第六十一話 どうなっちゃうんだろ
カレンは憲兵たちに囲まれ、自分も歩くと言い出したロッテと手を繋ぎ、灰色の空が黒に変わりかけていた雪原を歩いていた。固くなった雪を踏み割りながら、小さなロッテの歩調に合わせて、行軍は速度をガタ落ちさせていた。
ロッテを無事に公都まで連れ帰るため無理はさせられず、かといってぐずると軍人には手が付けられないために、こうなった。
「ありました」
先頭で笛の様な望遠鏡をのぞいている憲兵が叫んだ。
――あるって、なにがよ。
カレンが目を細めると、前方に妙なものが見えた。雪まじりの景色に白く半円状の物が多数浮かび上がっている。
――雪洞?
カレンも子供のころに良く作って遊んでいた雪洞だ。リジイラ外で作業している時に天候が悪化した際に緊急避難の為につくる事もあった。
「今日はここで夜を明かします」
ガスパロは当然という感じで言ってきた。
「ちょっと、冬に外で寝るなんてありえないわよ!」
慣れない雪中行軍で疲労が濃いカレンは、たまらずガスパロに文句を申し立てた。自分もだがロッテも雪の中で寝るなど言語道断でありえないと思ったのだ。
だがガスパロは浮かべた笑みのまま容赦などなかった。
「雪洞の前でたき火をすれば、中はそれなりに暖かくなります。もちろん火の番は我々が致しますが」
事も無げに言葉を繰り出すガスパロにカレンは食ってかかった。
「ちょっと、淑女の寝る所にいるってわけ?」
「えぇ、逃げるとは思っていませんが襲われても困るのですよ。女に飢えた兵隊のど真ん中に無防備な貴女がいるのですから」
食ってかかる勢いをも凍らせる言葉を浴びたカレンは、自分の置かれている状況をまざまざと思い知らされた。大事なのはロッテであり、カレンはおまけでしかないのだ。
生きている必要はないし、無事でいる必要もないのだ。慰み者になったところで助けもない。逃げようとしたところで今がどこにいるのか、一面真っ白で雪がちらつく世界では分らない。
自身の命は彼らの手の内にあると知ったカレンは、視界がゆっくりと遠くのいていくのを感じた。
茫然としているカレンにロッテがぎゅうと抱き付いてきた。
「おねーちゃんをいじめるのは、ゆるさないの!」
「苛めてなどおりません。ちょっと現実を理解していただいただけです」
ガスパロが仕方ないというかのように肩を竦める。
「雪原を徒歩では、ニブラでさえも一日ではつくことはできません。我々ですら三日もかかっているのですから。って聞こえてます?」
ガスパロの説明など耳に入れる事さえできないカレンは、ただただ雪の降るさまを眺めていた。
ロッテとカレンが入れば満員になってしまう比較的小さな雪洞に毛布と毛皮を敷き、布団代わりの毛皮の寝袋を敷く。その上にカレンとロッテはちょこんと座っていた。
風が入らないから体感的には寒くはない。雪洞の入口には焚き火がたかれ、冷えた空気の代わりに、それなりに暖められた空気が入ってきていた。
焚き火の脇にはガスパロが陣取り、見張りとも火の番ともつかない風体でぼんやりと闇を眺めているようだった。
毛皮にぺたりと座り込んだカレンはウトウトし始めたロッテを抱いていた。カレンがいたからかロッテはぐずることも無く、素直に質素な食事を取った。
――ずいぶん簡単に考えちゃってたな。
ロッテが心配だったからついていくと決めた。だがカレンは知らなかった。軍人の体力と行動力を。
雪原を歩くだけでへとへとになり、実の所ここから一歩も動けないのだ。ここから逃げるどころか、カレンを襲いにきた軍人の魔の手から逃れるほどの体力も残っていない。
カレンは寝息をたてはじめたロッテを見た。不安そうな顔も見せず我慢しているだろうと思うと、カレンは自らの無力さに絶望すらも感じ始めていた。
もはやリジイラからも離れ、どこへ向かっているのかもわからない。食料の補給を考えればニブラへ寄る可能性は高いが、本当にそうなのかはカレンには分らない。
――あたし、どうなっちゃうんだろ……
カレンは毛皮の上に置かれた小さな袋から顔を出しているピンクのチューリップを見た。
――リクは、知らないよね。
カレンは一日目で挫けそうになっていた。
毛布に毛皮を重ねて敷いてはいるが冷気はじわじわと忍び寄ってくる。ロッテを寝袋にくるんで横にしても、徐々に冷えていくだろうと思われた。
カレンは、今晩はロッテを抱いて寝ようと決めていた。自分が寝られるのかはわからないが、一番体力がないロッテを守らなくてはならない。
ニブラへ到着するにも三日かかると言っていたのは、朧げに頭の中には入っていた。それまで耐えれば、何とかなるかもしれない、とカレンは考えたのだ。
視界の先のピンクがぼやける。
――頑張れば、助けてくれるかな?
酷い別れ方をしたままのリクを思って、カレンは項垂れた。
パキンと木が爆ぜる音に、うとうとしかけたカレンは目を覚ました。目の前には静かな寝息のロッテが見える。体には毛布と毛皮がかけられていた。
――あれ、いつの間にか横になっちゃってた?
カレンが瞼が十分に開いていない顔を上げた時だった。
「まだ夜中です。そのまま寝てしまいなさい」
唯一の灯りである焚火からガスパロの声がかかった。やんでいるのか、照らされた空間にはちらつく雪は見えない。カレンは疲労から直ぐに顔を毛布に落とした。
「シャルロット様を背負っていたのですからかなり疲れているでしょう。しっかりと寝てください。まぁ、寝にくいかもしれませんが」
ガスパロの、抑揚のない声が雪洞に反響する。微睡むカレンの頭には、それが鈍く響く。
「これ、かけてくれたの?」
カレンは自身とロッテにかけられている毛布と毛皮を掴んだ。
「失礼ながら、中にお邪魔させていただきました。そのままでは疲れもとれませんし、体調を崩しかねませんので」
「……あんたは、寝ないの?」
「見張ってないと、部下たちも何をするか分かりませんからねぇ。しないとは思いますが念のためです」
カレンの舌が良く回っていない声にも、ガスパロは反応してきた。
木が爆ぜる音が空気を裂く。
「あたしの為って、こと?」
「どうでしょう。シャルロット様の為、というのが正解でしょうか」
何かが動く気配はない。ガスパロの影は焚火の前で座ったまま動かない。たまに雪洞に入り込む冷気にカレンの頭も少し冴えてきた。
「ロッテちゃんを連れ帰ってどうするつもり?」
「さぁ。私にはそこまでは分かりません。公都に連れて帰るのが我々の任務です。その後のことは知り得ないことです」
ガスパロの抑揚のない声に、カレンはちょっとイラついた。
「任務だからって強引に連れて帰って後は知らないって、ちょっと無責任すぎない?」
カレンは寝ころんだまま声を荒げた。そのかわり「おかあさま……」と声を漏らしたロッテを胸元に寄せる。
「我々はただの駒です。駒が勝手に動いては戦略は選定できません。駒は駒であるべきです。責任は上が取るものです」
ガスパロの口調は変わらない。淡々と言葉を紡いでいった。それがカレンにとっては余計に腹立たしい。
「ロッテちゃんのお爺ちゃんである大公閣下が亡くなって、揉めてるって聞いたけど?」
焚火の脇からザクっと音がした。流石に想定外の言葉だったようだ。カレンはしてやったりとほくそ笑む。
「えぇ、その通りです」
ガスパロからの返答も、カレンの予想外だった。