第十七話 カレンが……だと?
窓から身を乗り出したリクが見ているのは、粗末な柵に囲まれたリジイラだ。街と呼ぶには規模が小さいが村というにはやや大きい。そんな規模だ。
木の風味を生かしたと言えばカッコイイが塗装もしていない、そっけない屋根が畑の合間に見え隠れする。道はただ踏み固めただけで雨が降れば沼地にでもなってしまいそうだ。
「思った以上に、田舎だな」
窮屈そうに馬車の中に体を入れたリクが呟いた。昨日いたニブラとは比べるべくもない。当然のことだが、人口が違い過ぎる。リジイラは五百人に届かない程度の人口しかいないのだ。
「えぇ、辺境ですから」
エリナはにっこりと微笑んだ。父親、祖父、祖祖父が苦労して切り拓いてきた大事な土地だ。酷い言われようではあったが、エリナは怒りもしなかった。
「でも、これから発展するんです」
エリナは笑顔で言い切った。これより悪くなる事は無い。発展していくだけなのだ。これからも森を切り拓き、耕し、農地に変えていく。祖祖父の代からそうやって生きてきたのだ。不便であるかもしれないが、新しい新天地を信じて。だからこそ、エリナは笑顔なのだ。
「そうよ、ここリジイラには未来が詰まってるの。いいところでしょ?」
カレンも同様だった。ただしエリナと違いそのほっぺは膨らんでいるが。リクはつくづくカレンは正直だと思った。そこが良い所であるとも。
「悪かった……いいところだな」
リクは窓からもう一度リジイラを見て、そう言った。
「すぐにいいところも分ります」
エリナの顔は自信に溢れた笑顔だ。エリナは領主たる、まさに強い女の子だった。
門などなく訪れる人をチェックする様な兵隊もいないリジイラの入り口を、馬車がゆっくり通過する。出迎えたのは門の代わりなのか太い柱に「リジイラへようこそ」と書いてある看板だけである。
「あ、馬車を止めて下さい!」
エリナが御者に対し大きな声を張り上げる。リクは何をするつもりだ?とエリナを見た。そのエリナは手櫛でささっと髪を撫でると馬車の扉を空け、ぴょんと降りてしまった。あっけにとられているうちにカレンも続いてしまう。
「あ、エリナ様!」
「おかえりなさい!」
エリナを見つけたからか、どこからともなく人が集まってくる。人々の格好は同じような襟のないシャツを着ているが色は様々だ。原料なのか麻の色そのものが多いが偶に赤やら紫の服を着ている人もいる。
リクも仕方なしに後を追って馬車を下りた。
「カレンせんせー!」
「おかえりなさーい」
近くの建物の陰から長めの亜麻色の髪を三つ編みにしている小さな女の子二人が叫びながら懸命に駆けてくる。その三つ編みを揺らしながら二人の女の子はカレンに突撃した。
「はい、ただいまー」
笑顔のカレンはよろけながらもその突進を受け止めた。カレンの腰に抱き付いている女の子の頭をなでなでしながら「良い子にしてましたかー?」と聞くと「良い子にしてたよー」と二人は声を揃えて答えている。
「せん……せい?」
そんな微笑ましい景色にリクが呟いた。あの口の悪いカレンが先生と呼ばれたという事実に、思わず口が滑ったのである。耳ざとく聞いたカレンが「そう、あたしは先生なんです」とお淑やかに答える。
「マジかよ」
リクが口を開けて間抜けな顔を晒していると、その女の子から援護が入る。
「カレン先生は美人先生なの!」
「そうよ、れでぃなの!」
「あたしも先生みたいに素敵なれでぃになるの!」
「ねー」
女の子を見ながら「ねー!」とカレンも同調する。楽しそうに子供達に微笑むカレンを見つめるリクと、そんなリクを見てニコニコとするエリナ。
「どう?」
ニッと笑うドヤ顔のカレンに対し「美人てーのは認める」とリクは真顔で答える。
「そ、そーでしょー」
予想しなかったリクの言葉にカレンがほんのり頬を赤くするが「レディってのはどうかと思うがな」とにやけるリクの余計な一言で一転してムッとした顔になる。
「あんたくらいよ、あたしをレディ扱いしないのは!」
「レディにはソレ相応の扱いはする。嬢ちゃんはレディ扱いしてるぞ。俺なりにだがな」
貴族令嬢だとのことで最初から対応には気をつけてはいたが、エリナの振る舞いからリクも認めざるをえないと感じていた。足りないながらもリクなりにレディ扱いしたつもりではあった。
「なんですって!」
「それだ、それ」
頬を膨らませ憤るカレンにリクは指をさす。リクの挑発にすぐに乗ってしまうあたりがレディの振る舞いではないのだ。
「あんたが茶化すからでしょ!」
「それがお前の素だろうよ」
「あんたにお前呼ばわりされる筋合いなんてないわよ!」
「んじゃ俺の事もあんたとか言うなよ」
こんな言い合う二人を、カレンに抱き付いている子供達は「せんせい?」と驚いたのか口を開けて見上げていた。その視線に気が付いたカレンが慌てて二人の頭に手を乗せる。
「あ、あらやだ。先生はお淑やかなレディですよ~」
カレンのごまかしの笑顔に、女の子二人はやや引きつっているように見えた。この二人の教育には良くなかったかもしれない。リクがそんな事を考えていると、周りから男たちのざわつきが聞こえてくる。
「おぅ、カレンさんに馴れ馴れしく話しかける手前はなんだ」
集まって来た人たちをかき分けるように、髭面のゴツい男を中心にした男達が歩いてくる。ざっと十人程だろうか。声の主はガタイの良い髭の男のようだ。
「エリナ様、お帰りなさいませ」
「お疲れしたー!」
「っしたー!」
その髭の男はエリナに深く頭を下げた。なかなか礼儀正しいように見えるが、その他の男達はそうでも無いようだ。リクはこの集団のリーダーと思われる髭の男を観察する。
体格はリクには及ばないものの身長は平均よりは高い。肉質もリク程盛り上がってはいないが、反面しなやかなのかもしれない。その髭で年齢は分らないが、同等か上であろう、とリクはあたりを付けた。
ただ彼の目はくりっとしていて、かなりチャーミングだ。鼻も小さく、髭が無かったら幼く見えていたかもしれない、という顔付だ。厳つい身体に余り似合っていない幼い顔がのっている。そんな男だ。
「ご苦労様ですオルテガさん。はい、無事に帰って来れました。留守中、何かありましたか?」
「いえ、コレといって何も御座いませんでした。エリナ様、それよりもあの大男が例の……」
「えぇ、リクさんです」
エリナはリクを紹介するときもニコリと微笑んでいる。当初の泣きそうな顔はどこかに逃げ出したようだ。勿論色々あって笑っていられるのだが、リジイラの住人はそんな事は露も知らない。リクに対して露骨に感情をぶつけてくる。カレンの腰に巻きついている女の子二人からは「怖いおじさん」と言われ、カレンがふふっと笑った。
リクも己の立場を思い出し「公国軍輜重師団所属のリクだ」と手短に名乗った。同時に、またか、と心でため息をつく。本人にとっても領地にとってもの望まれない縁談を無理矢理受けさせられているという状況に戻されたからだ。どうせ厳しい視線しか投げかけられない。だがこんなところで腐っても仕方がない。軍人、諦めも肝心だ。
「こいつが野菜将軍とかいう……ヴィンセント様の代わりになるとは思えねえ面構えですね」
髭の男オルテガが慇懃無礼に口にすると、周りにいる男達もゲラゲラと下品に笑う。しかしリクは懐かしいと、思わずにやけてしまった。下卑た笑いなど軍では日常的に聞いてきた物だったからだ。
「けっ、余裕かましやがる」
「代わりになるかどうかはお前らが決める事じゃねえだろ?」
リクは腰に手を当て頭を少し傾けオルテガを挑発した。この手の輩は何を言っても納得などしない。ヴィンセントが良いに決まっているのは分っているが、それは今は言えない。ならばとれる手段は限られる。
「んだと!」
「あ、あの、オルテガさん!」
憤るオルテガを諌めようとエリナが口に手を当てオロオロしている。以前にはこんな事は無かったから対処も仕方が分らないのだろう。カレンも怯える女の子の背に手を回し「怖くないからね」と声をかけている。
だがリクはこの事態を上手く収めるその方法を知っていた。ニヤリと片方の口角を釣り上げ嬉しそうに提案する。
「ははっ! 文句があんなら男らしく【拳】で語り合おうじゃねえか。お互いが納得するまでな!」
リクは右手の拳を左手の掌に打ち付けた。