第十話 そろそろ話してもらいたいんだが
「お願いです! 私ができる事は何でもしますから、ヴィンセント様を殺さないで!」
涙をボロボロとこぼしながらヴィンセントにしがみつくエリナが叫ぶ。
「悪いのは僕だ! 罰でも何でも受ける! だからエリナには何もしないでくれ!」
ヴィンセントは泣き叫ぶエリナをその腕の中にしまい込み、必死な顔でリクに訴えてくる。対してリクは剥き身のサーベルを肩に担ぎ、やれやれという顔をしていた。
リクとしてはヴィンセントの剣を弾き飛ばし、うまく自分のサーベルも地面に落として決闘そのものを無効にしようかと企んでいたのだが、エリナの登場でその策は風に吹き飛ばされた。
「ヴィンセント様に何かあったらただじゃおかねえぞ!」
「エリナ様に指一本触れたら、この街から追い出すからね!」
周囲からリクに浴びせられる視線と言葉は、一つとして彼を擁護してくれるものは無い。超アウェーなのだから仕方がないのだ。
リクは顎に手を当て、フムと呟く。無い知恵を絞ってどうにかならないかと考えているが、良い考えなどすぐに浮かぶものではない。
「ま、とりあえず宿探そうか」
考えた挙句の言葉がこれである。何か酷いことを言われるのでは、と固唾を呑んで身構えていたヴィンセントと群衆は一瞬動きを止めた。だがすぐにヴィンセントが正気を取り戻した。
「宿ならば我が屋敷に来てくれ。この続きは屋敷で話をしたい」
エリナをぎゅっと抱き寄せたヴィンセントが大きな声を張り上げると、群衆からはホッとしたような気配が伝わってくる。血を見る様な事にならなくてよかった。そんな空気がひしひしと伝わってくるのだ。
「んじゃ、ご厄介になろうかねえ。なぁカレン」
リクは背後の馬車を振り返り、焦点のあっていない目で茫然と立ち尽くすカレンを見た。
「ここです」
白馬にまたがるヴィンセントの誘導で馬車が案内されたのは、今まで泊まった宿を全て合体させたよりも大きく高い建物だった。下から窓の数を数えれば五個あり、横に数えれば十はある。それが表面だけでこの数なのだ。
煉瓦で表面を作り漆喰で模様を描いた壁面に艶のある木材で縁取った窓を見るだけでも、この屋敷を買うためには何百年軍にいればいいのだろうか、とリクに思わせるほどには高貴な屋敷だった。
「金持ちってな、すげぇな」
開いた口がふさがらなかったリクの口から出た言葉が、これである。リクの金銭感覚の常識を超えてしまった屋敷を形容する言葉は、彼の頭の辞書にはないのである。
「誰か!」
ひしっとしがみつくエリナを左腕で囲ったヴィンセントが屋敷に向かって声を張り上げた。いつもと違い緊張したような上ずった声に驚いたのか、家令と思わえる白髪初老の男性が扉を壊さんとする勢いで飛び出してきた。
「ヴィンセント様! それにエリナ様も!」
もう離れないと言わんばかりに抱き合う二人を認めた家令が叫ぶと、後ろから使用人たちも飛び出してきた。
「彼を部屋にお通ししてくれ」
ヴィンセントはリクを振り返り、そう言った。家令は、お世辞にもキレイなどとは言えない軍服姿のリクを見て眉を顰める。そんな家令を見て察したのか、リクは肩を竦めた。
「エリナは先に風呂に入って気持ちを切り替えた方が良いよ」
ヴィンセントが自分の胸に顔をうずめているエリナに優しく声をかけているが、彼女の頭は左右に振られた。
「……一緒にいるの」
普段の口調とは違う甘えるようなエリナの声にリクは片眉をあげる。やはりエリナはヴィンセントといたいのだ。本当はこの縁談は拒否したいのだと。
リクは自分の考えがあっていると確信した。
「僕だって一緒にいたい……ずっと」
二人は場所を憚ることなく抱き合っている。そんな様子を、カレンが目を細め嬉しそうな顔で眺めているのを、リクはちらっと見た。
望まれていないのは、自分だけ。
ふぅと小さく息を吐き、しゃーないと思うリクだった。
「はぁーー、イゴコチワリィ……」
リクが案内された部屋は、横に窓五個分はあろうかという大きな部屋だった。置かれているソファーはリクが横たわっても足が出る心配もなく、体重で沈み込む心配をしなければならなそうな程ふかふかだった。置かれている調度品は、その価値などリクの記憶では換算できない程、きめ細やかだ。
ベッドはこれ見よがしにキングサイズで、どうせ一緒に寝る女なんかイネーヨと叫び出したいくらいだった。
「くそっ! 金持ちの嫌味かよ!」
決闘で負けたも同然のヴィンセントの嫌がらせかとも思ったが、彼らにとってはこれが普通なのだ、と思うことにした。
リクが落ち着かず居場所なさげに部屋をうろついていると、扉がノックされた。
「空いてるぞ」
訪ねてくるような人間など心当たりも無いリクは適当に答える。当然鍵などかけていない。無言で開けられたら扉の向こうにいたのは、どこか暗い顔のカレンだ。
「ん? なんの用だ?」
リクの反応はそっけない。てっきりカレンはエリナの世話をしているものと思っていたからだ。うつむき気味で紺色のお仕着せのスカートをぎゅっと握っているカレンを、リクは怪訝な顔で見る。これほど深刻な表情のカレンを、リクはまだ見ていない。
思い詰めた顔に見えるカレンに対しリクは「まあ入れよ」と声をかけた。
「……」
リクには聞き取れない呟きを発したカレンが、重そうな足を引きずるようにして部屋に入ってきた。
「なんだ、しけた顔して」
カレンの様子におかしいと思いつつもリクはいつものような軽口を叩いた。するとカレンが顔を上げる。赤い瞳をぼやかせ、カレンがポケットから取り出したナイフを手にした。
「ごめん、もうこうするしかないの!」
お腹の前に両手に持った小さなナイフを構え、カレンが叫んだ。
だが、そのナイフを持っている手は、お仕着せのスカートで見ることはできない足は、ガタガタと震えている。カレンは、今にも泣き出しそうな顔で、何かを訴えたい瞳で、リクを見てくる。何か思い詰めてしまっているカレンを見て、リクは小さく息を吐いた。
「ほら、そんな物騒なモンしまえって」
リクはあきれた顔をしながら、ナイフを向けてくるカレンに歩み始める。
「こ、こないで、きたら、さ、刺しちゃうんだから!」
「つーか、お前、俺を刺しにきたんじゃないのか?」
体を震わせるカレンにナイフを向けられながらもリクは冷静だった。カレンの体を震わせているのは恐怖だろう。それはリクへの恐怖ではなく、人を殺める事への恐怖だ。新兵には良くあることだった。
「そ、それ以上、こないで!」
顔をしわくちゃにしたカレンが泣きべそをかいている。おおかたエリナの為に独断でやっていることなのだろうなとリクは感じていた。カレンのエリナに対する忠誠は、リクの知っているソレより高貴であり献身的であった。可愛い妹に対するモノに近い。尤も肉親がいないリクに、それは分からないことではあるのだが。
リクは脅されても尚、歩みを止めない。
「こない、で……」
か細い声のカレンは今にも泣き崩れそうだった。
「ったく、いいとこのお嬢様が人を殺めるなんて考えたちゃだめだろ」
リクはそう言いながらカレンの手にあるナイフの刃を指で摘まんだ。少し持ち上げただけでそのナイフはカレンの手から離れてしまう。手首を返すような動作でナイフを壁に投げると、ゼリーに刺さるがごとくナイフは壁に根元まで刺さった。
「あたし……」
恐る恐る涙でぼやける赤い瞳でリクを見あげてくるカレンが、正座する様にペタンと尻餅をついた。緊張が抜けて足に力が入らなくなったのだろう。リクは苦笑いをし、カレンの横にどっかと胡坐をかく。
すすり上げるカレンと目を合わせ、リクは微笑む。これが笑顔なのかは分らないが、少なくともカレンが慄いていないので、笑顔の範疇に収まるのだろう。
リクはそっと手を伸ばし、カレンの赤毛の上にポンと乗せた。
「なぁカレン。そろそろ話をしてくれても、いーんじゃねーか?」
リクが声を抑え優しく問いかけると、カレンは小さく頷いた。