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野菜将軍と赤いトマト  作者: 海水
第三部
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第三十四話 こいつは俺好みで可愛いからな

 鍋を積んだ荷車をリクは黙って牽く。カレンが黙ってしまったからだ。理由はヘンリーのなんて事ない一言だった。

 ――神様が相手だったら、エリナ様にとっても良いんじゃないか?

 ヴィンセントが嫁いで来る事に諸手を挙げて賛成していたはずの領民からこんな言葉が出てくることがショックだったのだろう。

 だがリクはすぐに否定したのだ。エリナの相手はヴィンセント以外はあり得ないと。

 自然を驚異と認識し、畏怖と崇拝をするリジイラの領民がリクの能力を目の当たりにすればそう勘違いするのも理解はできる。それにリクが初めてリジイラに入った直後のエリナの「大丈夫」という言葉も意味が変わってきてしまう。あまり良くない方向にむかいつつある。


「大丈夫だ。俺はここ(リジイラ)からいなくなるんだからさ」


 自戒とも慰めともつかない呟きがカレンに届いたかはわからないが、リクがそう言わざるを得ない程空気が重い。意識したカレンへの気持ちは脇へ置くしかなかった。


「……でも、拗れそう」

「大丈夫だ。ヴィンセントはそんな軟な奴じゃねえ」


 カレンの心配は、リクとヴィンセントと比べた場合、リクの能力が神様扱いされたら天秤の傾きが逆転しかねない事だった。それはリクも同じ考えではあるが、自らいなくなると決めているリクはそこまでは悪い方向へは考えていない。

 人のうわさも七十五日。存在が掻き消えた人物の話など、放っておけば消える物だ。


「俺が大人しくしてりゃいいだけの事だろ。これからは屋敷にでもこもってるよ」


 カレンからの返事がないまま、ガタゴトと荷車の音が響く。





 無言のまま屋敷に戻ると、先程見掛けた馬車が玄関前の空間に存在感を示していた。無骨な屋敷に比べその馬車だけが現実から浮き上がっていたのだ。殺風景な庭も拍車をかけているのだろう。


「やっぱまだいるのか」


 荷車を庭の端っこに置き、リクはその立派なお伽噺馬車を眺めた。金がつぎ込まれているのは馬車ばかりではなく、繋いでいる馬も立派だった。体格の良いスラっとした、同じくおとぎ話に出て来そうな馬たちだ。


「凄い馬車ね」

「あぁ、すげえな」


 服はおとなしめな黒を基調とした詰襟の御者がリクとカレンに対して深々と頭を下げてくる。装いだけでなく礼儀も躾けられている。ユーパンドラは商会と言ったが高位の貴族の間違いではないか、と疑念を抱かせるほどの振る舞いだった。


「ま、鍋を降ろそうぜ」

「そ、そうね」


 カレンはもっと見ていたかったのか後ろ髪を引かれるようにチラリと盗み見しながら鍋を降ろしている。やはり女性だから綺麗な物には敏感なのだろう。


「で、これをどうするんだ?」

「明後日の昼食用なんだけど先に仕込みをしないと間に合わないから今日綺麗に洗わないといけないの」

「なら俺が洗っておくからお前は中に入って嬢ちゃんのとこに行ってくれ。マーシャさんじゃお茶も出せないだろ」

「あ、そうだった! 行かなきゃ!」


 リクに言われ本来の仕事を思い出したカレンはスカートの裾をちょんと摘まみながら屋敷へと駆けて行った。先程はどこかに置いてきたお淑やかさは、今回は忘れなかったようだ。


「さーて、昼前に片づけちまうかな」


 リクはぐっと背を伸ばした。





「っと」


 リクを煮込めそうな程の深胴の鍋に上半身を突っ込んだまま、鍋底を洗っていく。修理しただけあって埃で汚れてはいないが炙った際の煤はこびりついていた。このまま料理しては何を作っても苦い料理になってしまう所だ。


「くそ、真っ黒だ」


 煤が酷いのでリクは上半身裸で鍋と格闘している。カレンが見たらまた怒るだろうが着替えのないリクにとっては死活問題でもある。真っ黒になって洗っても落ちない煤汚れの服など、流石のリクも着ていられない。


「洗わねえと落ちねえな、こりゃ」


 褐色のマッチョを煤で真っ黒に染めたリクがぼやく。濡れた布で拭いたくらいでは落ちそうもないくらいに真っ黒な彫刻だ。だが苦労のかいあって鍋は綺麗になった。


「昼食作る前にこの煤を落とさねえと……」


 リクが大きくため息をついた時、屋敷の玄関が開き、あのお伽噺の馬車の持ち主が姿を現した。

 馬車の窓からでは分らなかったが、体の線に沿うような細身の赤い服を着て、スカートも同じく赤く細身で、走る事を考慮しているのか太ももまでスリットの入ったタイトな物だ。そしてリクを見つけてニコリと笑う。

 たれ目気味の青い左目の目元に黒いほくろを飾り、カレンには無い色気を纏って微笑む様に、リクの背筋にゾワリとした物が走る。

 優しそうな笑みを浮かべて歩み寄ってくる彼女は、リクが真っ黒な肉体美をさらけ出しているのに眉ひとつ動かしていない。見慣れているのか育ちの都合か。リクには推し量ることはできない。


「貴方がリクさんね」


 その女性は鈴の中にも重しがある様な声で話しかけてきた。そしてその声にリクは確信した。あの夜ニブラで声をかけてきた女で間違いない事をだ。

 リクは目だけで周囲を確認する。万が一の場合の逃げる方向、手段。最悪は鍋を投げつけてでも逃亡する。話などするつもりもなかった。


「それ以上来るな」

「ふふ」


 その女はリクの警告にも歩みを止めず、逆に笑みを深くする。尋常ではない様子にリクの方が焦った。


「ちっ!」


 その女の歩みを止めるべく地面からツタが飛び跳ね、彼女の両足に絡みつく。彼女は一瞬だけ驚き目を開いたが、地面から生えたツタを確認する様に視線を下に向け、表情を満足そうな笑みに変えた。


「これが貴方の能力なのね」


 臆することなくその場に停まり、彼女は話しかけてくる。


「私はビオレータ・ペレイラ。貴方にお話があるの。悪い話じゃないわ」


 ビオレータと言う女の青い瞳が怪しく光った。





「あーーっとお客様、少々お待ちを!」


 屋敷の玄関からカレンの叫び声が響く。そして「まーた裸になって!」と続いた。


「仕方ねえだろ。服が煤だらけになっちまうよりは良いだろうが」


 リクは、まったく、という風に腰に手を当てため息をつく。


「本当に素敵な肉体ね。食べちゃいたいくらいだわ」


 ビオレータが頬に右手を当てながら妖艶にニコリとすると、リクの背筋には又もゾワゾワ感が走り回る。

 リクは何か違うと感じビオレータを観察すると、彼女の目が笑っていない事に気がつく。頬と口もとだけの笑みなのだ。


「あんた、何モンだよ」

「ふふ。お話を聞いてくれれば、教えてあげても良くってよ」


 ビオレータが口を尖らせ、ちゅっとキスを飛ばしてくる。ちょうどその後ろからカレンが毛布を手に走ってきてリクに放り投げてきた。


「すすすみません、こんなはしたないものをお見せして!」


 カレンがビオレータに謝罪をしようと顔を向けると、ビオレータの顔にはありありと不満の色が見え始めた。明らかにカレンを睨んでいるのだ。


「彼との大事な話の邪魔をしないで頂けるかしら?」


 丁寧にゆっくりとだが、確実に棘を込めたビオレータの言葉にカレンが怯む。カレンの身分は侍女でありビオレータは客である。招かれざる客かも知れないが、客は客だ。カレンの赤い瞳は動揺で揺れてしまっていた。


「あ、あの。申し訳ありませんでした」


 ペコリと頭を下げるカレンをビオレータは見下すような眼つきで睥睨した。どちらが上なのかを知らしめるかのように。

 だがカレンを無下にする態度にリクが平然としているはずもない。


「あぁ、すなまいな。だがこいつはこの領地では大事な人物なんだ」

「あら。その割にはキチンと教育がなされていないようですが?」

「それは謝る。ここは開拓の最前線でな。厳しい自然と共存しなきゃいけなくってそっちが最優先なんだ」


 リクは謝りつつカレンを庇う。身分を盾にされるとカレンの立場では勝てそうもないからだ。だが、当然の如くリクにそんな物は通じない。コイツは獰猛な草食動物なのだから。


「あらあら、随分と可愛がられてるのねぇ」


 口に手を当て流し目で見下すようにビオレータはカレンを見ている。リクに庇われているカレンが気に入らないのが見え見えだ。あえて見せているのかもしれないが。

 当のカレンは俯いたままじっと耐え忍ぶのみだ。何時もとは違うカレンの健気な様子にリクの胸も痛む。


「あぁ、こいつは俺好みで可愛いからな」


 リクは小さく縮こまっているカレンの前に立つ。あくまでもカレンを擁護するのだ。照れなど感じている余裕はない。底知れないビオレータに警戒するので精一杯だ。

 予想外の言葉にカレンが動揺したのかギュッとスカートを握りしめるが、リクはそれには気がついていない。


「あら。そうですの」


 ビオレータが、良いおもちゃを見つけたというかのようなニタリとした笑みを浮かべた、様にリクには見えた。

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