第十一話 ひでぇ話だ
「この話が来たのは、春になる前だった……」
紅の瞳をぼんやりと潤ませながら、カレンが話し始めた。
「公都からの使者が来て、大公様からのお達しだって手紙をよこしたの。あんな田舎なのにわざわざね」
訥々と話すカレンに対し、リクは促すよう頭に乗せた手でなでまわす。
「凄い能力者がいて、その血筋を残したいから、結婚して子を為せって命が……」
「その凄い能力者ってのが、俺か? そんな御大層なものになった覚えはねえんだけどな」
カレンの頭を撫でながらリクは苦笑いを浮かべる。
「でもお嬢様には既にヴィンセント様がいたのよ。小さい時から結婚の約束をしてた。お嬢様と一緒になって、ファコム家に婿入するはずだった」
「確かに、二人の仲は良さそうだったな」
カレンはコクンと頷く。いつもの反発してくる元気はなく、おとなしい飼い猫のようだった。こんなカレンもいいなと思いつつ、リクは先を促すために頭を撫でる。
「お嬢様はヴィンセント様に相談したの。婚約者だったし、ご両親は亡くなっていて相談できる人がいなかったのよ」
カレンはエリナの窮状を訴えてくる。十二歳で辺境伯にならざるを得なかったエリナにとって、この問題は抱えるには大きすぎた。現に婚約者もいるのに無理に縁談をねじ込まれてきたのだ。
どう対応していいか分らないエリナは、公都からの使者に考える時間を欲しいと告げ、返したのだ。
「お嬢様に相談されたヴィンセント様は酷く怒ってらっしゃった。貴族同士の婚約は必ず大公様に報告しないといけない決まりになっているのよ。大公様はお嬢様に婚約者がいる事を知っていて、こんな話を……」
悔しいのだろう、カレンの目からポロポロと涙が零れてくる。こんな場面の経験が無いリクが対応に戸惑っている間にカレンは腕で涙を拭き、話を続けた。
「ヴィンセント様はお父上のグリード侯爵様と一緒に公都に出向いて正式に抗議したの。お嬢様は渡さないって……でもダメだった。いう事を聞かないのならば領地を召上げるって脅されたの。これにはグリード侯爵様も反抗できなかった。武力で訴えられたら敵わないもの」
カレンはがっくりと項垂れてしまう。
あの時この事実を聞いていれば、こんな話など命令違反でも断っていた。きっとあの場で大暴れしていたろう。アルマダが内容を話さなかったのは、ひとえにリクを暴れさせない為であった。
リクが怒りに任せて暴走したら止めるすべはない。公都を全て耕して土に還していたろう。
カレンに乗せていない方の手は、血管が浮き上がるほど握りしめられており、その額には極太の青筋が走っていた。
誰も悪くねえじゃねえか。
リクの頭の中には、ぶつける先のない怒りが渦巻いていた。
「ファコム辺境伯って、お嬢様の三代前の方が切り開いた土地なのよ。狭くて収穫も少ないんだけど、それでもお嬢様にとっては大事な、受け継がれてきた土地なの。だから手放したくなかった」
ファコム周辺は新たに切り開かれた土地で、石も切株も多い。ただ実りはある。
生まれ育った土地に愛着のあるエリナには、この話を断って土地を失うという選択をすることはできなかった。嫌々ながらも首を縦に振ったのだ。
もちろんヴィンセントも納得などで来ていない。だからこそリクが来た時に決闘などという物騒なものまで持ち出したのだ。
「弱みに付け込んだって所か。ひでぇことしやがる……」
「グリード侯爵家って公国では力がある貴族なんだけど、それでも抗議が通らなかったわ。ヴィンセント様の落胆ぶりは凄かったわ。だって二人は一緒になるんだって幼い時からずっと思ってたんだもん」
実際グリード家は何度も抗議をしたが、その度に跳ねのけられ門前払いを喰らっていた。有力貴族といえども大公には逆らえず、成果をあげられぬままリクとエリナが引き合わされてしまったのだ。
「で、ヴィンセント様が相手の事を調べ始めて、【血塗れの野菜将軍】ってあだ名の悪魔みたいな人だって知ったの」
「まぁ、あながち間違っちゃいないがな」
「リクって怖い顔だけど、意外に優しいよね」
泣きそうな笑顔で見上げてくるカレンに、リクの胸は痛む。自分がいなければ幸せだったろう二人と、それを嬉しそうに見ていたはずのカレンが想像できたからだ。
残念ながらリクはこの二人の心からの笑顔を見ていない。
この能力を、人によっては神からの贈り物という。リクは、何が贈り物だクソ野郎が、と叫びたくなった。カレンを撫でている手にも力が入ってしまう。
「……ごめんね、怒ってるよね……」
力が入ったことを怒ったと取ったのだろうか、カレンがまた俯いてしまう。
「まったく、早く言えよな」
リクはぽんぽんとカレンの頭を叩く。カレンは驚いたのか顔を上げ、またリクを見てくる。じっと見上げてくるカレンの口もとがギュッと絞められた。
「どうにか、なるの?」
カレンのすがるような視線にリクの胸が締め付けられる。リクはカレンのこんな顔など見たくない。
一番簡単なのはリクがいなくなることだ。だが、ただいなくなっただけではエリナは罰として領地を奪われかねない。それでは何の解決にもならないのだ。
「……頭の悪い俺じゃ思いつかねえ」
「そんなぁ、何とかならないの?」
カレンの視線を感じながらリクはどうするか悩んでいた。
一人じゃ無理だ。どうせやるなら共犯が欲しい。だが嬢ちゃんはすぐに顔に出る。残りで協力してくれそうなやつは。
ここまで考えた所で、リクの頭にひらめきが湧いた。
「あいつには決闘の代償を払ってもらおう」
リクは凶悪な顔でニヤリと笑った。
「よし、そうと決まればまず行動だ」
リクは立ち上がり部屋を出ようとしたが、カレンに軍服の上着の裾を掴まれた。
「ん? どうした?」
リクがどうしたんだと覗き込むと、カレンは「立てない」と情けない声を上げた。
「腰が抜けて、立てないのよ」
「はぁ?」
「緊張しすぎてて、ホっとしちゃったら立てないのよ」
「なに言ってんのか意味わかんねえぞ?」
「もう、いいから立たせなさいよ!」
カレンがキーッとリクの袖を引っ張ってくる。仕方なしにリクはカレンの手を引いて立たせるが、腰が砕けたようにへなへなと尻餅をついてしまう。
「ぶははは!」
「なによ! 笑わないでよ!」
吹き出したリクに対しカレンが床をバンバン叩いて癇癪を起している。
「げほっ はは、悪いな、笑いすぎた」
「なによ、馬鹿にして!」
恥ずかしいのか頬を真っ赤にしたカレンがその赤いほっぺをプゥと膨らませている。ようやくカレンらしくなった様子に、リクはホッとした。
悲しそうな顔よりも、怒っている顔の方がまだ良い。もちろん笑顔が一番だが、それをリクに向ける事は無いのだろう。
リクはそんな事を思った。
「カレン、肩と脇、どっちが良い?」
「は?」
「良いから答えろって」
リクの問いに意味不明だという顔をするカレンだが「とりあえず、わ、脇かなぁ」と答えてきた。
その答えにリクはカレンの腰に腕を巻き「よっと」と掛け声を発し、軽々と持ち上げ、脇に抱えた。ちょうど丸太を抱えるようにリクの左わきにカレンが抱えられているのだ。
「ちょっとあんた何考えてんのよ! レディにこんなことしていいと思ってんの?」
「だって脇が良いって言ったろ? 肩に担ぐよりはましだと思うぞ?」
リクはニヤリと脇に抱えたカレンを見下ろす。
「あ、あたしは荷物じゃない!」
「歩けないんじゃ、同じだろよ」
「キーー! 屈辱だわ!」
カレンがバシバシとリクの足を叩いてくるが当のリクは意に返していない。むしろ、やっと元のカレンだと安堵しているのだ。リクは暴れるカレンの頭に右手をのせポンと叩く。
「お前、結構重いな」
軽々と持ち上げたリクが冗談を飛ばすが、カレンは真に受けたらしく耳まで真っ赤にして「サ、サイテー! あたしは太ってなんかないわ!」と叫んだ。
「いや、マジで結構重いぞ?」
「うっさい! あたしは太ってなんかいないんだ!」
「まぁ、俺は痩せすぎよりも肉付きが良い方が好みだがな」
「あんたの好みなんか聞いてない!」
「お前の肉を嬢ちゃんに分けた方が良いんじゃないのか?」
「な、なんですってぇ!」
「はははは!」
これだけ理不尽に巻き込まれればリクも意地悪をしたくもなる。
二人がじゃれているその声は、開けっ放しの扉から屋敷中に筒抜けになっていることを、二人は知らない。