第二十二話 そっちがいいに決まってる
「……何しに来たんだよ」
リクは顔だけカレンに向け、皿を洗い続けている。カレンは入浴中のエリナの世話をしているはずだった。マーシャがしばらく体を拭くことで精いっぱいだったと聞いて一緒に入っている様だ。ちなみに風呂自体は井戸から距の離の都合もあり、厨房の近くにある。薪でお湯を作るのでかまどは外にあり、お湯を作ったのはリクだ。さっきからお湯の流れる音が浴室上の窓から聞こえてくる。
「な、なにって、それよりもこの気持ち悪いツタは何よ!」
頬を引きつらせたカレンがブーツに絡まったまま、みょんと二枚の葉っぱを揺らすツタを指差す。
「あぁ、護身用の罠だ。声かけてくれりゃよかったのに黙って後ろにまわるからだ」
「いいいいからコレ取ってよ!」
カレンが必死な形相で訴えたためにリクはパチンと指を鳴らしツタを解いた。そのツタは地面に吸い込まれるようにしゅるっと消える。
「あぁ、怖かった……」
涙目のカレンがぐすんと鼻をすすった。
まだリクの片づけは終わらない。洗い物は終わったが厨房の片づけが残っている。用事があるであろうカレンの為にトウモロコシを生やして十本ほど収穫し、そのうちの一本を渡した。トウモロコシは通常茹でるか焼くか蒸すかだが、生でも食べられる品種もあるのだ。リクは片付けをしながら、ぐずっていたカレンは椅子に座りトウモロコシをぽりぽりと食べながら、話を始めた。
「さっきは何であんなにつっけんどんだったの? お母さんはきちんと話をすればちゃんとわかってくれると思うよ」
「なんだよ、そんなことかよ」
リクは洗った皿を拭きながらふぅと小さく息を吐く。
「そんな事って、お嬢様も心配してるんだから!」
カレンはトウモロコシを齧りつつもぷりぷりと声を上げる。普通であれば品の無い行為だがリクの前だとそれもどこかに吹き飛んでしまう様だ。
「あのな、基本的に嬢ちゃんは無理矢理婚約をさせられたってことで公都に行った。何も知らなきゃ俺を親の仇の如く憎むだろ。マーシャさんの反応は正しいんだよ」
「でも説明すれば!」
「説明したってお嬢ちゃんが騙されてるって考える事も出来るし、それが普通だと思うぞ。俺の顔がこれってのもデカイと思うがな」
「でも……」
リクの話にカレンがトウモロコシをかぷっと齧って黙ってしまう。ただもくもくと口は動いている。その様子がリスみたいに見えてしまったリクはぷっと吹きだした。
「なによ、人が心配してあげてるのに! 失礼しちゃうわ!」
カレンがぷいっと横を向いてしまい、そしてトウモロコシも横を向いた。カレンの食いしん坊な様子にリクの頬が緩む。
「あぁ、悪いな。まぁ、確かに話をすれば理解してくれるとは思うけど、今のまま勘違いして貰ってた方が都合が良かったりもするんだよ」
横を向いてトウモロコシを齧っているカレンの紅の瞳だけがリクを見てくる。むくむくと動く口から「なんでよ」と声が漏れてきた。
「多分だが、リジイラに俺を監視する目が入るはずだ。ヴィンセントが公都にまで出向いて抗議したんだ、嬢ちゃんが嫌がってるって情報は広まってるだろ。そいつの前で嬢ちゃんがニコニコしてたらコラおかしいと思われちまうんじゃないか?」
トウモロコシを半分ほど芯にしたカレンがコクンと頷く。トウモロコシに魔法でもかけられたのか、カレンの口からトウモロコシが離れない。リスの様に黙々とトウモロコシをほうばるカレンの様子にリクは「まったく」と愚痴るものの微笑ましく見ていた。リク自身気がついてはいないが、カレンの仕草に癒されているのだ。
「つーことでだ、せめて領民の前では俺を嫌っている演技でもした方が良いと思うんだ」
リクは拭き終わった皿を食器棚に戻している。皿も数は少ないが銀製だったりとリクがまずお目にかかれないような質の良さそうなものが多い。その辺りは辺境伯と言えど貴族なのだと思わせる。
カレンは黙ってもぐもぐしていたが、ごくっと飲みこみ口をひらく。
「それって、リクが損するだけじゃない」
「いずれ俺はいなくなるんだから、それまでの辛抱だろ。長くても二年。嬢ちゃんが成人するまでには消えるよ」
リクはカレンを見る事無く作業を続ける。皿の次は鍋だ。鍋をガチャガチャと重ねてしまい込んでいく。
「戦場にいた十年に比べりゃ、短いもんさ」
「いなくなる……」
カレンが呆けた顔になるのをリクはちらっと横目で見た。
「俺がここにいちゃ嬢ちゃんとヴィンセントは結婚できねえだろ?」
「そ、そりゃそうだけど」
「お前、昨晩ナイフで俺を刺そうとしたろよ。忘れたのか?」
カレンは自分のやらかしたことをすっかり忘れてしまっていたのか、リクに指摘されて気まずそうな顔になった。
「……ごめん」
「さっきマーシャさんにも刺されそうになったみたいにな、俺が死ぬかしないとこの話は収まんねえんだよ」
リクが生きている以上この婚約は成立し続ける。なかった事にするにはリクが邪魔だ。行方不明になったら捜索されるだろう。リクが万が一国外にでも行ってしまえば公国の損害であるだけでなく脅威ともなりかねない。エリナは疑われ、リクを管理しきれなかったとして罰せられる可能性が高い。というか、誰もとりたくない責任を取らされるだろう。
リクが逃げても追手の影に脅かされ、安寧は得られない。国内にとどまるにしても大手を振って街を歩けるようにはならないだろう。結局はひっそりと隠れて暮らさなければならない。リクの頭でもここまでは考え付いたが、これを回避する良い手が思いつかないのだ。
「……リクはそれでいいの?」
カレンが力なく聞いてくる。さっき言った様に心配してくれているのだろう。
「他に手がありゃそっちがいいに決まってる」
「そ、そうだよね……」
ため息交じりに答えたリクにしりすぼみになってしまうカレン。実際のところリクは仕方が無いと思っている。今の状況を良いなどとは思っていない。だがこのどうしようもない状況が現実だ。現実を受け入れる派のリクは、とりあえず今の状況を認めているだけだ。
それにエリナもカレンも自分よりも大分年下というのもある。特にエリナはまだ未成年だ。ここは大人がイヤな役目を引き受けなければとの思いもあった。
どのみち帰るべき家も故郷も無い。待っている家族もいない。消去法でいけば一番無くすものが少ないのがリクなのだ。必然的に犠牲が少ない選択を選ぶことになる。
その事だって、リクには分かっている。嫌だという思いは現実にはもみ消されてしまうことも、分かっている。残る者は未来ある者であるべきだ。
「ちょっとカレーン!」
風呂場からマーシャの呼ぶ声が聞こえる。エリナが風呂から出るのだろう。マーシャは足をけがしていて満足に動けないからカレンがエリナの風呂上がりの世話をするのだ。
「おい、呼んでるみたいだぞ?」
「あっと行かなきゃ。リク、覗いちゃだめだからね!」
呼ばれたカレンが立ち上がり、手に持ったトウモロコシを差し向けてリクに釘をさしてくる。
「嬢ちゃんのペタンコな身体を見ても面白くねえだろ。どうせ見るならお前みたいにたわわに実ってる方が良い」
「な、なに言ってんのよ、このスケベ親父!」
リクが冗談交じりにニヤっと笑うと顔を赤くしたカレンが罵声と共に手に持ったトウモロコシを投げつけてくる。リクは「おっと」と言い、投げつけられたトウモロコシをうまくキャッチした。
「ふんだっ!」
ぷいっと顔を背けドスドスと音が見えるような歩き方のカレンが厨房から出て行った。リクは投げつけられた食べかけのトウモロコシをじっと見る。
「……心配してくれんのに悪いな」
リクは厨房から外に出た。涼しい風がリクの体を通り抜けていくな感覚に襲われる。薄ボケた月明りに照らされた夜空には雲が目立っており、秋晴れとはいかない様だ。リクが月を見上げると、ぼんやりと照らしていた黄色い欠けた月は雲に隠されてしまった。リクは口をへの字に曲げる。
「別にお月さまは嫌ってくれなくてもいーんだけどなぁ」
リクは思わず手に持ったトウモロコシを齧った。
リク「あ……」
リクが間違ってカレンの食べ残しのトウモロコシを齧ってしまったその頃の風呂場では。
「カレン。さっき、ギャー、とか言ってなかった?」
カレンは脱衣所で鏡台の椅子に座ったエリナの髪をタオルでパタパタと挟んで水気を取っている最中に、そのエリナに問われた。鏡の向こうのエリナの瞳がカレンの様子を窺っている。
「えっと……あの、聞こえてました?」
「聞こえてたわよ。ばっちりと。あんた何しにあの男の所に行ったのよ。パクッと食べられても知らないわよ?」
椅子に座ったマーシャは流し目でカレンを見ている。マーシャの言う「食べる」の意味が分かったカレンは頬を赤くし、すっと視線を逃がした。
「ちょっと話しに行っただけよ」
カレンはエリナの髪を乾かすことに専念する振りで逃げた。実の母親にそんな事を言われるとは思わなかったからだ。確かに出逢って間もない知らないかつ強面の、かなり年上の男性に近づき過ぎているかもしれない、とカレンは思い始めた。今までのカレンは男を近づけることをしなかった。仕えるエリナがまだ未成年であり、また婚約者もいて成人すれば結婚することは間違いなく、それが終われば考えよう、と思っていたからだ。カレン自体はここリジイラではモテる。立場的なものもあるが主な理由は器量良しなことが要因だ。お淑やかで美人とくれば人気もでる。
「ふーん」
エリナの意味深な笑みを見たマーシャは怪訝な顔でカレンをのぞき込んだ。自分の立場を弁え、下手な男には靡かない娘が、こんな夜にノコノコと、よりによって主の婚約者になった男の所に行くことがマーシャには信じられなかったのだ。
「何を話しに行ったんだか」
マーシャが盛大にため息をついている。騙されてると言いたげだ。
「色々よ」
カレンはリクとの会話を思い出す。そして「なによ、心配してあげたのに」と口の中で文句を言った。