第五十八話 悪かったな、期待外れな男で
ちょっぴり長いです(当社比)
「流石に顔パスかよ」
ニブラの入り口で調べられるかと思っていたリクだが、ビオレータの顔を見た門番の兵士達はにこやかな笑みを浮かべるのを見て彼女の影響力を察した。
どうやら予想以上に顔がきくようだった。
「ニブラがわたくしの本拠地ですもの」
「ヴィンセントとも取引してるんだったな」
「えぇ、光栄にもグリード侯爵家と取引させて頂いております」
ぞろぞろと犬達と不格好なソリを引き連れたビオレータが嬉しそうな顔になる。商売の事で褒められると条件なしに嬉しいらしい、というのはリクにもわかった。
オーツはフードをしっかりとかぶり顔を隠してリクの袖を握っている。ニブラの住人もビオレータのややおかしな行動にも慣れているのか、さほど注目は浴びていない。ただ組み合わせが家族を想像させるのか、男からの刺さる視線は感じていた。
「美人で金持ちなら、まぁモテるわな」
「素敵な男性以外、興味は御座いませんの」
小声だったはずのリクの声も、ビオレータにしっかりと拾われていた。
――おーコエー。
カレンとは別な怖さを知ったリクはぶるっと身震いした。
商店が軒を連ねるニブラの大通りを一つ曲がった先に、ビオレータが事務所として使っているシルヴァ商会の建物があった。
「さぁつきましたわ」
ビオレータはここだ、と手で示す。特に変わったところはなく、隣の建物と同じような木造の二階の建物で、入り口も変わった点は見当たらない。「シルヴァ商会」という小さな看板が無ければ普通の家と間違えてしまうような地味な建物だった。
「普通、護衛なんかが守ってるんじゃねえのか?」
ここだという建物を見たリクが呟いた。扉も木製でリクが蹴っ飛ばせばボカと穴が開いてしまいそうな華奢さだ。
「見掛けは粗末ですが、中はシルヴァ商会に相応しい装いになっております。見掛けだけで判断するような能無しには用がありませんの」
ビオレータが建物に近付き扉をノックすると、ややしてから扉が開く。
「お帰りなさいませ」
扉を開けた声の主が直立不動で直角の礼をした。リクもびっくりのガタイの中年の男が、上等な黒い折襟の服を着て、扉を開け恭しくビオレータを迎えたのだ。真っ白な髪だが顔には生気がみなぎっている。
「グラシアナとグラシエラは如何されました?」
「リジイラでお留守番」
ビオレータがその男の前を通る際に短い会話をした。
「お嬢様、そちらの方々は……」
リクにも負けない厳つさで身なりのピシッとしたダンディなマッチョが、明らかに胡乱な人物を見る視線を向けてくる。
「素敵な男性がリクさん。フードをかぶった男の子がオーツ様よ」
建物の中からビオレータの声が聞こえた途端、眼の前のマッチョからダンディさが薄れ、彼の目が大きく開かれた。
「素敵!? この男が野菜将軍ですかぁ? 覇気も何も感じられませんが?」
「悪かったな、期待外れな男で」
驚き過ぎだ、と一喝したいところだがリクは悪態で我慢した。ちょっと場が荒れるとオタオタするオーツの肩に手を当てたリクはビオレータに声をかける。
「で、俺達はどうすりゃいいんだ?」
「あ、中へお入りください! バイデン、何をしているの?」
ビオレータがひょっこり顔をのぞかせるとバイデンと呼ばれたマッチョは執事は「どうぞ中へ」と右手の平で案内してきた。
リクがオーツの方をポンと叩き促せば、フードを左右に振りながら中へと消えていく。
将来の大公がこれでは困ると思ったリクだが、体験した事と年齢を考えれば無理もないと考え直した。
部屋の中は十分に灯されており、文字を読むにしても苦労はしなさそうだった。情けなく思えた扉も裏には鉄板を仕込んであり、蹴っても壊れるのはリクの足だったろう。質実剛健のビオレータらしい所業だ。
大きな切り出しのテーブルとクッションが効いていそうな無骨な椅子。窓側にはふかふかなソファ。床には爽やかな青の絨毯が清涼感を与えている。パッと見で客を迎える部屋なのだとわかる。
「なるほど、大層な金が掛かってるな」
「見苦しくない程度に抑えてあります」
「これでかよ」
リクの呟きにも、適宜ビオレータが合わせてくる。ヴィンセントの屋敷程ではないがリクの常識を超えた豪華さに、既に会話が成り立っていない。
オーツを椅子に座らせリクはその背後に立つ。ここでの最重要人物はやはりオーツなのだ。
「紅茶で御座います」
バイデンが静かにテーブルにソーサーとカップを置いた。仄かに立ち上る湯気に、オーツはフードを脱いでカップを両手に取る。緊張が緩んだのか、オーツがホッとした顔になる。
バイデンは気にした様子もなく、粛々とビオレータの分も用意していた。
「お嬢様。昨日お客様がお見えになられましたが、如何致しましょう」
ビオレータがオールの向かいに座った頃合いを見計らって、バイデンが声をかけた。
「どなた?」
「アルマダ様です」
カップに口を付けようとしていたビオレータの動きが止まった。そして同時にリクも。
「大佐が?」
「アルマダ様が?」
リクとビオレータの声が重なる。
「えぇ、大分憔悴されていましたが……」
「どこにいるか言ってたか?」
リクが胸ぐらを掴まんとする勢いでバイデンに詰め寄ると、彼は「い、いえ」と言葉を濁した。
仕方なしにリクはビオレータへ目を向けた。
「バイデン。次にいつ来るか聞きましたか?」
老獪な商人となったビオレータの目がバイデンを貫く。その威圧感はリクにも感じられた。
「今日、です」
バイデンが答えると同時に、鉄板で守られた扉が小さくノックされた。
「いやぁ、残念」
ガスパロがにこやかに残念がった。芝居も良いところだ。
リジイラのエリナの屋敷では、ガスパロ率いる第一憲兵隊が建物を掌握し、エリナ、ヴィンセント、カレン、ロッテ、マーシャ、ユーパンドラに加え、ノコノコと案内してきたオルテガとマッシュも監禁されていた。グラシアナとグラシエラは危険と判断されたのか、別の部屋で監禁されている。
一階の大き目の応接室に集められ、その部屋に通じる扉の前にはガスパロの部下がサーベルを抜き身にして何人も通さない顔で立ちはだかっている。
エリナとヴィンセント、マーシャとユーパンドラの二組に分かれ、ソファに座らされている。オルテガとマッシュは後ろ手に縄で縛られ、まな板の上の魚の如く床に転がされている。もちろん猿轡で唸り声しか出せない状態だ。
エリナの後ろに控えるカレンは、その状況下で怯えて震えるロッテを抱き上げていた。
「ガスパロ。何しに来たのじゃ?」
ユーパンドラが尋ねればガスパロが「おや」とでも言いたげに片眉を上げた。
「大公閣下からの勅命、ですよ」
変わらぬ笑みを貼り付け、ガスパロが慇懃に答える。
「憲兵が勅命じゃとぉ?」
ユーパンドラは「ありえない」という声で否定していた。声を荒げるユーパンドラに驚いたマーシャがビクリと体を跳ねさせる。
オーツとロッテの事情を知るカレンはそんな様子をじっと観察していた。声を上げると危害を加えられそう、という身の危険もあるが。
不安で叫びたい気持ちは、腕の中で震えているロッテを守ろうとする意志で抗っていたのだ。
――あの女は、大公閣下は既に崩御されてるって言ってた。
カレンとしてもビオレータを信じたくはないが、あの状況でリクに嘘をついても意味が無いとは考えている。
――とすると、偽の大公っていうか、その裏にいる誰かの意向ってことよね。
カレンは怯えるロッテを宥めるために背中をポンポンと軽く叩いた。
「えぇ、不埒な謀反を企てていた者達によって攫われてしまったオットー様とシャルロッテ様を奪還すべし、との命です」
「謀反、か」
ユーパンドラがガスパロを睨みあげている。エリナとヴィンセントは目を大きく開いたが、二人とも口に手を当て驚きようを隠していた。
「公都から連れ去れらたお二人をニブラで見かけた、との情報が寄せられました。ただ、此処にいるはずの野菜将軍殿を頼ったとの話を耳にしまして」
そこまで話したガスパロはサーベルを抜き放った。怯えていたロッテから「きゃぁぁ」と悲鳴が漏れる。
「ちょっと、ロッテちゃんが怯えてるんだけど!」
ロッテにぎゅっと抱き着かれているカレンが文句を垂れた。いたいけな女の子を脅すことに、流石に腹が立ったのだ。
「それは失礼。その野菜将軍殿とオットー様は何処に?」
呑気な声とは裏腹に、ガスパロが剣呑な視線でエリナを射る。
「ニブラに納品に行きましたよ」
青くなるエリナを庇うようにヴィンセントが肩を抱き、代わりに答えた。言葉短かに、最低限の情報だけを。
ガスパロが「へぇー」と剣呑な瞳のまま感情の薄い声を発した。
「まぁ、嘘かどうか調べるのは別として、シャルロッテ様は公都に連れて帰りますよ?」
貼り付けた笑顔のまま抜き身のサーベルをプラプラさせ、ガスパロがカレンに歩いてくる。
「いやぁぁ、帰りたくないー!」
「オリーヴィア様がお待ちですよ?」
「ぜったいちがうの! またとじこめられちゃうの!」
「そんな事はありませんよ」
凶器を片手に優しい声で迫るガスパロに対し、ロッテは泣き叫ぶことで対抗していた。泣きわめくロッテを庇うようにガズパロに背中を向け、カレンは肩越しに睨み付ける。
――怖いけど、怖いけどこの子の方が怖がってる。あたしが守らないと!
「だいぶ貴女に懐いているようですねぇ……」
ガスパロが、さも楽しそうに笑った。