第五十三話 空しい、だな
説明ばかりで申し訳ありません……これで説明終了です。
「じゃ、ま?」
想定外の答えにリクの口はだらしなく開いた。リクこの能力を次の世代へと受け渡す為に、一応は乞われてここリジイラにいるはずだ。リクも不承不承だがここに来た。
だがビオレータの話が本当だとすると全くの逆になる。邪魔だからこんな僻地に送り込まれたことになる。そして邪魔ということは、その存在も危うい。
「えぇ、公国を支配するには邪魔だったようです。まったく、リクさんの価値も分らない兄は愚かとしか言いようがありません」
目の前で可愛らしくプンすかと怒るビオレータが見逃せない言葉を吐いた。
「兄って、なんだよ」
「兄は兄、ですわ」
「いや、だからそれは誰だって言ってんだ」
「わたくしの兄でペレイラ家次男のシオドアですわ。シルヴァ商会でヴェラストラ公国南部を担当しております」
南部と聞いたリクはピクリと眉を動かした。
「クーデターを起こした侯爵も南部だったよな?」
「えぇ、公都から南に向かって国境まで半分くらいの場所ですわ」
「そうゆうことじゃねえ!」
「分かっておりますわ」
何か隠し事をするような話し方のビオレータにリクはイラついて声を荒げた。邪魔と言われ、玩ばれるように核心をずらされ不愉快が絶賛沸騰中だった。
「ザイフリート侯爵にクーデターをそそのかしたのは、兄のシオドアですから」
ビオレータは呆れとも嘲笑とも取れる顔で見上げてきた。
「三か月か前の事でした。シオドアがニブラにあるわたくしの事務所を訪ねてきたんです」
ビオレータがそう言いながらリクの前から横に位置を変えた。カレンを抱えているリクは身動きが取れずそのままだ。
「その時に嬉しそうに、次の頭取は僕に決まりだよ、と高笑いしたんです」
ビオレータが夜空を見上げ、白い息を吐きながら話を続ける。
「自慢げに、わたくしに話をしてきました。侯爵を誑かして、公国軍の幹部に女と金をあてがって弱みを握り、城にいる下女の借金を肩代わりする代わりに情報を聞き出し、そして大公閣下の食事に微量の毒を入れ続け亡き者にしたと。頭取は自分の物だから諦めて荷物をまとめておけ、と。その時は意味が分からずシオドアを追い出しました。あの時に捕まえて縄で縛っておけばよかったと後悔しています」
「……それで、俺が邪魔だということと、どう関係があるんだ?」
リクは横目でビオレータを睨む。
「……シルヴァ商会は頭取の子供が副頭取になります。わたくしたち四人兄弟がヴェラストラ公国の各地域を担当します。そしてお互いを蹴落として最後に残ったものが頭取となるんです」
「頭取になる為に、か?」
「えぇ。もっともそれは通過点でしかないのでしょうが」
ビオレータがニコリとした流し目を送り付けてくる。目もとの泣きボクロが妙に色っぽい。
「シオドアは公国南部担当です。南部と言うと穀倉地帯を抱えることになります。戦線の状況も把握していたのでしょう」
「勝ちが見えてきたから動いた、と?」
「わたくしがシオドアならば、そうします。戦争に負けてしまっては、意味がありませんから」
「くそが……」
命がけで戦っていた裏でこんなくだらないことが起きていたなど、リクは信じたくはなかった。
無意識に腕に力を込めたことでカレンが驚いたのかビクリと動くのがわかる。
「そして落ち着き始め、無事に小麦の収穫が終わるのを見届けて、買い占めに走っている、と予想してます」
「確証はねえのか?」
「小麦を買い占めるメリットが分かりません。今年はどこも豊作で小麦は余り気味になるはずでした。高値で買い占めても、それ以上の値では売ることはできないはず。大損をすることになります」
ビオレータは意味が分からないと小さく頭を振った。ビオレータの目が商人のそれになっていた。どうすれば儲かるのか、自分が有利に運ぶのかを見極める目だ。そしてまだ諦めていない目にも見えた。
「ともかく、そのシオドアってのが企んだ張本人なんだろ?」
「えぇ、それは間違いなさそうです」
「お前らの兄弟喧嘩に国が巻き込まれたのか?」
「まぁ、そう言えなくも、ない、のでしょうか?」
ビオレータの眉が下がり、居心地悪そうな顔になる。返答にも困るだろう。
「それで俺が邪魔になる理由が分からねえ」
リクは苦虫を潰した顔になる。
自分の能力は十二分に役に立つものだと自負はしていた。現に戦争に勝った要因の一つは自分のこの能力だったのは疑いようもないだろう。例えシオドアが公国を裏から操ろうとも、リクの能力は威力を発揮するはずだ。
だからこそ、邪魔と言われる意味が分からないのだ。
「わたくしも、それは分からないのです。ともかくシオドアがリクさんを弱小貴族で辺境伯のエリナ様に押し付けたと、はっきりと言ってましたので。ですが、ひとつはっきりしていることがあります」
リクを見上げていたビオレータが一歩間合いを詰める。カレンを抱えて動けないリクの肩に手を置き、ビオレータはぐっと背伸びをした。
「わたくしも狙われておりますので、リクさんに守っていただこうかと思っております」
悪戯っぽく笑ったビオレータが、リクの頬に唇を触れさせた。
「ひぃっ!」
「そんなっ!」
控えていたグラシアナとグラシエラの短い悲鳴が闇夜に響く。
離れていくビオレータの視線がリクの胸のあたりに落ちた。何かに気が付いたように彼女の僅かに眉が上がる。肩から手が離れ、ビオレータが一歩下がり薄い笑みを浮かべる。
「ふふ、二人だけの秘密ですわよ? 守っていただくお礼に、わたくしの全てを差し上げますわ。パートナーになっていただければ、ですけども」
リクに笑みを振りまいたビオレータは髪を舞わせながら踵を返した。胸元のカレンが小刻みに震えているのがリクにはわかったが、視線をそこに向けられない。カレンがいることがビオレータにばれる。
グラシアナとグラシエラが短刀を抜いたのが目に入り、リクは顔をこわばらせた。
――まさかここでやるつもりか?
手元に武器になるようなものはない。ビオレータをここで殺すと隠しているであろう情報も消える。そもそも女子供を手に掛けるのは趣味ではない。
最後の手段とばかりにリクは手すりの向こうに目をやった。
「ほら、そんな危ないものはしまいなさい」
ここには地面が無いのだから大丈夫です、とビオレータが剣呑な気配の護衛二人に声をかけている。
護衛のグラシアナとグラシエラは黙って短刀を上着の中に隠し、表情に仮面を付けた。気配は物騒だが姿勢は正された。
ビオレータは屋敷の中に入り、リクに振り返ってきた。
「リクさん。残念なことに貴方には選択権がありません。わたくしと一緒に来るしかないんです。ふふ、わたくしもしばらくリジイラに滞在することにしました。不束者ですが、よろしくお願いいたします」
小さく首を傾げたビオレータが言った。白く音の無い闇夜に、小さいはずのその声が、はっきりと耳に残った。
ビオレータの姿が見えなくなり、リクは隠していた厚手の毛布からカレンを出した。カレンは悔しいのか唇を噛みしめ、細かく肩を震わせていた。
「お嬢様を……許せない……」
カレンがその瞳に怒りの赤を灯し、呻くように呟いた。反対にリクは冷静だった。冷静と言うよりも虚無の方が近いかもしれない。自らの存在を否定され、能力しか認めてもらえないことへの失望かもしれない。
能力のせいで巻き込まれ、邪魔と断ぜられ、棄てられる。そこにリクという人格はなかった。いや必要とされなかった。ただその特異な能力があれば良かったのだ。
――俺は、この能力のおまけか?
リクの頭には渦巻くものは何もなく、あるのは、ただただ月明りに冷たく映し出された雪の水面だった。
「ちょっとリク、あんた悔しくないの?」
うっすらと涙を湛えた赤い瞳がリクを射抜いてくる。
――悔しい? 違うな。
「……空しい、だな」
現世ではないどこかを見ている感覚のリクは、見上げてくるカレンの揺れる瞳には、気が付くことができなかった。