第三十話 無理だろ
また長くなってしまいました……すみません(>_<)
FAをいただきましたので、感謝の更新です。
「ほら、美味しい餌だぜ」
リクがこそっと生やしたアルファルファの草の束を牛の鼻っ面に持って行くと、エリザベス、マーティー、マーガレットの三頭は夢遊病者の様に引き寄せられていく。
「牛も見つかったんだし、帰ろうぜ」
リクが一心不乱で草を食む牛の背中を撫でながらオルテガ達に声をかける。オルテガは苦虫を噛み殺しているが如くの苦りきった顔だった。カレンに頼まれた事は遂行できなかった。いや遂行する必要もなかった。リク一人で問題なく解決してしまっていただろうことが分かったからだ。
ガイアとマッシュの二人は違った。特に寡黙なマッシュは畏敬の視線をリクに送り付けてくるのだ。レンツがリクを神と言った事。目の前で起きた理解不能な事。マッシュの目にはレンツの言葉が真実に見えたのだ。
リクが歩き出せば牛が後をついていく。オルテガ達もついていくしかなかった。
「あいつ、何モンだよ」
「レンツ、神様、言った」
オルテガの呟きにマッシュが答えた。
「あんな妄言みたいのを信じろってのか?」
「大木作った。倒した。消えた……大地の神」
「けっ、気のせいだって」
オルテガが呆れた顔で、マッシュが真剣な眼差しでリクを見る中、ガイアは顎の傷をさすりながら思い出したように呟く。
「野菜将軍ってのが軍にいるって話を聞いたことがある」
「はぁ、野菜将軍?」
ぷっと吹き出しそうになるオルテガを無視してガイアが続ける。
「小麦でもニンジンでもピーマンでも好きなだけ作りだせるらしい。南部の戦争じゃあ必要な食料を全部賄ってたとか……」
「あぁ、それは噂で聞いたな。戦争中、万の軍勢を維持し続けたってとんでもねえ能力者が軍にいるってな」
ガイアの話にオルテガが口を歪める。リクの話題は気に入らないのだろうが、噂は聞いたことがあるようだ。それがリクだとは知らなかったのだが。
「血塗れの野菜将軍。逆らう者には神の罰」
「よせやい、マッシュ。気持ちわりぃ」
しっしっっと犬を向こうへやる様な手の動きでオルテガは強く顔を顰めた。例え物凄い能力を持っていたとしても、自然と戦い共に生活するオルテガにとって、そんな人間など異物としか認識できないのだ。
そんな後ろから聞こえる会話を、リクも苦々しく聞いていた。リクとて好きでこの能力がある訳ではないのだ。便利に使われる事も忌み嫌われる事も好きではない。居場所がなかったから、仲間がいたから軍にいただけだ。血まみれの野菜将軍などと持て囃されても、結局は異物として区別されているだけなのだ。誰も言葉には出さないが、リクはそれを空気を通して知っていた。
そんな中、牛だけが鳴くことも無く、黙って歩いていた。
「おお、よく連れ戻してくれたっぺよ!」
牛を連れて帰ってきたリク達四人を迎えたレンツは上機嫌だ。エリザベスを先頭に牛三頭は作ったばかりの牧場へ突入し、元いた牛達に混ざり大好物の草を貪っている。広大な牧場は生垣で囲われており、更に好物の牧草も生えている。柵が無くとも脱走することは減るだろう。
「熊はいねかったか?」
レンツはオルテガに顔を向けた。オルテガが自警団長であるからだ。
「いたはずだが、いなかった」
「はぇ?」
オルテガの答えにレンツは奇妙な声をあげるが、脇にいるガイアとマッシュは頷いた。奇妙な言い方だが事実ではあるのだ。
「ま、無事に帰ってきただから、いいっぺさ。こんなりっぱな牧場になっちまっただから、コイツラの数も増やすっかなぁ」
レンツは牧場に散らばっている牛を眺めている。元々野原だったところを生垣で囲っただけの広大な牧場だ。二十頭の牛だけでは寂しいくらいだ。
「ま、エリナ様に相談だっぺよ」
牛を増やすには金が要る。もちろん繁殖させれば増えるのだが近親交配を考慮せねばならない。それに乳牛は雌である。乳を出さない雄は石臼を回すくらいしか出番はなく数は少ない。しかも雄の肉はさほど美味しくない。増やすと言っても簡単ではないのだ。
レンツの言葉を聞いたリクは、やはり金を稼ぐ術を探さなければと思わずにはいられなかった。
牛を捕まえて用も無くなったリクはレンツの牧場からエリナの屋敷へと歩いていた。ガイアとマッシュは分れて別な場所へと向かったようだがオルテガはついてきている。リクからはちょっと後ろを歩き、常に一定の距離を保っているようだった。
「道は分るから、1人でも大丈夫だぜ」
リクは顔だけ振り向かせオルテガを見れば、そのオルテガは苦い顔でリクを見てくる。
「俺はカレンさんに、武器も持たねえで手ぶらで出かけたてめぇに何かあったら大変だから助けてやってくれ、と頼まれてんだ。カレンさんの元にてめえを返さねえといけねえんだ。頼んだのがカレンさんじゃなかったら断ってた」
苦い顔のままオルテガが言葉をぶつけてきた。気にらないという感情がリクにもひしひしと伝わってくる。
「お優しいことで。涙が出てくるな。まぁ、俺が居なくなった方が清々するんだろうがな」
「カレンさんをからかうようなことを言うんじゃねえ!」
髭を震わせながらオルテガが叫んだ。
「てめえが来なきゃ、静かなリジイラのままだったんだ。エリナ様だってヴィンセント様と問題なく結婚されるはずだった! すべては丸く収まるはずだったんだ!」
オルテガが堪え切れなくなった不満をぶちまけてくる。拳を震わせ、やりどころのない怒りを、振り上げた拳を落とす先の様に。余りの剣幕にリクも足を止めオルテガに向き合う。
オルテガの言いたいことは痛いほどわかる。平穏だったリジイラをブチ壊しているのが自分であるという事も。だがリクとて不可抗力でここにいるのだ来たくはなかったが拒否はできなかったのだ。
リクとて早くリジイラを去ってやりたい気持ちはある。だが今リクがいなくなった場合、間違いなくここに査察が入るだろう。それも軍と公国の両方だ。そしてエリナは何かしらの罰を与えられるだろう。誰も負いたく無い【責任】という名の罰だ。
オルテガはそこまでは分っていない。裏の話まで知らないのだから仕方がない。だから元凶であるリクに怒りをぶつけているのだ。
「はっ。そりゃ悪かったな」
ここでリクがオルテガに反論したところで何の意味も持たない。恐らくオルテガはこの状況を理解できないだろう。今リクにできる最善の手は、このままオルテガの怒り黙って受ける事だ。
どの道ここからはいなくなるんだ。いくら嫌われても問題はねえ。
自己の状況を判断し、とれる最善の手段を取る。軍の理不尽さに、その無茶な規定に慣れ、現実を受け入れるリクはこう判断する。したくはなくともするのだ。
リクは踵を返し、屋敷へと続く道を歩き始めた。
その晩、細長い月が仄かに照らす中、リクは井戸の傍にある樫の木に背中を預けていた。離れの部屋には窓があるが小さく、結構暑いのだ。昼間オルテガに言われて事が頭の片隅から離れないリクは、こうして涼むがてら考え事をしていた。
一年を通して葉が茂る樫の木の陰に入り、月明りが作る影の芸術を、ぼんやりと眺めている。
「……この屋敷は居心地がよすぎる」
リクはポツリと呟いた。
最初はあからさまに拒絶されていたリクだが、ニブラに着くころにはカレンとは普通に話が出来るまでになった。エリナの方の警戒は解けなかったが、それでも当初泣きっぱなしだった状況に比べれば大分改善しただろう。
エリナもだが、カレンはリクが出した果物などは美味しそうに食べていた。これはリクにとって意外であり、嬉しいことだった。戦場にいた頃は兵士が嬉しそうに食べている顔はあまり見掛けなかった。ましてやムサイ男達しかいない。笑顔など見ても、ここまで嬉しいなどと思う事は無かったかも知れない。
「旨そうに食うよなぁ」
文句を言いつつもニコニコと食べるカレンの笑顔が脳裏に浮かぶと、リクの頬は勝手に緩んでいく。あの笑顔が見られるなら喜んで色んなものを創りだそうと思える。そんな能力の使い方が正しいんだとリクは思うようになった。
「ま、でも消えなきゃなんねえしな」
いずれリジイラからは消えなければいけないリクにとって、情が移るのは避けねばならない。別れが辛くなるだけだ。はぁあ、と色々なモノが混ざり合った溜息を吐き出した。
カレンに惹かれかけていることは、なんとなくわかってしまっていた。リクとて恋愛感情が無いわけではないし、過去にはそんな感情を持った相手もいたりもした。もちろん一方通行だったが。
戦場での十年ではそんな感情など持つことは無かったし、そんな場合でもなかった。戦場を離れ、つかの間のひと時に大分気が緩んでいるのだ。
思考からカレンの顔を追い出そうと頭の後ろに手をやり、背後の樫の木に完全に寄りかかった。そんな時、母屋の二階のベランダ辺りでキィっと戸が開く音が聞こえた。
「あん?」
賊でも?と思ったがここリジイラにそんな奴らがいればすぐにバレるし、夜になるまで街の外にいれば野犬の餌になるだろう。ふむ、と考えたリクの視界には、ベランダの手すりに肘を付け、月明かりに浮かび上がったカレンの姿が入って来た。寒いのか薄手の上着を羽織っているが、たわわなそれは手摺に乗っかってしまっているようだ。
ちょうどリクからは月明かりに照らされており良く見えるが、カレンからは影になって見えない。暗闇の中に白く浮かび上がるカレンを、リクはじっと見つめていた。
「♪~」
機嫌がいいのか、カレンが静かに歌い始めた。カレンが口ずさむその歌を聞いたリクは、それが子守唄であることを思い出した。まだ幼く孤児院にいる時に、ぐずって寝ない子の為に、院長だったおばさんが良く歌っていたのだ。
孤児になった理由は色々だろうが、共通しているのは親がいない事。失ったのか別れたのか捨てられたのか。いずれにしても子守唄は親の顔を思い出して泣いていた子をあやす為だろう。
親の顔など知らないリクは泣く事など無かったし、その存在も知らない。自分が産まれた以上は親がいるのだろうが顔など記憶には無い。だがリクにとって子守唄は数少ない孤児院の思い出だった。
「……」
白い月の光を浴び、柔らかな笑みを浮かべ歌うカレンは、絵本でしか見たことのない女神のように綺麗だった。リクは目を離せず、じっとカレンを見つめていた。視線が金縛りにあい、静かな歌声に囚われていく。
十分ほどでカレンのステージは終わり、戸が閉まる音が閉幕を告げた。舞台にカーテンが降ろされても、リクはそこにカレンの幻影でも見るかのように身動ぎできずにいた。もっと見ていたかった想いが心に映し出しているのだ。
「……惚れるなってのは、無理だろ……」
絞り出すようなリクの呟きは、誰の耳にも入ることは無かった。静かに照らし続けた月を、除いては。