第四十七話 病人に食わしても平気なのか?
エリナの屋敷に新たな住人が増えたその晩。夕食時、エリナとヴィンセントを中心としてユーパンドラとマーシャ、オーツとロッテがペアになり席に着く。風邪で寝込んでいるリクと看病のカレンは不在だ。
アルマダは大至急公都に戻らなければならないとの事で単騎馬で駆けて帰った。雪の降りしきる中、磁石の方角を頼りにニブラへ戻るらしい。
ニブラからリジイラまでは遮るものはない。遮っていたものは開拓で全て無くなった。方角さえ間違わなければニブラか公都への街道にぶつかる。
「だからって無理せんでもいいじゃろうが」
ユーパンドラが理由も告げずに姿を消したアルマダに文句を垂れていた。温和なユーパンドラにしては珍しく機嫌が悪いのはオーツとロッテの件が原因だ。詳しく教えて貰わなければ二人をどう扱ってよいのか分からない。
「僕も詳しくは教えて貰ってませんが、どうしても公都に戻らなければならないようです」
ヴィンセントがちらりとオーツとロッテに視線をやった。ロッテは我関せずとモクモクと口から食べかすをこぼしながら食べており、オーツはその食べこぼしをひょいひょいと皿に乗せていた。
聞かれたくない。
黙ってロッテの世話を焼くオーツからそんなオーラが滲み出ているのを、その場の全員が感じ取っていた。エリナもヴィンセントと顔を合わせ、どうしようかと目で会話をする。
「ロッテちゃん、お味はどう?」
誰もが口を開けない状況でエリナはロッテに声をかけた。驚くヴィンセントにニッコリと微笑み視線をロッテに戻す。
「おいしーの。お外はさむいのにお野菜がおいしーの!」
ロッテがスプーンにニンジンを乗せ、にぱっと笑う。エリナもつられて笑顔になると、ロッテから思わぬ言葉が漏れる。
「たくさんの人と食べるのはおいしーの。でもロッテはお父さまとお母さまと一緒に食べたいの……」
ロッテの顔から笑みが消えしゅんと下を向く。オーツは唇を噛み、そんなロッテの頭を撫でていた。
「そのうち一緒に食べられる。それまでは我慢だ」
オーツはさみしそうな笑みを浮かべ、ロッテを諭そうとしている。
「そのうちって、いつー?」
ロッテはつっと上を向きオーツにすがるような視線を送った。答えは分かっているけど聞かずにはいられない。ロッテの紫紺の瞳はそう言いたげだ。
「……そのうちさ」
「お兄さまー、そればっかりー」
ロッテが不機嫌そうにほっぺを膨らませた。二人のやり取りからその状態は昨日今日の話ではなさそうだと、エリナは感じてしまう。オーツの言う「そのうち」という言葉のあても無いのだろう。誰も口をはさめず、食器を擦る音がいつもより大きく聞こえた。
「じゃぁ、そのうちになるまで、おねーちゃんがロッテちゃんのおねーちゃんになってあげようか?」
「おねーちゃん? ロッテの?」
突然のエリナからの提案を、ロッテはぽかーんと口を開けてきている。オーツも驚きで目を丸くしていた。そしてユーパンドラは食べていたもので咽ってしまっており、隣のマーシャが慌てて背中を叩いている。
「そう、エリナおねーちゃん。私はいま十四歳。ちょっと年が離れているけど、おねーさんでしょ?」
「おねーちゃん……」
ロッテはぼけーっと言葉を繰り返す。オーツはそんなロッテとエリナを見比べていた。
「そう。わたしも妹が欲しかったの。もちろん弟もね。ここにいる間だけでもあたしの妹と弟にならない?」
エリナは可愛く首を傾げ人懐っこい笑みを浮かべた。途端にロッテはにぱっと笑うがオーツは落ち着いた表情で「それはできません」とにべもない。
「えー、おねーちゃん欲しかったー」
「僕がいるだろ?」
「お兄さまは冷たいからイヤー。やさしいおねーちゃんだったらよかったのにー」
「なっ!」
妹に拒絶されたオーツは絶句した。言うことを聞くと思っていたに違いないが、あっさりと裏切られてしまったからだ。
「エリナおねーちゃんは、ロッテのおねーちゃんねー!」
にかっと笑ったロッテは床につかない足をブンブンと振って喜びを溢れさせていた。微妙な表情のヴィンセントは、エリナ、ロッテ、オーツと順番に視線を動かし、また無茶な事をとでも言いたげなため息をついた。
風邪で寝込んでいるリクの部屋にはカレンが自分の食事を持って来ていた。まだ熱が下がらないリクは食欲が湧かない状態だが何も口にしないにもアレだとの事で、カレンが小麦粉を練ったものを野菜スープで煮込んだ料理を作ってくれたらしい。
ベッドわきに小さなテーブルを据え、そこに食事を置いている。カレンがスープの入った小皿をリクに渡してくる。照れているようで気まずそうで期待を込めたような、そんな笑みで。
「味の保証はないけど」
上半身を起こし、手にはカレンが作ったとされるスープの入った皿を持たされたリクの表情は微妙だった。食欲は余りないし、ユーパンドラに指示されてこまめに湯冷ましは飲んでいたために腹は膨れている。だが目の前で湯気を立てている料理はカレンが作ったものだ。食べたい気持ちはあるがどうにもカレンの言葉か引っかかる。
「……病人に食わしても平気なのか?」
「ちょっと酷くない? せっかく寝込んでるリクの為に食べやすそうなメニューを考えたのに!」
「……創作料理かよ」
さすがのリクも頭痛とだるさで、口を曲げているカレンへのツッコミにも元気がない。
「一応お母さんに味見してもらったから大丈夫よ! 味見した瞬間は「ん?」って顔してたけど「まぁいいでしょ」っておっけぇでたもん」
「お前は味見してねえのか?」
「しないわよ?」
「……マジかよ。しろよ」
「あたしが作るんだもん、大丈夫よ」
「その自信がどこから来るんだか知りてえ。まぁ、マーシャさんが味見してピンピンしてんなら問題はねえんだな」
「なによ、どーゆー意味?」
カレンの眼つきがややきつくなる。頭の中にはリクが病人であるという認識はあるのだろうが、ちょっと言い合うとすぐに忘れてしまうようだ。
「せっかくカレンが作ってくれた料理が冷めちまう」
「あ、そうそう、食べられるだけでいいから食べてよ。パンドラ先生も体力の回復が大事だって言ってらしたし!」
これ以上カレンのご機嫌を損ねると看病してもらえなくなると考えたリクはともかく食べることにした。
一口一口ゆっくりスープを口に運んでいく。野菜が解けるまで煮込んだのか影も形も無いが、その代りにトロっとしたスープは予想していたよりも普通だった。風邪で味覚がおかしくなっていることを差っ引けば、美味しいと思われる出来だ。
空っぽの胃袋に暖かくじっくりと染み込んでいくような感覚に、思わずリクは呟く。
「……旨いな」
リクの言葉にカレンの肩がビクッと揺れた。そしてにんまりと口もとが弧を描いていく。
「ふふふ、カレンさんの料理の腕前はどうよ? どこに嫁にいっても恥ずかしくないでしょ?」
「自分で味見すれば尚良いな」
「美味しくできれば味見なんて必要ないのよ!」
「いや、味見しろよ……」
リクの呆れた声も何のその、カレンはニコニコと笑顔で自分の食事を平らげていく。
リクによそわれたスープの小皿が空になるころ、カレンが口を開いた。
「ヴィンセント様が連れてきたあの子達なんだけど……」
先程とは打って変わってカレンが心配そうな表情でリクを見てくる。カレンの言わんとしている事は予想できた。
身のこなしや仕草などからあの二人が貴族であることを想定するのは簡単だ。だがそれ以上の情報はない。分かっていることは一つ。
「……まぁ、訳アリだ」
「やっぱり、そうなの?」
困った顔のカレンが自分お皿を持ったまま肩を落とす。リクの頭が痛いのは風邪だけが理由ではない。
リクは空になった皿をテーブルに乗せた。
「二人を守れって命令が来た」
リクはカレンにだけ聞こえる程度の声を出した。他の人は食事中だとは分かっているが念のためだ。
「あ、あぶないの? ってか、あたし達は大丈夫なの?」
血相を変えたカレンが身を乗り出してくる。
「あの二人はうちの屋敷で引き取った子供にするってお嬢様が言ってたのよ。だからあたしが面倒見る事になってるの。勉強を教えてる子達と一緒にするって」
あの二人と一緒にいればカレンが襲われる可能性もある。むしろ邪魔者として真っ先に殺されかねない。その事がカレンを心配にさせているのだ。
リクはだるい体をひっぱたき、身体をカレンに向けた。不安な表情を隠せないカレンの手に自らの手を重ね顔を見る。
「風邪が治り次第、あの二人と行動を共にするつもりだ。そこにお前がいるんなら一緒に守るだけだ」
不安に震える赤い瞳を見つめ、できるだけ安心できるような言葉を選んだ。風邪でぼんやりとした頭なりの言葉だが。
「先日も言ったが、何があっても守るし助ける。ちょっとでも怖かったら俺の背中に逃げてこい」
「え、あ、うん」
「ずっとそばにいて守ってやるから、安心しろって」
「う、うん」
少し顔を上気させたカレンがうわの空で答えてくる。やや潤んだ瞳がリクの何かを沸き立たせ、その身体を突き動かす。
リクはカレンの持っていた皿をテーブルに置き、引き寄せるために腰に手を回したところで扉がノックされた。
「リクよ、具合どうだ?」
扉越しのユーパンドラの声に二人はバッと距離を取った。と同時にスッと扉が開く。ちょろっとユーパンドラが隙間から顔を覗かせ、不自然にそっぽを向くリクとカレンを見て「あ」という顔になった。
「すまん、邪魔したの。じゃが……」
小さいユーパンドラが更に縮んだような声だった。そして言葉は続く。
「ひとつ言っておくが、口からも風邪は移るんじゃぞ?」
ユーパンドラがポトリと落としていった一言で、リクとカレンの顔はトマトの如く真っ赤になった。