第二十八話 厄病ってつくけどな
「ここがウチの牧場だ」
「……牧場?」
レンツに案内されたのは、リジイラでも北の外れにある、これが牧場か?とリクが呟いてしまうほどの野原だった。目の前には白い頂きの山々の麓のなだらかな丘陵地帯に広大な野原が広がっている。
柵のような物、もしくはだった物はある。牧場と言われた野原には十頭以上の牛が草を食んでいるが、彼らを囲うものは無く、出入り自由なうえ盗まれても文句を言えない状態だった。
あばら家の様な牛小屋はあるが、手入れが行き届いていないのか、かなりぼろい。だが牛が日差しから身を隠すことはできる様な広さだ。
牛が啄んでいる草も一面に生えているわけではなく、荒地の様な土が半分以上を占めてる有様だった。所々に生えている草を求め、牛は絶えず移動しているのだ。
「なるほどな。牛としちゃあもっと旨い餌がある場所へ行きたいって事か」
「逃げねえように柵を作ろうにも木こりが木を切らなきゃなんねえんだけんども、開拓が優先だし、今の時期は熊が出てくるで森には行けねえだ」
レンツもこの状態が良くないのは分っているが、自分で柵は作れない。木を用意するにも木こり担当の人間が切り倒さないと手に入らない。そうこうしているうちに牛は美味しい餌を求めて出かけてしまう。
「大工もこれからの雪の季節を前に各家の修繕に大わらわで、こっちにまで手が回んねえんだ。仕方ねえっぺな」
だからこそ逃げたら捕まえに行くということを繰り返しているらしい。逃げた牛も捕まえなければならないがこっちも何とかしないと捕まえた苦労が水の泡だ。
「まずはこっちの解決が先か……」
リクは牧場と言う名の野原をじっと見つめる。要は木の柵に限らず牛が逃げられないように囲ってしまえば良いのだ。良いことを思いついたリクはニヤリと頬をつり上げる。その脇でレンツがビクット肩を震わせたが、リクは見なかったことにした。
レンツが先導して野原と言う名の牧場の境界にリクを誘導する。そしてそのリクの後を追うようにハクチョウゲがにょきにょきと地面から生えだす。
ハクチョウゲとは一年中葉っぱが茂る背の低い木だ。よく生垣に使われる木で、実はエリナの屋敷の生垣もそうだったりする。小さい葉っぱがこれでもかという密度で生え、春に白く小さく控えめな花を沢山咲かせる。そんな木だ。
高さが一メートルくらいの所で成長が止まり、視界を遮って牛が見えないなんてことも無い。生垣の厚さも一メートルほどある。緑色の壁だ。
「まぁた不思議なことすんだなや」
「これが取柄でな」
「えれえこったなぁ……」
驚いているのか呆れているのか微妙な表情のレンツが牧場の境界をひた歩く。野原の周りをぐるっと回って行くと、ハクチョウゲの生垣もぐるっと囲んでいく。葉っぱの密度も濃いために牛が突っ切ろうと思ってもうまくいかない。厚みも確保した。
自分たちを囲う生垣が出来ていく様を、牛たちはモーと鳴きながら眺めている。あの熊みたいな人間は何してるんだ?と思っているに違いない。もしかしたら余計な事をと怒っているかもしれない。だがリクはそんな事は知ったことではない。脳裏に浮かんだ、美味しいものを食べている時のカレンのあの笑顔の為にやっているのだ。
「ぐるっと囲っちまうと出られねえだ」
「出口は後で作る。それこそ柵かなんかで作りゃいいだろ」
「そんなもんけ?」
「そんなもんだ」
二人が生垣を案内しながら歩く事三十分。青々とした生垣でぐるっと囲われた、立派な牧場が出来上がった。牛が倍になっても全く問題にならない広さだ。
「はあぁぁぁぁ。すげぇもんだなぁ」
初めからそこにあったと言わんばかりに違和感なく鎮座している生垣を眺めているレンツが間の抜けた声をあげる。
「まだ終わってねえぞ」
リクはできたばかりの牧場という名にふさわしい元野原に歩き出す。なんだなんだと牛が逃げていくがリクはその真ん中あたりでしゃがみ込み、地面に生えている草を調べ始めた。ぺんぺん草に猫じゃらしと言った方が分りやすい狗尾草が多い。
「これじゃダメって事か。適当に出してどれが食いつき良いのか実際に調べた方が早いな」
リクは立ち上がり遠巻きに様子を窺っている牛を見た。指をパチンと鳴らし記憶にある草原の植物を場所を限定して生やし始める。どれに食いつきが良いかを見極めるためだ。
いきなりにょきにょき生えてきた草にボーと牛が後ずさり警戒するが、とある草を見た途端にまっしぐらに駆けだした。
「お、早速だな」
「ありゃあシロツメグサだ。それにアルファルファにチモシーだ」
牛が群がり貪っている場所の草を見てレンツが呟く。
「なんだよ、知ってるなら教えてくれよ」
「あーにすっかわかんねっぺさ。教えらんねーべよ」
「そりゃそうか」
レンツの指摘も尤もだった。草が分かればこっちにものとばかりにリクはその三種類の草を生垣で囲っている地面中に生やす。リクの指を鳴らす音に合わせていっせいに芽吹くそれは、真逆の季節を早回しにしているようだった。茶色が目立っていた地面が緑の覆われていく景色はレンツには刺激が強かったのだろう。驚愕の表情で固まってしまっていた。
牛たちが散らばり、めいめい好きな場所で食べ始めたのを見たリクは少し微笑んだ。なんとものどかな風景に頬が勝手に緩んだのだ。
「あんた様は神様け?」
「……厄病ってつくけどな」
「あんれまぁ、神様なんだな」
「ちょっと待て。冗談くらいは分ろうぜ」
リクのボケも華麗にスルーされてしまい、レンツは畏敬の目で眺めてくる。この事が後に尾を引いてしまうなどとは、この時のリクには知りようもなかった。
「おいおい、こりゃあどーゆーこった?」
「なんだこりゃぁ」
「……素晴らしい」
素敵な男らしい野太い声を新しくなった牧場に響かせ、髭もじゃのオルテガとマッチョな男二人がノシノシと肩をいからせて歩いてくる。
先頭を歩くオルテガの後ろにいるのは、ガイアという、黒く長い髪をうなじで一つに纏めた面長な顎に傷を持った二十二歳妻子持ちだ。その後ろを歩くのがマッシュという、金髪を短く刈り込み口を真一文字に結んだ寡黙な男。姐さん女房の二十一歳。
唯一オルテガだけが独り者な、幼馴染で木こりを主な仕事とし、開拓の最前線で森と戦っている自警団の中心人物たちだ。武器である片手斧を持ち、小さな丸い盾を背負い武装していた。
「ここはレンツさんの牧場だったはずだが」
「みたとおり牧場だが」
オルテガが睨みを利かせて問うてくるが、リクは逞しい腕を組みそっけなく答えた。リクの能力がそれほど知られていないのなら教えてやる事は無い。脳無い鷹でもこれくらいは考えられる。
「何をしたんだか知らねえが、まあいい。それよりもカレンさんから連絡があって逃げた牛を探してくれと」
オルテガがレンツに顔を向けると「この怖い顔の神様がやってくれただよ」とリクを指さし答えてしまう。思わず顔を顰めるが、リクを見てくるレンツのその目は無駄に輝いていた。
「神様だぁ?」
「ちげぇ」
オルテガの不機嫌そうな発言にリクはすぐに否定の言葉で覆いかぶせる。
「ちっ、今はその事は後回しだ。逃げた牛が空腹の熊に襲われる前に探さねえと行けねえ」
「おぉ、そうだった! エリザベス!」
レンツが騒ぎ出すがそれを放置してオルテガが続ける。
「カレンさんはお前も助けてやってくれと言うが……」
オルテガの視線がリクの腕に注がれる。今のリクは手ぶらだ。急いていたのもあって武器のサーベルは屋敷に置いてきてしまっている。
「カレンさん、大丈夫言ってた」
寡黙なマッシュがたどたどしく言う。
「勝手に大丈夫とか言いやがって……」
リクはちっと舌打ちをしてしまう。こんな時はいつもの探している面子に頼めば良いのだ。
ここリジイラは開拓の街で、当然ルールがある。よそ者のリクとしてはそのルールを破るつもりはない。牛の誘導はしても探すのは静観していようと思ったのだ。
「なんでカレンさんはこいつを……」
つぶらな瞳に不満の色を孕ませたオルテガがリクを睨んでくる。どうやら特別な感情をお持ちのようだ。
「いっそのこと熊の餌にでもなれとか思ってんじゃねえの?」
「カレンさんは、そんな酷い事を思うような人じゃねえ!」
リクのおどけた発言に、オルテガが眦を上げて反論した。歯を食いしばり、握りしめた拳を震わせて怒鳴ってくる。リクの冗談にも付き合えない程の怒りをぶつけてくるオルテガに、さしものリクもお手上げだった。
「まぁ、カレンはそんな事は考えねえな。悪かったよ」
「カレンさんは、カレンさんは……」
今まで黙っていたガイアが怒りで震えるオルテガを宥めるように「まぁ落ち付けよ」と肩を抱く。暴れ牛の様に肩で息をするオルテガもガイアに宥められ「フン」とリクに背を向けた。
無表情なマッシュがリクに近づいて「オルテガ、カレン、想ってる」と小声で教えてくる。
戦場では殆どなかった色恋沙汰に巻き込まれたリクはメンドクセェと思いつつも、その脳裏にはカレンの笑顔が浮かぶのだった。