は炎使いだけだ。


 意を決したリクは扉のノブに手をかけ腕の筋肉を盛り上げた。ギギっときしむ音を奏で、扉はゆっくり開いていく。

 リクは扉と同時に室内に入り込み、瞬時に周囲に視線を滑らせた。


 執務室らしく壁を埋め尽くす本棚、採光のため大きく取られた窓、来賓を迎えるための極上のソファ、そして一番奥に鎮座する巨大な執務机。

 その執務机には、踏ん反り返る中年男性。銀髪はオーツと一緒だが髪は乱れ、端正な顔には憔悴が色濃い。

 その彼の横には、赤いワンピースに同色の厚手のカーディガン姿で、首に鎖をつけられ、男性に握られ、罪人同様な扱いを受けている幼い女の子。赤い髪はぼさぼさに乱れ、赤い瞳を不安げに揺らし、嫌悪の表情を隠せずにいたが、オーツの姿を見るや目を大きく開いた。

 背後には先日離宮で顔合わせしたデボラが、寄り添うように静かに控えていた。

 面子的に銀髪の男性がエッカルトである、とリクはあたりをつけた。脇にいる少女がネイーシャだろう。

 睨み付けてくる視線を真正面から受け、リクは不敵に笑った。

 

「閣下の身柄を確保に参りました、野菜将軍であります。今後お目にかかることはないと存じ上げますが」


 リクの口上を聞いたエッカルトが顔を真っ赤に茹で上げ、まなじりをあげた。


「き、貴様ごときが口を開いていい相手ではないぞ!」

「オットーしゃま!」


 唾を飛ばして激昂するエッカルトの脇でネイーシャが鎖をじゃらりと鳴らし、オーツへと足を出した。白馬の王子様が迎えに来たお姫様は、虚ろを掴むように手を宙に踊らせている。


「勝手に動くな!」

「あぐぅ!」


 エッカルトに鎖を引っ張られ、ネイーシャが背中から転倒した。怒りでオーツの顔が瞬時に朱に染まる。


「ネイーシャ!」

「落ち着け」


 飛び出しそうになるオーツの肩をリクは掴んだ。万力以上の力で止められ、オーツが肩越しにリクを抗議の目で見上げてきた。


「将来の偉い人間がすぐに盛り上がるんじゃねえ」


 リクはエッカルトを睨んだままだ。オーツは唇をかみ、リク同様エッカルト睨んだ。

 ネイーシャはデボラの補助でふらふらと立ち上がる。そして揺れる赤い瞳でエッカルトを睨みあげた。


「オットーしゃまが来た以上、全てをあきらめなしゃい!」

「黙らんか小娘が! そもそも大公の地位は私が受け継ぐべきだったんだ。優れている、私が! 私こそが!!」

「きゃぁぁぁぁ!」


 エッカルトはその激情のまま、掴んだ鎖を力の限り引っ張った。ネイーシャは顔から床に崩れ落ち、再び転がされてしまう。


「小娘! 貴様の力でこの者たちを焼き払ってしまえ! 灰も残さずにだ!」


 エッカルトがゆらっと立ち上がり、どこかに隠していたと思われる短剣を手にした。右手に持った鎖をぐいっと引き揚げ、ネイーシャを無理やり起こす。


「うぐぅ」

「さっさと立たんか! お前の親がどうなっても良いのか? 首を撥ねるのは容易いのだぞ!」


 顔を歪めたエッカルトがネイーシャを脅す。赤い瞳を大きく揺らし、今にも涙をこぼしそうなネイーシャが声なき叫びをあげた。

 リクも、その背後に隠れているカレンも、動けなかった。ただ目の前の暴力を傍観している他なかった。

 ただ一人を除いて。


 直後、デボラが動いた。

 隠し持っていたのか、折り畳み式のナイフを握りしめていた。

 彼女がエッカルトの背後に周った瞬間、彼の挙動が停止する。「ゲフッ」っと二度三度むせた後、口から血を吐きだした。

 彼はガタガタと体を震わせ、怒りの顔を背後に向ける。


「デ、デボラ……」

「あなた、もう夢を見る時間は終わりです。ですが、このまま夢の中でお逝きなさい」

「裏、切る、気か」

「裏切りなど致しません。どこまでも、ご一緒いたします」


 目尻を下げたデボラに、エッカルトの目が細まる。直後、盛大に咽たエッカルトの口から吐き出された血がネイーシャに降りかかる。


「い、いやぁぁぁ!」


 赤に染まり、恐怖で短い悲鳴をあげ、ずりずりと手で後ずさるネイーシャを、エッカルトは憤怒の顔で睥睨した。

 エッカルトの痙攣する頬が吊り上る。


「お前まで、私を愚弄するのかぁぁ! こうなったら、おまえらも道ずれだ!」


 狂気にふれた顔のエッカルトが逆手に持った短剣を振り上げ、ネイーシャに狙いをつけた。ネイーシャの顔が恐怖で固まり、そこで体も止まってしまった。


「ネイーシャ!」


 リクの力を振り切ったオーツが身をかがめネイーシャに覆いかぶさった直後に短剣がすり抜けた。服を裂く音と赤い血が(くう)に舞い踊る。


「ぐっ」

「オットーしゃま!」


 リクが動くよりも速く、紅蓮の焔が立ち上がった。焔はエッカルトの真下から湧き上がり、一瞬で彼を呑みこんだ。


「よくも、よくもオットーしゃまをぉぉぉ!!」

「ぐあぁぁ!」


 エッカルトの金切り声が部屋に響くが、業火の勢いがその声すらかき消す。赤い焔のなかで苦しみにもがく影が見える。


「チッ、想定外だ!」


 リクは舌打ちをし、素早く倒れているオーツに近寄る。エッカルトを燃やす業火の熱で頬が焦がされるが、それを気にしている余裕はない。オットーが短剣で切られ、左腕からかなりの出血をしていた。


「カレン、縛るものを探せ!」

「わわわ、わかった!」


 カレンは窓のカーテンを力いっぱい引っ張って、バキバキっと付け根から壊した。まさに火事場のくそ力だ。

 ネイーシャの生み出した感情の爆発の焔はエッカルトだけではなく、部屋そのものを燃やし始めた。

 焔は天井を焦がし、さらに延焼を開始した。

 ネイーシャを繋ぎ止めていた鎖は、業火の熱で溶けて切れていた。

 異変に気が付いたのか荒々しく扉が開き、ガスパロが姿を見せた。惨状に顔を歪め叫んだ。


「デボラ様!」


 デボラは燃え盛るエッカルトを逃がさぬよう、焔の中でしっかりと抱きしめていた。


「はなせぇぇ!」

「離すことはなりません」

 

 焔の中でうごめく大きな影を見たリクは、オーツとネイーシャを両脇に抱え、叫ぶ。


「速くここから出ろ! 黒こげになりてえのか!」

「しかしデボラ様が!」

「助かるかどうか、てめえで判断できねえのかぁ! 駄犬がぁ!」


 リクの叱責がガスパロに飛ぶ。リクは二人を抱えたまま窓に駆けた。

 焔はすでに部屋の半分を呑みこみんでいる。

 一刻の猶予もない。

 

「カレン、窓から逃げるぞ!」

「でも、デボラ様が!」

「手遅れだ!」


 カレンが叫ぶがエッカルトとデボラを焦がす焔は衰えない。

 ネイーシャの怒りなのか、勢いは増すばかりだった。


「迷惑かけて、ごめんなさいね」


 焔の中からかすかな声がリクの耳に入る。

 リクが振り向いた時には、すでに焔の中の影は動かなくなっていた。部屋も大半が炎に呑まれて灼熱の地獄と化していた。

 ガスパロも扉から逃げており、廊下で建物からの避難を叫んでいる声が聞こえる。

 このままでは宮殿そのものも呑み込んで灰にする勢いだった。


「出るぞ!」


 窓の外にはすでに大木が姿を見せ、太い枝が窓のすぐわきにまで伸びていた。

 動けないオットーと泣きじゃくるネイーシャを抱え、リクは窓から部屋を飛び出す。枝に乗り移り、すぐに幹のほうへと移動した。


「置いてかないでよ!」


 カーテンを抱えたカレンも窓から飛び出してきた。同じく枝に乗り、リクへと近づいてくる。リクは次に移る木を生やし、そこへ乗り移った。

 そうして四人が地面に降り立った瞬間、今までいた部屋が爆散し、すさまじい焔が吹き出された。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ