第三十五話 回りくどい事は苦手だ
リクに話があると言うビオレータとエリナの三人で、屋敷の応接室で話し合いが持たれた。リクとしては得体のしれないビオレータとの話などしたくはないが、彼女の目的を知ることは身を守ることにも繋がることから同席した。カレンは紅茶のカップを三人に配っている。
リクとエリナがソファに並んで座り、ビオレータは向かい合って椅子に座る。カレンはエリナの背後に待機だ。
穏やかな光が差し込む部屋にはいわれぬ緊張感が満ちていた。
「改めまして、私、ビオレータ・ペレイラと申します。シルヴァ商会ヴェラストラ公国支部で副頭取をしております」
ビオレータはニコリと笑い小首を傾げた。腰まであろうかという真っ直ぐな亜麻色の髪がふわりと揺れる。女性らしい曲線を強調するような細身の上着。腿の付け根辺りまでスリットが入ったタイトスカート。目元のほくろが妖艶な雰囲気を醸し出しているが警戒しているリクにはまったく届いていない。
「シルヴァ商会……ですか」
エリナは驚きで、その青い瞳を湛えた大きい目を更に開いた。
シルヴァ商会とはマーフェル連邦10か国のみならず、周辺国、戦争をした南の隣国にも支部を持つ巨大な商会だ。大っぴらにはできない事でも請け負う、巨大な犯罪組織でもある。各国に支部を持ち、ここヴェラストラ公国ではペレイラ家が頭取として辣腕を振るっている。
頭取はスペンサー・ペレイラで副頭取は四人いる子供たちだ。ビオレータは三番目の子であり長女で、次期頭取の座を狙い兄妹で熾烈な家督争いをしている。その人物が大したお供も連れずリジイラに来ているのだ。エリナの様な弱小貴族にとっては訪ねてきたこと自体驚きだった。
「……名前は聞いたことがある」
「ふふ、光栄ですわ」
リクの呟きにビオレータが微笑みで返してきた。苛烈な跡目争いをしているとは思えない程穏やかな女性に見える。だが何か裏があってここまでリクを追いかけてきているは間違いだろうことはリクでも分かった。見た目とは正反対の危険な女、と言う訳だ。
「回りくどい事は苦手だ。率直に言わせてもらうが、何しに来た。そして何の用だ」
リクは敵意を隠さずにビオレータを睨みつける。それに対しビオレータはにっこりとした表情は崩さずに青い瞳で見返してくる。多少の脅しなど効かないとの返答だろう。
「えぇ、では簡潔に申します。リクさんを私の仕事のパートナーとして迎え入れたいのです」
ビオレータは今までで一番の笑顔を見せた。
ビオレータの言葉に、どうせ利用するだけだろとリクは苦い顔をした。ある意味予想通りだったともいえる。
「それだけか? 裏があるようにしか思えねえが?」
リクが口を曲げるとビオレータはおかしそうにくすくすと笑う。そんな様にも一々艶があり、リクの神経を撫でまわす。荒っぽいカレンとは雲泥の違いだが、リクは荒っぽいカレンの方が心地よい。
「そうですね。でもこの話は、辺境伯様にも益が御座います」
ビオレータに微笑まれたエリナがびくっと体を震わせた。言葉で表せない圧力を感じたのかもしれない。それくらいビオレータの青い瞳の光は異質に感じる。
「エリナ様は現在お困りだと、お聞きしております」
ビオレータはゆっくりと、だが確実にエリナの心の隙間に入り込むように言葉を差し込んでいる。エリナが明らかに警戒して腿の上に乗せている手を握りしめていても、ビオレータは追い詰めない様に穏やかな笑みを浮かべていた。
「大公閣下の命でグリード侯爵家のご子息との間の婚約を破棄せざるを得ない状況に追い込まれてしまった事で、心を痛めておられるとか。同じ女といたしまして、とても残念に思います。初恋の成就は女として夢で御座います。ましてやそれがグリード家の次男で、幼少からお互い想いあっている間柄であれば尚更かと」
ビオレータが柔らかな笑みでエリナを責めるように心を抉る言葉を吐く。
「そ、それは……」
どう反応したらよいのか分からないエリナがリクに救いを求めて見てくる。リクがなんとかする予定だなんて事は言えない。そんな様子を見たビオレータが口を開く。
「あら、噂とは違って仲がよろしそうなご様子」
ビオレータが口に手を当て、驚いたようにその青い瞳を露わにする。リクには演技だと見抜けても否定も肯定もできない。下手に仲が良いなどと噂を流されればヴィンセントとの関係に楔が打たれてしまうし、肯定して不仲ならばと言われてしまえばリクをリジイラから連れ出す口実にされかねない。
「俺は俺の意志で、エリナを健康優良児にすると決めた。それだけだ」
「不仲ではないと?」
「解釈は任せる」
憮然として腕を組むリクにビオレータは柔らかい笑みを浮かべるのだ。
「そうです、忘れておりました 」
ビオレータがわざとらしく手を叩く。リクもエリナも思わず何だと見てしまう。
「お近づきのしるしに、お薬を格安でお譲りしようかと思っていたのですわ!」
ビオレータがニコリと微笑むが、今度は目も笑っていた。真意ではあるのだろうとリクは思った。
先ほどから観察をしていたが、笑みで隠された瞳の奥は窺い知れない。目的ははっきりとしているが、自分に何をさせたいのか分らないうちは動けない。そもそも自分がここを離れた場合の後始末はどう考えているのか。それとも関係ないと切り捨てるのか。
ただリクの頭の片隅には、話の内容次第だ、との考えもあった。エリナに、ヴィンセントに被害が及ばないのであれば、この話は渡りに船だったのは確かだ。リクの逡巡はここにあった。
「まことにありがたいお話しですが、当領地にはお金がありません」
「そう仰ると思いまして、ご提案もさせて頂ければと存じております」
分っておりますという笑顔でエリナの言葉を受けたビオレータが深々と頭を下げる。即座に返されエリナが次の対応を取れないでいる隙にビオレータは畳み掛けてくる。
「提案といたしましては、蚕を飼育しての絹の採取です。ここには桑が自生しているようですので、その桑を使用すれば蚕を調達すればあまり費用も掛からずに絹を手に入れる事が可能です。もちろん加工は当シルヴァ商会でも可能ですし、ヴィンセント様の子飼いの商会でも可能でしょう」
ヴィンセントの名前が出て緊張していたエリナの顔が、一瞬緩む。きらっと光るビオレータ青い瞳はその変化を逃さない。
「絹の採取は力の弱い女性でもできる作業です。お年を召した方でも、子育ての最中で家を出られない方でも可能で御座います。それに絹で作ったネグリジェは男性にも好評で御座います。閨でネグリジェをお召しになった奥方様を愛でる熱も高まるとか」
ビオレータの熱い語りがエリナに移ってしまったのか、エリナは頬を赤く染め、どこか遠くを見ているかのようにぼーっとしている。ヴィンセントとの熱い夜でも妄想しているのだろうか。
エリナもまだ十四歳とはいえ女には違いない。好きな男との事を想像するくらいは当たり前であり健全だ。無理に抑えては妄想が暴走してしまうかもしれない。
「……ヴィンセント様もお喜びになられるかと」
「あ、あの」
「ベッドに優しく押し倒されてしまうかも、知れませんね」
「ま、まだ早いです!」
耳まで真っ赤にして俯いてしまったエリナを、ビオレータが嬉しそうに煽る。エリナの態度が先程の答えを雄弁に語ってしまっていた。十四歳のエリナは海千山千であろうビオレータにかかればこうなってしまう。純粋なエリナの弱点だ。思わずリクは歯噛みをする。
「お嬢様?」
そんなエリナを妄想の世界から引き戻したのはカレンの声であった。ハッとした表情のエリナが姿勢を正し口をまっすぐに引く。
「魅力的な提案ですが、即答はできません。少々感上げるお時間をいただきたいのです」
「……えぇ結構で御座います。本日は突然押し掛けてしまい、申し訳ありません」
一瞬、ほんの一瞬だけカレンを睨んだビオレータがにこやかな笑みで頭を下げた。