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野菜将軍と赤いトマト  作者: 海水
第一部
2/89

第二話 麦畑は戦場を思い出す

 アルマダの言葉にきっかり五秒停止したリクだが、目の前のエリナの頬を一筋の涙が落ちたことで我に返った。


「ちょ、待て大佐!」


 リクはアルマダに振り返りその胸倉を掴んだ。背はリクの方が高いために胸倉を掴んでも見下ろしている。


「なぁ、俺、上司」

「うるせぇ! 何が何だか訳わかんねえからきっちり説明しやがれ!」


 すっとぼけようとするアルマダにリクは食って掛かる。

 エリナの反応はまともとは言えない。明らかに嫌がっている。我慢して笑顔であろうとするのがありありと分かるのだ。

 背後のカレンがエリナにそっとハンカチを渡すのも目に入った。頭の出来はイマイチなリクの思考では明確な回答が導き出せないでいる。


「だって、命令だもんよ。ここに命令書もあるべさ」


 アルマダは苦しそうにしながらも上着のポケットから折りたたまれた紙を取り出し、ブンブンと振った。


「訛ってんじゃねぇ!」

「だって俺田舎もんだもんね」

「公都生まれが何言ってやがる!」


 アルマダは頑として答えようとはしない。まるで緘口令(かんこうれい)でも敷かれているかのようだ。

 とぼけ続けるアルマダにリクは怒りを覚えるが、ここまで理由を言わないということがどういうことかは分かっていた。相当上からの命令で逆らうなど考えられないということだった。

 リクは、涙をいっぱいに溜めながらも健気に微笑み続けるエリナをチラッと見た。どうやら彼女は事情を知っている様だとリクは理解した。そしてそれを嫌がっていても断れない何かがあることも。

 エリナの身なりから推測すれば、貴族と言っても上位とは思えない。下位の貴族が権力にものを言わされて嫌がっているに違いない、と予想した。頭の悪いリクでもそれくらいは考え付いた。

 軍人たるリクも同様だった。命令とあらば死地と分かっていても突撃しなければならない時もあるのだ。リクはゆっくりとアルマダの胸元から手を戻した。


「ふぅ、女の子だったら喜んで襲われるけど、お前じゃ嫌だ」


 アルマダは右手で胸を叩きながら大きく息を吐いた。


「俺にその毛はねえ」

「だってお前に浮いた話ってなかったろ? 疑われても仕方ないぞ?」

「戦争の最前線にロマンスなんか落ちてねえだろが!」

「まぁ、あってもその顔じゃ無理か」

「悪かったな悪人顔で!」


 リクの頭からは湯気が出そうだ。そしてリクはすっかりアルマダのペースにハマってしまって、頭の中からすっぽりとこの話が抜け落ちてしまっていた。





「ということでファコム辺境伯。こいつをよろしくお願いします。なお、返品は受け付けておりませぬ故、なんとか使い切ってください。煮るなり焼くなりお好きなように扱ってもらって結構です」


 アルマダがソファに座り直したエリナに深々と頭を下げた。返品不可とか使い切れとか煮るなり焼くなりとか、なかなか酷い扱いだ。リクはアルマダを睨み、俺は消耗品じゃねえ、と心で毒づく。

 さっきからずっと涙を零しそうな顔をしたエリナが悲しそうな顔で微笑んだ。成人もしていない少女にこんな顔をさせているのは、命令ではあるが自分なのだと思うと、リクはいたたまれなくなる。

 悪いのはリクではないが、エリナの背後にいるカレンがずっと睨んでくる。親の仇どころではなく、絶対悪、というような目で見てくるのだ。彼女も腹に据えかねているのだろう。何も聞かされていないリクは、ただ気が重くなるばかりだ。


「が、頑張りますので、よろしくお願いいたします」


 エリナがぺこりと頭を下げると、目に溜まっていた涙もポトリと落ちる。消えてしまいそうな涙声でそう言われても、リクは困り果てるだけだ。


「よし、早速で悪いが、ファコム辺境伯領へ行ってくれ。馬車は用意してある。おまえの荷物はたいしてないだろう? 途中の街で宿泊しながらだと一週間ってとこだな。急ぐと馬もばバテるから、程々で行けな。あぁ、そうだ。ファコム辺境伯領は背後に山岳地帯があって結構寒いところだ。防寒着も忘れるなよ。途中盗賊が出るかもしれんがお前がいれば大丈夫だろう。その顔で追い払え。ははは!」


 矢継ぎ早にまくし立てるアルマダに、気落ちしたリクは言葉を挟むことができず、茫然と立ち尽くしていた。そして物事は勝手に進んでいったのだ。





 結局リクはアルマダに押し切られ、馬車に詰め込まれ、昼過ぎに公都を出発した。

 二頭立ての頑丈そうな馬車にはリクとエリナとカレンが乗っており、後は御者しかいない。御者はエリナの使用人であり、リクは敵地に一人きりという状況だ。

 向かいに座るエリナは笑顔こそ絶やさないが涙も絶やすことがなく、侍女のカレンはエリナの世話をしながらもリクを睨んで来ることを止めていない。会話もなく静かな空気が居心地悪く感じるリクは頬杖をつき、ずっと窓の外の景色を眺めていた。

 公都を出てすぐ人気(ひとけ)はなくなり、辺りには一面の麦畑が広がっている。

 ヴェラストラ公国はマーフェル連邦十か国に属しており、支配者はヨハン・ヴェラストラ大公だ。おもな産業は農業であり、マーフェル連邦の穀倉地帯として一定の地位を築いている。

 綺麗な五角形の国土で、丁度中心にあたる位置に公都デルタがある。五角形の頂点にはそれぞれ中心都市があり、そこと公都は幹線道路で結ばれているのだ。馬車はファコム辺境伯領の隣にある中心都市ニブラに向かっている。ニブラまで幹線道路で行き、経由してファコム辺境伯領へ入る予定だ。


「あぁ、もうそんな時期か」


 一面に広がる黄金色の穂が今年は豊作だと教えてくれている。地平線まで続く麦の海は、日の光を反射して、風にそよぐ波を作っていた。収穫すればもう冬の入り口だ。空を飛ぶ鳥もじきに冬支度に入るだろう。

 眼の前には久しぶりに見た平和があった。陰惨な戦場ではない、平穏な景色。戦地でも自らの能力で無限に広がると思えるほどの麦の穂の海を眺めていたが、落ち着いた気分で見ていた事は無かった。出撃する戦友達はどれくらい戻って来れるのだろうか。そんな事しか頭に浮かばなかったのだ。

 輜重大隊を率いていたリクは直接戦場に出る事は無かった。戦線を維持するためにあらゆる戦場の後方を走り回っていたのだ。知り合って仲良くなった戦友も、次々といなくなっていく。そんな擦り切れそうな空気の中で、十年生きてきた。公国軍が優位である事は間違いないのだが、未だ戦争は終わっていない。皆は生きているだろうか。リクはぼんやりとそんな事を考えていた。


「……ここは収穫が期待できそうですね」


 思考に沈むリクの意識を戻すように、エリナがぽつりと囁く程の呟きを発した。


「領地でもこれだけ取れれば……」


 カレンもエリナに続き呟く。リクが視線だけを向ければ、二人は微笑んではいるが、どこか羨ましそうな顔で、窓の外に広がる景色を眺めているのが目に入る。

 ファコム辺境伯領は公都から北東の位置にあり、リクがいた南部の隣国との国境付近とは真逆だった。北に向かうから気候も少し違うのだろうか。そんな事をリクは考えた。そうでもないと、二人の表情がああも愁いを帯びたようになるとは思えないのだ。

 寒ければ植物の栽培も限界がある。エリナの痩せ具合は、その辺りも関係しているのでは、などとリクは無い頭を絞って推理をしていた。

 リクの視線に気が付いたのか、カレンがキッと睨んでくる。細まった紅玉の瞳は説明できない迫力がある。彼女の赤い瞳は勝気な顔と相まってよく似合っているのだが、いかんせん敵意が漏れすぎていた。


「何か御用ですか?」


 口調こそ丁寧だが不機嫌さまでは隠せていなかった。


「……いや、別に」


 リクはそう答えると、また窓の外に視線を移した。理由も教えてもらえず、向けられるのは悲しみの顔と敵意の視線。戦場にいるよりも、精神的に疲れているリクであった。

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