第二十話 親子は似るってホントだな
リジイラを歩く事十分。ようやくファコム辺境伯の屋敷の前に来た。エリナの説明では屋敷はリジイラの中心にあるとのことだ。ただ街自体が拡大を続けているから本当に中心なのかは分っていないらしい。
「質素だな」
リクが屋敷を見た感想だ。
高さは三階建てで高いが横はそうでもなく窓も五個くらいしかない。壁は木をむき出しにしており、ニスだかの防水防食を施しているだけだ。ただし頑丈な造りで嵐が来てもびくともしないだろう。
敷地の境を示す壁は無く、代わりにあるのは生垣だ。それも綺麗に手入れはされておらず、伸び放題な場所もある。庭には花壇らしきものはあるが、秋だと言うのに花は無い。馬車を入れるための建物と離れに二階建ての木造の建物があるだけだ。地面も小石が我が物顔で転がっている。
「豪華さは必要ないですから。これでも部屋は余ってしまってるんです」
エリナは困った顔で言い訳するが、リクはそのようなつもりで言ったのではない。カレンがキッと睨んできている気がするが、気がつかなかったことにした。
「雨風が凌げて食事がくえりゃいいんだ。帰るところがあるってのは、それだけでもありがたいもんだ」
リクはじっと屋敷を見つめていた。リクにはその帰る場所すらないのだ。帰る家があるのが羨ましくもある。
「マーシャが待ってるでしょうから、中に入りましょう」
エリナが誘導する様に、先に歩き出した。
装飾もなく重々しい玄関の扉を開けると、入ってすぐのホールは灯りもなく薄暗かった。ホールの角にある二階へいく階段には薄らと埃がたまっており、手入れが行き届いていない様子がうかがえた。主が帰って来たというのに迎えもない。物音がしない屋敷は不気味だった。
「あれ、おかしいな」
カレンが口を「む」の形にして首を捻っている。
「マーシャがいるはずですなんですが。マーシャ!」
「おかーさーん!」
エリナとカレンは大きく声を張り上げマーシャという名前を呼んでいる。カレンがおかーさんと呼んでいるので、おそらくは母親なんだろうとリクは考えた。だが呼べどもマーシャは出てこない。
「なにかあったの?」
「おかーさん?」
血相を変えたカレンが勢いよく階段を駆け上がって行く。エリナとリクも後に続いて階段を駆けあがるが、足を踏み出すたびに埃が舞い、咳を誘う。
「おかーさん、どこ!」
「おい待てって!」
紺色のお仕着せのスカートがめくれるのも気にせずカレンが廊下を駆けて行く。エリナが必死に走って続き、その後をリクが続く。
「カレンかい? あたしはここよ!」
カレンが通り過ぎた扉からか女性の細い声が聞こえる。タンタンタンと床を踏み鳴らしカレンが急転回して戻ってくる。カレンよりも先に扉についたエリナが「マーシャ!」と勢いよく開ける。バタバタと走りながらカレンが次いで入っていった。
「ちょ、待てよ!」
リクも躊躇したが「しゃーねー」と中に入った。
「おかーさん!」
「マーシャ!」
入った部屋は寝室らしく小さめの窓がある、それほど大きくない部屋だ。クローゼット、簡素な鏡台、ベッド脇に小さなテーブルという小ざっぱりさだ。
その部屋のベッドには長めの赤毛を首の後ろで纏めた中年の女性が上半身を起き上がらせた状態で寝ており、彼女にすがるようにカレンが膝をついていた。
「お嬢様、こんな格好で申し訳ありません」
「いいのよ!」
おそらくマーシャと思われるその中年の女性はすまなそうにエリナに頭を下げている。赤い髪に赤い瞳。ややぽっちゃりしているがカレンによく似た切れ長の目をしていた。間違いなくカレンの母親だろう。寝間着にカーディガンを羽織ったマーシャが立ち上がろうとしているのを、カレンとエリナに制止されている。
「マーシャどうしたの?」
「おかーさんどうしたの?」
カレンとエリナ同時に話しかけられ困惑した表情でマーシャは口を開く。
「先日階段を降りるときに足を捻ったみたいで、痛くてあまり歩けないんです」
体の向きをかえベッドに腰掛けた体勢になったマーシャが右足の足首をさすっている。どうやら足首を捻ったようだ。
「ちょうどお嬢様が公都に向かわれた次の日で……たまたま屋敷に来たウェンズさんに手伝ってもらって、なんとか食事だけはできましたが掃除をすることが出来ず、屋敷が埃だらけになってしまいました」
「掃除なんていいから。怪我はどうなの?」
エリナが床に膝をついてマーシャの足首を覗いている。紫になってしまっているところがあり、それを見たカレンとエリナが息をのんだ。
「まだ痛みがあって、歩けないことも無いのですが、何かに掴まっていないと立ってられないんです」
痛いのだろうか、マーシャは時折額に皺をよせている。
「ウェンズには後でお礼を言っておかなきゃ。それよりも医者に見せないと」
「お嬢様。今はお金がありません。私のことなら大丈夫です。時間が経てば治るでしょう」
立ち上がるエリナをマーシャが微笑みながら諌める。公都に行く為にかなりの額の金を使ったのだろう。二人で往復三週間。御者もいるし馬の世話もバカにならない。
「で、でも……」
カレンが声を詰まらせてしまった。エリナもどうしようと思案しているようだが思いつかないのか表情は重い。
「あー、ちょっといいか?」
沈黙の中、ベッドに近寄ったリクが声をかけるとマーシャがビクリと体を震わせた。どうもリクの存在に気がついていなかった様で、マーシャが目を開いて驚いているのが良く分る。
「えっと、あ、あの」
驚きで口を開けたマーシャがリクを見てくる。いきなり軍服強面褐色マッチョを見れば驚くのは仕方がない。
「……彼が、その」
エリナが言い辛そうにする様子でピンと来たのかマーシャの顔色が変わり、カレンと同じ紅い瞳でリクを睨みつけてくる。
「あ、あんたが!」
そう叫ぶマーシャは、護身用なのかテーブルの上に置いてあった短刀を手に取るとベッドから立ち上がろうとした。豹変したマーシャにエリナとカレンが同時に悲鳴を上げる。
「いたっ! ってうわぁっ!」
右足で踏ん張ろうとしたのかマーシャが顔を歪ませぐらりと体を傾けてしまう。エリナもカレンも悲鳴を上げっぱなしだ。
「ったく!」
「きゃぁっ!」
リクは素早く一歩踏み出しマーシャの右脇に左手を差し入れ、床に倒れる前に抱き留めた。痛みで手が緩んだのか、カランと乾いた音をたて短刀が床に転がる。
「間一髪ってやつだな」
マーシャの膝裏に右手を差し入れ、ぽっちゃりのマーシャを軽々と抱き上げたリクはふうと安堵の息を吐いた。短刀を持ったまま倒れると、下手をすれば自らを刺してしまうこともあるからだ。
「怪我は……なさそうだな」
リクはきょとんとしたマーシャの顔を窺い、そう呟く。まじまじとマーシャの顔を見ればカレンと似ているのが良く分る。しかもリクに対してとった行動まで一緒だった。親子で間違いと確信した。
「……ちょっと、あたしん時と対応違くない?」
マーシャをお姫様抱っこしているリクに対しカレンが不平をぶつけてくる。自分が物の様に脇に抱えられたからだろうか。赤い瞳でキッと睨みつけてくる。
「今はそんな事言ってる場合じゃねえだろ?」
「なによ!」
カレンがぷくうとほっぺを膨らませている。母親の窮地を救ったというのにご機嫌は超斜めらしい。
「……アホか」
リクはカレンを一瞥し大きなため息をつく。
「バ、バカにバカにされた!」
目をむいたカレンが声を裏返した。なかなか酷い返しだ。
「知ってるか? 喧嘩ってのは同じレベルでしか発生しないんだぞ?」
「それって、あたしがバカって事?」
腰に手を当てたカレンがリクににじり寄る、
「分ってんじゃねえか」
「な、なんですってー!」
マーシャを抱っこしたままのリクと母親が怪我をして大変だと言うことが頭からすっぽりと抜け落ちてしまったカレンが言い合いを始めた。
逞しい腕に抱きかかえられたマーシャは恥ずかしいのか頬を赤くしながら仇敵の如く考えていたリクの顔とぷりぷりと怒っている娘のカレンの顔を見比べ不思議な顔をしている。同じく怒っているはずの自分の娘だが、怒っている方向が全く見当違いだったのだ。何が何だかわからないのだろう。
「す、すとーっぷ! 二人とも、おちついてくださーい!」
たまらずエリナが二人の間に割って入り大声を上げた。