第三十八話 今は調理だ
空を飛ぶ鳥が良く目立ちそうな程の秋晴れの下、リジイラの住民の九割程が広がる小麦畑の前に集結していた。その群衆を率いるように若い二人が立っている。
「おはようございまーす!」
風にたなびく小麦の海を背に、エリナが大声を張り上げた。
金髪をしまい込んだ頭には大きな麦わら帽子。クリーム色の長袖ワンピースに綿の手袋と手には鎌。膝丈ほどのスカートの下には裾のすぼまった綿のズボン。足元は編上げのブーツ。
収穫と日焼けという戦いに対する服装はばっちりだ。貴族の着て良い服装ではないがエリナには良く似合っている上に可愛い。自分は開拓者である、という想いを具現化したこんな所もリジイラでエリナが好かれているところだ。
「今日一日で刈り取りは終わらせましょう!」
エリナの横で声を張り上げるのは、同じような出で立ちのヴィンセント。
やはり大きな麦わら帽子、色彩薄い綿の長袖、ゆったりとしつつも足首ですぼまったズボンにショートブーツ。どこから見ても農民の格好なのだが王子様は何を着ても王子様だった。だが、きりっとした表情でエリナと同じ開拓者の服を着るのは、リジイラで生きるというヴィンセントなりの覚悟の現れだ。侯爵次男という立場よりもエリナの横に立つことを選んだ故である。
「一班が西面から。二班は北面。三班は東面です! 今回はお医者様もいます。怪我をしたり具合が悪くなったりしたら、屋敷の診療所へ行ってください! いーですねー!」
「おぉ!」
「よっしゃ!」
「まーかせてください!」
エリナの説明に集まった領民が鎌を振り上げ声をあげる。小麦は自分たちの食料だ。自然と気合も入る。
「昼食は例年通り屋敷の近くの広場に用意しまーす。今年は色々な物を沢山用意しますのでー、いっぱい食べてくださーい!」
ヴィンセントも負けじと声を張り上げた。
「今年はなにかしらね」
「トマトを大量に見たわよ?」
「この時期にトマト? ありえないわよ」
「おばーちゃんがビックリしてたのを見たよ!」
噂話に奥様方は首を捻る。トマトの最盛期は過ぎてしまっているのだ。保存がきかないトマトはこの時期に食卓に上がる事は無い。
「でも楽しみね」
「神様な男の人がいるんでしょ?」
「ムキムキな男よね!」
奥様方の話題は移ろいやすい。そんな会話を聞きつつもエリナが麦畑に足を進める。
「わぁよく実ってる! じゃぁ、今年もよろしくお願いしまーす!」
エリナが張り上げた声に呼応する歓声が小麦畑に響き渡った。
その頃、エリナの屋敷の近くにある広場の隅では、この時の為に造られた三つのカマドに設置された大きな鍋を前に、リクは腕を組み目を瞑っていた。まだカマドに火は灯されておらず、火入れという神聖な儀式を静かに待っていた。
リクはいつもの白い生地に熊さんの絵のエプロンをつけ、頭には白い布巾をまき、これから始まる戦いに向けて精神を統一していたのだ。
「マッチョなお兄さん! ニンジンむけたわよ!」
「あらいやだねぇ、間違えてジャガイモ入れちゃったよ。あははは」
リクの背後には手伝いとしてつけられた五人のお婆ちゃん。体の動きも遅くなり収穫手としては不適格だが、その調理に腕は衰えていないがためにリクの手伝いに抜擢された、口も腕も達者なお婆ちゃん部隊だ。仕込みとして野菜の皮むきを頼んでいた。
「量は、申し分ねえな」
十以上のデカい籠に入れられた処理済みのニンジン、ジャガイモ、タマネギ、ブロッコリー、マッシュルーム、そして山と積まれた大量のトマトだ。他にはリクお手製のオリーブ油、胡椒、香辛料、ニンニク、水、レンツ牧場から貰ったとれたて牛乳。作るのはリク特製『野菜山盛り濃厚トマトシチュー』だ。
なにせ五百人分の材料である。籠の数も半端ではない。籠はリジイラのほとんどの家庭から借りたものだ。それに野菜が満載だ。
「おばちゃん等はトマトをさっと茹でて皮をむいてくれ」
リクはお婆ちゃん部隊にだけ振り向いて指示を出す。お婆ちゃんと言わないのは気を使っているからだ。
「あらあら、これ全部?」
「すごい量ねぇ~」
「トマトチューなんて、久しぶりだねぇ」
山の様に積み上げられたトマトは数百個はある。お婆ちゃん部隊はトマトの山を見てヤレヤレという顔をした。息子よりも若い男に指示される事などあまり無いだろうが、エリナの頼みでもある。彼女達はお喋りをしながらカマドに薪を入れ火入れを行った。
「よし、俺もやるか」
お婆ちゃん部隊の行動開始を見て、リクは自分の腕程もある巨大な木のスプーンを持ち、カマドへと向かった。
リクが入れるほどの大きさの鍋にオリーブ油をダバダバと注ぐ。火の通りにくいニンジンを先に炒めるのだ。本来であれば肉が先なのだが、皆にいきわたらせるほどの肉は無いのが現状だ。
薪をくべ、火力を上げる。ニンジンの籠を両手で抱え豪快に鍋に放り込んでいけばガラガラと音をたてて鍋の中で踊る。焦げ付かない様に巨大な木のスプーンでかき混ぜる。
「懐かしいな……」
褐色の筋肉をもってしてニンジンを圧倒するリクは呟いた。前線ではこれが毎食繰り広げられていたのだ。もっとも用意する食事の量と手伝う配下の兵隊は桁が違ったが。
リクが思い出に走るにはわけがある。一昨日のアレからカレンをまともに見れていないのだ。近くにいると気になりチラ見し、その視線に気がついたカレンが目を向けてくる気配を感じると顔を背けていた。情けない事にもうすぐ三十路の男は思春期真っ盛りなのだ。
「いい感じだな」
ソテー寸前まで炒めたニンジンにジャガイモ、タマネギを投入した。タマネギがジュージューと音をたて、ジャガイモがゴロゴロとスプーンの邪魔をする。だがリクはそれをムキムキの筋肉で屈服させた。
「筋肉の兄さん、剥いたトマトはどうするの?」
お婆ちゃん部隊の部隊長が声をかけてくる。茶色い髪を頭の上に一つに纏めた、小柄なお婆ちゃんだ。山のようなトマトが皮を剥かれたあられもない姿でいくつもの籠に入れられていた。
「お、早いな。しかも綺麗なもん……だ」
綺麗に向かれたトマトを見てカレンを思い起こしてしまうほどに、リクは純情だった。話しどころか言い合いもなく昨日は終わってしまっていた。今朝も顔は見るが声をかける事もできずに今に至る。
リクは声をかけた後のリアクションで自分をどう見ているのかがわかってしまうのを恐れていた。その風貌に似つかわしくない程、恋に関してはチキンなのだ。
「……今は調理だ」
鍋に目を向けそんな事を呟いても一度不安に思った事は頭に残り、そしてそれは胸の痛みへと変化していく。声をかけても避けられるようであれば嫌われている証だろう。
ここから去る予定のリクにとっては好都合なはずだった。だったが、そうあって欲しくないと叫んでいる自分がいるのだ。
リクはそんな弱気を消し去る様に頭を振り、剥かれたトマトを鍋に入れ、水で量を調整する。
「なさけねえ」
情けない声をだしたリクは巨大なスプーンを握りしめ、鍋を掻き雑ぜた。頭の中のカレンを混ぜ込む勢いで、ひたすらに。形が残っていたトマトも崩れて赤いスープになって行く。真っ赤な色はカレンの髪の色とよく似ていた。
――美味しいね。
脳裏には美味しそうに食べるカレンの笑顔が浮かぶ。嬉しそうに食べるカレンは、リクにとってご褒美だ。作ったものを美味しそうに、嬉しそうに食べてくれる。作ったものとして、それだけでも嬉しい。
そりゃ惚れるよな。
もはやあきらめに近い心境でスープをかき混ぜる。胡椒と塩を入れ味付けだ。パサっと小麦粉を入れ、とろみも追加する。隠し味はレンツ牧場の牛乳だ。薪を減らし弱火でコトコトと煮込む。
腰に手を当てリクは「ふぅ」と息を吐いた。子供たちの歓声が広場中から聞こえてくる。お婆ちゃん部隊のおしゃべりも耳に入る。リクのモヤモヤした心模様などこの広場は知ったことではない。
「……いい天気だ」
見上げた秋の空は悔しいくらいに青かった。
エンディングソングは、星野源「恋」でイメージしてくださーい!