第二十五話 治療っつーか口説いてねえか?
マーシャがいる部屋にエリナ、リク、ユーパンドラ、ヴィンセントと四人が押しかけている。ドヤドヤと入って来て驚いているのはマーシャだ。しかもヴィンセントもいて混乱に拍車をかけている。
「えっと、あの」
「パンドラ先生、この女性です。マーシャと言って屋敷に住み込みで働いてくれてるんですが、足を捻ってしまって動けないんです」
困惑の声をあげるマーシャを遮るようにエリナがユーパンドラに事情を説明している。
「ふむ。では患部を見せてもらってもよろしいですかな、マダム?」
ニコリと微笑むユーパンドラに「えぇっと」と困惑しているマーシャだが、エリナの期待の視線を受け「はい」と小声で答えた。
「では失礼して」
ユーパンドラがマーシャの足元に膝をつき、そっと寝間着の裾を捲り上げていく。恥ずかしいのかマーシャはちょっと視線を逃がした。
マーシャの右足首はやはり紫色で昨日とは変わっていない。患部の様子を見たユーパンドラが「ふむ」と小さく声を出す。
「結構悪化しておるなぁ。大分痛むでしょうが、よー我慢なさったのう」
ユーパンドラはそう労わるように声をかけ、その紫色に変色した患部にそっと触れた。
「いっ!」
「あぁすみませんなマダム。骨は折れていないようですが、捻った後に無理をして歩きましたな?」
「えぇ、歩かないとどこにも行けませんから」
「なるほどなるほど」
笑顔を絶やさずユーパンドラはマーシャの話を聞いている。この人当たりの良さが長年軍医を続けてトップにいる秘訣だろうか。リクはニコニコと診察をするユーパンドラを見ている。
「炎症が酷そうですので、炎症止めと痛み止めもですかな。リク、ニジリ草とオトギリ草を十束づつ。あとスリ器じゃな」
ユーパンドラはリクに向き、当然の様に言い放つ。
「……他には?」
納得がいかないが意味は理解したリクが眉を顰め返す。
「蒸留酒がいいのう」
「爺さん、昼間っから飲むんじゃねえ!」
カッカッカと笑うユーパンドラを放っといてリクは部屋を出て行った。
マーシャの部屋に戻ってきたリクの手には形の違う大量の二種類の草とすり鉢状のスリ器と木の棒にナイフだ。手にしている草はユーパンドラから言われたニジリ草とオトギリ草でリクが庭で創ったものだ。ちなみに両方とも薬草だ。
「ほらよ」
「おぉご苦労ご苦労」
リクが渡そうとした草とスリ器を手で押し戻したユーパンドラがにっこりと笑う。
「ついでじゃ」
ニコニコと笑顔のユーパンドラに対し、リクはちらっと彼の左手を見る。そして無言でそれらを床に置いた。
「ったく、自分でやれよな」
「老人は労わるもんじゃぞ? そう言えばお前がまだ成人する前の時に女の官舎を覗きに行ったこと思い出したわい。あー女性用の風呂も……」
「頑張らせていただきます!」
黒歴史を暴露されそうになったリクは薬草を半分に折り、ナイフで小さく切っていった。エリナとマーシャの凍えそうな視線が刺さるのを感じながら。
「良い心がけじゃ」
ユーパンドラがカッカッカと笑った。リクの過去を知るこの男に刃向かうと倍になって跳ね返ってくるとリクは確信した。この場にカレンがいなくてよかったとリクは思うのだった。
薬草をすり潰したものを布でくるみリクの怪力で強制的に濾す。エキスだけ抽出したいのだ。そのエキスを木のボールに溜め、白い布を浸し適度に絞る。
「爺さん、これくらいでいいか?」
リクが差し出した、緑色に染まってしまった布の具合を手で確かめたユーパンドラは「まぁ、よかろ」と言い、それを持ってマーシャの足元にしゃがみこむ。
「ちと冷たいが我慢の子でいるのじゃぞ」
歳も四十を超えているマーシャを子供扱いにするユーパンドラがその布を患部に当てると、マーシャがその冷たさに「ひやぁぁ」と可愛い声を出す。
「おぉすみませんな。いや、なかなかに可愛い声でもっと聞いていたいほどですな」
「いやですよ、もう、恥ずかしい」
年甲斐もなく頬を赤らめているマーシャが「あら奥様」的な手つきでユーパンドラの肩を叩いていた。すでにマーシャの信頼度はリクよりも上のようだ。そんなマーシャの様子にエリナもヴィンセントも驚きを隠せない。
「さて包帯を巻いて御終いです。今患部に当てているのは炎症を抑える薬草と一次的に痛みを感じなくさせる薬草を混ぜております。痛みが減りますが、だからと言って動き回ってはいけませんぞ?」
「あら、確かにあんまり痛くないです」
ユーパンドラは話をしながら慣れた手付きでマーシャの足首に包帯を巻いていく。マーシャも警戒心が無くなったのか気軽に話を続けている。笑顔でするするっと入り込んでくるユーパンドラの恐ろしさだ。
「大工に頼んで杖を作ってもらうといいでしょう。大分悪化してしまっておるので、完治までは一月はかかるでしょうからのう」
「そんなにかかるんですか?」
「捻っただけとバカにしてはいけませんぞ。悪化すれば歩けなくなることもあるのです。無理はいけませんぞ、マダム」
最後に包帯をピンでとめ、ユーパンドラはにっこりと笑う。
「薬草を湿らせた布は数時間でとってしまいます。貼りつけたままですとプリプリの皮膚がふやけてしまいますからの」
「いやですよ~。こんな中年のおばさんをおだてても何も出ませんよ~」
「いやいや、すべすべで羨ましいですな」
「また~」
治療をしているのだか口説いているのだか分らないユーパンドラの処置は終わった。口出しする隙も無く、エリナとヴィンセントはただただ見ている事しか出来なかった。ただしリクは別だ。
「パンドラ爺さん、薬草は創っておいた方が良いか?」
ユーパンドラを知るリクはこの状況でも変わらない。それに患部には毎日薬草のエキスを塗る必要がある。そうなればまた薬草が必要になるのだ。分っているならばどこかに創って植えておけばよい。必要な時に必要なだけ取れればいいのだから。
「そうじゃな……」
ユーパンドラはふむと考え出した。ついでに何か、とでも考えているのだろう。部屋に沈黙が訪れたことでエリナが我に返った。恐る恐るといった感じで口を開く。
「あの、治療費の事なんですけども……」
頼んだ事であるからマーシャの治療費がかかると思っているのだろうエリナの表情は暗い。リクを迎えに行く為に結構な額の金をつかってしまっていた。マーシャの捻挫が完治するまで一月もかかるのであればそれだけ金がかかるということでもある。財布の中が心もとないエリナが心配するのも尤もな事だった。
「あぁ、そんなのはこいつの食事を食わせてくれれば他はいらないですよ」
エリナの心配を察したのか、ユーパンドラはリクを指さしこう言ったのだ。そして言葉を続ける。
「もしよければじゃが、ここにいる間、簡易的な診療所でも開こうかと思うのですが、許可はいただけますかな?」
「ぜ、是非お願いします!」
リジイラに医師がいない事を知っているかのような提案にエリナは一も二も無く賛成した。
「おぉそれは助かります。リクを見張ってろと言われたはいいのですが、何せすることがありませんで。暇を持て余すくらいなら診療をしていた方がわしも落ち着きます」
顔を皺だらけにしてニコリと微笑むユーパンドラだが、懸念が無いわけでもない。
「治療のお代は結構ですが、薬を用意するとなるとちと費用が賄えませんでして……」
ユーパンドラも言いにくそうだ。今の様にリクが薬草を用意できれば問題は無いが病気で薬が必要だった場合、どこかで購入しなければならない。そんな事態にならなければいいのだが、何が起こるかなど神様でもなければ分らないのだ。
「そ、そうですよね……」
予想通りだったのだろう、エリナが暗い顔になってしまう。
リジイラにはコレといった産業がない。金を稼ぐ術は、エリナの父がなくなった時に失われてしまった。ニブラへ売りに出せるほど余裕のあるものは無い。最優先はリジイラの維持である。
「僕が出すよ」
ここまで静かにしていたヴィンセントが声を上げた。大好きなエリナの事に関しては黙っていられないのだろう。
「ヴィンセント様いけません!」
「でも!」
「ヴィンセント様のお立場が悪くなってしまいます!」
エリナが強くヴィンセントを遮る。エリナはヴィンセントの立場を考え、リクを迎えに行くときでさえ金を借りる事をしなかったのだ。同じように今の状況で金を貰ってしまうようなことはできないのだ。
「エリナの為なら僕は構わない! 好きな娘の為にだったらどんな報いも受けるよ!」
「ヴィンセント様……」
ヴィンセントはその腕の中にエリナをしまい込んだ。本日三回目の二人っきりのの世界発動である。リクは甘い空気をばら撒き砂糖を溢れだす二人を横目に、本気で金を稼ぐ術を考えないとだめだな、と思ったのだった。