第六十九話 他国を威圧できるかもしれねえぞ?
ガスパロを御者としてニブラを出発した馬車は、除雪された街道をゆっくり走っていた。馬車自体が重く、四頭の馬で曳いているのもあるが、オーツとロッテのために振動を抑えることが主眼であった。
重い馬車は振動が少ないが、この無骨な馬車は板バネを使用してさらに衝撃を逃がす仕組みを取り入れていた。おそらくは公都でも上級の貴族がお忍びで使用する馬車なのだろう。
馬車の中は広く、リクが横になれる長さのベンチ状のフカフカなソファがある。
進行方向を前に座るのはロッテを真ん中にして右にカレン左にオットーだ。リクは御者のガスパロに背を向け、カレンの向かいにいる。
そのリクの前にいるカレンの顔色が悪い。血の気が引いて白くなっていた。額に汗も見え、体調を崩しているのが一目瞭然だ。
それでもカレンはロッテに笑顔を向けている。ロッテが気にしてしまうからだろう。
「カレン」
リクはさりげなく声をかけた。
「なによ」
カレンが睨みつけてくるもその目には力が見られない。
リクが心配を声にしてしまうとロッテもオーツも不安に感じるだろう。特にロッテはかなり懐いていて、カレンなしでは駄々をこねかねない。
「ダメなときは、言えよな」
リクの呟きに、カレンは小さく頷いた。俯いたその瞬間、口が「ありがと」と動いたのを、リクは見逃さなかった。
左の口角をあげつつ、リクは窓の外に視線を移した。荒涼たる雪原が見える窓ガラスには、ロッテの世話をやくカレンが映る。
――あとで具合を聞くか。
リクは薬のことは詳しくは知らないが、簡単な薬草を使ったものを作ることはできる。ユーパンドラに作らされていた記憶も手伝った。
公都までの途中に医師がいる大きな街まで辿り着く前にカレンの様子が悪化するかもしれない。
痛みなのか、不快感なのか。
苦しみを隠すカレンが不憫でならなかった。
――もう少し我慢しててくれ。
リクの願いを嘲笑うように、馬車の窓の外には白い雪が舞い始めていた。
ニブラを出てから既に三時間ほど経ったころ、昼食を兼ねた休憩になった。凍りそうな風が吹く雪原が広がる街道脇に馬車が止まり、御者席のガスパロが馬車の扉を開けた。
舞う雪を従えて冷たい空気が馬車の中に入り込み、ほほを突き刺してくる。カレンとロッテは寒さでブルッと体を震わせた。
「昼食には少し早いですが、一度休憩をします。馬も休ませる必要がありますので」
恭しく頭を下げるガスパロの向こうに、いつの間に集まったのか馬にまたがった憲兵たちの姿があった。馬車のかなり先と後方に位置していて警護していたのだ。
「昼食は俺が作ろう」
リクがちらっとカレンの様子を見てから身を乗り出し、ガスパロを馬車の外に追いやる。
「そうしていただけると、助かります。なにせ男所帯で、まっとうな食事を作れる者がいないもので」
ガスパロがしまりのない顔で笑う。真意がわからない笑顔にリクは警戒を強めた。
その笑顔にオルテガも騙されてノコノコと屋敷に案内してしまったとカレンから聞かされていたからだ。
「リク、ちょっと茂みを作って」
馬車の中のカレンから声がかかる。ロッテの背中に手を回し、降りる準備をしていた。
――用足しか。
遠回しに言うことで気を使っているのだろう。ガスパロも意味が分かったようで配下の憲兵に指示を飛ばし、目隠しの位置を確保させている。
目の前の雪原には遮るものはないが、リクがいればその限りではないのだ。
――憲兵はいけすかねえが、手足となって動いてくれるのは助かるな。
オットーとロッテのついでとはいえ、それに便乗する形でカレンにも女性としての一応の配慮はされていた。もっとも何かあった場合にはリクが黙っていないのが分かっているからなのだが。
「ほら、気をつけろ」
馬車を降りるカレンにリクは手を差し伸べる。体調不良が見て取れるカレンを少しでも補助してやりたくてのことだ。
ガスパロも憲兵たちも意味深な笑みとあからさまな苦い顔をするが、そんなものは今のリクに意味をなさない。
「珍しいじゃない。冬が夏になっちゃうんじゃない?」
「ちっとは紳士になることを覚えたんだよ」
手を取って馬車を降りるカレンの軽口にリクも相応の冗談で返す。カレンが「紳士?」と顔を緩ませた。
辛そうだったカレンに、一時でも笑みがこぼれたことで、リクは満足だった。
リクが作った茂みからオーツが一足先に帰ってきた。カレンから見たらオーツも世話の対象だ。
当の本人は多少恥ずかしがっているが、リクとしては守る対象が一緒に行動してくれるので助かっている。
「あの」
馬車の近くでかまどを作り鍋を取り出して昼食の準備をしているリクに、オーツが小声で話しかけてきた。同じく馬車の近くで待機しているガスパロに聞かれたくはないのだろう。
リクはそう考え、オーツの視線に高さを合わせた。
「カレンさん、だいぶ辛そうですが」
オーツはじっとリクを見つめてくる。カレンの近くにいるオーツには、無理をしているのがわかるのだろう。
「無理が続いてるからな」
「……僕も手伝います」
「悪いな」
「迷惑をかけているのは、僕らの方ですから」
オーツはそういうと、馬車の中に戻っていった。ごそごそと中の整理をはじめ、食事をとれるように片づけていた。
「……公国の将来は安泰ですね」
馬車の中でオーツが甲斐甲斐しく働いているのを見たガスパロがボソリとつぶやいた。
「珍しく意見があったな」
レンガをくみ上げた即席かまどに鍋を置き、火を起こしているリクが答えると「今のは願望です」とガスパロは肩をすくめる。
「リジイラに連れて行かれたせいで、逞しくなっただろ」
「これ以上あそこにいたら、貴方のように筋肉隆々になっていたことでしょうね」
「見事な肉体美で他国を威圧できるかもしれねえぞ?」
「嫁のなり手がいなくて困ることになったかもしれません」
リクとガスパロは冗談ともつかない言葉のやり取りをしていた。リクは指を鳴らしすぐ近くにニンジン生やし、それを抜くとガスパロに放り投げた。
連続で八つ投げたニンジンを、ガスパロは掴んでは足元に落とし、器用にすべてを受け取った。
「馬のおやつだ」
「ご丁寧にどうも」
ガスパロがのんきそうな笑みを浮かべ頭を下げる。憲兵とはいえ軍人、馬の大切さはわかっているのだ。
「足りない分はここから好きに持って行ってくれ」
リクは次々と野菜を生やしては収穫していき、雪の上に野菜を転がしていく。
雪の中で風に揺れるトウモロコシの葉は異質の一言だが、火に炙られた匂いが周囲にあふれると、そんなことは頭から消え去るのだ。
鍋の中にはオリーブオイルで炒められたニンジン、ジャガイモ、キャベツ、タマネギ、ブロッコリーが水をくわえられ、プラプラと浮いている。がっつり塩漬けされた鹿の肉が投入され、味付けも兼ねる。
肉は先に焼いたほいうがよいのだが、塩で固められ硬すぎなために焼くと食えなくなる。ぐつぐつと煮立つ鍋の中で、野菜たちは上へ下へと泳いでいた。
「おまたせ。手伝うわよ」
「いや、皿によそって持っていくから馬車の中で待っていてくれ」
帰ってきたカレンが申し出るがリクは即座に断った。鍋の前で座っているリクが見上げた時のカレンの顔が赤くなっていたのだ。
――熱あるんじゃねえのか?
目が潤みがちで、さっきよりも辛そうに見えた。
「寒いところにいて風邪をひいたら元も子もねえだろ?」
カレンが手とつないでいるロッテを見た。ロッテは目を輝かせて鍋を見つめ、カレンの変化には気が付いていないようだ。
小さくうなづいたカレンがふらついた足取りで馬車へと戻っていく。その先でガスパロが恭しく腰を曲げ手を差し伸べていた。
「大丈夫」
カレンはその手の横を素通りして馬車の中へと滑り込んでいった。
「おや、ご機嫌斜めの様子。体調がすぐれないのかもしれませんね」
相変わらず何を考えてるかわからない、のほほんとした笑みを浮かべたガスパロが、目線をリクに送りつけてくる。
――面倒な奴に気づかれたな。
「次の街に医者はいるのか?」
リクの希望を蹴り飛ばすガスパロの「さぁ、どうでしょうねぇ」という言葉が、吹き付ける風に乗って突き刺さってきた。