第四十三話 ナイスキャッチ
直接対決ですー
二人の女性に庇われているビオレータに、カレンはにっこりとした笑みでワンピースのスカートを摘まむ淑女式の礼をする。
「わざわざお越しいただいたのに気がつかず、誠に申し訳ありません」
なるべく優雅に、ビオレータに圧力を与えるよう、カレンは指先にまで気を配った。ムカつく相手だが穏やかな笑みに徹した。ビオレータの大人の余裕に対抗するためだ。
「ふふ、ご丁寧にありがとうございます。本日はエリナ様をお尋ねする用事があったのではなかったために御挨拶もせず、失礼いたしましたことをお詫びいたしますわ」
カレンの努力を見透かすように、ビオレータは優雅に膝を曲げ謝罪する。泣きボクロの流し目をカレンに送りつけ、余裕を見せつけた。
そんな自分にはない女の仕草にグサッとダメージを受けるが、ぐっと背筋を伸ばし負けずに微笑み返す。
「本日は収穫祭でして、お時間がよろしければご参加いただき、楽しいひと時をお過ごし頂ければと存じ上げましたが」
「あいにく、これからニブラへ行かなくてはいけなくって……エリナ様もお見かけしましたが、楽しそうにされておられる様子。リジイラもますます発展することを確信いたしましたわ」
「御用事があるとは知らず、お呼びとめいたして、申し訳ありません」
カレンはマーシャとエリナの母親から叩きこまれた礼儀作法を思い出し、可能な限り実行し深く頭を下げた。そして本題を聞くべく口を開く。
「本日はどのような御用事でリジイラまでお越し下さったのですか? あ、いえ、エリナお嬢様にお伝えだけしておこうかと思いまして……」
眉を下げ、普段のカレンでは見せない困った笑顔でビオレータに迫る。胸中ではエリナの名前を語ってしまった事に詫びながら。
「とある男性にお話がありまして。もちろんエリナ様にはご迷惑をおかけする様な事ではございません」
唇をゆるやかな弧に変え、ニタリとした笑みを返してくるビオレータにカレンは悪寒を感じるが顔には出せない。その躊躇した隙にビオレータが話を続ける。
「リクさんにもお会いしてお話しできればよかったのですが、お忙しいのか、お姿を見る事が敵いませんでした。私はいつまでもお待ちしていると、お伝えください」
ペコリと頭を下げるビオレータに、カレンは言葉をぶつける。
「申し訳ありませんが、リクは、お渡しすることはできません。リクは、リジイラにとっても、エリナお嬢様にとっても、あたしにとっても必要な人ですので」
体の前に重ねた両手を握り締め、カレンは挑むようにビオレータに微笑んだ。
「ふふ、可愛い子ね」
ビオレータは唇をぬらりと舐めた。その声に護衛に二人はスカートを捲り上げ、腿に縛り付けていた大型のナイフを抜き、体の前に構えた。いきなり突きつけられた刃物にカレンは小さく「ひっ」と悲鳴を上げる。
「彼さえ手に入れば、貴女は見逃してあげても良かったのだけれども……そうもいかないみたいね」
ビオレータの妖艶な笑みにカレンの全身が泡立つ。
「そ、そんなの、怖くないんだから!」
スカートで見えない足が恐怖で震えているのを隠し、カレンは声を振り絞り強がる。
「あ、あんたの目的は、なんなのよ! なんでリクを誘惑するのよ!」
震える指を強引に持ち上げ、カレンはビオレータを指さした。そんな怯えるカレンの様子がおかしのか、ビオレータは「くっくっ」と口を押える。頭がかぁっと熱くなったカレンは思わず怒鳴る。
「何がおかしいのよ!」
「貴女、彼の事が好きなのね。でも、貴女には彼はもったいないわ」
「な、なにがもったいないのよ!」
バカにされ、おまけに暴露され顔を赤くして激昂するカレンに、ビオレータが嘲笑う様な微笑みで返してくる。
「彼の能力の可能性は、無限だわ。こんなちっぽけな領地に閉じ込められるなんて、損失が大きすぎて眩暈がしますわ」
ビオレータが芝居がかった様子で額に手を当てふらつく。そんなビオレータの仕草はいちいちカレンの癇に障り、ぎりぎりと歯ぎしりをしてしまう。
「あら、年頃の女が、はしたなくってよ?」
ビオレータは首を傾げ優しく咎めるが、それもカレンを馬鹿する仕草に見えてしまう。
「私のパートナーになれば、お金にも女にも不自由させませんわ。彼と一緒に稼いだお金があれば何不自由なく暮らしていける上に、商会を牛耳る事も、このヴェラストラ公国はおろかマーフェル連邦十か国を操る事も可能ですわ」
うっとりとした表情を浮かべるビオレータは自分の言葉に酔いしれ、うわ言のように言葉を紡ぐ。
「地位なんて見かけでしかないモノに縛られている貴族では、彼とは釣り合いません事よ? ましてや使用人でしかない貴女など、彼の周りにいる事さえ目障りですわ」
ふふん、と鼻で笑われたカレンは我慢の限界だった。自分もだが主であるエリナも馬鹿にされたのだ。リクが自分を想ってくれていることも、それに拍車をかけていた。
「あんたなんか、金の亡者じゃない!」
リジイラで金がなくとも暮しているカレンにとってお金など大した価値は無かった。確かに病気になれば治療にお金は必要だった。鍋を作るのにも原料の鉄鉱石は必要だ。だが、それを買うのに膨大な金が必要なわけではない。買えるだけあればいいのだ。
「お金は正直よ? そして人はお金に対して、正直よ?」
対してビオレータも引かない。彼女が育った環境は金で話を付ける様な商会なのだ。金は権力と直結し、それは自らの安全と余裕を担保する。
そして経験からビオレータは、人は自らが創り出した金という物に縛られる哀れな存在だという事も知った。
「お金お金って、それが何なのよ!」
自然の脅威と戦い生活してきたカレンには、その理論が理解できない。お金がなくともカレンは幸せだった。
「お金があれば欲しいものは何でも買えるし、手に入る。人の命も愛も、ね」
借金で身売りするしかなかった女も見た。一家が離散するのもみた。自ら命を絶つのも、突然姿を見せなくなった令嬢も見てきた。かつて横暴に振る舞っていた貴族令嬢がいつの間にか父の愛人に成り下がっているのも見たビオレータにとって、金は万能な存在だった。
ビオレータはあくまでも余裕を崩さず、カレンを憐れむように語り掛ける。自分は違うのだと言わんばかりに。
カレンも自らの生き様を否定する様なビオレータを受け入れることはできない。
お互いが信じるものがすれ違っているのだ。主張は平行線になるしかない。
「だからって、アイツが金に靡くとは思えない!」
「口では何ともでも言えますわ。実際に追い詰められた人間は、あっさりと墜ちるのよ。きっと彼も、例外ではないわ」
「なに言って!」
思わず踏み出してしまったカレンに対し、ビオレータの護衛が大型のナイフを突きつけてくる。
「ひっ」
急に体勢を崩したカレンは右足を滑らせドスンと尻餅をついてしまう。憐れむような眼差しのビオレータが口を開く。
「貴女がいると彼が来てくれない可能性も、ちょっとはあるかもしれません。丁度いいわ、ここでいなくなっていただこうかしら」
嬉しそうに目を細めるビオレータの言葉に、護衛の二人は大型のナイフを構えたままカレンに足を踏みだした。
「い、いやぁ!」
ぎらつくナイフに恐怖を感じ、カレンは後ずさるが怯えた脚は言うことを聞かず踏ん張ってくれない。空回りする焦りにバクバクする心臓の鼓動がうるさく聞こえる。
――動いて! あたしの足、動いて!
ジタバタするものの足は動かない。命令を受け付けない足に見切りをつけ、カレンは手だけで後ずさるが時すでに遅かった。眼の前には無表情で大型ナイフを突き刺そうと振り上げる二人の女の姿が目に入り、一瞬息が止まる。
「やだぁ! リク助けてぇ!」
涙目のカレンが叫んだ瞬間、襲い掛かろうとした二人の足元から猛烈な勢いでバラのツタが生え、体を雁字搦めにした。
「なっ!」
「ひいっ!」
突然地面から飛び出す勢いでバラが生え、自らの体を縛って来た事に護衛二人は悲鳴を上げた。バラの茎は体を、腕を、顔を覆い、その棘は出血しない程度に皮膚に突き刺さる。
「な、なにが……ってぇぇぇ!」
カレンが事態を確認する前に尻をついていた地面から葉っぱが飛び出し、天を突く勢いで木が生えた。そしてその葉っぱに跳ね飛ばされたカレンはぽよーんと宙を舞う。
「いやぁぁぁ!」
バサバサとスカートの花を咲かせながら向かった先には、褐色の筋肉を誇示する男が待ち構えていた。カレンはそのままリクにブチ当たり、横抱きにキャッチされる。
「ナイスショットにナイスキャッチ!」
カレンはとぼけた台詞を吐くリクにがしっと抱きかかえられ、すっぽりとその逞しい腕の中の納まった。今にも涙が零れそうな目でリクを見上げれば、ビオレータを睨んでいるであろうリクの顔が見える。
助けを求める悲鳴を上げたけど本当に来てくれるとは思っていなかったカレンにとって、そこには褐色のヒーローがいたのだ。こみ上げる思いを邪魔するアワアワした口を強引に開く。
「おおおそいのよ!」
カレンは嬉しくて泣きそうになるのをリクの首にぎゅーっとしがみ付く事で誤魔化した。
ヒーローは、遅れてやってくる。