第二十六話 目が覚めるぜ
数話ぶりにたわわさんです。
ここで作者的には第二部終了です。
「ふんふ~ん♪」
朝焼けの紅い光がカーテンの隙間から差し込み始めた部屋で、生地の薄い寝間着姿のカレンは上機嫌な鼻歌を部屋に響かせながらピンクのチューリップを眺めていた。ニブラを出発するときにリクから貰ったあのチューリップだ。
小さな袋から取り出されたピンクのチューリップは、煉瓦色の可愛らしい鉢に移されている。よく日に当たるようにと窓枠に置かれた鉢は、必要最低限しか調度品がないカレンの部屋をぽっと明るくするアクセントになっていた。
秋の涼しさに萎れることなく咲くピンクのチューリップは、カレンによって大事にお世話されているのだ。
「やっぱ、チューリップよねぇ~。可愛い~って、あ、水あげなきゃ!」
微笑みをハッとした表情に変えたカレンが空の水差しを持ち、パタパタと部屋を出て行った。
そんな元気なカレンと時を同じくしてリクも一日の活動を開始していた。日の出とともに起き、食事の準備を始める。戦場での生活スタイルは、ここリジイラでも変わらない。お世話するのが兵士達から屋敷の女性三人に変わっただけだ。
「ふわぁ……今日もいい天気だ」
山の向こうが朝焼けに染まり、白い峰々の稜線を赤く染め上げる中、リクは大きく伸びをする。
「今日はパンドラ爺さんにヴィンセントもいるんだよな。何にするかなぁ」
リクは朝食のメニューを考え始め、母屋を見る。
昨晩は大分遅い時間までエリナの部屋の明かりが消える事が無かった。大方ヴィンセントと時間を忘れるくらい二人の世界にどっぷりと浸かっていたのだろう。エリナはまだ未成年だからヴィンセントが手を出すとは考えにくいが、婚約していたのだから何があってもおかしくは無い。現在の表向きの婚約者はリクではあるのだが。
それに今日はヴィンセントに相談もあった。昨日問題になった金の件だ。
薬と買うためという名目ではあるが、何らかの手段で金を稼げるようにしておいた方が良いのは明白だ。いつ何時必要になるか分かったものではない。
一応リクにも方策はあった。昨晩ユーパンドラと話し合った結果ではあるのだが。
ちなみにユーパンドラは母屋に寝泊まりすることになった。マーシャの治療もあるが、六十歳という年齢なので設備の整った母屋の方が良いからというのが理由だ。まぁ、笑顔でするすると懐に入り込んだユーパンドラの手腕もあろうが。
「体を綺麗にしておくか」
体を水で拭くべくリクは井戸に向かった。
昨晩もリクは部屋の埃と格闘していた。掴みどころのない小さいアンチクショウな奴でリクは大分苦戦している。埃をかぶった頭で調理するのはやはり避けたい。
井戸の前まで来たリクは上半身裸になり、彫刻の様な逆三角形の褐色マッチョの肉体を朝焼けに見せつけた。筋肉をぎしっと軋ませ、ガラガラと滑車を鳴らし、井戸の水が入った桶を引き上げる。
冷えた井戸水でばしゃばしゃと顔を洗い、タオルで拭く。
「くぁー、冷てぇ! 目が覚めるぜ!」
冷たい水で顔を洗えば、まだ寝ていたいと言う心の中の悪いリクも退散する。
ぷはぁっとリクが顔を上げると、真っ赤な顔で口をアワアワさせているカレンが何か言いたそうに指を差してくる姿が見えた。茜色の光が生地の薄い寝間着がカレンの体のラインをくっきりと浮かび上がらせてしまっている。たわわがたわわだった。
「よ、よぉ」
突然の目の保養にドギマギしているリクがぎこちない動きで右手を挙げて挨拶をするとカレンの肩がぷるぷると震えだす。薄い寝間着のせいか、たわわな胸もぷるぷると揺れる。
「なぁんであんたが、しかも裸でいるのよぉっ!!」
秋晴れのリジイラに朝の訪れを告げるカレンの叫び声が轟いたのだった。
「信じらんない! なんで井戸の前で裸でいるのよ!」
朝食のサラダのミニトマトにフォークを刺しながら、カレンが矛先の無い怒りのやりどころを探している。朝っぱらからリクの芸術の様なマッチョな裸体を見せつけられたからである。
「離れの片づけがまだ終わらねえんだよ。調理前に体の埃を綺麗にするのは必要なことだろう。それにズボンは履いてたろ」
朝食のデザートの桃を乗せた皿を皆に配るリクは反論する。リク的には正論なのだが、デリカシーとは無縁の軍人に、若い女性にとっての男の裸体というものの扱いを理解しろというのは無理な相談だった。
「だからって堂々としないで、こっそり体を拭きなさいよ!」
差し出された皿をぎこちなく受け取るカレンが頬を赤く染め、言い返す。瞼に焼き付いてしまったリクの裸体を消すことができないでいるのだ。
「こ、今度から気を付ける」
やはり同じようにカレンの寝間着姿をじっくりと見て脳内の保管庫に格納してしまったリクは、同じくぎこちない動きで空いた皿を回収していく。
そんな二人のやり取りを呆気に取られてみているのがヴィンセントだ。端正な顔の王子様は口を半開きにしてリクとカレンの顔を見比べていた。
「昨日一日で何があったの?」
ヴィンセントは呟くように隣に座るエリナに聞いた。
「さぁー、分かりません」
エリナはニコニコと答える。ヴィンセントはエリナの真意を測りかねているのかマーシャにちらっと顔を向ける。が、そのマーシャは大きなため息をついていた。朝っぱらから裸なんて言葉を発する娘の行動に呆れているのだろうか。
「ほほ、紅茶が旨いのう」
ユーパンドラぎ呑気に紅茶を啜っている。そんな爽やかな秋の朝であった。
ヴィンセントとエリナ、リクは屋敷の応接室の一つで対面式に席についていた。エリナは勿論ヴィンセントの隣である。こんな密室で砂糖をばら撒くのはやめてくれ、と心で思うリクだった。
「で?お話とは何でしょう?」
最初に口火を切ったのはヴィンセントだ。やや怪訝な顔でリクを窺ってくる。ヴィンセントが協力するのはあくまでもエリナの為である。内容如何では協力しないということだろう。
「あぁ、昨日あった話の延長だ。薬を備蓄しておく金を稼ぎたい」
リクはヴィンセントからの援助という形ではない、稼ぐという話を持ち掛けた。
「稼ぐ、ですか?」
「あぁ。早い話、買い取って欲しいものがあるんだ」
ヴィンセントの顔は、一体何を言ってるんだ?という表情になっている。リクはその顔を確認し、ポケットから葉巻を取り出した。リク特性のタバコの葉を使った葉巻だ。巻き方が荒っぽくなってしまっているのは、リクが巻いたからである。リクは吸えれば見かけはどうでもいいのだ。
「葉巻、ですか?」と疑問の声しか挙げていないヴィンセントは怪訝な顔を崩さない。リクを信用しているわけでは無いのだ。
「あぁ。これを煙草を嗜む貴族にばら撒くか商人にばら撒いて欲しい。味は保証する。なにせ俺が創ってるからな。葉巻の形でも良いし、刻めば煙管でもいける。軍の奴等の大半は俺の煙草を吸ってるし、売れるのは間違いねえ」
リクは指で葉巻を玩びながらにやっと笑う。前線での精神的負担を誤魔化す為にほとんどの兵士は煙草を吸っていた。だが支援物資の中に煙草などはない。全てリクが栽培し、輜重部隊で乾燥から加工までをこなしていた。全てを自己完結させるリク率いる輜重部隊ならではの物だ。
「僕に頼むのではなく、自分で売ればいいのでは? 商人を紹介しますよ?」
「いや、売るのは俺じゃダメなんだよ。俺はあくまで原料のタバコの葉を用意するから乾燥やらの加工はお願いしたい。リジイラにはタバコの葉の加工ができるほど余剰の住民なんていないしな」
「……なるほど。原料だけ売って金にしようという訳ですか。でもそれだと僕の取り分が多くなってしまいますが?」
ヴィンセントの眼つきが鋭くなった。輜重部隊の時に取引の合った商人の目に近い。リクは内心で、へぇ、と呟き、感心した。
「それでいい。目的は金を作る事でもあるが、ここに産業の基盤を作るってことでもある。出来る事からコツコツと、って奴だ。あんたがここに嫁いでくりゃ生産から加工まで一本化されるしな」
「随分と親切ですね。それはエリナの為ですか?」
エリナに取り入るためだと思ったのかヴィンセントの目が警戒してくる。端正な顔の王子様はエリナが絡むと敵意を隠さない。その様子にリクも肩を竦める。
「仲睦まじい二人への贈り物さ。他意はねえよ」
リジイラに残るつもりのないリクにとって、金儲けなど意味はない。不本意ながらも巻き込んでしまった事への、詫びなだけだ。
「いくつか見本を渡す。そいつを試作として商人経由でばら撒くもよし、知り合いの貴族に渡してみるもよし。その辺は任せる。買い手ができたらリジイラで栽培を始めよう」
リクは、話はこれで終わり、とばかりに立ち上がった。
その晩、リクは離れでユーパンドラと話をしていた。監視として来ているユーパンドラには話をしておかなければならなかったからだ。小さなテーブルを挟み、リクと蒸留酒を飲んでいるユーパンドラが向かい合う。ちなみにリクは下戸だ。
「っつーわけで、しばらくはここで大人しくしている予定だ」
「ま、今すぐことを起こせば、エリナ嬢が疑われるからの。ましてあの坊ちゃんにまで波及するかもしれん。お前にしちゃ頭が働いておるのぉ」
ユーパンドラはカッカッカと高らかに笑う。
「ちっ、うるせえな」
褒められたリクは視線を逃がしたが、直ぐに戻した。
「その左手。大分悪化してそうだな」
リクはテーブルの上に置かれたユーパンドラの左手を見た。彼の左手は微かに震えているのだ。
「もう力が入らんでな。モノを強くは掴めんようになってしまったわい」
ユーパンドラが自身の左手に視線を落とし、その顔の皺を増やし苦笑した。ユーパンドラの左手は、若い時の怪我が元で自由に動かすことができなかった。歳と共にそれは悪化し、今では力が入らなくなっていた。薬草をすり潰すことができなかったからリクにやらせていたのだ。診察はできるが薬を作ることは厳しい。
「ま、ここまで生きてこれたからの。これが最後の仕事じゃよ。あとは死んだ女房のとこへ行くだけじゃ」
ユーパンドラが寂しそうな笑顔を向けてくればリクの表情も曇る。
「……悪いな」
「あぁ、アルマダも分かっておってわしを送り込んだんじゃ。あいつも自分も悪いと思っておる。わしも公都では年寄り扱いで厄介者じゃからな。上から首にされる前に一足早い隠居じゃよ」
ユーパンドラはニコリと笑う。
「子もおらんわしには誰も待っておらんからの。この役にはうってつけじゃ」
「けっ、強がるんじゃねえよ」
ユーパンドラがかっかっかとひとしきり笑った後、不意に真顔になる。
「どこぞの商会の人間が、お前を狙っておるとの情報がある。お前の存在は金儲けにうってつけじゃからな。有力貴族に鼻薬を嗅がせて何かを企んでおるらしい。アルマダが調べておる」
ここまでしか分かっておらんがな、とユーパンドラは自嘲気味に笑う。
リクの脳裏にはニブラの街の夜の出来事が浮かぶ。あの絶対的に怪しい女がそうなのだろう。でなければよっぽどの物好きな女か。どっちにしろ妖しさ満点だ。
「もう粉かけてきたぞ」
心当たりのあるリクは、面倒なことになりそうだ、と大きく息を吐いた。
これもラッキースケベというのだろうか?
登場人物紹介が続きます。