第十五話 咲かせるのは慣れてんだよ
またもちょっと長いです。
3000文字程度に抑えたいのですが。
まだニブラの街が目覚める前、綿菓子のような朝もやに包まれる中、グリード家の屋敷の玄関先の空間には今まで乗ってきた馬車が置かれている。屋敷の玄関には見送りの為だろうヴィンセントとその母親と思われる中年の女性がいた。彼女はステイシーという名で、ヴィンセントの母親だけあって、流れる様な金の髪を簡単に束ねただけなのだが絵画のように存在感があった。
そのステイシーとエリナが穏やかに話をしており、リクはその場所から離れた馬車の近くでぼんやりと眺めている。邪魔にならないような配慮だった。
「エリナちゃん、分ってるわね?」
「はいっ!」
ステイシーは少しかがみ、視線をエリナと合わせている。エリナと比べるとステイシーの背が高く見えるが、実は平均的な身長で、単にエリナの背が低いだけなのだ。ヴィンセントはというと、近くの花壇に咲き誇る白い花の前で首を捻っていた。パンジー、コスモス、キンギョソウなどの背の低い秋の花に混ざり、こんもりとした低木に朝もやの白さにも負けない程の純白の花を咲かせていた。
「こんな花、咲いてたっけ?」
不思議そうな顔をしているヴィンセントに気がついたエリナがその花を見て「ツツジですね」と教えた。
「でも、ツツジは春にしか咲かないはずです」
「確かに今の時期には咲かないわねぇ……そもそもツツジは花壇には植えてないけど」
「そうなんですか?」
エリナとステイシーが不思議そうな顔をしている横で、ヴィンセントが枝を折り、花の塊を花束の様に抱えた。そしてそのままエリナの前に立つ。
「エリナ、これを」
ヴィンセントがエリナにその花を渡そうと声をかけると、エリナがぱーっとツツジの花が咲いたような笑顔を見せる。
「綺麗に咲いてるから、エリナに似合うかと思って」
「ありがとう!」
エリナの満面の笑みを見たからか、照れてはにかむヴィンセントの脇でステイシーがニコッと笑った。
「白いツツジの花言葉は【初恋】ね。あらあら、良く出来てるわねぇ」
初恋という単語を聞いて頬を赤く染めた二人の顔を見比べてステイシーはますます嬉しそうな笑顔になる。
「ひ、否定は、しないけどね」
「まぁ、ヴィンセント様ったら」
エリナがヴィンセントのほっぺをぷにっと指で押している。周りには使用人もいるのだが、まったく目に入っていないのか、二人の世界にどっぷりと入り込んでいるようだ。
昨夜、エリナはヴィンセントと二人っきりで長い時間話をしたらしい。それからエリナの顔には笑顔が目立ち始めた。二人の間に何があったのかはカレンでも知らないようだ。
そんな砂糖を吐きそうな甘ったるい雰囲気の邪魔をしない様に、カレンがひょこひょことカニ歩きでリクの傍に近付いてくる。
「あの花を咲かせたのって、リク?」
リクの横に来たカレンが背伸びして耳打ちをしてきた。
「あぁ、あの二人を元気づけようかと思ったんだが、要らなかったかもな」
リクは視線をカレンに移し小声で返す。何を思ったのかカレンが「へぇ~意外とロマンチックなのねぇ」と意味深に流し目を送ってくる。そんな相手がいたとでも言いたげだった。
「花を咲かせるのは慣れてるからな……戦場で弔うのに、花は欠かせなかったし」
リクは視線をエリナとヴィンセントに戻した。どこか遠くを見る様な眼差しで口を開く。
「戦場で死んだ奴らは故郷に帰ることはできねえ。大概が死んだ場所で朽ち果てる。運よく自陣まで連れて帰ってきても、生まれた土地に返してやる余裕はなかった。だからその場で埋葬するんだよ。ただ埋めるだけじゃ可哀想だからってせめて花を一緒に埋めてやる事にしたんだ。それからだな、俺が死んだらこの花が良いとかぬかす奴が現れてな。戦場じゃそう言った奴らが真っ先に死んでいくんだ。おかげで色んな花を覚えたぜ」
リクの視界には眼前の平和な風景など映っていなかった。静かに埋められていく戦友達の姿が、顔が、日めくりのように次々と現れては消えていく。
リクにとって花の記憶は別れの記憶だ。眼の前の幸せな光景には、残念ながら縁は無かった。
「……ク。リクってば!」
記憶の渦に没頭していたリクの右腕の袖がグイグイと引っ張られ、鎮魂の意識が現実に引き摺り戻された。引っ張られた右腕を見ればカレンが眉尻を下げ、不安そうな赤い瞳でリクを見上げていた。
「どうしちゃったのよ。ぼーっとしてて動かくなくなっちゃってたんだから!」
どこか必死そうなカレンの声にリクは我に返った。頭に浮かんでいた情景をぐっと飲み込み「あぁ、ちょっと考え事しててな」と返した。最近考え込むことが増えたのは事実だ。
「なによ、考え事するってガラでもないくせに」
カレンはリクを心配してくれているのか、若干声が震えていた。昨日の出来事を引きずっているのかも知れないとリクは思った。そこまで気にしなくてもと思うが、人の考えは様々だ。リクが感じたこととカレンが感じたことは違うのだ。
リクは誤魔化すようにヴィンセントとエリナを見た。
「あの砂糖な光景を見てると、意識を逸らしたくもなるんだよ」
ヴィンセントがツツジの枝を持ったエリナの手を握り、真剣な顔で何かを話していた。エリナはその言葉に笑顔で応えているが、恥ずかしいのかツツジの花の塊で顔を隠してしまっている。カレンがそんな二人を見て「ふふっ、いつものお二人です」と嬉しそうな声を上げた。
「いつも、か……」
この馬鹿な縁談が出る前はエリナもこうやって明るく笑う女の子だったのだと思うと、目の前で繰り広げられている幸せな空気が本来の姿だと責められているようで、リクはすっと視線を逃がした。やっぱりこの話は粉砕すべきだとの思いが頭を駆け巡る。
ただし、この幸せそうな二人には火の粉をかけることなく、だ。
千人の敵兵に突っ込む方が余程気が楽だと思い、リクは口を固く結ぶ。リクの心に言いようの無い暗雲が垂れ込めていた。
「やっぱ花よね~」
横にいるカレンの声にリクは引き戻された。そしてカレンがくるっとリクに向き直り、じっと見上げてくる。
「ねぇリク。チューリップって咲かせることできる?」
「なんでだ?」
「お二人を見てたら、なんかいーなーって」
「面倒だ」
「そんなこと言わないで、一輪でいいからさ!」
顔の前でパンと手を合わせお願いしてくるカレンに、リクは小さく「しゃーねー」と返した。垂れこめる重い気分を引きずりながらもリクはパチンと指を鳴らした。
するとカレンの足元の土が小さく耕され、そこから一つ芽が生えてきた。尖った葉を伸ばし、しゅるっと成長しすぐに大きなつぼみができる。そしてゆっくりとピンクの一重の大輪が開いていくのだ。
底の深いグラスを逆さまにしたような花冠のピンクのチューリップが、カレンの足元に慎ましくちょこんと咲いた。
「へぇ~、すっごーい!」
一輪のチュリップの前にカレンがしゃがみ込み、驚きの声を上げ眺めている。カレンが指先でちょんとつっつくとピンクの花冠がふわんと揺れる。
「綺麗なピンクね~」
カレンの声が弾んでいる。リク的にはこんな事なのだが、春に咲くチューリップが秋に、しかも突然足元に咲くのを目の前で見れば驚きもするだろう。
「あたしチューリップが好きでさ。なんかこの形が可愛いよね!」
座ったままカレンが笑顔を向けてくる。嬉しそうなカレンの笑顔は、リクの心にかかっていた真っ黒い雲を一瞬で吹き飛ばしていった。
「あー、でも花壇じゃない所に咲いちゃってる」
カレンの足元に咲かせたはいいが、そこは花壇からはかなり離れていた。リクは失敗したと思いつつも一つ閃いた。
「じゃあこうするか」
リクはカレンの隣にしゃがみ、おもむろにチューリップの脇の地面に手を差し込んだ。チューリップを咲かせるために少しだけ耕しておいたそこは、大した抵抗もなくリクの手の侵入を許した。手首まで土に埋めた掌を曲げ、チューリップの球根を包むように土ごと抜き取った。リクの大きな手には一輪のチューリップが球根ごと乗せられている。
「なんか袋ねえか? こいつが収まれば何でもいい」
「えっと」
カレンがお仕着せのポケットを漁ると、掌ほどの小さな布の袋を取り出した。
「なにかの時にゴミとか入れられるような袋なんだけど、大丈夫?」
カレンが少し不安げな顔で窺ってくるが、リクは「問題ねえ」とその袋を受け取った。そしてその袋に球根を入れ、地面から少し土を拝借し中にいれる。
小さな口からぴょこんとチューリップが飛び出している可愛らしい袋が出来上がった。
「鉢の代わりだ。ほらよ」
リクがその袋を差し出すと、にへーっと笑ったカレンが「わー、ありがとー!」と受け取る。
「リジイラのお屋敷に戻ったら鉢に植えてあげよ!」
顔の高さまでチューリップを持ち上げたカレンがにっこりと微笑む。帰ってからの事を想像しているのか嬉しそうな笑顔だ。
「日当たり良い部屋にでもおいておきゃしおれる事はねえし、枯れる事もねえ」
「え、そうなの?」
リクの言葉にカレンがくるっと顔を向けてくる。
「咲かせたままにすることも可能だ。ま、水は必要だがな」
「咲かせたままって、いつまで?」
「俺が死ぬまでだ」
「なにそれ、花屋さんが困っちゃうじゃない」
呆れた顔のカレンに対しリクは「例えばの話だ」と断りを入れる。カレンは「んー、まぁいいや」といい、笑顔に戻った。
「リク、ありがとうね」
昨晩も見たカレンの嬉しそうな笑顔に、リクはカレンを見つめたまま固まった。リクの意識はまたもカレンの笑顔に奪われてしまったのだ。
一連のカレンとのやり取りを、意味深な笑みで見ていた三人の視線にも気がつかない程には。
確信犯ではありません(謎