第三話 おやつにはウサギリンゴ
麦畑に意識を取られていると、どこからか、くぅ~、という可愛い音がした。音のした方にリクが顔を向ければ、頬を赤くしたエリナが俯いていた。そしてエリナから、くぅ~、とまた可愛らしい音がする。
「あの、はしたなくて、すみません」
俯いたままのエリナが消えてしまいそうな声で謝罪をしてくる。どうやら彼女のお腹の音だったようだ。可愛らしい顔の女の子の腹の音はやはり可愛らしいのだ、とリクは知った。だがじっと見ているとカレンの視線が刺さって来る。
「腹も減ったし、ぼちぼちおやつにするか。悪いが馬車を停めてくれないか?」
リクは敢えて気軽にエリナに話しかけた。だがエリナは驚いたのか大きい目を丸くする。
「えっと、その、私達は大丈夫ですが」
エリナがカレンの顔を見てそう言っている間も、くぅ~、とお腹が催促している音が聞こえているのだ。嘘をついているのはミエミエだった。リクは思わず苦笑してしまうが、そうしてカレンにまた睨まれるのだ。
「あぁ、どうも腹が減ってなっちまってるんで」
主人に恥をかかせまいとするのか、カレンが凄い形相で睨んで来るのでリクは道化を演じざるを得なかった。
エリナが御者に合図をすると馬車はゆっくりと速度を落とし、そして止まった。往来のど真ん中に馬車があっては邪魔になるので端に寄せる。
「さてっと」
リクは足元に置いてある雑嚢からリンゴとナイフを取り出し馬車から出る。やはり雑嚢の中に入れてあった水筒でささっとリンゴを洗いナイフでサクサクと切っていくと、甘い香りが漂い始めた。
「あー、皿の代わりは……ないな」
リクは馬車の中のエリナとカレンに声を掛けたが二人はすぐに首を横に振った。
「しゃーねー。作るか」
リクが馬車から少し離れた草原に立ち地面を凝視した。すると地面からひょこっと芽が生え、凄まじい勢いで成長し、あっという間に固い大きな葉を茂らせた一本の立派な木になった。
リクはニッと笑うと開いた手で葉を一枚もぎ取り、むいたリンゴを乗せた。
「はいよ」
リクが差し出した皿代わりの大きな葉の上には、ウサギに飾り切りされたリンゴが八つ乗っている。お互いに顔を見合わせるようにリンゴのウサギは円形に並べられていた。
「え、あの」
「早く取ってくれ」
「あ、はい」
エリナが恐る恐る手を差し出してきてリンゴがのった葉を受け取る。呆気にとられた顔のエリナを確認するとリクは雑嚢からニンジンを数本取り出し、馬車の前に歩いた。馬にもおやつが必要なのだ。
リクが丸太のような腕で馬の前にニンジンを差し出せば、二頭の馬はガフッと先を争う様に貪り始める。
「まだあるから腹いっぱい食ってくれ」
リクは食べる事に夢中な馬の首をぽんぽんと撫で、きょとんとする御者にもリンゴを渡した。
「わぁ、甘い」
「……本当ですね。蜜も凄い」
「こんなに甘いリンゴは初めてかも……」
馬車の中からサクッという音と黄色い声が聞こえてくればリクの頬も緩む。が、おっかない顔には変わりなく、余計邪悪になったともいえる。その証拠に御者がビクリと体を震わせた。
失礼な、とも思うが、さもありなんとも思ってしまい、リクは自己嫌悪し項垂れてしまうのだ。
「さて俺も食うかな」
気を取り直し、色鮮やかなニンジンを手に取る。ナイフを使い慣れた手つきでささっと皮をむくと、あっという間に皮は全て地面に落ちた。ヘタを切り飛ばし、リクはそのままニンジンにかぶりつく。固い歯ごたえの後に口にはニンジン特有の味とほんのりと甘みが広がる。
「やっぱとれたての野菜は旨めえな」
このニンジンは出発前にリクが作ったものだ。リクは獣並みの顎の筋肉でニンジンをガシガシと噛み砕いていく。残すところ尻尾だけになったニンジンを口に咥えたリクが馬車の中をそっと覗くと、エリナもカレンも笑顔でリンゴを眺めているのが見えた。ウサギリンゴが珍しいのか、それとも貴族の娘はそんなものは食べないのか。リクはそんな事は知らないが、泣きそうな顔と怒った顔しか知らない二人にも普通の笑顔があるのだ、ということは知った。まぁ、リクがその場にいないからというのが一番の理由だろうが。
食べ終わった頃合いを見て馬車に戻ると、カレンが何も乗っていない葉っぱを持っていた。だがまだ可愛らしいお腹の音は止んでいない。エリナは我慢しているのか、ぐっと口を引き締めている。
「ありが――」
「あの、すみません、まだ足りません」
足りないが我慢しようとした主人を庇ってなのか、少し恥ずかしそうな表情のカレンがリクに伝えてくる。睨みつけていない普通の顔は、勝気でリク好みだった。活発そうな赤毛を短めに切り揃え、はちきれそうな胸と相まって、カレンが恥ずかしがる顔はかなりの破壊力だ。
眼福だ!と気を良くしたリクは無意識に右手を左胸に当て、軍式の敬礼をする。リクは単純な男なのだ。チョロ男とか言わないでやって欲しい。
「リンゴ以外もあるが、希望はあるか?」
リクは恥ずかしそうにする二人に尋ねる。エリナが空腹ならば恐らくカレンも空腹なのだろう。理由は分らないが腹の減り方からすると昼食を抜いている可能性もあった。
「あの、なんでも――」
「あたしは甘いものが好きなので、甘い果物があれば」
カレンがエリナを遮ぎるように言葉をかぶせた。身代わりになったと言うべきか。カレンの仕え具合が垣間見れ、リクはその態度に、へぇ、と感心した。
「甘いものか……」
リクはチラッとエリナを見た。彼女はどう見ても食が足りない様にしか見えない痩せようだ。カレンがはちきれんばかりの胸を誇っているのは謎だが、彼女も確かに痩せてはいる。
リクはフムと考えると向きをかえしゃがみ込んだ。エリナとカレンは怪訝な顔をするが、黙ってリクの様子を窺っている。彼女達はリクの持つ能力を聞かされているのだ。
「よっこいせ」
ほどなくして立ち上がるリクの両手には、秋には無いはずのイチゴが山盛りに乗せられている。普通イチゴが収穫できるのは冬から春にかけてだ。しかもそのイチゴは赤々として艶があり粒が大きく、一口で食べられるような大きさではなかった。
「え……」
「イチゴ!?」
可愛らしい女子二人が揃って目を丸くするさまは、リクにとって新鮮な物だ。なにせ軍には男しかいないのだ。驚いている男など見ていてもつまらない。逆にけっ飛ばしたくなるものだ。
軍には女性もいるが、大抵事務仕事についていて戦場に来ることなどない。戦場にロマンスがあるという奴もいるが、アレは物語りの中だけだ。ある趣味の男には楽園らしいが、リクにその趣味はない。
「今はこれだけにしといてくれ。果物はあくまでデザートであって食事じゃない。美肌には野菜が良いぞ、野菜が」
カレンが持っている葉っぱにイチゴをドスンとのせ、ハハハとリクは笑った。リクの笑顔が怖いのだろう、エリナのとカレンの顔が引きつっているが、リクはもう気にしなかった。
とりあえず未知との遭遇は終わった。後はなるようになれと思っているのだ。軍人たるもの諦めも肝心だった。
「えっと、フォークとか……」
「んなもんガブっといけって」
貴族のお嬢様らしくエリナがフォークなんかの食器が無いと食べられないと言いかけた所でリクは遮る。デリカシーが無いのはリクの仕様だ。
「あ、あの……」
躊躇するエリナの横でカレンが威勢よく齧りつく。大き目のイチゴの半分が一気に消えた。
「あ、あまふておいひいれふよ、おひょうはま」
大き目の口でひとくちにかぶりついたカレンが、手で隠してはいるが、はしたなくも口に入ったまましゃべっている。この辺が生まれの違いか育ちの違いか、カレンは生粋のお嬢様では無いようだ。もしかしたら毒見でもしたのかもしれないし、躊躇するエリナに対して先んじることで食べさせようとしたのかもしれない。この辺がリクの頭の限界だった。
驚いて口を開けているエリナだったが、カレンが次のイチゴに手を出した瞬間、パクリと齧りついた。小さい口だからか、うさぎのようにチマチマと食べている。カレンがひとくちでもしゃっと食べている様に比べると対照的で面白いものだった。
リクに対する表情も、感じる印象も対照的な二人だ。
「慌てると咽るぞ」
「けふっ」
大きなイチゴを頬張ったカレンがリクの言葉にむせた。ははっと笑うリクに、ひとしきりむせたカレンがまた殺気のこもった視線を投げかける。だがリクは笑顔だった。
自分は忌むべき存在。これが通常だと思えばいいのだ。こう思っていると、リクは気が楽になった。