第六十五話 マーシャさんはそうだからと言っ――
「正気、ですか?」
ひとしきり咽て息を整えたガスパロがリクを見据えてきた。ロッテの傍にいるカレンも「なによそれ!」と叫びそうな顔をしている。
「リク! あたしの頑張りをパーにしてくれちゃうわけ?」
「おまっ、ちょっと話を聞けよ」
「納得のいく説明をしてくれるっての?」
ゆらりと立ち上がったカレンの手には、さっきリクが創りだした青々としたキャベツが掴まれていた。カレンがぐわっと腕を振り上げたところでリクはスープの入った椀ごと両手をあげた。
「落ち着けよ」
リクは降参の意をしめしたままカレンを説得にかかった。
「落ち着けって?」
薄笑いのカレンの目が座っている。彼女の赤い瞳が潤んで見えるのは、リクの気のせいではない。
「まて、話し合いが大事だ!」
「お母さんが言ってた。浮気者はそう言うんだって!」
「マーシャさんはそうだからと言っ――」
カレンがフルスイングして投げつけたキャベツは見事なコントロールでリクの顔の命中する。そして周囲の憲兵たちからどよめきと喝さいが沸き上がった。
「俺も若い時は、ああだったなぁ」
「俺だって出会いがあれば」
「滅びの言葉を唱えろ」
憲兵からの怨嗟の呪いを受けながらリクはカレンを宥めていた。
涙目で抗議してくるカレンの両肩に手を乗せ、キャベツ攻撃をまともに受けた顔面を赤くし、話を聞いてくれ、とひたすら繰り返した。
カレンがこんな目にあったのはリクがリジイラを留守にしたせいで、オーツとロッテがリジイラに来たのもリクのせいだった。
リクはカレンに対し一切の反撃はしなかった。カレンの怒りを吸収し、少しでも気が済めばという思いだった。
「お前が頑張ったのは見てわかるから。無理して耐えてたんだろ?」
リクは限りなく優しく語りかけた。ガスパロとの話もしたいがカレンを落ち着かせるのが最優先だ。
「そうよ! 頑張ったんだから……」
唇をかみながら、カレンが絞るような声を出す。頬に一筋の涙が落ちるのを見たリクは胸が軋みが限界に達し、無意識にカレンを抱き寄せた。
「がんば……から……から」
「わかってる。わかってるからもう泣くな」
リクは肩を震わせ嗚咽を漏らすカレンを抱きしめた。張り裂けそうな胸にカレンウを埋め、痛みを止めようとするが収まるどころか逆に激しくなる。宥める事を諦めたリクは、カレンの背中の手をまわし、優しく叩く。
「あー、おねーちゃん、なかしたぁ!」
おとなしく推移を見守っていたロッテが騒ぎ出した。暴れない様に後ろからオーツが押さえてはいるが口までは止められない。
「ちょ、これはだな」
「大人が言い訳しては、いけませんねぇ」
慌てたリクがロッテに顔を向ければ、横からガスパロのニヤついた顔と声がしゃしゃり出てくる。
決壊した堰は感情の洪水を止められないようで、カレンはリクの胸に頭をぐりぐりと押し当ててくる。
「クッ、独りもんには辛い光景だ」
「神様は不公平だ!」
「なんで俺にはこんな女の子がいないんだぁぁ!」
憲兵たちも家族がいる者いない者、事情は様々だ。眼の前で仲睦まじく見える二人に文句を言いたくもなるのだろう。
彼等の中の独身者の苦情を一身に受けているリクだが、未だ感情の渦に溺れているカレンを慰める事で手一杯だ。悪態で応える余力はない。
泣いて震えているカレンが何よりも優先する。それが例え国家であろうとも。
「あまり見せ付けないでください。部下にも独身者がいますので」
ガスパロが肩を落とした。流石にこれ以上、部下を放置できないのだろう。
リクは頭を下げカレンの耳元で「詳しい話は今晩する」と囁きガスパロに視線を戻した。
「コイツを丁寧に扱ってくれたことには感謝する。お前らの命も奪わずに済んだしな」
リクの言葉が予想外だったのか、ガスパロも「おや?」と器用に肩眉をあげた。
「これはまた怖い事をおっしゃる」
呑気な顔のガスパロだがその目が険しくなる。
「こいつが怪我でもしてたら、お前ら今ごろ土と仲良く混ざってたぞ」
リクも目を細めた。
「そんな事をすれば、国が黙っていないと思いますが?」
「国が無事だったらな」
リクとガスパロは静かに睨みあっていた。剣呑な雰囲気に周囲の憲兵も色めき立ち各々の武器に手を伸ばしている。
「もしもの時は公国を耕して小麦とピーマンで埋め尽くしてやるつもりだった」
「……ピーマンは勘弁して頂きたいですね」
ガスパロがプッと噴きだした。リクの言葉を冗談と受け止めたかどうかまでは分らない。
ただしリクは本気だった。それくらいは、怒りで満ちていた。
「あー、彼女には指一本触れていませんよ。我々もか弱き淑女に手を出すほど野良犬ではないつもりですので」
ガスパロの言葉を聞いたのか、カレンがコクンと小さく頷いた。
リクは胡坐をかき、落ち着いたカレンを右隣に座らせた。カレンの膝の上にはロッテが自分の居場所だと主張しており、オーツはリクの左隣に座っている。
焚き火を挟んだ向かいにはガスパロが座る。威圧の為だろうか、十人の憲兵がガスパロの後ろに控えていた。
ガスパロの呑気な笑顔の背後は緊張の赤で空間が塗られている。
「やっと落ち着いて話ができそうですね」
「……やっとな」
リクがぼやき気味に応じれば、カレンがぐるりと顔をまわし光のない瞳を見せつけてくる。リクがぎょっと肩をあげると向かいの憲兵からプッと吹き出し音が聞こえた。
「羨むくらいの仲睦まじさを見せつけられても困るので先を続けますが」
ガスパロがコホンと咳をする。場にあるはずの緊張感がないのは、九割がたリクとカレンのせいだ。
「で、オットー様とシャルロッテ様を公都にお連れしても良いわけですね?」
「俺とコイツがお供するってのが条件だがな」
リクは隣にいるカレンの頭に手を乗せた。カレンがムッと睨み上げてくるのを感じつつも、万が一の事を考えて視線はガスパロに固定している。
「あたしも行くの?」
「俺が色々と面倒見れると?」
リクがそう言うとカレンが肩を落として笑った。
「できないわよねー」
「そうだろ?」
嫌だったのかホッとしたのか分らないが、カレンが涙ぐんだ。
「……悪いな」
「ふんだ。当然、その分の埋め合わせはあるんでしょうねぇ?」
「あぁ、俺で出来る事なら何でもするさ」
「何でも、ね」
カレンが涙ぐみながらも意味深な笑みを浮かべる。
申し訳ないと感じつつも、リクはカレンと離れる気などさらさらないのだ。出来る事は何でも、という言葉に嘘は無い。贖罪の意味も込めていた。それ程までに今回の事を悔いているのだ。
「あーそのー。目の毒だから、どっかに行ってやってくれませんか?」
呆れ顔のガスパロが両手をあげ、もうヤッテラレネーヨと降参した。
「で、我々がお二人の護衛をすれば良いと」
二度目の仕切り直しで会話が弾む。訳もなく、剣呑な空気を醸し出しながらリクとガスパロは対峙する。
「あぁ。ついでにリジイラに向かう予定の部隊を止めてくれりゃ素晴らしいんだが」
リクは腕を組んだ。エリナに反逆罪の疑いありとして軍の部隊を差し向けるとの情報があるからだ。
「それは我々の任務ではないので、窓口はそちらへ」
ガスパロは手をあさっての方向に指示した。やはりだめかとリクは口を曲げた。
「まぁ良い。途中でぶつかるからそこでお引き取り願おう」
「我々の管轄ではないので、どうぞご自由に」
ニコリとしたガスパロは冷たく言い放った。
「じゃぁ、好きにさせて貰うぜ」
対抗するように、リクは狂相を歪めて嗤った。