第十八話 話し合いはレモンの味
たわわさんのイラストをいただいたお礼の一環で明日の分を繰り上げ更新致します。明日は明日で更新致します。
ひゃっほーい!
リクが力をこめると肩と背中の筋肉がぐわっと盛り上がり、腕まくりをすれば褐色の肌に隠された暴れん坊な筋肉がビクリと荒っぽい挨拶をしてくる。
リクの提案する話し合いとは万国共通の肉体言語を使った、極々紳士的な話し合いである。簡単な事だ。話し合いをして誰が一番なのかで結論が出る、どこにも疑いようの無い、公正な話し合いだ。
「けっ、そんな見せかけの贅肉で何ができる」
オルテガは裾に手をやり一気に服を脱いだ。半そでの丸首シャツからは引き締まった筋肉が複雑に刻まれた見事な腕が覗き、そのシャツは分厚い胸筋に盛り上げられていた。暑苦しいマッチョがお互いの筋肉を自慢し合うと言う誰得な光景だった。
「俺はリジイラ自警団長のオルテガだ。お嬢様に似合うお方はヴィンセント様以外いねえんだ。まずは俺に話を通しな」
親指で自らの胸を刺し、自信たっぷりの笑みを返してくるオルテガに対し、リクはズボンのポケットに手を突っ込み歩み出す。途端にオルテガの眉間に皺が寄り、額には青筋が走る。馬鹿にされたオルテガの怒りようにカレンも「ちょっと、やめなさいよ」と声を張り上げた。だがヒートアップした筋肉バカは止まらないのだ。久しぶりの高揚感に包まれたリクは笑顔を止められない。
渋い面をしたオルテガと嬉しそうな顔で近づくリクは既に手の届く距離で睨み合っている。
「いつでも良いぜ」
「……その余裕、何時まで続くかな!」
余裕なリクに対してオルテガはこらえきれないのか右手を振りかぶった。オルテガはそのまま握りしめた拳を大きく突き出してきた。渾身の力で振られた避けやすいはずのパンチを、リクは避けない。ポケットに手を入れたままオルテガの拳を頬で受ける。ゴキっと骨の当たる音がしてリクの顔が横を向くが、体勢は崩れない。胸鎖乳突と大腿四頭筋、下腿三頭筋で踏ん張り、そのままオルテガの一撃を受けきる。拳を頬に当てたままニヤリとするリクにオルテガの表情が変わる。
「さてテストをしてやろう」
リクが背筋を軋ませオルテガの拳を押し返し、正面を向く。そして右手をポケットから出し「ありえねえ」と慄きの表情を浮かべるオルテガの顎に平手打ちを食らわせた。スパーンと空気を裂く音と共に白目を剥いたオルテガは膝から崩れドサリと地面に横たわる。
「ぐぅ……」
ふさふさの髭を地面に擦り付けて唸るオルテガを見下ろしたリクは「新兵でも最初の一発は耐えるもんだぞ」と吐き捨てる。そして残る男達へを視線を変え黒い笑顔を向けた。
「さぁ、公平で楽しい話し合いをしようぜ!」
厳つい顔に乗せた黒い笑顔の迫力に短い悲鳴を上げている男たちに向かい、リクは足を進めた。
「なんだよ、口もほどにもねえ」
オルテガの一発で頬を赤く膨らませたリクが、屍の様に地面に横たわり呻き声をあげる男たちのど真ん中に立ち尽くしていた。男達は十人いたが、リクはものの数分で全て地面に沈めた。リクの平手の一撃を顎に受け、気を失って倒れているのだ。だがリクも無事ではない。着古した軍服は男達に掴まれた衝撃でびりびりに破れ、褐色の上半身はほぼ丸見えとなってしまっていた。エリナは顔を手で覆い俯きリクの裸を見ないようにしているが、カレンは同じように手で顔を覆っているが指の隙間からこそっり覗いていた。その証拠にカレンの耳はその赤髪の様に染まっているのだ。
結婚前の貴族の若い娘が男の裸を見る事はまずない。あっても夫となる婚約者くらいの物だろう。これもでも稀なパターンだった。
「あああの、リクさん、服を着てください!」
恥ずかしいのか、エリナが顔を手で覆ったまま下を向いて叫んでいる。周りにいる既婚者と思われる中年の女性は逆にウットリとリクの彫り込まれたかのような芸術的な筋肉に魅入っていた。自分の旦那の肉体と比較しているのかもしれない。良からぬ妄想でもしたのか、慌てて顔を振る女性もいる。
「早く服を着なさいよ!」
しゃがみ込み女の子二人の目を手で隠しつつ真っ赤な顔になりながらも自分はしっかりとリクの肉体を見ているカレンが続いて叫んだ。
「なんなんだよ……」
渋々リクは馬車に戻り荷物から替えの軍服を取り出す。女日照りの軍育ちのリクには理解できない反応なのだ。マッチョでムサイ男の集団で貴族令嬢など高嶺の花でしかない環境にいたのだ。文化の差は埋めがたい。
「まずったな、もう替えがねえ」
リクは舌打ちをした。替えもこの一着しかなくなってしまった。支給される軍服に予備など無く、必要最低限しか持っていないのだ。前線にしかいなかったリクには普段着など必要なかったこともある。着た切雀になるのは仕方がないが、替えは考えようと思うリクではあった。
着替えたとはいえやっぱり着古した軍服のリクが倒れている男達の元に戻った。その手とポケットにはレモンが用意されて。
「さっさと起きねえと、起こしてやるぞ」
リクはニヤリと口角を上げた。
「ごほっ!」
「がへっ!」
転がっている男共が咽った悲鳴を集まった野次馬に聞かせている。リクがナイフで半分に切ったレモンをだらしなく開けた口に絞って差し上げているのだ。搾りたてのレモンの瑞々しくも酸っぱい飲み口に喉をやられて男達は地面を転がっていた。
「あの、リクさん?」
眼の前の惨状にエリナが恐る恐る声をかけてくる。満面の笑みでレモンを配給するリクに慄いているのだがそれは正常な反応だ。おかしいのは嬉々として黒い笑顔で目覚めのレモンをおもてなしするリクなのだから。
「往来で寝てたら邪魔だろ?」
「え、そ、そう、です、ね……」
リクは嬉しそうに悪魔の笑みを零す。その邪魔な物体を作ったのが自分であるのを棚にあげ、さも親切心で言っているかのように振る舞う確信的なリクにエリナも頬を引きつらせる。
「ほら起きてくださーい」
低い声の天使が悪魔のようなレモン汁を口に含ませて回る光景は、後々まで語り継がれる事だろう。きっと、言う事を聞かない子供には、悪魔が来てレモンを飲ますぞ、くらいの脅し文句には使われそうな程、異様な光景だった。
「うわ、ひっど……」
流石にカレンも頬を引きつらせドン引きであった。
「こーゆーのはな、最初が肝心なんだよ。舐められる前にガツンと一発食らわせるんだ」
最後の一人の生贄にレモンを配り終えたリクは爽やかな表情で腕で額を拭った。
「あんた、こんなことして知らないわよ? オルテガ達ってリジイラの自警団なんだから」
「んなもん返り討ちにしてやるだけだ。そもそも束になっても俺に勝てない様じゃなぁ」
カレンが呆れているがリクは涼しい顔だ。リクは味方の裏切りで百人を相手にしたこともある。素手の十人など物の数ではない。しかも能力を使っていないのだ。
「……確かにね。あんた一人の方が強いかも」
「怖いおじさんつよいー?」
「おじさん熊よりつよいー?」
カレンにしがみ付いている女の子二人におじさんと言われ、少し躊躇したが「熊よりも強いかもな」と答えた。
「ちっ。手加減してやったんだよ。だがな、エリナ様の相手はヴィンセント様以外あり得ねえんだ! よっく覚えとけ!」
いつの間にか起き上がりレモンを片手に持ったオルテガが吠える。負け犬のなんとやらだが、エリナの事だけは譲れないようだ。
「えっと……」
エリナがちらっと視線を送って来るので、リクは小さく首を横に振った。言いたい事は分るが、今ばらしてしまうと公都にその情報がいってしまう恐れもあった。監視の目が既にリジイラに入っているかもしれないのだ。事は慎重に運ばねばならない。
「だ、大丈夫です!」
エリナは集まってしまった野次馬に対し、声を張り上げた。何が大丈夫なのかは言えないが、ともなくエリナが宣言することが大事だった。
エリナの言葉にオルテガは目を丸くし、起き上がってきた男達も一様に驚きの顔をする。
「大丈夫です」
エリナはオルテガと男達に向かって小さく頷いた。オルテガも男達も、黙ってエリナを見返すしかなかった。