第十六話 女の行動は良く分らねえ
また文字数が増えましたー(T-T)
断捨離を身につけねば……
ヴィンセントとステイシーに見送られニブラを出発したリク一行はファコム辺境伯領の中心の街リジイラへと向かっていた。ニブラからリジイラまでは馬で数時間、馬車で半日の距離だ。
「そーいえばさー」
その草原を切り裂くリジイラまでの街道を馬車でゴトゴト揺られている最中、今朝がたリクから貰ったピンクのチューリップを両手で大事そうに持っているカレンが声を上げた。
「昨晩リクが手を掴んでた女の人って、誰?」
ちょっとだけ厳しい感じのカレンの視線を受け、リクは「知らねえ」と一言で返した。
「あんた、知らない女の人の手を掴んでどこかに連れ込むつもりだったの? サイテー」
「んなことする訳ねえだろ」
「ふーん、どうだかね~」
カレンが顔を外に向けつつ、切れ長気味の目の端に赤い瞳を置き「美人さんだったんじゃないの~」とリクを見てくる。あからさまにリクを疑っている目だ。これにはリクも反論せねばならない。
「なぁカレン。お前が暗がりで初めて俺の顔を見たとしたら、どうなる?」
「そうね、逃げるわ。それか気絶するかもね」
カレンはきっぱりと清々しいほどに言い切った。多少の嫌味も含まれているだろうが。
「だろ?」
しかしリクは、そんな反応など御見通しだと言わんばかりに頷く。
「あんた、それ自分で言ってて空しくないの?」
「俺は現実を受け止める派だからな」
リクは顔色一つ変えず涼しい顔で言い返した。
自分の顔が厳つくかつ怖いとリクは知っている。生まれ持った顔だから仕方ないし、文句を言ったところで神様の気まぐれが起こる訳ではない。
ならば認めるしかないのだ。
「で、それがなんなのよ?」
チューリップを大事そうに抱えるカレンは不満の表情を隠さない。何かが不満のようだが、それはリクからは窺い知ることができない。
「その女がな、俺の顔を見て眉ひとつ動かさなかった。あからさまに怪しいんだよ」
昨晩リクに声をかけてきた女性は、夜も更けてきた時間でかつリクの顔を見ていた。あの時間に女が一人で出歩く事も考えにくい事だったし、リクの顔を見て表情を変えないと言うのもおかしな話だった。
「おまけに近くに休める所があるからとかぬかしやがった。拉致る気満々じゃねえか。俺も頭にはとんと自信はねえが、アレにノコノコついていくほど馬鹿じゃねえ」
「それってお誘いがあっただけじゃないの~?」
「好きこのんで俺みたいな奴を客にしようとする娼婦がいるかよ」
「人の好みなんて様々だもの、そんなのわからないじゃない!」
吐き捨てる様な口調のリクにカレンが噛みつく。リクとしては何故か噛みつくカレンに対し無実を納得させたいのだが、簡単にはいかないようだ。
困ったリクがエリナに助けを求めようと視線を向けてみたが、こっちはこっちでニコニコしながら二人の言い合いを見ている。
この侍女にしてこの主人だ。ある意味お似合いと言える。
「ニコニコしてねえで何とか言ってやってくれよ」
「そうですよ。カレンも気にしすぎです。気になっちゃうのは理解しますけども」
そんな事を言い、エリナはカレンに向きを変えた。そうしてまじまじとカレンを観察し自分の胸に手を当て微妙な顔をする。そしてカレンの豊かな胸に視線を移した。
「えいっ」
エリナが手を伸ばし、カレンの無防備な胸にむにゅっと押し当てた。カレンが「うわぁー!」とあられもない悲鳴を上げる。カレンの胸はお仕着せの上からでもエリナの小さい手では収まらない大きさだと分る。
「おおお嬢様! ご乱心ですか!」
「うーん、やっぱり……」
両手がチューリップの為に塞がっているカレンがなすが儘にされている事をいいことにエリナはその大きさと感触を推し量っているようだった。
ちなみにリクはドン引きで口を開けて固まっている。
「カレンはリクさん好みの身体つきですね。わぁ、良かった」
エリナがにっこりと微笑む。ヴィンセントと話し合いが行われてからエリナがこの調子だった。今までの泣きべそなウサギが、どこをどうしたのかやんちゃなリスになっていた。ヴィンセントと何があったのかは知る由もないが、それが原因である事は疑いようがない。
「おおお嬢様、なに言ってるんですか!」
「だってリクさんは肉好きの良い方が好みだって……」
「それはリクが勝手に言ってたことです! あたしにとってはどうでも良い事です! ってなんでそんな事知ってるんですか!」
カレンが必死に取り繕うとしているが、エリナはニコニコのまま問い詰める。
「だって昨晩リクさんの部屋からそんな声が聞こえましたよ。それにカレンの声もしましたし……」
「そ、それはですね、たまたま偶然通りかかったんですよ。あたしは別に何とも思っちゃいませんよ!」
カレンはそのたわわな胸を押し上げるように腕を組み、ぷいっと横を向く。
「そうなんですか? カレンはリクさんと話をしている時は凄い楽しそうにしてるから……」
「お嬢様、どこをどう見たらそうなるんですかー!」
カレンが目を見開き反論をした。珍しい光景だった。
「だっていつものカレンはもうちょっと自分を隠してお淑やかだったじゃない? あっさりと素のカレンを見せちゃってるし」
「だってそれはリクがですね!」
リクは二人の言い合いを茫然と眺めている事しか出来なかった。ここで口を挟もうならこっちに火の矢が飛んできて延焼するのが目に見えたからだ。
どう見てもエリナが暴走しているようにしか見えないリクは、火の粉が落ちてこない様にその巨躯を石造の様に微塵も動かないようにしていた。
収まりがつきそうにない事態に御者は黙って馬の手綱を握っている。さわらぬ神になんとやらだ。
「だってー」
エリナがカレンの耳元でごしょごしょと口を動かすと、カレンの赤い瞳が手元のピンクのチューリップに向かい、ついでリクに向けられた。そしてもう一度チューリップに視線が注がれる。
「そ、それは勘違いという物です。偶然の産物です!」
「そうかなぁ?」
「そ、そうですとも! そんな事あり得ません!」
左右に激しく赤い髪を振り否定するカレンに、エリナは可愛く首を傾げた。二人の行動が何だかわからないリクはとばっちりを避けるために石造のままでいる事を決意したのだった。
「お嬢様、野犬の群れです!」
御者が振り返り馬車の中にいるエリナに叫んだ。エリナとカレンが、そしてリクも御者の指し示す方角の窓を見た。遠くの方で小さい黒い塊が動いているのが見える。それは数にして数十はいるだろう四足で駆ける獣の群れだった。
「まぁ、野犬もいるよなあ」
リクはその影を認め、そう呟いた。
荒地に野犬の群れがいる事は珍しい事ではない。彼等とて生きている限り食べて行かねばならないのだ。彼等の食料が人間でも。
野生化していない犬は人間の友人であるが、彼らは違う。明確な人間の捕食者であり敵だ。
人間を凌駕する運動能力で喉に噛みつき喰いちぎる。群れをなし複数で移動する彼らに狙われるとかなり厄介だった。戦い慣れた男でも前後から挟まれれば容易く地面に引き倒され、喉笛を喰いちぎられた。
「ちょっとリク! そんな呑気な事言ってる場合じゃないでしょ!」
チューリップを大事に抱えながらもカレンは吼える。カレンは野犬の恐ろしさを良く知っていた。開拓中の領地では度々野犬の群れに襲われて犠牲になる人が出ていたのだ。
「あー、こんなもんか」
リクは野犬の群れを凝視し、そう呟いた。その瞬間、野犬の群れがいたあたりに土煙が上がり、彼らの姿が消えた。吹きあがる土煙が収まっても、いるはずの野犬の群れの姿は確認できなかった。
「あれ……見えなくなりました。もしかしたら離れたのかもしれません」
御者が鋭い視線で周囲を見渡しながら、そう叫んだ。遠くに見えていた野犬の群れの姿はなくなっていたのだ。
「ふぅ、助かったー」
「ラッキーですね」
カレンは安堵に深く息を吐き、エリナはポスンと背もたれに体を預けた。
「まぁ、こんな事もあるもんだ。小腹がすいたし、ぼちぼちおやつにでもするか」
リクは外を見ながらそう提案をする。早朝にニブラを出て、陽は頂点をとっくに過ぎていた。午後のおやつの時間には良いころ合いだ。
リクは背もたれの後ろの袋を持ち出した。
「あとちょっとでリジイラにつきそうだし、ちょっとおなかも空いてきたし」
大事そうに抱えていたチューリップを脇に置き、カレンが嬉しそうにそそくさと姿勢を正した。だいぶリクに餌付けされてしまっているようで、おやつを貰う事に抵抗は無いようだった。
「ほらやっぱり」
エリナがカレンの横っ腹を指で突くと「これは別です。甘いものは別腹と一緒です」とカレンは良く分らない理論武装をしてツンとおすましな顔をする。
「すっかり胃袋を掴まれちゃって……」
「掴まれてませんってば」
エリナがふふっと笑う。
すっかり雰囲気の変わった二人にリクは当惑をするが、冷たく当たられた少し前を考えれば、こっちの方が良いやな、と思わざるを得なかった。
「はいよ」
リクが用意したのはモモだった。ナイフで削ぐように切り落とし、小さく食べやすくしたものを、ヴィンセントから土産にと渡された銀の皿においていく。カレンがフォークをエリナにも渡し、満面の笑みで待ち構えていた。
「急いで食って咽るなよ?」
リクがカレンに渡すと、二人はパクッと食べ始める。リクは窓から身を乗り出し、御者にもモモを渡した。御者へは丸ごとだ。そのままかぶり付けと言う事だが、既に御者も慣れたもので躊躇なくモモに齧りつく。
身を乗り出したままのリクの視界に建物の屋根らしきものが入ってきた。低いが柵もある様だったが、壁はない。見えた屋根もせいぜい二階建てで、木そのものの色だった。
「リジイラが見えてきましたね」
馬車の中のエリナがモモにフォークを刺しながら、そう言った。