第五十七話 胸騒ぎがする……
「なんだぁ?」
オルテガは呑気そうな笑顔の若い男の背後で控える集団を見た。分厚そうな真っ白な外套姿で大きな背嚢を持ち、腰には剣を収めた鞘。頭には、同じく分厚そうな布で目の部分だけを露出させた帽子のような物。
「おめえら軍人かぁ?」
「えぇ、そうです」
若い男。それも少したれ目で頼りなさそうな金髪の男が、朗らかに答えてきた。
「雪中行軍の訓練でニブラから出発したのですが、一面真っ白な風景で道に迷ってしまったようでして……運よくここを見掛けましてね」
その若い男がすまなそうに頭をかきながら弁明をした。オルテガは若い男とその背後の集団に目を走らせる。
背後の集団からは「はー助かった」「死ぬところだったぜ」などとリジイラについたことで心底安堵するような声が漏れていた。表情はうかがえないモノの項垂れたり、酷いのは雪にへたり込んだりもしていた。
オルテガはだらしねなぁ、と悪態をついたが害はなさそうだと判断した。横のマッシュに目で合図すればコクっと小さく頷かれた。問題は見当たらないと言いたいのだろう。
「あぁ、そりゃ災難だったな。吹雪いてたら命は無かったぞ?」
「まったく、本当ですよ」
金髪の若い男はこりごりだ、といわんばかりに肩をすくめた。
「あ、私、公国軍第一憲兵隊のガスパロ・ズマレーリャと申します。その、みな行軍で疲弊してまして、少々休憩をさせていただきたいのですが……」
ガスパロがおずおずと申し出る内容に、オルテガとマッシュお互いの顔を見合わせた。
雪中行軍では体力も使っているはずだ。休憩は問題ないと思えた。だがリジイラには空きの家など無い。この人数が休憩できるとしたらエリナの屋敷しかなかった。
「エリナ様に聞いてみないと判らねえが、多分大丈夫だろ」
「うむ、そう思う」
オルテガの言葉にマッシュも同意する。
「いやぁ、助かります」
生きた心地がしませんでした、とガスパロは情けない声で続けた。背後の集団からは「まったくだ」「ホントだぜ」とガスパロを非難する声が上がる。恐らくはガスパロが若くして隊長になってしまったのだと理解したオルテガは思わず同情してしまうのだった。
「へぇ~、苦労なさってるんですねぇ~」
「あぁ、エリナ様は若いのに大したもんさ」
オルテガとガスパロが並び、その後ろにマッシュ、さらに後ろには二十人ほどの集団がゾロゾロと芋虫状態で歩いている。リジイラの住人も「なんだあれ?」という目で見ているが、オルテガがいるので危ない事は無いと思っているようだった。
「数年後に成人されたらヴィンセント様と結婚なさる予定だ。先代が亡くなってしまわれたのは残念だが、これでリジイラも安泰だ」
「それはおめでとうございます!」
オルテガは豊かな髭を撫でながら、自らのことの様に頬を綻ばせた。ガスパロも緩んだ顔で受け応えている。
「そういえば~リシイラに野菜将軍殿が滞在していると、聞きましたが」
ガスパロが呑気に聞いてくるのを、オルテガは苦々しく感じた。神様扱いされればリクも居辛くなって逃げるだろうと思っていたが、リジイラの住民は何とも思わず受け入れてしまっていた。
リクがエリナに纏わりつくこともせず、更にヴィンセントがエリナと一緒にいる事が多くなったせいでリク自体も受け入れられつつある。リクが意外に子供に人気があったから、というのも原因の一つだった。
その辺はカレンと一緒にいる事が多かった事もあるのだが、オルテガはそこまでは分っていなかった。
「あぁ、アイツは今日は出かけていねえ」
「おや、残念ですねぇー。とれたての野菜でも出してもらえるかと思ったのですが」
ガスパロが心底残念そうな声をあげた。呑気すぎるガスパロにオルテガすらも呆れてきた。
「あんた、ホントに軍人か?」
「あはは。良く言われます。なんでお前なんかが軍人になったんだって」
「失礼かもしれんが、リクの奴を見てると、とても同じ軍人とは思えねえ」
「ですよねぇ」
ガスパロが情けない声で同意した。
オルテガの案内でガスパロ一行はエリナの屋敷の前に辿り着いた。雪に覆われた屋敷は全て白くなっており、その玄関前の空間は子供たちの遊び場になっていたのかグチャグチャの泥だらけになっていた。貴族の屋敷とは思えない有様だが、これがリジイラの領主の屋敷たる証だ。
「いやぁ、助かりましたよ」
ガスパロが柔らかな笑みで礼を述べてきた。
「エリナ様に紹介してやる」
オルテガはその呑気さが心配で思わず口にしてしまった。眼の前の青年はそれほどまでに精彩さを欠いていたのだ。
「何から何まですみません」
ガスパロは殊勝にも頭を下げてくる。そんなガスパロの態度にオルテガも悪い気はしない。むしろリクよりも好印象だった。
「あんた。なんだか心配でほっとけなくてなぁ」
オルテガもご機嫌で屋敷の玄関のドアノッカーを叩いた。少しの間を置いて「ちょっと待ってねー」と扉の向こうからマーシャの声がする。
「エリナ様にお目通りを願いたいんだが」
「おや、その声はオルテガかい?」
ガチャリと音をたて扉が開く。開いた先には杖を突いたマーシャが不思議そうな顔をしていた。
「その、軍人さんは、どちらさんだい?」
「あー」
「私は公国軍第一憲兵隊のガスパロと申します」
ガスパロは腰に携えた鞘からサーベルを一気に引き抜くとマーシャの首筋に刃を当てた。
「エリナ・ファコム辺境伯に用事がありましてねぇ。おとなしく案内してくれれば、命まではとりません」
呑気な笑みを浮かべたガスパロが、剣呑な色を孕んだ視線でマーシャを脅す。背後にいた軍人たちもサーベルを抜き放ち、オルテガ及びマッシュの首元に刃を突きつけていた。
突然の豹変にオルテガもマッシュも対処できずにやすやすと拘束されてしまった。
犬ゾリでミブラへと向かっていたリク達は、ビオレータの言っていた通り一時間ほどで到着した。ニブラを囲う防護壁が白い地平線の上に現れた。
「まだ陽も沈む前です。一度商会の事務所へ行って、そこで荷を下ろしましょう」
ゴーグルを外し額にかけたビオレータが叫んだ。犬達は疲れも見せずにソリを同じ速度でひいている。
「胸騒ぎがする……」
リクはさっきからずっとリジイラの方角を睨んでいた。さっき見た雪洞が、いやな予感を湧きたてるのだ。
――タイミングが悪い!
こんなことが無ければカレンの傍を離れることなどしなかった。例え、嫌われてしまったとしても守ってやるという約束は果たしたかったのだ。
リクの葛藤など知らぬソリはニブラの街を囲う壁の間近まで来ていた。
公都と、結ぶ街道には雪はなく、ソリでは進めそうにない。
「ここからは歩きになります」
ソリを止め、飛び降りるビオレータに倣い、オーツとリクも地面へと降りた。
「ソリはこのまま犬達に引いてもらいます」
ビオレータは犬達のリーダーの頭を撫で、指示を飛ばしていた。リクはオーツの傍に立ち、周囲を睥睨する。厳しい寒さだが人の行き来は途絶えていない。怪しい人物がいないか探したが人が多すぎて当たりもつけられない。
「さぁ、行きますよ」
ビオレータが合図とばかりに手を大きく振ってくる。美人が大きな声を張り上げれば周囲の視線を集めてしまう。
リクとオーツは妙な組み合わせだとの疑問の視線を浴びつつ、ニブラへの門へ足を進めた。