第二十七話 なんだよその名前は
「桃が良いって言ったのにー」
朝食の席でカレンが配膳をするリクを目で追いながら不機嫌そうに口を尖らせている。カレンは桃が好きなのだ。
「嬢ちゃんのリクエストがイチゴだったんだよ」
リクは縦に切ったイチゴを皿に盛り、各人に配膳していた。ついでに空になった皿を回収だ。
「あの、ごめんね。リクさんに何が良いって聞かれて……イチゴが食べたくなっちゃったの」
エリナが困った笑顔でカレンに謝った。焦ったカレンが「いえいえ、めっそうもありません」と首がちぎれるくらい左右に振る。上下関係は厳しいのだ。
「カレン。お嬢様が最優先。でしょ?」
「はい……」
あきれ顔のマーシャに釘を刺されカレンは借りてきた猫になった。カレンが肩を落としてしょぼんと落ち込んでしまう。たかがデザートだがされどデザートなのだ。
「昼は桃にするからそれで勘弁してくれ」
「昼はリンゴが良いってあの子達に言われてるのよ」
見かねたリクの妥協案にカレンが斜め上の返答をする。あの子達とはカレンが教えている子供たちの事だ。チカやクリスなど八歳から十歳までの全部で五人。屋敷の一階にある部屋が教室になっている。
「ウサギリンゴか?」
「そうそう! みんなに大人気でさ」
「へぇ」
教え子の話になりカレンが嬉しそうに答える。とはいえウサギリンゴ作るのはリクだ。カレンが作るとウサギではなくネコになってしまうのだ。ネコと言われがっくりきたカレンはその後ウサギリンゴはリクに丸投げをしていた。
ネコリンゴも良いんじゃないかとリクがフォローするとカレンは「あはは、ありがとね」と寂しい笑顔を見せてきたのだ。じゃあ俺にだけネコリンゴ作ってくれりゃ良い、なんてキザったらしいことでも言えればいいのだろうが、リクにそんなスキルは無かった。残念仕様だ。
「わーったよ。今日は算術だったろ。問題ができたらご褒美に出すと言っとけ」
配り終えたリクは、白い生地に黒い糸でへたくそな熊さんが描かれたエプロンを付けたまま、ユーパンドラの横に座る。この熊さんは生徒の女の子三人が裁縫の練習で作ったものだ。なんでもリクをイメージしたら熊になったそうな。褐色で大柄だからだろう。
「カッカッカ。なかなか似合うじゃないか。リクも先生になるか?」
「教える前に生徒が逃げちまうだろよ」
ユーパンドラの呑気なボケにもリクは的確にツッコミを入れる。こんな風景が朝の当たり前になって既に一週間になる。リクがリジイラに来てから既に一週間が経過した。マーシャとの関係は相変わらずだが、カレンとの関係も相変わらずだった。
リクは嫌ったふりをしろと言ったが、カレンは今までと変わりなく接して来ていた。リクとしては困ったもんだと思いつつも気にかけてくれている事には感謝していた。
マーシャの足の具合はユーパンドラの治療もあってか劇的に回復しているが、安全を取ってまだ杖を使っての歩行になっている。四十一歳と中年の年齢であるから治りも遅いんだとユーパンドラが力説すればマーシャも素直に折れた。何だかんだで爺は強い。
本来ならギスギスしていても可笑しくないほのぼのとした団欒を破るように、表から男性の声が聞こえて来た。
「レンツ、どうしたんですか?」
玄関で訪ねてきたレンツという中年男性にエリナが話を聞いている。彼は「大変だー」と叫びながら屋敷に駆け込んできたのだ。
「エ、エリナ様、大変です! エリザベスが! マーティーが! マーガレットが! いなくなっちまいました!」
ハンチング帽を両手で握るレンツが息を切らせながらエリナに訴えている。リクとカレンも傍で話を聞いていた。
「落ち着いて。いなくなったのは何時?」
「け、今朝様子を見に行ったら、姿が無くて……あぁ、どこにいっただ! エリザベス! マーガレット!」
落ち着かせようとエリナがゆっくりと話しかけてもレンツは早口でまくしたてる。リクは首を突っ込む前に話を聞くことにした。
「ほらレンツさん。落ち着いて話さないと。急いでる時こそ落ち着かなきゃ」
杖を突きながら歩いてくるマーシャがレンツに宥めるように声をかけた。
「あ、あぁ、すまないなマーシャさん。っとエリナ様。自警団に捜索をお願いしたいのですが」
ちょっとは落ち着いたレンツがお願いをすればエリナは「そうですね」と頷く。
「朝にいなくなったんなら、そんなに遠くへは行ってないんじゃない?」
カレンがそのたわわな胸を強調するかのように腕を組む。リクに見せ付ける為ではないだろうが、リクの視線が行ってしまうのは男ゆえだ。気が付かれたのかカレンがギロっとリクを睨んでくる。
「そうよねぇ」
エリナが顎に人差し指を当て首を傾げる。どうにも空気が緩んでいる気がする。
「っつーかよ、そんな暢気に構えてていいのか? 三人もいなくなったんだろ?」
悠長に構えるエリナ、カレン、マーシャに対しリクは焦りを隠せなかった。軍でも逃亡する兵士もいれば仲間同士の喧嘩で密かに殺されている者や精神的な疲労からか自ら命を絶つ者もいた。大抵は物言わぬ姿で発見されるのだ。それ故にリクは焦っていた。
「えぇ、リジイラでは貴重ですけど、牛さんですから」
「三頭とも乳牛よね」
事もなげに言い放つエリナとカレンに対し、リクは「うしぃ?」と脳天から声を出した。
「わ、わたしの大事な、娘です!」
「そ、そうですね」
レンツが親馬鹿のような気迫を醸し出せばエリナも頬を引きつらせる。気持ちもわからないではないが、ここではまだ人の方が優先だ。
レンツの案内でリクは彼の牧場へと向かっている。エリナとカレンに自警団と一緒に探して欲しいと言われてしまったのだ。カレンは自警団長のオルテガを呼びに行った。牧場の近くには森が広がり、この時期は冬眠前の熊が食べ物を求めて徘徊しているため危険なのだ。
道の両側に広がる畑は植えられているものはジャガイモ、サツマイモ、ヤマノイモ、サトイモ等の芋だ。勿論ニンジンなどもあるが。収穫はこれからだ。その向こうには小麦の黄金が広がる。
「小麦の収穫が終われば収穫祭だべ」
レンツも同じく風にそよぐ小麦の黄金のうねりを眩しそうに見ていた。
「今年は実りも良さそうだから、忙しいべな」
「いつから刈り取りなんだ?」
「来週から始まると思っだけんど。総出でやらねっとな」
小麦の刈り取りは軍でも大仕事の一つだ。主食であるパンの原料であるから収穫量も半端ではない。普段は剣と槍を手にする屈強な男共が鎌を片手にチマチマと狩っていくのだ。
この時期は敵国でも兵士が減る。農民を動員でもしていたのだろう、故郷に帰る者が出るのだ。国としても小麦の収穫は国家の基幹だ。戦場に縛り付けておく訳にもいかないのだ。
収穫しても脱穀、石臼で挽く作業が続く。これがまた大変なのだ。
「そうだなぁ。軍でも輜重兵だけじゃ全然足りねえから新兵なんかが駆り出されて石臼を回させられてたな。アレが重くてきついんだよ」
「石臼を、牛でねくって人がまわすだか?」
「戦場に牛なんか連れて行けねえよ。なんでもかんでも人がやるんだ。自分らの食うもんは自分らでこさえる。ここと一緒だ」
リクの独白にも近い呟きにレンツは「へぇ~」と感嘆の声をあげる。普通、石臼は人ではなく牛などに挽かせたり水車や風車など歯車を使った器具で挽くものだ。当然昔は人が挽いていたのだが、文明というのもはゆっくりとだが進んでいくのだ。
「エリナ様を強引に娶ったって聞いてただけんど、なんだか違うんだな」
「色んな事情があんだよ、多分な」
リクは肩を竦める。領民にはリクの人となりは殆ど知られていない。嫌がるヴィンセントとエリナの仲を引き裂いた悪魔のような人物、としか伝わってい無いようだ。勿論リクの能力についても。
レンツも最初はビビッて離れて歩いていたが、話をしているうちにいつの間にか隣に来ていた。リクの話し方もあるし、貴族が纏うような高貴なオーラが無いからだろう。孤児出身で叩き上げの軍人であるリクにそんな物があるわけない。
「牧場っつってたけど、牛は何頭ぐらいいるんだ?」
「ミザリーにルシーダに……二十頭だな。他にブタが三十頭いるだ。馬はウエンツさんが担当だから、ウチではやってねな」
「結構いるんだな」
「たんだエリザベス達が好んで食べる草が少ねくてな。ソイツを食べたくて今日みたいに脱走すんだ。草が十分ならもっと数を増やせるんだけどもなぁ」
レンツは「困ったもんだ」と深い溜息を吐いた。美味しいものを食べたいと言う牛の気持ちも分るのだろう。彼等が満足すればきっと出す乳も旨いのだ。
「草、ねぇ」
リクは逞しい腕を組み、考える。草が十分なら牛が増やせる。ということは牛乳もチーズもバターも増える。肉も増えるだろう。バターが多くなれば料理のレパートリーも増える。バターで炒めたニンジンの甘みはリクも好きだ。ホウレンソウを混ぜればそれだけでおかずになる。
だがどうしてか、リクの頭には笑顔のカレンが美味しいそうにそのニンジンのバターソテーを食べている映像が浮かぶ。美味しそうに食べてくれれば食べさせたいと思うのは当たり前だろう。
牛が増える事はリクにとって良いことだらけだ。リクの不足気味の脳みそでは悪い事など思いつかない。
「よし。ちょっとやってみるか」
脳裏に浮かんだカレンの笑顔が決定打となったわけではなかろうが、リクはそう決意する。逃げた牛を探すと言う目的からずれてしまった事には気がついていないリクは、隣を歩いているレンツがドン引きする程の笑みを浮かべた。
ネコリンゴとはウサギリンゴの耳が小さいものを指す。
造語です。