第四十六話 なんでアンタがここに
突然訪問してきたヴィンセントにエリナは驚きを隠せずアタフタと部屋を動き回っていた。ヴィンセントが来るなど考えてもいなかった為に化粧も疎かだったのだ。
だが雪の中なのに来たということは、それなりの理由があるはず。そう考えたエリナは恥ずかしそうにしつつも応接室へと一行を案内した。
三人掛けのソファには銀髪の男の子と幼い女の子が並んで座り、ヴィンセントはその横の一人用の椅子に腰かけた。アルマダは後ろに手をまわし直立不動の体勢でヴィンセントの横にいる。エリナは幼い二人の正面に座り、カレンはその後ろに控えていた。
「エリナ、突然来ちゃってごめんね」
「いえ、その、ちょっと準備が出来ていなくって」
恥ずかしくて顔を背けたエリナに対し、ヴィンセントは、気にしなくていいのに、言いたげな苦笑いを浮かべる。
「エリナ様、お久しぶりで御座います、アルマダです。まずは急な訪問になってしまったことをお詫び申し上げます」
アルマダはぴったり九十度の角度まで頭を下げた。疲れているのか、目の下に隈が見える。公都で見た時よりも髪に艶が無く、苦労しているように見えた。
「えっと、そちらの二人は、どなた様なのでしょう?」
困惑気味のエリナがヴィンセントに問う。顔立ちや仕草が高貴な雰囲気を漂わせており、エリナも扱いには慎重だ。
「こちらの男の子がオーツ君で可愛らしい女の子がロッテちゃんだ」
ヴィンセントが二人の顔を窺いながら紹介する。二人は緊張からか無言で頭を下げた。
「ファコム辺境伯エリナと申します。以後お見知りおきを」
エリナは不安を与えないよう、柔らかな笑顔を向けた。その笑顔にオーツが頬を赤らめるのをヴィンセントは見逃さなかった。
「エリナは、私の元婚約者でして……その」
「……分っています」
口ごもるヴィンセントを制する様にオーツが遮る。口を堅く結んだオーツがエリナに向きをかえ膝に乗せた手をぎゅっと握った。
「急な訪問、誠に申し訳ありません。私はオーツと申します。この子は妹で、まだ四歳です。ほらロッテ、御挨拶だ」
「はじめましてー」
オーツは見かけとは違うはっきりとした口調でエリナに話しかけた。エリナは驚いてヴィンセントに助けを求めるが小さく頷かれるだけだった。
「詳しい事は申せませんが、しばしの間ご厄介になることはできないでしょうか」
オーツの紫紺の瞳でじっと見つめられ、エリナは戸惑う。ヴィンセントに加えて軍人のアルマダまでが来たのだ。眼の前の二人が訳アリなのは間違いないだろう。しかも幼い二人にかなりの気を使っているのも分る。
公国の中でも上位の侯爵の血筋であるヴィンセントが連れてきた子供たちだ。エリナには断る理由は無いし、仮に断った場合、この幼い兄妹はどうなってしまうのかを考えると、断れない。
エリナは二人の顔を見比べた。
幼くて事態が理解できていないロッテは無邪気に笑顔を浮かべているがオーツは理解しているのか表情は硬い。オーツの年齢は、恐らくカレンの生徒に近いか同じくらいで、ロッテの方は更に下の四歳だ。
この年齢で親から離れてここまで来ているのだろうと考えると、自らが親を失った時を思い出してしてしまい胸が軋む。余程の切羽詰まった状況なのだろう。北方の辺境伯でしかないはずのエリナを頼って来た時点で、それは分かった。
ヴィンセントとアルマダのすがるような視線を受け、エリナは決断する。
「勿論です。狭い屋敷で申し訳ありませんが、ゆっくりと過ごせるようにお世話させていただきます」
エリナはヴィンセントに向けるレベルの笑顔を見せた。
「エリナ様、感謝の言葉もございません」
アルマダが再び頭を下げた。その表情は先程とは違い、どこか安堵の色が滲んでいる。オーツもホッとしたのか、肩がすとんと落ちた。
「いえ、リクさんにも助けられていますし。その恩返しの意味も込めまして」
「そのリクですが、姿が見えないようですが……」
しきりに視線を巡らせるアルマダがおずおずと尋ねてくる。アルマダは一応リクの後見人だ。監視を頼んだはずのユーパンドラの姿もないことが、アルマダを更に不安にさせているのだ。
「あ、リクさんですが、その……」
風邪を引かせてしまうような扱いをしたと思われるのが怖くてエリナは口ごもった。
「……なんでアンタがここに?」
リクの寝ている部屋にアルマダとオーツ、ロッテが訪れたのだ。エリナとヴィンセントは席を外して別の部屋で話をしており、カレンとマーシャは昼食の準備に取り掛かっていた。ユーパンドラはリクの様子を見に同席している。
「ちと緊急でな」
アルマダはオーツとロッテに椅子を用意し、座って貰っている。ユーパンドラはオーツとロッテの顔を見て苦い表情になっていた。
「お前が風邪をひくとは思わなかったな」
「……俺をなんだと……俺だって人並みに病気になるんだよ」
リクはもぞもぞと上半身を起こした。アルマダは上司に当たる。風邪を引いたとはいえ、体を起こさねば無礼に当たる。もっとも既に会話が無礼であるが。
「ただのバカではなかったか」
「人並みのバカだよ」
久々のアルマダとの会話に悪態が口を出るのは長い付き合いの結果だ。カレンとは違った気安さがある。
「で、アンタが来る程ヤバイ状況なのか?」
ぼやけた思考でもそれくらいは考えつく。しかも目の前の子供二人に対する気の使い方が尋常ではないとリクの目には映る。明らかに異常だった。
「こちらはオーツ様で隣に座られているお嬢様がロッテ様だ」
アルマダは先程とは違う紹介をする。リクはやっぱりなと大きく息を吐いた。『様』呼ばわりとは予想通り厄介な案件らしいと確信したのだ。
「命令だが詳細は聞くな。リクよ、このお二人を死守するのだ」
アルマダは抑えた声で言い切った。
「オーツ様。こやつは、今は慣れぬ寒冷地での生活に体調を崩しておりますが、個の戦力では公国最強を誇ります」
「父から、聞いております」
「はっ、ありがたきお言葉」
アルマダとオーツのやり取りを、リクはじっと見つめている。その様子から導き出されるのは、アルマダの命令が厄介も厄介、特大の厄介事だということだ。
「アルマダよ。公都には炎の騎士バスク卿がいらっしゃったはずじゃが」
「……卿は死去されました」
「なんじゃと?」
口をはさんだユーパンドラがアルマダの答えに絶句した。唇を噛んでいるオーツが、不思議そうな顔をしているロッテをぎゅっと抱きしめている。
「仔細は口外できませぬゆえ、ご勘弁願います」
「言えぬのか……」
「パンドラ先生と言えども」
「……おい大佐。どういう事だ」
さすがにリクも傍観してはいられず会話に加わった。額に手を当て頭痛を耐えながら「炎使いが死んだって、何があった」と続ける。
「今は言えぬ。だがお二人を守ってもらいたい。頼む」
アルマダは深く頭を下げ、それっきり口を開かなかった。
ヴィンセントとエリナは三階のエリナの自室にいた。ベッドやテーブルなどの調度品は頑丈そうで質素だが、カーテンやテーブルクロスなどはフリルがあしらわれており女の子の部屋ということを主張している。
そんな乙女の部屋でエリナはヴィンセントの腕の中にいた。
「最近、ニブラでも彼の噂を聞くようになったよ」
エリナを抱き寄せ、背に手を回したヴィンセントが耳元で囁いてきた。ヴィンセントの吐息が耳にかかるとエリナの頬はカッと熱くなり心臓は飛び跳ねてしまいそうになる。
「どんな噂、ですか?」
わざと耳元で囁くヴィンセントに、エリナは潤んだ瞳で見上げ、反撃する。
「……彼が実は神様で、厳しい環境の中で頑張っているエリナを幸せにするためにやって来た、という奴さ」
エメラルドグリーンの瞳で見つめ返してくるヴィンセントに「ふふ、ヤキモチ、ですか?」とエリナは余裕を見せる。
「出入りの商人が僕にそんなことを言うんだよ」
思わぬエリナの反撃にヴィンセントは困った顔になる。
「私はヴィンセント様に嫁ぐ事しか考えてませんよ? 私とその商人、どちらを信用なさるのですか?」
耳を真っ赤に染めながらも、エリナはニッコリと微笑みヴィンセントを挑発する。自身の想いは変わらないのだから、噂話などに揺れ動いてしまうヴィンセントを挑発したくなるのだ。
「どちらを信じて下さるの、ですか?」
「そんなの、君に決まってる」
エリナの再度の挑発に乗ってしまったヴィンセントによって唇は強制的に黙らされてしまう。
――ヴィンセント様も意外に子供っぽいです
塞がれた口を強く押し当て、エリナはヴィンセントの首に手を回す。
――この人は、誰にも渡しません。
リクとカレンを見てきたエリナは色々と勉強したのだ。彼らを反面教師として、どうしたらヴィンセントを自分に向かせ続けられるかを。
エリナは暖かい何かに包まれながら、ずっとこうしていたいと願うのだった。