第七十四話 なるほど、黒幕ってことか
豪華絢爛という言葉がぴったり当てはまる部屋に茫然としている二人の背後の扉がノックされた。リクの意識は瞬時に軍人のそれに切り替わり、まだ忘我に溺れるカレンを抱きかかえ部屋の奥へと身体を滑り込ませる。
窓のすぐそばに立ち、一瞬だけ窓の外に視線を潜らせ脱出経路の確認をした。
――万が一の時はここから飛び降りだ。
へ?という顔で見上げてくるカレンを腕の中にしっかと抱き込み、リクはドアを睨みつけた。
「私だ」
扉の向こうからはアルマダの声がする。リクはカレンに目を向けた。
「やばそうならズラかるからな」
「ちょっと、何の説明もないんだけど!」
「後でな」
三白眼状態のカレンの苦情を受け流し、リクは「いるぞ」と返事をした。
アルマダとの話では、公都までオットとロッテを連れて行く段階までしか具体的には打ち合わせをしていなかった。ただ公都に入れば何らかのアクションがあると考えていた。アルマダにも事情はあり、想定通りに物事が進むとは考えにくいからだ。
ガチャリと物々しい音が響き、扉が開かれた。
部屋に入ってきたのは深緑の軍服だが正装のアルマダと黒いベールで顔を隠した女性だ。うなじから立ち上げた栗色の髪を結いあげ、落ち着いた藤紫のドレスに淡い鉛丹色のケープを羽織っている。細身ながら女性らしい身体つきだ。
腕輪やケープの隙間から除くネックレスに散りばめられた宝石の数々が高貴な身分の女性だと主張していた。
カレンはその煌びやかさに目を奪われているのか彼女の姿に見入っているようだ。リクは身に着ける宝飾品と歩く仕草の流麗さから、自分なんかとは住む世界の違うかなり身分が高い人物と推定した。
アルマダはリクの姿を確認したからか、やや口元を緩ませた。
「随分早いな大佐」
「お前が公都に入ったら拘束されるのは分っていたからな」
リクは警戒を解かずカレンを腕で抱き寄せたままだ。いくらアルマダとはいえ、脇に立つ女性が誰だかわからない状況では油断はできない。可能性は低いが殺し屋の可能性もある。ケープの中には暗器を隠すことは容易い。過去に味方の裏切りにもあっていたリクは、その記憶を体が覚えているのだ。
リクにとって、自分よりもカレンの身の安全が最優先だ。意識せずとも目つきがきつくなる。
「カレン嬢、ご迷惑をおかけして誠に申し訳ない」
アルマダが深く頭を下げた。ベールの女性は下腹部の前で手を合わせ、身じろぎもせずそこに立っている。
一方リクの意識はその女性に集中していた。
「まったく、本当ですよ」
アルマダの対応にカレンは不機嫌な言葉とは裏腹な笑顔で答えた。リクの腕の中にいるカレンの肩がふっと下がった。ベールの女性の装いに圧倒され惚けてはいたが、カレンも緊張していたのだ。
そんな様子にアルマダも顔を緩ませる。
「申し訳ありませんが、もう少しの間、コイツの面倒を見てやってください」
「まぁ、その迷惑料はリクに払ってもらいますから」
にこやかな笑顔でアルマダの冗談を受けたカレンに、リクの眉が吊り上る。
「マジかよ、払う金なんかねえぞ?」
「……お前の頭の残念さは私の予想をはるかに越えていたのだな」
リクの本気の返事にアルマダは深くため息を吐いた。女性との付き合いなどなかったリクだが、ここまで女心をわからぬ唐変木でアンポンタンだとは思わなかったのだ。
「まぁ、リクですから」
「そうですなぁ」
微笑みあうカレンとアルマダ。そんな二人をリクはブスッと見ている。
カレンが男と笑みを交わすのが気にいらないのか、暗に馬鹿にされたのが気に入らないのか、はたまたその両方か。
「なんだってんだよ」
リクは口をひん曲げた。
「……そろそろよろしいですか?」
置き去りにされていたベールの女性が控えめに、だが低く通る声を出した。
「レディ、申し訳ございません」
振り返り背筋をまっすぐに伸ばしたアルマダがベールの女性に、腰が直角になるまで頭を下げる。
「大佐、その――」
「ご尊名をお呼びするのは憚られる。レディとお呼びしろ」
厳しい表情のアルマダがリクを遮る。リクは思わず眉を寄せた。考えていた以上の地位の人物だということが、余計な疑念を抱かせる。
――なるほど、黒幕ってことか。
働きの悪いリクの脳裏にもその言葉が浮かぶ。
大佐でしかないアルマダがこうも自由に動ける原因。
「現状の説明を」
「ハッ」
アルマダは恭しく右手を左胸にあてた。
「まずここだが、公都の離宮の二階だ。公都には宮殿があるのは知っているとは思うが、ここ離宮はその宮殿から多少離れた場所にある。宮殿が公都の中心にあるが離宮は貴族街に近く、中心からはずれに位置する」
「それがどう――」
「口のきき方を正せ」
アルマダの鋭い一喝が飛んできた。
軍人らしく太く強い声は、平穏に慣れてだらけていた厳つい顔に平手を食らわせた。リクの背中に痺れが走り、かつての緊張感がみなぎってくる。
リクは拳を強く握り、目をギラつかせた。
「了解しました」
リクの変貌にカレンが驚いて眼を瞬かせた。高貴と目されるベールの女性を前に不躾にもリクを見上げてくる。
アルマダはベールの女性に目配せをした。女性はわずかに頷く。
「では続けよう。現在この離宮に公太子夫妻が隔離されている。お前がお連れしたオットー様とシャルロッテ様もご一緒だ」
「お二人はご無事で?」
「公太子夫妻は無事だ。レディの計らいで警備も最小の人数となっている。お子様二人が無事に戻ったことで心労も軽減されるだろう」
普段と違うアルマダとリクの会話に、カレンは二人を見比べていた。リクの腕に抱かれたまま、借りてきた猫状態だった。うかつに口を開こうものなら、厳しい口調で咎められる気がしているのだ。
自分を守るために抱くリクの腕に、そっと手を添えた。
「それにネイーシャ・バスク嬢が宮殿に軟禁されている。彼女はリムロッド・バスク卿の孫であり、その能力を引き継いでいる。万が一の時の奥の手として軟禁していると思われる」
「ネイーシャって、オーツ君の婚約者の?」
リクの腕の中のカレンが呟いた。
「オットー様だ」
「え、あの、オットー様の」
アルマダに睨むように見つめられ、カレンが口ごもった。
「うむ。カレン嬢、何故そのことを知っている?」
「大佐、カレンを巻き込まないでいただきたい」
リクはカレン隠すように身体をひねった。カレンを公都に連れてきたのは巻き込むためではなく守るためだ。
秘匿されている情報を知ってしまえば諜報活動を行ったと見做されてもおかしくない。
悪意あるものが地位を狙う時、犠牲が出ることが多い。それが狙う地位に近いものであれば、犠牲になる可能性が高くなる。
よって、そのような情報は時が来るまで秘匿されるのが常だ。
ただオーツはリジイラで暮らしているうちにリクとカレンには懐いていた。リクとカレンを見ていて自らに当てはめて考えてしまい口が滑るのも、彼の年齢を考えれば致し方ないことではある。
恋愛感情をまだ理解できない、七歳なのだ。
「あの、公都に向かう途中の馬車の中で教えてくれました」
「オットー様が?」
「は、はい!」
目を光らせるアルマダに慄いたカレンは首を縮めた。威圧に耐え切れなくなってきたのだ。
「大佐!」
リクはアルマダを睨みつけた。リクの最優先はエリナとの婚約話を白紙にし、無事にカレンをリジイラへ戻すことだ。公国のごたごたに手を突っ込むのはそのついででしかない。自らの目的が達成されたら速やかに姿をくらませるつもりだった。
リクは公都にオーツとロッテを連れてきてしまったことで命令違反になっていた。命令違反は軍法で裁かれる。リクはそのことを了承してここにいるのだ。
ここにきてリクとアルマダの思惑にずれを生じた。アルマダは国家の問題を最優先で解決したいのだが、リクは違う。リクは最終的に裁かれてしまうのだろうがカレンを巻き込みたくはないのだ。
「シルヴァ商会のシオドアの行方は?」
リクは話題そらしにシオドアの名を挙げた。シオドアはこの事件の黒幕ともいえる人物でエッカルトを扇動し活動資金を提供していたと思われる人物だ。ビオレータの腹違いの兄でもある。
シルヴァ商会の後継者争いも、この騒動に見事な花を添えているのだ。
「昨日まで公都にいたのだが目下行方不明だ。まんまと姿をくらまされた」
アルマダが悔しそうに奥歯をかんでいる。
「まぁ、アヤツは後回しでも構わんだろう。最優先は謀反人エッカルトの処罰だ」
監禁状態であるにもかかわらず、アルマダは謀反人と言い切った。現状でも離宮及び宮殿はエッカルトの勢力下にある。彼に協力する貴族、軍人が抑えているのだ。
とはいえ、エッカルトが正式に大公の地位に就いていない今、彼を謀反人として裁くことは可能だった。
「処罰といっても、どのように?」
「うむ、それは……」
アルマダがベールの女性をチラリと見た。彼女は、今度は大きく頷いた。
「レディ、どうぞ」
眉をひそめるリクの疑問を、アルマダはベールの女性に振った。
「エッカルトを、弑逆しなさい」
彼女の低く、よく通る声が、静寂が包み込むこの部屋によく響いた。