第七十話 拷問だ。ひでえ仕打ちだ。
はっぴーばーすでー!(謎
雪原を切り裂く街道を走る、時折ゆさっと揺れる馬車に乗った一行は、夕暮れ前にニアという街についた。壁というには心もとない木の塀に囲まれた、小さな街だ。
街の真ん中を太い道が通っており、そこがニアの中心街であることを示していた。買い物や帰宅する人々を押し分けるように馬車は進む。
石も敷かれていない道は雪解けの水で泥沼と化しており、馬車の車輪がその泥をバシャンとはねるものだから人々が馬車から離れていく。
「やぁ、皆さんどいてくれるので馬もおとなしいですねぇ」
御者のガスパロは鼻歌でも漏らしそうで、気楽に見える。もちろん前後には馬にまたがった憲兵が先触れで人払いをしているのだが。
のんびりと進んでいく馬車はとある建物の前で停止した。
木造三階建て。
豪華な装飾こそないが、明るめの色で塗られた壁や屋根が馬車旅で疲れた頭を解きほぐすようだった。
「ついたみてえだな」
リクは窓から外を見てそうつぶやいた。馬にまたがる憲兵数人が周囲の警戒にあたっている。小さな街なのでさほど危険とも思えないが馬車の客人は大公の孫だ。本来ならば馬車をぐるっと囲むべきだが目立ちたくないとの思いもあるのだろう。
「おね-ちゃん、おりるの?」
「えぇ、今日はここに泊まるんだって」
袖を引っ張るロッテに、カレンはにっこりと微笑んだ。青ざめた顔が痛々しい。
「えぇ、そうです。ここニアの街の政務官が住んでいる建物です」
馬車の扉を開けたガスパロがのんきそうな笑みで補足した。
小さな街に貴族などが泊まれる宿はない。そんな時はその街を治める人物の屋敷に泊まることが多い。そこで伝手を作りたいとの思惑もある政務官も多いため、あえて宿を規制する街もあるくらいだ。
その代り貴族を迎えても苦情が出ない程度の広さともてなしは期待できた。
「ではいきましょう」
ガスパロの声に押し出されるように、リクたちは馬車を降りた。
政務官に一通りの歓待を受け、身体も綺麗になった夜半。
リクはカレンとオーツ、ロッテとあてがわれた部屋にいた。
ベッドは四つ。その他には大きめのテーブルに備え付け椅子、ソファーと、最低限だが格調高いと思われる調度品だ。
窓はあるがこの部屋は三階。何かがあってもリクならば木を生やし、窓から脱出が可能だ。手に武器はないがリクの力で椅子を振り回せば代わりにはなる。
万が一の時の脱出経路はできた。
すでにロッテとオーツは寝ており、起きているのはリクとカレンだけだ。
建物は静寂に包まれており、時折誰かが歩いている音が扉の向こうから聞こえてくる程度だ。
カレンはベッドに横になっており、深く息を吐いている。
「だいぶ熱が上がってるな」
ベッド脇にしゃがみ、カレンの額に手をのせて体温を測っていたリクがつぶやく。
「頑張りすぎちゃったかな」
ポツリとこぼしたカレンの身体が細かく震えている。
「寒いのか?」
「ちょっと、ね」
青い顔を苦しさでゆがめたカレンが、強がる。そんなカレンを見るリクの胸には収まらない痛みが居座り続けていた。
毛布は三枚かけている。部屋の備え付けの暖炉にも火は入れてある。外套なしのリクが少し涼しい程度に感じるまでは暖かいのだ。
「昼も夜も、ほとんど食ってねえだろ」
「……食欲がないもの」
カレンは声を出すたびに深く息を吐く。
――クソッ
自分のせいでこうなってしまったことに、リクはどうしようもなく叫びだしたくなる。だがそうしたところでカレンの状態が良くなるはずもない。
今やるべきはカレンを少しでも楽にしてやることだ。
「食べたいものはあるか?」
多少なりとも食べた方がいいのはリクとて経験済みで、カレンでもわかっているだろう。それでも食べられなかったのは料理の種類のせいもあるはずだ。
カレンの食べたいものならば、とリクは考えた。
「……モモなら」
「そうか」
リクは潤んだ目で見返してくるカレンの頭を撫でた。蚊のなく声で返してくるカレンがどうしようもなくかわいそうで愛おしかった。
気持ちが良いのか、カレンは目を閉じている。
――やっぱ薬だな。
「ちょっと待ってろ」
リクがスッと立ち上がるとカレンが袖口を掴んできた。
「どこいくの?」
不安げな色を浮かべた瞳のカレンが身を起こして縋ってくる。胸がずきりと痛むリクはカレンの目を覆うように手をかざした。
「薬草をとってくる。それまで目を瞑って待っててくれ」
「……すぐ帰ってきてよね」
「取ってくるだけだ」
カレンの言葉は病気の時にある不安感を表していた。リクはカレンを横たえ、もう一度頭を撫でた。
「すぐよ?」
素直に目を閉じているカレンに後ろ髪をひかれつつも、リクは部屋の扉へと歩いて行った。
「遅い」
「五分も経ってねえだろ」
こっそりと建物から出たリクが各種薬草を創り、次いでモモも生やし、急いで部屋に戻ってきたらカレンが不機嫌を極めていたのだ。
「不安だったのはわかるけどな。手持ちに薬草なんてねえし」
「でも遅い」
目を瞑ったままのカレンがぶーたれている。ぶーたれているというよりは、リクに甘えているといった方がしっくりくる。
カレンは精神的にも疲れていて、いくら文句を言っても暴力をふるう事も自分を見捨てる事もしないリクを、実のところ信用しきっているのだ。
そんなカレンに対し、リクはまた頭を撫でる。
女の子はどうすれば機嫌がよくなるのか。
そんな経験などリクにはない。駄々っ子をあやすように、ゆっくりと頭を撫でるのだ。
「……手が冷たいね」
そう言ったカレンがゆっくり目を開いた。短時間だが外にいたリクの手は冷え切っていたのだ。
「外は寒いしな」
「……ごめんね」
「無理を言ってお前を連れ出してるのは俺だ。俺が謝らなきゃいけねえんだよ」
普段と違うしおらしいカレンが可愛く思えて仕方がないリクは誤魔化すようにカレンの髪をくしゃっと乱した。
「いま薬を作るから、ちょっと待ってろ」
リクはベッドから離れ、荷物を纏めてある袋から包丁、まな板、すり鉢を出す。採ってきた薬草を慣れた手つきで刻んでいく。採ってきたのは解熱と沈痛作用がある薬草を数種類だ。
「……草の匂い」
「採れたて新鮮な薬草だ」
「でも苦いんでしょ?」
元気のないカレンの顔がなおしょげる。
「だからモモも採ってきた」
相変わらず苦いのがダメなカレンにリクは苦笑するが、そんなやり取りですら楽しく感じた。
刻んだ薬草をすり鉢で潰し、液を出す。この液を乾燥させ粉末にするのが正規な方法だがそんな時間はないでのこのまま飲ませるのだ。
緑に濁った液から丁寧に固形を取り除いていく。小さすぎる破片はモモと一緒に食べてもらうつもりだった。
リクは次いでモモの皮をむき、小さな破片にしていく。そして包丁の向きを逆さにし、刃の背で押しつぶしてペーストにしていく。滑らかにはならないが、噛む回数を少なくでき、最初から甘みを感じることができる。
「モモの良い匂い……」
カレンは顔だけ上げ、リクの作業を見ていた。
モモを切り潰した中に薬草から取り出した緑の液体を注いでいく。
――ちょっと、食欲を無くす色合いだが仕方がねえ。
混ぜた液体は、濁った赤になってしまっていた。その色を見たカレンがぎょっとした顔になる。
「……ねぇリク。もしかしてそれをあたしに飲ませる気なの?」
カレンが力ない声で念押しをしてくるが、リクは無慈悲に小さく首を縦に振る。
「これ以上具合が悪くなったら、どうするのよ……」
カレンが逃げようと上半身を起こそうとするが力が出ないのか腕が滑って寝てしまう。
「大丈夫だ、俺が味見した」
嘘である。
「味見なんて、してないじゃない」
「した」
嘘である。
「酷い味に決まってる」
「意外にうまいぞ」
嘘である。
その間にもリクはベッド脇ににじり寄っていた。
絶望の顔をしたカレンが、虚ろな瞳でリクを見てくる。
「まぁ食ってみろって」
「いや」
「うまいって」
「いや」
二人の押し問答が続く。
「あ、あんたが先に食べなさいよ」
涙目のカレンが抗議してきた。リクは仕方ないという息を吐き、木の匙でひとすくいした濁った赤い汁を口に含んだ。
甘未と苦みの不協和音がリクの舌を襲う。
――マズイ。
だがそんな事は顔には出さず、リクは「ほら、大丈夫だろ?」とうそぶく。涙目のカレンは口をしっかりと閉じている。
「なにもしないよりは良いはずだ」
リクは静かに諭し、じっとカレンの紅い瞳を見つめる。
カレンの口がもごもごと動いた。
「……わかったわよ。その代り、一つお願いを聞いて」
カレンが降参の白旗を振った。
リクは今、窮地にある。かなりピンチと言えた。
毛布をかぶりベッドに横たわっているのだが、胸元にはカレンがいる。ひしと縋るようにリクの胸に手を添え、額をつけているのだ。
「あったかい……」
胸元からカレンの安堵しきった声が漏れてくる。
カレンのお願いとは、寒気がするから一緒に寝て暖になれ、というものだった。
――拷問だ。ひでえ仕打ちだ。
カレンはぴったりとリクの体にくっついており、その柔らかな感触を全身で押し付けてきていた。
好きな女が無防備にくっついている状況とカレンの発熱からくる温かさで、リクの頭も茹で上がりそうだった。
「ふぅ……落ち着く……」
――こっちはちっとも落ち着かねえ。
体調不良からくる寂しさを紛らわすためにカレンは少し常軌を逸している行動をとっているのだが、健全なリクにとってはご褒美を前にお預けだ。
下半身のとある部分には無駄に熱がこもっていた。
「変なことしないでよね」
「手弱女にそんな事はしねえ」
――だったらそのデケエ胸を押し付けてくるんじゃねえ!
たわわな感触を喜びつつも、カレンの釘にリクは心で抗議する。
「手弱女じゃなきゃ、するの?」
「俺を試すな」
――惚れた女がくっついて寝てたら襲うに決まってんだろが!
カレンが健康であったらこんなことはありえないのだ。もしもこの健康な状態でこうなったら、リクはお預けの命令など聞いてはいない。ご褒美に貪りついているだろ。
――朝までこのままか?
リクの顔が引きつっているその胸元でカレンが寝息を立て、静かに眠りについたのだった。