第四十一話 それが愛でも、人の命でも※
サブタイトルは……の言葉です。
顔を隠せるような大き目の麦わら帽子をかぶり、色彩の薄い白っぽい綿のワンピースに身を包んだビオレータが背後に同じような格好の女性二人を引き連れ、リジイラの収穫祭に来ていた。
まるで領民であるかのように背後の女性二人とにこやかに会話を交わし、誰に気がつかれる事なく収穫祭の広場に潜り込んでいた。ビオレータ自身は泣きボクロの美人ではあるが目深にかぶった麦わら帽子が顔の半分を隠しており、目立っていない。付き従う女性二人は特徴のある顔付きでもなく、小さめではあるが麦わら帽子をかぶり、格好もリジイラの領民と同じようであり、群衆に溶け込んでいた。
従う女性は麦わら帽子を被ってにこやかに会話をしているが、周囲への警戒は怠っていない。この二人の女性はビオレータの護衛である。同じようなワンピースの中の腿には大型のナイフを仕込み、ゆったりとした袖口には小型のナイフを忍ばせている。
「お嬢様、いました」
「正面左の髭の男です」
背後の女性から声がかかるとビオレータは「ありがとう」と口に弧を描く。そんな仕草にも色気があり、声をかけた護衛の頬もポッと赤く染まる。
ビオレータは左手にぐるっと大回りに、誰かを探しているような感じのオルテガの背後へと歩く。護衛が逆にオルテガの正面へと足を運んだ。
「オルテガさんで、よろしいのかしら?」
目深に麦わら帽子を被ったビオレータがオルテガの背後から声をかけた。
「なん……」
聞きなれないお淑やかな口調で名前を呼ばれ、なんだと振り向いたオルテガの首に背後から小さな刃物があてられた。僅かに切れたのだろうか、赤い線が首筋に走る。
「少々お話がございまして。お時間よろしいですか?」
「誰だグッ……」
麦わら帽子で顔を隠すビオレータへの返事を迫るようにオルテガの首に当てられた刃物を押し付ける力が増す。ビオレータが麦わら帽子のつばに手を添え、わずかに顔を見せるとにっこりと微笑んだ。
「あまり手荒な事はしたくありませんの。お時間よろしいでしょうか?」
オルテガが苦しそうに「わかった」と呟くと、首に当てられていた刃物はスッと消えた。そしてすぐにオルテガの背中に護衛の女性の手が添えられ、問答無用で押される。
「……どこに連れていく気だ」
「ふふ、良い子にしていてくだされば、ちゃぁんと帰してあげますわよ」
ビオレータの見惚れる程の妖艶な笑みに、オルテガは綺麗と思う前に背中に走る悪寒を感じ口を閉じた。
オルテガを連行したビオレータはリクが創り出したリンゴの木の陰に隠れるように寄りかかった。オルテガは護衛の女性二人に隠され、広場からは巧妙に見えなくされている。彼女達の手には小さな刃物が握られ、オルテガが妙な動きをしようものなら躊躇なく襲うだろう気配を滲ませていた。
「……話ってのは、なんだ」
オルテガはチラリと彼女達の手にある刃物を一瞥した。掌に隠せるほど小さいそれだが首を斬られれば大けがで最悪は死ぬだろう。
「あら、そんなに固くならなくっても、大丈夫ですわよ。言うことを聞いていただければ、ですけども」
ビオレータは嬉しそうな笑みを浮かべる。それがまたオルテガを不安にさせるのだ。
「エリナお嬢様のお相手のリクさんの事ですけども」
ビオレータがそう切り出すと、途端にオルテガの表情が苦いものに変わる。何か言おうと口を開きかけたところで、オルテガの首に刃物が押し当てられた。黙れ、というお願いだ。
「ふふ、そう怒らないでください。私、こう見えても怖がりなんですから」
ビオレータは眉尻を下げ、儚げな表情に変わる。何も知らなければ守ってあげたいと思わせ顔だが、オルテガにとっては脅迫としか映らない。
「さ、さっさと続けろっ!」
今まで味わったことのない緊張感にオルテガの声も裏返る。
「そのリクさんですが、あの素晴らしい能力は神のようだと思いませんか? 辺境伯でしかないエリナ様には、勿体無いと思いませんこと?」
ビオレータは泣きボクロを見せつける流し目をオルテガに送る。
「エリナ様を馬鹿に……」
大きな声をあげようとした矢先に刃物が首に食い込み、鋭い痛みがオルテガを襲う。
「不用意に動くと刃が刺さってしまいますわ。ご自愛くださいませ」
首を傾げにっこりと微笑むビオレータに悪意の影は見られない。オルテガは為す術もなく口を閉じた。
「でも困ったことに、リクさんは赤毛の女に夢中な様子で、もしかしたらエリナ様とではなく、彼女と子をなしてしまうかも……」
まるでからかうように困った顔をするビオレータにオルテガは歯を軋ませる。と同時にリジイラでは見かけない目の前の女が、カレンへの想いを知っていてそんなことを言うのかが分からず、オルテガは眉間に皺を寄せた。
「私はリクさんをパートナーに迎えたいのですが、今のままでは叶いそうもありません」
ビオレータはわざとらしく目もとに手をやり涙を拭く仕草を見せる。
「だから何だってんだ。エリナ様はヴィンセント様と結ばれるんだ。アノ野郎の好きにはさせねえ」
首に刃物をあてられ、なるべく動かないようにオルテガは静かに吠える。その様子を見たビオレータはクスリと笑った。
「そうですとも。エリナ様にはヴィンセント様がぴったりなんですわ。本当にお似合いですもの」
笑わない青い瞳の微笑みに、オルテガは言いようのない恐怖を感じつばを飲み込む。笑顔の裏に何を考えているのか全く分からないのだ。
「ここで一つ提案をさせてくださいませんこと?」
ビオレータの極上の笑みに、オルテガは小さく頷くしかなかった。
「私はリクさんが欲しいのです。貴方はカレンとかいう小娘が欲しいのでしょう? 」
「カレンさんを、小娘なんて!……いうんじゃ……ねえ」
オルテガの声は首に当てられた刃物の圧力でトーンダウンしていく。
「私の邪魔をするなど、小娘扱いで良いのですわ」
ビオレータは厄介なものを払う様に、麦わら帽子に収まらない長い髪を手で背中に流す。優雅な仕草だがオルテガにそれを楽しむ余裕はない。これが交渉ではなく脅迫でしかないからだ。
「……で、提案ってのは何だ」
「リクさんが現人神だと吹聴して欲しいのです」
苦々しい顔のオルテガなど気にしないがごとく、ビオレータは涼しげな表情で続ける。
「どうやらリクさんはエリナ様の婚約の邪魔をしたことを気にされているようで、何とかヴィンセント様との婚約を元通りにしたい様子。あぁ、なんてお優しいこと」
「それがどう繋がるんだ」
ウットリとしたビオレータにオルテガは嫌悪感しか覚えない。どうにも生理的に受け入れられないのだ。
「リクさんがエリナ様の相手として不足でなければ、領民も納得してしまうのでは? とくにここは暮らしていくには厳しい土地です。リクさんの能力は絶大でしょう?」
ビオレータがオルテガのふっさりとした髭を撫でた。撫でつけるビオレータの指先に蠱惑が宿る。
「もし領民が諸手で賛成するような事態になれば、二人の関係を修復したいリクさんはおのずとここを出なければならなくなりましょう」
「だが、それでは大公の……」
「そうすれば、カレンさんを狙うライバルは減るではありませんか? このままではカレンさんは……」
意味深に口もとに手をやり言葉を切る。歯を食いしばって黙り込むオルテガに対し、ビオレータは追撃の手を緩めない。
「大公閣下の狙いはリクさんの管理です。それをエリナ様ではなく私が請け負えば良いだけの事。これならば私にも貴方にも良い事だと、思われませんか?」
笑顔の中の凍える青い瞳がオルテガを圧迫する。耐えきれずオルテガは口を開いた。
「それで大公は納得するのか?」
「ふふ、そんな物はこれで解決できてしまいますわ」
ビオレータは嬉しそうに右手の指を伸ばし、人差し指と親指で輪を作る。
「大公閣下といえど所詮貴族。お金で左右できてしまうほどのものでしかありませんから」
嬉しそうな笑みをさらに深め、ビオレータは言い切った。
「お金があれば、望みは叶えることができますわ。それが愛でも、人の命でも」
うふふと悦の笑みに変えたビオレータはオルテガの髭を、幼子に諭すように撫でた。