第七十七話 死にてえ奴は、かかってきな
リクとカレンは廊下の松明を頼りに、薄明りの離宮の中を慎重に歩いていく。昼間は柔らかに思えた白っぽい壁も、冷えた空気も相まって今は不気味に感じていた。暗い廊下の先からは金属と罵声の荒ぶる音が襲いくる。
リクの袖は怯えるカレンに引っ張られ続けていた。
「こっちには来ないな」
リクが入った扉は離宮の下女たちが使用する裏口だ。大公が使う応接室はこのような裏手には存在しない。
よってアルマダが突入させた兵士たちが来るはずがないのだ。
「そこ扉から人が出てきそうで……」
左前方に見える簡素な扉を見ながらカレンが腰が引けた姿勢でリクにしがみついてきた。
「出てきたら殴ってやるよ」
「その前に出てきてほしくない」
直後にバタンと扉が開き、カレンが「ギャーー」と悲鳴を上げた。
「くっ、こんなところにまで!」
扉から飛びでてきた男が苦渋の表情を浮かべた。明らかに身なりの整った男性だ。上等な服を着崩し、銀色の髪を乱し、リクの姿を確認したのか目をカッと開いている。
確かに今のリクは怪しさ満点だ。
軍服を着ているが肩には白く大きな袋を背負い、脇には怯えているカレンを連れている。混乱に乗じた物取りと思われても反論できない姿ではあった。
「あんたは誰だ!」
リクはカレンを後ろにかばい、男性を睨み付けた。
建物内でサーベルは不利であると判断して持っていない。至近距離ではカボチャも準備できない。
武器は己の肉体のみ。だがその鋼の肉体こそ、リクの信ずるものだ。
「君こそ何者だ」
威嚇するような銀髪の男性の低い声に、リクは周囲に視線をすべらせた。
遠くで声はすれども兵士はいない。離宮の後方に当たる場所で高貴な人物がいるとは思えない。
だがそれは、平時であればだ。
今は兵士の怒号が飛び交う鉄火場だった。
「輜重大隊所属リク大尉だ」
「輜重部隊のリク!?」
慎重に名乗るリクに、その男性が眉をひそめた。
リクよりは年上に見えるその男性は扉を塞ぐように立った。まるで背後に何かを隠しているようにしか見えない。
「リクさん!?」
その隠そうとしている部屋から聞き覚えのある声が飛び出してきた。リクの頭には声の主の姿が浮かび上がる。
「オーツか!」
「はい!」
大きな返事と一緒にオーツが男性の脇から顔をのぞかせた。リクの顔を確認しホッとしたのか、強張り気味に見えたオーツの表情が緩んだ。
「そこにいるのは誰だ! 名乗れ!」
廊下の先から怒声が浴びせられる。リクは視界の端に見慣れた軍服をとらえた。ブーツの乱雑な音が廊下に木霊する。
「チッ、面倒だ。カレン、そこの二人を連れて部屋に入ってろ!」
言うが早いかリクは背負っていたシーツの袋を床に放り、中のカボチャを掴む。
「わ、わかった!」
「喰らえ!」
ミキと右腕の筋肉を唸らせながらリクは全力でカボチャを投げた。その背後ではカレンがオーツとその男性を部屋へと押し込んでいる。
「あぶねぇ!」
離宮の廊下を滑空するカボチャはすんでのところで身を屈めた兵士に避けられてしまう。リクは盛大に舌打ちをした。
「おねえちゃん!」
「ロッテちゃん!」
部屋の中の声を聞きながら、リクは二個目のカボチャを投げた。カボチャは狙った兵士から外れたがその後ろにいた兵士の顔に直撃した。「ぎゃぁ」とアヒルを絞めた声を発し、兵士が膝から崩れ落ちる。
「貴様、どこ所属だ!」
「はっ、知るかよ!」
「言わぬなら斬るまで!」
シュカッとサーベルを抜き放ち、迫る兵士達。リクは蛮勇な兵士の目の前に、床を突き破らせた竹を出現させる。同時に右拳をギリリと握り、体を傾け駆けだした。
「なぁっ!」
避けきれない兵士が竹に激突してたたらを踏んだ瞬間、リクの右ストレートが彼の腹に炸裂する。
「グフッ!」
体重の乗った一撃で吹き飛ぶ兵士を、リクは悠然と見下ろした。パチンと指を鳴らし、追加で出現させた二本の竹を天井に突き刺した。
石が砕かれる音を奏で、天井の破片が殺到してきた兵士達にバラバラと降り注ぐ。
「イテェ!」
「なんだよこれ!」
「タケェェ!?」
暗がりで煙る中、突然現れた竹に進路を邪魔され、兵士達は慌てふためく。
もうもうと土埃が舞う中、褐色の悪魔は、渾身の笑顔でどよめく兵士達を出迎えた。
「死にてえ奴は、かかってきな」
リクの口元に血の三日月が昇った。
「おねえちゃん!」
部屋に入るなり飛び込んできたロッテを、カレンはしっかと抱いた。就寝前だったのか寝間着になっており、ロッテの震えがダイレクトに伝わってくる。急にこんな事態になって怖かったのだろう。
小さなロッテまで巻き込んでしまっていることに、カレンの胸がチクチクと痛む。
「ロッテちゃん、もー大丈夫。あのバカが暴れてるから直ぐに片がつくわよ」
「おねえちゃん、こわかった~」
「もう心配ないから。安心していわよ」
カレンはロッテを降ろし、しゃがんだ。ロッテの肩に手をのせ、目線を合わせニカッと笑う。少し涙目のロッテがその笑顔をみて、ぐしっと腕で目をこすった。
「ひ、ひるむな! アイツ一人しかいない!」
「めんどくせぇ。てめえら全員ぶっとっばしてやるッ!」
「き、きたぁぁ!」
扉の向こうからは兵士達の悲鳴に混ざってリクの怒鳴り声も聞こえる。
――やりすぎないでよね。
頬を引きつらせながら、カレンはロッテに「ね?」と首を傾げて見せた。
「うん!」
目を赤くしているがロッテは笑顔を見せてくれた。カレンもほっと一安心だ。
「君は、誰かね?」
頭の上からかけられた男性の声に、カレンはビクっと肩を揺らした。おずおずと見上げ、男性の顔を見た。彼は胡乱な眼差しで見つめてきている。
銀髪が乱れているが、品のある端正な顔だ。リクよりは歳が上と、カレンは見て取った。離宮にいるとなれば地位も高いはず。そしてここにはロッテがいる。
カレンの脳裏に嫌な予感がよぎる。
「ロッテちゃん、もしかして……」
「おとうさまなの」
「おとう、さ、……?」
ロッテに続いて復唱しようとしたカレンの口がそこで止まった。その顔のまま男性の背後に隠れている女性と、その隣でホッとした表情のオーツを見た。
「ロッテちゃんのお父様と言えば、その、あの、こここ公太子様ですか!」
カレンはバネ仕掛けのように立ち上がり、「し、失礼いたしました!」と潜るほどに頭を下げた。
目の前の男性は、先だって逝去した大公ヨハン・ヴェラストラの息子、ヘルムート・ヴェラストラだった。
――ちょっと、やばいって!
公太子夫妻救出が目的ではあったが、せめて会う前に心の準備が欲しかったと愚痴るも、時すでに遅しである。当の本人が目の前におり、その娘であるロッテと親し気に会話をしてしまっていた。
身分が桁違いな人物との会話は憚られる立場のカレンだ。リジイラでは許されていた行為でも、ここ公都では許されない。
カレンは冷や汗を脇に感じながら頭を下げた形で固まり続けている。
「君は……」
「エ、エリナ・ファコム辺境伯に仕える、カレンと申します」
「辺境伯の……」
「リジイラでは良くして貰いました。」
助け船はオーツからやって来た。おまけのフォローを忘れないところが子供っぽくないとカレンは思った。
でも、立場上無理にでも大人びるしかないのかもと思うと、かわいそうにも思える。
同い年のリジイラの子供は、もっと素直で、もっと自由で、もっとおバカだった。それが自然だとすら思えた。
――もっとリジイラで自由にさせてあげればよかったのかな。
そんなことを考えていたカレンを脇に置くように、事態は進んでいく。
「そうか、だからロッテが懐いているのだな」
「ぶ、無礼とは存じ上げておりますが、リジイラにいた間のお世話をさせていただきました」
「おねーちゃんはやさしーの」
カレンは今がチャンスと口を開いた。今ここにいる理由を話さなければならない。
「一緒にいた男、えっと、リクと一緒に救出に参りました」
カレンはここで一旦言葉を切った。ヘルムートの反応を待つためだ。言葉が空気に消えた部屋には外の喧騒が乱入してくる。
「た、たすけてくれ!」
「ばけものだぁ!」
「逃がすかぁ!」
廊下から漏れ聞こえる野太い悲鳴、ガラスの割れる音、何かが砕ける音、リクの怒声。今までの鬱憤を晴らすが如くの大暴れっぷりのようだ。
「彼が【血濡れ】か」
「恐ろしいあだ名よりもずっと、優しい人でした。彼に守られてここまで帰ってきました」
「そうか……」
ヘルムートが小さく息を吐く音が耳に入る。
頭を下げているカレンはヘルムートとオーツの会話を黙って聞いているしかない。ただオーツが庇ってくれているのが救いだ。
「顔を上げてくれ」
ヘルムートの声にカレンはゆっくりと頭を上げた。
「我々は、どうすれば良いのかな?」
「えっと、その」
カレンの発言を遮るように荒々しく扉が明けられ、今にも寿命を迎えてしまう人を引き留めるような、そんな焦りの表情のアルマダが飛び込んできた。