第十二話 ざけんじゃねえ
日も沈みかけ、茜色の光がニブラの街並みを彩っている。夕餉の支度の良い匂いが彼方此方から漂い、今日の仕事の疲れを癒す酒場では忙しく看板娘が走り回っていた。そんな夕食前の時間に、リクとヴィンセントはとある部屋で向かい合って座っていた。窓のカーテンは閉めきられ、扉には鍵もかけられている。
腰を抜かしたカレンはようやく回復しエリナの世話をしていた。
「忙しいとこ悪いな」
「いえ、今日は父も兄も公都に行っていて、ちょうどよかったです」
ヴィンセントの兄と父がおらずともニブラはヴィンセントが取り仕切っていた。まだ十八歳のヴィンセントがだ。
薄汚れた軍服のリクとラフな格好になったとはいえ高そうな服のヴィンセント。対極と言える二人の話し合いが、薄暗い部屋で静かに始まった。
「それで、話とはなんでしょう?」
ヴィンセントが真剣な眼差しで問うてくる。リクがわざわざエリナを排除しての話し合いをしたいと申し出たからだ。
「あぁ、このよく分からねえ婚約話についてだ」
リクは腕を組んで深く息を吐いた。
「ぶっちゃけ、さっきカレンから初めてまともな話を聞いた。たかが俺の血を残すにしちゃ、随分な話だな」
「……知らなかったと?」
ヴィンセントの目が細まる。彼も簡単にリクの言葉を信じるわけにはいかないのだろう。
「俺の上官は教えてくれなかった。ここに来るまでにもエリナもカレンも肝心な事は話してくれなかった。聞いてりゃのこのこと来ねえよ」
リクは相手が貴族の令息だろうと口調が変わる訳ではない。それほど育ちがいいわけでは無いのだ。
「それを信じろと言われても」
「信じてもらうしかねえんだがな」
リクは足を組み背もたれに体を預け、一呼吸おくようにふーっと深く息を吐いた。
ヴィンセントは疑いの眼差しを崩さない。エリナの事は諦めていないが、初めて会う人物の話をうのみにする訳にもいかないのだろう。
「ま、俺もこの話には全く持って乗り気じゃないんだよ。考えてみろよ。身分は違うし、年齢なんて俺の半分だぞ? 犯罪だろよ。それに加えて無理やり婚約を破棄したって聞きゃあなぁ。まっとうな人間なら断るしかないだろ」
リクは肩を竦めた。これはリクの本心だ。二人の仲睦まじさを目のあたりにし、引き離すのは酷だと思うことは人として間違ってはいないはずだ。
「リクさんは断れるんですか?」
ヴィンセントは強い言葉と鋭い視線を投げかけてくる。有力貴族の子息である彼の立場をもってしてもこの話を断れなかったのだ。軍人であるリクが命令に逆らえるとは思っていないのだ。
「断れる、じゃなくて、断ざるえない状態に持っていくんだ。だが、俺の力じゃ足りなくてな。その為にちょっと協力して欲しいんだよ」
ヴィンセントの真摯な眼差しを受け、リクも真剣な顔になる。
「そもそもだ。この話の目的は俺の血筋を残すって事だろ? なんで貴族の令嬢なんだ? 別に普通の女だっていいだろうに」
これはリクの疑問でもあった。血だけ残すなら誰でもいいはずだ。わざわざ貴族を、ましてや婚約者がいる令嬢をあてがう必要など、まったくないのだ。ぶっちゃけ農民の娘でも良かったはずだ。
「……貴族の方が管理しやすいからなんです」
「管理?」
ヴィンセントの『管理』という言葉にリクは引っかかり、思わず眉を寄せた。
「基本的に貴族の婚姻は大公への報告が必要です。つまり貴族の縁組を通して人の移動が把握できるようになっているんです」
貴族の縁組は双方の利害関係もあるが、勢力の拡大の意図もあったりする。有力な貴族同士が組めば大公を脅かすかもしれない。そんな可能性を排除する仕組みでもある。
「あー、つまりだ。仮に俺の子供がいたとして、そいつがどこのどいつと結婚してどこに行った、とかを分かるようにか?」
「えぇ、そんなところです。普通の人間では、いつどこで誰と一緒になってどこに行く、なんて追えないですから」
「……浮気とかしてたら、どうするつもりなんだか……」
呆れているリクを、ヴィンセントはひと時も目を離さずまじまじと観察をしている。どんな人物なのかを見定めているかのようだ。
「……この話が出たのは、かなり前の事なんです」
「あん?」
リクが眉間に皺を寄せると、ヴィンセントは静かに話し始めた。
「戦争中にも関わらず公国は食料の輸出を行えていました。ひとえにリクさんの力のおかげです」
「俺の力じゃねえ。これは貰いもんの力だ」
リクは直ぐに訂正した。理由など知らないが、この能力は授かったもの。これはリクの戒めでもあるのだ。
慢心は隙をうみ、死を招く。
戦場では常にすぐ隣で死神が微笑んでいるのだ。
「実はこの事がきっかけでした。戦争中にもかかわらず食料に困っていない公国内の事情を、敵国だけでなくマーフェル連邦の友邦国にも知られてしまいました」
ヴィンセントは変わらずに真っすぐリクを見てくる。リクにはヴィンセントの言いたい事がおぼろげだが頭に浮かんだ。
「……俺が狙われるってのか?」
「えぇ、命ではなく、その血統をですが」
「公都にはバスクだかって炎使いの騎士のオッサンがいて、代々その能力者が死ぬと一族の中から次の能力者が現れるとかって説明なら受けたな。それと同じことが起きるってのか?」
リムロッド・バスク子爵。
所謂騎士伯であるのだが、授かった能力が火を操る力だった。能力者の能力が顕現するのは成人時であった。だがこのバスク家に限っては保持する能力者が亡くなると、その血縁者に突然能力が現れるという現象が起きていた。
理由など分かっていない。能力自体神の贈り物とされているのだ、分かるわけがない。
ただバスク家は血の拡散を防いでいたために血縁者が固まっていたという事情もあった。つまり血が濃いのである。
そのために途切れる事無く、能力者が居続けていた、のかもしれない。もちろん、他国でも僅かではあるがそうした能力者がいて、同じように血統を保存されているのだ。
ただし欠点もある。
血が濃すぎる故に、イレギュラーも発生するのだ。シリアルキラーが生まれる事すらあった。その国はその人物の暴走後、国力が低下し、隣国の侵略を受け滅んだという。
もろ刃の剣ではあるものの保持するメリットは大きく、各国が能力者を保持しているのだ。
ちなみにこの戦争でも敵国の能力者がいたが、リクが殺害している。能力にも相性や優劣があるのだ。
「その可能性が高いんです。悪いことに他国がリクさんを引き込もうと狙ってます。特にリクさんは前例のない能力の持ち主です。喉から手が出るほど欲しいでしょう。
リクは無言だった。仕方がないとはいえ自分の知らないところで色々と勝手に決められていることに、腹が立っていた。
「大公閣下はまずリクさんの血縁の確保を考えたようです。それで有力貴族から声をかけていったそうです」
「んで拒否された、と」
「彼らはリクさんの能力を大分下に見ていたようです。公国は農業国なのですがね。それと貴族の血筋に平民を入れたくなかったそうで……」
ヴィンセントは苦笑していた。農業の国で穀物や野菜などの食料を作り出す能力を侮っていたのだ。そしてリクが貴族ではないことを理由に断っていたのだ。親もしれない孤児というのもあったのだろう。
「でアレか? 断られまくって最後の最後に嬢ちゃんの所にまわってきたってことか?」
「えぇ、そうです。ファコム家は辺境伯と言えども新興貴族なので地位が低いんです。エリナの祖祖父が苦労して開拓した土地を人質にして迫ったんです。大事な土地を手放すことはできず、エリナは泣く泣く受け入れました」
ヴィンセントは口惜しさで肩を震わせていた。エリナの無念さが分かるとともに、自らの婚約者が攫われていくのだ。悔しさで胸が詰まっているはずだ。
「……それでか」
ようやく事の顛末を知ることができたリクは噴火寸前の火山へと変貌した。
エリナと初めて会った時の悲しそうな顔。カレンの投げつける射殺すような視線。そしてさっきのカレンの行動。
リクはやっと理解できたのだ。
事の真相を聞いたリクの額には極太の青筋が浮かんでいる。そしてヴィンセントもこみあげる慚愧の念を我慢するように、筋が浮かぶほど拳を固く握りしめている。薄暗い部屋はやりどころのない感情で満ちてしまっていた。