第七十一話 んーーどうかなー
リクは寝ていた。
程よく揺れる馬車の中、ベンチ型のソファの端っこで、窓に頭をゆだねながら。
昨晩もカレンの暖となるべく身体を密着させながら悶々と起きていたのだ。
馬車に乗るまではなんとか起きていたが不規則に揺られる心地良いリズムに魅了され、すっかり夢の中だった。
「おじさん、ねてる」
向かいに座るロッテが笑いながら指をさした。
「彼も色々疲れてるんだよ」
オーツがロッテに教えていた。ロッテは「ふーん」と感心なさげだ。
「だらしないねー」
少し顔色がよくなったカレンが、ロッテに話しかけた。
「だらしないねー」
ロッテがカレンの声をまねて復唱する。何かを思い出すようにカレンがふふっと笑った。
ニアの街を出て三日経っていた。
あれから毎晩、カレンはリクの腕の中で安堵に包まれて、すやすやと寝ていた。リクは毎晩ずっと悶々と過ごしていたのだ。
やせ我慢をつづけたリクは、こうして移動する馬車の中で寝るようになった。
「お身体は大丈夫ですか?」
「まぁ、だいたいね。あのバカのおかげ、かな」
オーツの心配する声に答えたカレンはリクを見た。目の下が黒くなっていて余計に人相が悪くなっている。
ニアを出てからの中継の街ではすれ違う人が空間をおくようになったほどだ。
「毎日寝不足で、リクさんも大変ですね」
「そう、なのかな?」
オーツから浴びせられる意味深な視線にカレンは目を泳がせた。
――あれ……バレてる?
オーツとロッテが眠るのを確認してからカレンは寝ていた。ふたりが起きる前には目をさまし、身支度を済ませていた。
リクとカレンが一緒に寝ていることは知らないはずだった。
「くだらないことで夜更かしでもしてるんじゃないのかな?」
カレンは脇に嫌な汗を感じながらごまかした。ついでにリクの体が冷えないようにと毛布を手に持つ。
「お二人は、恋人同士なんですか?」
「んぐ!」
オーツのさりげない追及にカレンの心臓が止まりかけた。毛布をリクにかけようとした体勢のまま、ちらとオーツを見る。彼の目は、真剣そのものだ。
「んーーどうかなー」
カレンは困った笑みを浮かべた。
――唇は奪われたけどさ……
リクが自分を想ってくれているのはわかっているが、お付き合いという間柄ではない。仲は良いと思っているがそんな関係ではない。そんな関係をこわれてもいない。
宙ぶらりんだった。
リクは何かと助けてくれるがそれ以上は踏み込んでこない。具合の悪い時も添い寝はしてくれたが何もしてこなかった。キスもリジイラでの一回だけだ。
その事実の前に、カレンは少しさみしくなる。
「やっぱりそうなんですね。リクさんを見る目が優しいですし」
オーツがふふっと笑とカレンの体温がぐっと上がった。顔も熱くなる。
「お、大人をからかうもんじゃありません」
「僕には婚約者がいますから」
「も、もういるの?」
オーツの意味ありげな笑みにカレンは翻弄されっぱなしだ。
――まぁ、エリナお嬢様もヴィンセント様との婚約は早かったけどさ。
「おにーさまのおあいては、あたしのおともだちなのー」
横に座るロッテが二パっと笑う。
「そうなの?」
予想外のロッテの乱入にカレンは慄いた。まさか五歳の女の子がこの手の話しく食いついてくるとは思ってもいなかったのだ。
「ネイーシャちゃん!」
「ネイーシャ・バスク。五歳の女の子です。他界されたリムロッド・バスク卿の孫にあたります」
「おねーちゃんみたいにまっかなかみで、かわいーの」
自慢げなロッテの言葉をオーツが補足する。
「へー、可愛いんだ」
「貴族の中では普通ですけども」
カレンが浮かべるやらしい笑みにもオーツは冷静だ。淡々と言葉を紡いでいた。
――まぁ、政略結婚だろうしね。
エリナもそうではあるのだが、例外的に二人は熱愛関係にある。多くは家のための婚姻だ。
「好きではないの?」
「好きか嫌いかで言われれば、好きです」
「ずいぶん大人な意見ね」
「恋愛とか、僕にはまだよくわかりません」
オーツは俯いてしまった。
――まだ七歳だもんね。リジイラだったらあたしが勉強を教えてる年齢だもの。将来の大公様は大変だわ。
カレンはそう考えた。自分と違って立場がある人は大変だと。
「好きあっているお二人が、羨ましくもあります」
予想外の言葉にカレンの目が点になる。
「は? あたしたちが好きあってる?」
「リジイラからのお二人を見ていれば、一目瞭然ですよ」
オーツが顔をあげ、カレンを見てきた。口に小さな弧を描きながら。
「カレンさんを奪還する前のリクさんの怒り様をお見せしたかったです」
「コイツが怒ってた?」
「僕ですら、カレンさんに手を出したら殺されるな、と思いました」
オーツが向けてくる苦笑いに、カレンはぐーすか寝ているリクに視線を移した。
心配したといってぎゅっと抱きしめてくれた夜。無事でよかったと言ってくれた。
ガスパロに連れ出された雪洞の中でチューリップを眺めながらリクに助けを願ったことも思い出した。
その願いの通り、リクは助けに来た。そして守るためだと言ってカレンを連れまわしている。
リジイラから離れて辛かったが、リクと一緒にいると安堵を覚えた。
――独りじゃなかったから?
カレンは自問を繰り返す。
何か問題が起こってもリクが何とかしてくれるという謎の信頼があった。
ノコノコとビオレータの後を追いかけて殺されそうになった時も、助けてくれたのはリクだった。
ビオレータに盗られる気がしてつっけんどんな態度になったこともあったけど、リクは受け流してくれた。
具合が悪い時も薬草を用意してくれた。まずかったけど、おかげで二日もしたら回復した。
変なことするな、と言ったからか、何もしてこなかった。
――浮気者、とか言ってるあたしは、なんなんだかね。
何様のつもりなんだろう、とカレンは落ち込んだ。恋人でないのだから浮気がどうといえる立場ではない。
――あたしは、どうなんだか。
玉ねぎで殴って、キャベツ投げつけて、もらったチューリップも放り投げちゃって。
――ヤキモチ焼くってことは、そうなんだろうなぁ。
今も鞄に収まっているピンクのチューリップを両手に抱えた。毎日きちんと水をあげているからか、寒いのに元気に咲いている。
――好きじゃなきゃ、大事にしないよねぇ。
目の前のチューリップがコクンとお辞儀をした。
――なによあんた、あたしの言葉が分かるっての?
カレンはムムムとチューリップを睨んだ。フルフルとチューリップが横に揺れる。
――腕の中で眠れて嬉しかったくせに、ですって!
カレンの顔がぼわっと熱くなる。
「不安だったのは事実だけど、あれは頑張ったご褒美であって。そりゃ安心できたし良く寝れたし、その、嬉しかったけどさ」
――具合がよくなっても一緒に寝たいんでしょ、って?
「そ、そんなことできるわけないでしょ!」
――ふふーん。
「なななにを言ってんのよ!」
カレンの顔は赤い髪にも劣らないほど燃え盛っている。
急に赤くなって花と会話しだしたカレンを、オーツとロッテは目を丸くして見ていた。
「おねーちゃん、どうしちゃったの?」
「うーん、僕にもわからないよ」
あっけにとられる二人をよそに、カレンはチューリップという本当の自分と言い合いをしていた。
カレンの頭の中で爆発する想いを向けられているリクは、まだまだ夢の中だった。