第六十七話 お前も歳をとったからな。少し楽にしてやりたくてな
第五部、l更新再開です。
不定期には変わりがありませんが(;・∀・)スミマセン
雲一つない冬の好天。
北の山脈から吹き付ける乾いた冷たい風にさらされ、例年と同じ程度のボヤを出しつつも、目立った混乱もなく平穏な冬だ。
ヴェラストラ公国の公都デルタはいつもと変わらぬ冬の朝を迎えていた。
公都の市場は冬にもかかわらず賑わいを見せている。冬は冬で収穫できる農作物がある。
南方の温かい地域から輸送されてくる、季節を先取りした果物も溢れていた。
公国はもうすぐ新年を迎える。
年の瀬の公都はいつも以上の軍人で溢れていた。
南部の戦線から帰還する兵士が一度公都に寄り、生存報告をするのだが、その処理が膨大であり、手間取っていた。
長引く戦争の為に徴兵され、急遽作られた名簿に乗っていない兵士が続出したり名簿そのものが出されていないなど、戦後の処理がうまくいっていなかった。
故郷への帰還の許可が出ない兵士は公都からは出られない。さりとてやることが無い兵士が公都に溢れているのだ。
慣れない公都で様々な問題を引き起こしつつも、それでも公都は平穏だった。
その公都の宮殿の奥に位置する大公の執務室で、一人の壮年の男が椅子に座り、手紙を持っていた。
銀髪を後ろに撫でつけ、整った彫りの深い顔に下卑た笑みを浮かべ、その男エッカルト・ザイフリートが持っていた手紙を放り投げた。手紙は机から外れ、緑の絨毯へと落ちた。
その手紙を、控えていた老侍従が拾い上げる。
「ふふ、手からこぼれたパズルのピースが戻って来るそうだ」
エッカルトに応ずるように、侍従が口元を緩めた。
「憲兵隊からの報告書で御座いましたか」
「おぉ、ニブラに到着してそのままリジイラへ進軍するそうだ。たかが五百人の村に二十人は多いかと思うが、万全を期さねばな。ぬっふふ」
エッカルトは含み笑いをする。端正な顔が品性を失い、侍従はわずかに視線を逃がした。見たくないものだったのだろう。
だが彼は気を取り直して告げる。
「彼の地には血濡れがいたと記憶しておりますが」
手紙を丁寧に畳んでいる侍従の諫める言葉にエッカルトは少しだけ顔を歪ませた。
「忌々しくもアヤツがいる地に逃げ込むとは。首謀者が誰か知らぬが、少しは頭が切れるようだ」
「ですが、憲兵隊を率いるのは猟犬ガスパロでありますので、失敗はないと思われます」
「評判しか知らぬが。本当に切れる男なのか?」
エッカルトの瞳には疑念が浮かぶ。
地方の領主でしかなかったエッカルトの耳には中央の特殊部隊の評判はほとんど入らない。いまでもこの老侍従や軍部の言葉でしか聞いていないのだ。
「呑気そうな顔で油断を誘う、傍にはいて欲しくない人物であります。が、彼の成績は優秀であり、これまでの作戦でも失敗はありません」
侍従が恭しく頭を下げる。と、同時に執務室の扉が控えめに二回ノックされた。侍従が素早く扉に近づく。
「どなたですかな」
「わたくしです」
侍従がエッカルトに顔を向けると、彼はゆっくりと頷いた。
「デボラ様でしたか。ささ、お入りください」
侍従が開けた扉の前には栗色の髪を結い上げ、温かみのある薄い橙のドレスに身を包んだ妙齢の女性が立っていた。可愛さが残る顔にまだまだ張りのある肌と小娘と侮られても可笑しくない外見だが、毅然と佇む姿には威厳が染み出ている。
脇にお仕着せを纏った侍女二人を従え、デボラは執務室へと入ってきた。
「うむ、こんな早くに来るなど珍しいな。何かあったのか?」
エッカルトは気怠そうに口を開いた。
デボラはエッカルトの正室である。元々は仲睦まじい夫婦だったがエッカルトがシルヴァ商会のシオドア・ペレイラと親交を持つにつれ、彼が手配する若い女にうつつを抜かすようになっていき、ぎくしゃくしていった。
子宝に恵まれず、夫婦仲は冷えており、エッカルトにとってデボラは正室というだけの存在になっていた。
エッカルトが大公の地位を奪うと、その気持ちが図らずとも表面化した。
デボラもエッカルトには愛想をつかしていたのだが、領地に残すと弱点にもなりかねないとの理由だけで公都に連れてこられているのだ。
「オットーとシャルロッテの件ですが」
デボラはビシッと背筋を伸ばし下腹部に両手を重ね、執務室に声を響かせた。
「その件ならばもうすぐ片が付く。忠実なる猟犬が二人を連れ戻してくるそうだ」
最後に鼻を鳴らし、エッカルトはニヤリと右の口角を上げた。
「まだ幼いのですから、辺境とはいえ安全なニブラにいさせればよいではありませんか」
「極力弱みはなくした方が良いに決まっている。それに二人がいるのはニブラではなくリジイラだ」
エッカルトは机から葉巻とナイフを取り出した。デボラは一ミリも表情を変えずにエッカルトを凝視している。
「ヘルムートとオリーヴィアを離宮に幽閉していれば問題はないとおっしゃったのは貴方だと記憶しておりますが」
「あの子供らは逃がされたんだ。私に刃向かう奴等がいる以上、身の安全の為に二人は彼の地からは戻さねばならん」
「権力闘争に振り回されているあの子達が不憫でなりません」
葉巻を口に咥え鷹揚に語るエッカルトに対し、デボラは唇を噛んだ。
彼女には子供がいない。エッカルトとの間には出来なかった。その代り甥と姪であるオットーとシャルロッテを本当の子のように可愛がっていた。
二人を逃がすべく手配をしたのはデボラであった。
離宮で自由も無く幽閉されている子供達を憐れんで、エッカルトに反意を持っている軍部の勢力に手引きをしたのがデボラだ。その軍部の勢力に、アルマダがいた。大佐でしかないアルマダ一人でそんなことができるはずはない。
アルマダは彼女の命を受け、二人を連れニブラへと向かい、そしてリジイラのリクを頼ったのだ。
炎の騎士リムロッド・バスクが毒殺された現在、公国で最強の戦力となりうるのが血塗れの野菜将軍たるリクだった。
だが彼女の意に反して二人が公都に戻されるとの情報がアルマダからもたらされたのだ。勿論情報はそれだけではないのだが。
「幼いうちに教育をし直して、私に刃向かえないようにする必要がある。しつけだ。次期大公としての、な」
暗い笑みを浮かべるエッカルトとは対照的にデボラの顔は悔しさが滲ませていく。可愛い甥と姪になんてことをするつもりだ、との怒りが体の奥底から湧き出しているのを隠しきれていない。
エッカルトは自身の後継者がいないことをオットーをも傀儡にすることで乗り切ろうとしていた。
「お前も歳をとったからな。少し楽にしてやりたくてな」
エッカルトは思惑を隠せない笑みでデボラを見た。
万が一の場合、正室のデボラに見切りをつけ側室を設け、自らの血統を次期大公の地位付けようとも画策していた。
どの方法でもエッカルトは摂政の地位につき、陰でヴェラストラ公国を支配するつもりだった。
「わたくしは三十二歳で御座います。まだまだ若いと思っておりますが」
不穏な何かを感じ取ったデボラは語気を強めた。
「お前と結婚してから、何年経ったか」
「十三年と五か月でしょうか」
「それだけいて子を授かることができないとはなぁ」
遠回しに離縁を申しつけそうな空気の中、老侍従がコホンと咳をした。
「大公閣下も妃殿下もお若こう御座います。公国民は、仲睦まじいお二人のお姿を望まれております」
おずおずと、だがはっきりと老侍従は告げた。その言葉にエッカルトはまた鼻を鳴らした。
「フン、まぁ良い。時間はあるのだからな」
エッカルトは煙を吐き出し、ギシリと椅子の背もたれに体を預けた。
吐き出された煙は執務室に漂う不穏な空気に触れ、直ぐに霧散した。