第七十三話 こんな時はな、ジタバタしてもしょうがねえんだよ
武装した兵士に囲まれたリクとカレンは、用意された馬車に詰め込まれた。囚人でも入れるための馬車なのか、車内は簡素で窓には鉄格子がはめ込まれている。クッションなどない木のベンチに並んで腰かけた二人を恐れるように、青い顔の兵士が乱暴にドアを閉めた。
「熱烈な歓迎っぷりに涙が出るな」
「なにお気楽なこと言ってんのよ!」
リクは悠々と硬い背もたれに身体を預けているが、カレンは緊張と不安からか落ち着かない様子で左右の窓から外をチェックしている。
カレンの手にはリクの服の裾をぎゅっと握られている。不安にかられているのだ。
窓の外から黒い布があてられ、外すらも見えなくされた。どこへ行くのかわからないようにするためだ。
光が弱まり暗くなった車内でさらに不安に駆られたカレンは口をぎゅっと結んだ。
「まぁ、なるようにしかならねえよ」
リクはそんなカレンの肩に腕を回し、ぐっと引き寄せる。身体をあずけた格好のカレンが物言いたげな目でリクを見上げてくる。ぎゅっと閉じられた口元と揺れた赤い瞳がカレンの心情を如実に伝えてきた。
またもカレンを不安にさせていると現状が、ズシンとリクの胸におもりを投げ入れる。
「俺を信じろって」
リクはまっすぐにカレンの瞳を見つめ返した。言えることはあるが、まだ言う時ではない。今はカレンの不安を和らげることが最優先事項だ。
しばし二人は見つめあっていたが、カレンの頭がコテンとリクの首元にあてられた。リクはカレンの頭に手を添え、落ち着かせるようにゆっくりと撫でる。頭のてっぺんから背中に届くようになった毛先まで、不安をはぎ取るように赤い髪を指に絡める。
――すまねえな。
リクの余裕はその能力と踏み越えてきた場数からくるものだ。普通の人間ならばカレンのように怯えるのが当然の反応だ。
それにリクは、自分が余裕を見せたほうがカレンが安心すると考えてもいる。
この馬車から逃げるのは簡単だ。リクの能力があればいつでも馬車を止めて逃げることはできる。だがそんなことでは問題は何も解決しない。解決するために、わざわざ公都まで来たのだ。
それはリクのためでもあるし、カレンの望みでもある。
安心したのか、カレンが猫のようにぐりぐりと頭をこすり付けてくる。目の前でふわっと揺れる赤い髪がリクの首筋をくすぐっていく。
――もう少しの辛抱だ。
リクは、髪を撫でる手に愛しさを込めた。リクの頭の中はカレンのことでいっぱいだ。
無理をさせているのはわかっている。
不安なのもわかっている。
どうすればカレンの不安が取り除けるのか。惚れた女のために何ができるのか。
信じろということしかできない自分が歯がゆくもあった。
「なんでこんなやっかいな男を好きになっちゃたんだろ……」
カレンの小さなボヤキは、思考の袋小路に迷い込んだリクに届くことはなく、動き始めた馬車が奏でる車輪の音にかき消された。
右へ左へと体が揺られ、馬車はどこかに向かって進んでいく。本来ならばすぐそばで聞こえるはずの公都の喧騒が遠い。
リクは記憶を探るが、ほとんど公都にはいなかった事と貴族がいるような街区には足を踏み入れた事がなかったので、今馬車が走っている場所がどこなのかも見当がつかない。
ただただリズミカルな蹄の音を聞いていた。
そのリズムが遅くなり、リクとカレンの体も前に引っ張られる。
「到着だな」
「どこに?」
「さぁな」
リクの気楽な口調にカレンが失意のため息をこぼす。
「もぅ、ちゃんとあたしを守ってよね」
「ま、俺にまかせろって」
気楽に答えたリクは手に力を籠め、カレンの頭をひと撫でする。
「あんたのその気楽さはどこから来るのよ……」
リクの胸元のカレンの重みが増した。
諦めの境地なのだろうか。もはや心配は無駄だと悟ったのだろうか。
実のところカレンは安堵を求めてリクに寄りかかっただけだ。カレンの胸中は不安の嵐が吹き荒れている。
「こんな時はな、ジタバタしてもしょうがねえんだよ」
リクがつぶやき終えると同時に馬車も止まった。窓にかかっていた黒い布はそのままに馬車の扉があく。
先ほどの中年の兵士の顔が見えた。いまだに緊張感でこわばった顔だ。目に見える額の汗もそれを裏付けていた。
「ついたから、降りてくれ」
うわずったしゃがれ声に誘導され、リクはカレンの肩から腕を外し先に降りた。偏った錘から解放された馬車がぐわんと揺れる。
降りてすぐにリクは周囲を確認した。馬車は馬にまたがった十数人の兵士たちに囲まれている。彼らの顔も不安と緊張に満ちていた。
――忙しいのに御大層な歓迎だな。
馬車の背後には白い石造りの建物が見えた。窓が縦に二つ並んでいることから二階建てだと分かった。外壁は細かい彫刻がなされ、高貴な身分の人物が使うモノと断定した。
リクは馬車に向かい、ガスパロをまねて恭しく手を差し出した。
「お手をどうぞ、お嬢様」
ニヤッとしたリクの顔を見たカレンが眉間にしわを作る。
「ほんと、やんなっちゃう」
リクの手をとったカレンがゆっくりとステップに足を乗せ、優雅に降りてくる。
公都は北部ほど寒くはない。今のカレンはいつものお仕着せに温かさ優先の外套という姿だ。リクもいつもの緑の軍服に同じく軍支給の外套だ。
仕草に対し装いがミスマッチもいいところだ。
緊張の面持ちで警戒している兵士たちの口がぽかーんと開く。
「なにがヤなんだ?」
「あんたのその能天気さよ」
苛立ちで目つきが鋭いカレンがリクの左に立ち「ほら、出しなさいよ」と口をとがらせる。対するリクは「何を出すんだよ」と眉を寄せる。
「中途半端で終わらないで、最後までエスコートしなさいよ!」
カレンがリクの左腕に手を添え、ぷいっと顔をそむけた。
「俺はお貴族様のお作法なんかは知らねえっての!」
「似合わないことするからそのお返しよ!」
カレンが髪を舞わせ振り向く。カレンは売られた喧嘩は買う女だ。ただしその相手はリクに限るのだが。
「チッ、可愛い顔して可愛くねぇことしやがって」
「褒めてるんだか貶してるんだか、どっちかにしなさいよ!」
「褒めてんだよ!」
目の前で繰り広げられる空気を読まない痴話げんかに、中年の兵士は口をはさむタイミングを失っていた。
下手くそなエスコートのせいでカレンに足を蹴られながら、リクは建物の廊下を歩いている。前後を武装した兵士に挟まれる物々しい空気の中、カチャリと鳴る彼らの腰のサーベルの音が良く響いた。彼ら以外に人気はない。規則的な靴の音が静寂を刻んでいく。
記憶のある軍令部よりも廊下の幅は広く、繊細な彫刻が施されたクリーム色の壁が柔らかな雰囲気を漂わせていた。
所々にある窓の下には豪奢くな台が置かれ、冬なのに花が活けられている。壁に備え付けられている燭台も凝った意匠の物だ。
ニブラで世話になったヴィンセントの屋敷よりも数倍、贅が尽くされていた。
――こりゃ金がかかってるな。
リクが左にいるカレンを見やれば、やはり彼女も周囲をシゲシゲと見ていた。女性ならより興味をひかれるだろう。リクの視線にも気がついていない。
建物の外周の廊下を歩き、階段を登り、二階を少し歩いた先にある扉の前で兵士は止まった。兵士はノックも無しに扉を開ける。
「ここに入っていてくれ」
視線だけで部屋の中を示す兵士に、リクは「わかった」とだけ告げた。
カレンをエスコートもどきで連れたまま、リクは兵士の存在を気にすることなく部屋へ入っていく。
「わっ!」
部屋の中を見た途端、カレンが驚きの声を漏らした。監禁される部屋だから小汚いと想像していたら予想をぶっちぎりに裏切って普通に客室だったからだ。
普通と言っても今歩いてきた廊下の高級感と比べて遜色ないというレベルだ。
天蓋付きのキングサイズよりも大きなベッド。横に何人座らせる気だと問い詰めたくなるほど長いソファ。貴重と言えるガラスを天板にした、カレンが転がれる大きさのテーブル。
びっしりと彫刻が掘られた窓は解放的な大きさで柔らかな日差しを導いている。仄かに赤が混ざる白い壁にはよく分からない肖像画が複数飾られている。
足元の緑の絨毯は落ち着いた感じを生み出し、厳美な部屋の調和を整えている。
「……すげえな」
「場違い感でつぶれちゃいそう」
二人は扉を潜って直ぐの所で立ち尽くしていた。背後で閉められた扉からガチャリと重そうな施錠の音がするが、今の二人はそんな音に構っている余裕はなかった。
「居場所を見つけられねぇ」
「座ったらソファに拒否されそうな気がする」
「どこにいりゃいいんだ?」
「あたしに聞かないでよ」
煌びやかな世界に場違いな田舎者が二人。
兵士にもびくつく事が無かったリクは、この部屋の豪華さに負けそうだった。