第七十六話 俺の武器はこの鍛え上げられた筋肉だからな
オレンジをふりまく日が地平に見え隠れし、世界に静寂が降り始めた頃。
リクは真っ白で大きな袋を担いで離宮の裏庭を走っていた。その後ろには暴れるスカートを抑えながら走るカレン。
裏庭は厨房の裏口など、表には出せない入口が集中する。忍び込むのにはうってつけだ。
裏庭といってもたまに木があるくらいで綺麗に整備された芝生だ。隠れる場所などない離宮の建物沿いを二人は走っていく。
「どこに逃げた!」
「さがせ!」
離宮のあちこちではそんな怒号が飛び交っていた。獲物はもちろん逃亡中のリクとカレンだ。
夕食時に兵士が部屋を訪れた際に、リクとカレンの逃亡が発覚した。扉の前には兵士がいるので、必然的に窓が怪しまれた。
窓の外には今までなかった大木があり、その周囲には耕された跡が見えた。
リクの能力は知られていたはずだが、どうせ植物という認識しかなかったのか、兵士はその逃亡の仕方に唖然とした。
「大騒ぎだな、ははっ!」
「なに笑ってんのよ!」
走っていることでたかぶったのか、リクは笑っていた。ついていくのが精いっぱいのカレンは息切れしながらも突っ込みを忘れない。
「リク! どこに行くかわかってるの?」
「どこだっけかなぁ?」
「バカじゃないの!」
カレンは手厳しい。
その時、前方から駆けてくる兵士を見つけた。同時に彼もリクとカレンの存在に気が付いたようだ。
「いたぞ!」
「ちっ、見つかった!」
リクは担いでいた白い袋をドサッと地面に置き、素早く広げた。そして中に入っていたリクの顔よりも大きなカボチャをムンズと掴む。オレンジでおいしそうな、厳ついカボチャだ。
「悪く思うな!」
リクは大きく振りかぶり、兵士に向かいカボチャを投げた。リクの剛腕から放たれたカボチャはカーテンの隙間から差し込む朝日のようにまっすぐ兵士の顔に吸い込まれていった。
ドゴと鈍い音を立てたカボチャは兵士の顔から落ち、続いて兵士も背中から地面に倒れた。
「一撃だぜ!」
「痛そぅ……」
リクが右腕を天に突き上げている横で、カレンが右手を額にあて「あちゃー」という顔をした。
「こっちだ!」
「いたぞ!」
「拘束しろ!」
倒れた兵士の背後から松明が続々と灯り、新手の兵士が現れる。武器のサーベルこそ持っているが防具らしきもの見えない。比較的安全な離宮ゆえに守る兵士の武装も限られているのだ。
そのことがリクに味方する。
「へっ、捕まえられるもんなら捕まえてみろ!」
リクが背負っていた白い袋はベッドのシーツで、その中には大量のカボチャとカキとタマネギがはいっていた。
無造作にカボチャを掴んだリクは兵士に向かって全力で投げつける。唸りをあげて迫るカポチャに度肝を抜かれたのか、兵士は避ける前にカボチャの餌食になっていく。暗くて状況が把握できないにのもあるだっろう。松明を持つ兵士はいい的だった。
「ギャア」「イテェ」「ヒドイ」などの悲鳴を上げ、兵士は次々倒れていく。駆けつけた十人ほどの兵士は全てリクの投げた野菜に倒され、地面に無残な姿をさらしていた。
「鍛え方が足りねえな」
「あんたがおかしいだけでしょ」
「こっちで声がするぞ!」
ドヤ顔のリクに突っ込むカレンの背後から叫び声が迫っていた。
「こっちにこないで!」
振り返ったカレンが外套のポケットから取り出したタマネギを投げつける。が、タマネギはあさっての方向に飛び、弱々しく地面に転がっていく。
「そんなもんに当たるかぁ!」
サーベルを抜き放ち駆けてくる兵士が転がるタマネギに目をやった瞬間、カレンが続けて投げたタマネギが兵士の額にぶちあたった。
「うがっ」
「そらよ!」
ぐらりと傾いた兵士に、リクが投げたカキが追い打ちをかける。みぞおちあたりにめり込んだカキは、うめき声を漏らす兵士をその場で昏倒させた。
地面に落ちた松明が草を焦がしていく。
「あ、あたしだって、やるときはやるんだから!」
怖かったのか、少し震えるカレンがたわわな胸を強調する様にふんぞり返る。リクは苦笑いでカレンの頭をぽんぽんと叩いた。
「俺が惚れるだけはあるな」
思いがけないリクの言葉に、カレンの顔がバッと赤く染まる。
「こんな時に言うことないでしょ! もっと、ムードあるときに言いなさいよ!」
「無理いうんじゃねえって」
ムードにケチがついたことにリクの頬が緩んだ。拒否も否定もされなかったからだ。
そんな顔を見たカレンがさらに赤くなり「筋肉ばっかりでデリカシーが無いんだから!」と叫ぶ。
「こっちで声がするぞ!」
「松明を持ってこい!」
遠くで兵士たちが騒ぐ声が聞こえる。あたりも暗く、闇が二人を隠しつつあった。時刻が二人の味方をしてくれている。
だがそれは、同時にリクとカレンの行動を制限するものでもあった。
「きりがねえな」
「どうすんのよ!」
リクは顎に手を当てた。
騒げばアルマダが兵を引き連れて公太子夫妻を保護する手はずになっている。ここで兵士を引き付けておけば、彼らの手助けにもなる。ここで公太子夫妻を確保してからエッカルトを探したほうがいいのでは、とリクは考えた。
そもそもエッカルトがどこにいるかも不明ならば、アルマダと合流するのも一つの手だ。知りもしない離宮を、暗い中探し回るのはカレンに負担をかけることになる。
「ここで兵士を引き付けて殴り倒す」
「あんたそればっかりね」
「俺の武器はこの鍛え上げられた筋肉だからな」
自慢顔のリクは力を込めた右腕を曲げ、そのマッチョな筋肉をギギギと軋ませる。
「バッカじゃないの……あたしって、なんでこんなやつを……」
後悔という言葉を噛みしめたカレンは力なく項垂れるのであった。
リクの前には地面で唸っている兵士の群れがあった。リクの投げる野菜の犠牲者たちだ。痛みで動けない兵士に対し、リクはバラのつたを絡ませ、行動不能にしていく。すでに数十人の兵士が餌食となっていた。
「ちょっとそこでおとなしくおネンネしててくれ」
リクは伸びている兵士に声をかけた。所属が違うとはいえ兵士仲間だ。一応、心配するそぶりを見せたのだ。
「よし、ここからは作戦変更だ」
兵士の処置を終えたリクは、こう決断した。
「作戦なんてあってないようなもんじゃない」
「一応あったんだよ。一応な」
カレンは文句を言いつつも不安からかリクの傍を離れない。リクはリクでカレンが離れれば何気なく近づいていく。
相も変わらず言い合いするも仲がいい二人である。
「で、どうすんのよ」
「暗くなった今から宮殿に行っても道に迷うだけだ。先に離宮にいる公太子殿下とやらを救っちまうのさ」
「……ホント、無計画ね」
「臨機応変って言うんだよ」
「どの顔が言うのよ」
カレンはため息をつきつつ、落ちているタマネギを外套のポケットにしまった。リクは散らばっているサーベルを回収した。そして能力で脇の地面を耕し、そこに埋めていった。
哀れにも投げつけられたカボチャをシーツに包み、袋にして背に担いだ。
「突入せよ!」
離宮の建物の反対側から大声が轟く。リクもカレンもそちらに顔を向けた。
「大佐だな」
リクはつぶやいた。
約束通り、騒ぎを起こしたら公太子殿下夫妻を救出しにきたのだ。
「混ざっちゃって敵と区別がつくの?」
「兵士は全部敵と思えばいい」
「あんた、ほんっっっとにバカね!」
「自覚してるから問題ねえ」
あきれで眉尻を下げたカレンがぐったりと項垂れた。
リクはそのカレンの頭をぽむっと撫でる。
「バカに惚れられたのが運のつきと思ってくれ」
「惚れたのがあたしでよかったわね。ほかの女ならとっくに逃げてるわよ」
「ははっ、さすが、俺が惚れただけはある」
「それ、褒めてるの?」
「大絶賛だ」
犬も食わない喧嘩をしている二人をよそに、離宮から漏れ出す怒号は大きくなるばかりだ。
「そうと決まれば離宮の中に入るぞ」
「ちゃんと守ってくれるんでしょうねえ!」
「任せとけって!」
二人はそろそろと建物沿いに歩き、何かの裏口であろう扉を見つけた。
「よし、こっちも突入と行こうか」
腿の筋肉をパシッと叩いた悪い顔のリクが、扉を蹴り飛ばした。