第二十四話 まぁ、変人だがな
レビューをいただいたので、感謝と致しまして、ゲリラ的に更新します。
「久しぶりじゃなリク。息災にしておったか」
パンドラと呼ばれた山高帽の爺さんが懐かしいものを見るように目を細める。
「おっと、そんな場合ではないな。リク、馬車の中のわしの鞄がある。とってきてくれんかの」
リクにそう伝えるとパンドラはチカの横にしゃがみ込んだ。
「おー、ひざっこぞうがちょこっと赤いな。痛かったろう」
「だいじょうぶだよ、泣かなかったもん」
パンドラは顔に皺をよせ微笑むとチカは強がった。わんわん泣いていたのは無かったことになったらしい。
「このじいじはお医者さんでな、ちょっと擦りむいて泣いているひざを、キレイキレイにしてあげるぞい」
パンドラが、リクが馬車の中から取り出してきた黒い手提げ鞄を受け取り、がさごそと中を漁る。「じゃーん」と取り出したガラス瓶をチカの顔の前に持って行った。
「お水?」
透明な液体が揺れるガラス瓶を目にして首を可愛く傾げるチカに、パンドラが「いたーいところを洗い流す薬じゃ」とにっこりと答える。
「いたいのいやー」
「痛くないから大丈夫じゃぞい」
言うが早いかパンドラがきゅっと瓶のふたを開け、深緑の外套のポケットの中から取り出した白い布に液を含ませる。チカがその動作をじっと見ている隙に赤くなっているひざにちょいちょいとその白い布押し当てた。ちょっとだけ出血していたからか、その白い布に赤い斑点が付くが、チカはきょとんとしているだけだ。
「あれ、いたくなーい!」
「ほーれ、痛くないと言ったじゃろ?」
「言った!」
チカが目を丸くしている隙にパンドラがたくし上げていたスカートをおろした。流れる様な動作で見ていたカレンも気がつかない程で、チカが立ち上がったことで「え、あ?」と我に返っていた。
「痛くないだけでおひざは泣いておるからの。おとなしくしておるのじゃぞ?」
「はーい」
チカがちょっと背が高くなったら同じくらいになってしまいそうな程小さなパンドラが、チカの頭をくりくりと撫でている。
「あの、後ほどお礼に上がります!」
「おじいちゃんありがとー!」
パンドラに頭を下げるカレンに手を引かれ、チカはテコテコと屋敷へと歩いていく。パンドラはその二人をニコニコと笑顔で見送っていた。
「……流石に手馴れてますね」
脇で呆気にとられていたヴィンセントがパンドラに話しかけた。ヴィンセントならば医師を見る事は珍しい事ではないだろうが、その中でも腕が良いと思うほど自然な動きだったのだろう。
「まぁ、四十年も医師をやってればの。まずは挨拶といこうか」
パンドラが同じくぼけっと見ていたリクの腰を右手でバシンと叩いた。
「ほれ、さっさと案内せんか」
パンドラがカッカッカと笑った。
「ヴィ、ヴィンセント様!」
玄関から入って来た一行を階段の上から見つけたエリナがスカートを押さえつつ、いそいそと階段を下りてくる。予想外のことに驚きつつも顔は嬉しそうだ。
「エリナ。そんなに急がなくてもって、おっと」
階段を降り切って勢いがついたままのエリナが困った笑顔のヴィンセントの前に駆け寄った。それほどヒールの高いブーツではないものの止まれないエリナはそのままヴィンセントに当たってしまう。だがしかし、鍛えた王子様はエリナをがしっと抱き留め腕の中に囲ってしまうのだ。そして捕まえた獲物は逃がさない。
「そんな勢いで転んだら怪我をしてしまうよ。エリナが怪我しちゃったら僕は泣いちゃうよ?」
「えっと、あの、はしたないところを……申し訳ありません」
苦笑するヴィンセントに至近距離から見つめられ、エリナが赤くなって俯いてしまう。
「エリナが飛び込んだ先が僕でよかったよ」
などと呟きながらヴィンセントはエリナを抱きしめ、リクが食事を食べさせてから劇的に艶やかになった彼女の金色の髪に頬摺りをしている。
「ヴィンセント様……」
エリナはヴィンセントの胸に顔を埋めひしっと抱き合い、甘い空気を無遠慮にばら撒く。そんな二人だけの世界から取り残されたリクとパンドラが呆れた顔で見合った。
「あー、その、砂糖をばら撒くのは結構なんだが……」
「目のやりばに困るのう」
困り果てた二人の声にハッと我に返ったハニーなカップルがバッと体を離した。
パンドラを応接室の一つに案内し、エリナ、ヴィンセントは隣り合ってソファに、パンドラは肘掛け付の椅子に座り向かい合った。
紅茶を用意したのはリクだ。カレンは子供たちに勉強を教え、マーシャは怪我で自由に歩けない。茶を用意できるのはリクくらいなものだった。
「初めまして、エリナ・ファコム辺境伯様。わしは公国軍で軍医をやっておりますユーパンドラ・ヨークと申します。気軽にパンドラ爺さんとでも御呼びください」
姿勢を正し自己紹介したユーパンドラは深々と頭を下げた。ただエリナは突然の事に困惑気味だ。知りもしない軍医を名乗る男が、ヴィンセントが連れてきたとはいえ訪ねてきたのだ。目的も分らない状態では困惑するほかない。
「あぁ、リジイラに行きたいって昨日屋敷を訪れてきたんだ。ちょうどエリナたちが出てから数時間後だったかな。事情を聞いてね、僕も一緒に来ることにしたんだ。急でごめんね」
エリナの助けを求める視線を感じたヴィンセントが助け舟を出した。そしてエリナを安心させるように柔らかく微笑むのだ。その笑みにエリナの頬がさっとピンクに染まり、瞳もちょっと潤みがちになる。
「ヴィンセント様なら、いつでも」
「ふふ、嬉しいなぁ」
見つめ合いながら手を取り合い、またも二人の世界には行ってしまいそうなところでリクはコホンと咳をした。今日は砂糖の摂取が多すぎる。塩で中和しないといけない。
「……パンドラ爺さんは良く知ってる。俺が成人してこの能力を得て輜重師団に転属された時の上司の一人だ。変人だが腕は軍医の中ではトップだ」
「変人は余計じゃい」
「間違ったことは言ってねえ」
「減らん口は変わらんのう」
口をへの字に曲げたユーパンドラがリクを睨みあげてくる。
「俺を解剖するとか言ってたのはどこのどいつだよ」
「わしじゃ」
「……ちょっとは隠せよ」
リクは呆れて肩を落とす。
「そのはちきれんばかりの筋肉がどうやってできたのかが分れば医学の発展に繋がるかと思っての」
「それで俺が死んだら化けて出るぞ?」
「うむ、それはそれで興味深い事じゃ。幽霊とやらにはあったことがなくての。会話が可能なのかも気になるところじゃ」
「……やっぱ変人じゃねえか」
二人の会話についていけないエリナとヴィンセントは茫然としているだけだったが、その手はしっかりと握り合っていた。
「というわけでじゃな、わしはこいつの監視に来たんじゃ」
気を取り直して発言したユーパンドラにリクとエリナの視線が交差する。予想通り監視の目が付いたわけだ。予想外なのはリクの良く知っている人物だった事だが。
険しくなったエリナの表情に気がついたユーパンドラはふっと微笑む。
「あー、本来なら憲兵一個中隊を寄越すはずだったんじゃが、アルマダが握りつぶして代わりにわしになったんじゃ」
「大佐が?」
またも予想外の名前が出たことで、リクは怪訝な顔でユーパンドラに問う。
「憲兵なんぞ送ったらお前に皆殺しにされるだけじゃ」
「まぁな。いけすかねえ憲兵達が来てたら土に埋めてたな」
「じゃろ? ま、アルマダとしても事の顛末は分っておるからの。肩書で出来る限りの事をしたんじゃろて」
ユーパンドラの言葉にリクは黙ってしまう。止める事のできなかったアルマダが、せめてもという事で監視の目をユーパンドラにしたのだろうと思うと、胸に来るものがあるのだ。アルマダは、親のいないリクにとって頼れる親代わりでもあった。
実際アルマダの行動は、軍の上層部の意向に反する彼の立場も危うくするものだ。それでも行動を起こしてくれたことには感謝しきれない。
「と言う訳で、暫くの間厄介になりたい」
深々と頭を下げるユーパンドラに対し、それまで怪訝な顔で会話を聞いていたエリナがハッと表情を変える。
「あ、あの、お医者様なんですよね! それなら見て欲しい人がいるんです!」
エリナがパンと手を叩いた。