第三話
「キキさん、さっきはありがとうございます」
会議室から伸びる通路で後ろ歩きをしながら、ミカはお辞儀して謝辞を述べる。
キキははにかむミカに向かって、無愛想なジト目を向けて言い放つ。
「あんた、作戦とかあんの?」
本人はヘッ? ととぼけた顔をしている。
それから前に向き直り、一言。
「あるわけないじゃないですか」
聞いた瞬間、キキはあ"ぁぁぁとため息を吐いて、片手で顔を覆った。
エレベータホールに着くと、五人は偶然無人で止まっていたエレベータに乗り込んだ。
ミカが鼻歌混じりにボタンを押す。
扉が閉じて、下へ降りていく。
押されたボタンが示していたのは、一階ではなく、地下二階だった。
レイは少し不思議に思いながらも、先輩が押したのだから大丈夫でしょう、と納得して何も言わなかった。
「敵戦力が分からないなら、キキ先輩のボルグとミカ先輩の弾丸、あと私のビームを放り込めばいいんじゃないんですか? そっからは新人も使った実力行使で」
エレベータの中で作戦会議が開かれた。
「人質がいたらどうする? 面倒なことになるよ」
キキの質問に、モモはグゥと言葉を詰まらせた。
「キキ先輩も何か案を出してくださいよ」
苦し紛れに言うと、キキからの睨みが返ってきた。
モモに言われずとも、キキも何か案を出そうと考えている。しかし、いい案がなかなか思い浮かばないのだ。
「この場合、一度偵察に行った方がいいんじゃないですか?」
キキたちは一瞬驚いた。その声はキキのものでも、モモのものでも、ミカのものでも、ましてやレイのものでもない。先ほど、ガッタガタに緊張していた、彼女だった。
「敵戦力の偵察、ならびに敵の本拠地の正確な規模の特定が、まずは必要だと思います」
顎に指を当てて、真剣な表情で意見を述べる彼女には、先ほどの緊張は全くない。目は光を失ってこそいないが、今までの彼女とは違う、異質な雰囲気を醸し出している。感情を感じさせないそのときの彼女は、確固たる何らかの意思を感じさせた。
「ふむふむ、なるほど」
ミカの声で、我に返ったアイは頬を一気にリンゴみたいに紅潮させて「すみません! 生意気なことを!」と全力で謝罪を始めた。
「いや、一番現実的かもしれない。基本的な情報こそ、今は必要だ」
キキは賛同を示した。モモ、ミカ、そしてレイも、それぞれに頷く。
アイはさっきとは別種の恥ずかしさを感じて、太陽みたいに真っ赤になった。
オーブントースターのような音が、タイミングよくエレベータの中に響き渡った。階数のデジタル表示は、地下二階を示していた。
扉が開くと同時に、ぞろぞろと外に出る。
「こ、これは……」
「すごいですわね」
地下二階。そこは、正面の壁一枚がぶち抜かれて外が丸見えになっている、倉庫のようなところだった。向こうまでは少なくとも五十メートルはあるように見える。床も、天井も、無機質に輝く鉄色の金属で出来ていた。開けた一面には内装と対照的に、海の青と縁から覗く草木の緑が見える。
五人のいる場所の右上の方で、作業着を着た男性が二人、壁に張られたガラスの向こうからこちらを見ている。
「あー、あー。聞こえますかー?」
いつの間にかミカは右耳に手のひら大のインカムをつけていた。壁の向こうの二人はミカの声に反応するようにこちらに手を振ってくる。
「それじゃ、キキさんがお手本見せるから、二人ともちゃんと見ててね」
ミカはキキの後ろに回り、ぐいぐいと背中を押していった。
後ろを振り向きながら、キキが「なんで私が」と苦情を述べる。
「いいじゃないですか、ほらほら」
ミカにポンと押され、キキは渋々ながら自分で前に歩いていった。ある程度歩いたところで、キキは立ち止まる。
よく見ると、足元のちょっと前辺りに、金属が出っ張っている部分があった。
「今キキさんが立ってる所の前にあるのが、カタパルトっていう射出装置だよ」
「しゃ、射出?」
アイが聞くと、ミカは「うむ」と深く頷いて答えた。
「ここから勢いよく飛び出して、そのまま目的地に向かうんだよ」
「そ、そうなんですか」
アイの顔が、少し青ざめた。
「まあまあ。慣れれば楽しいから」
ミカはなんとかフォローしようと笑顔で対応するが、アイの顔色は一向に変わらなかった。
ミカの頬に汗が垂れたとき、新しく声がかけられた。
「大丈夫ですわ、アイさん」
「月宮さん……」
「あら、レイで構いませんよ」
声の主はもう一人の新人。レイだった。
余裕の笑顔に、アイの顔が和らいでいく。
「アイさんの前に私が行って、あなたを受け止めますわ」
「レイさん……そんな、申し訳ないです」
アイの返答に、ふふふと上品に笑う。
「私たちは今日から仲間なのです。助け合うのは当然のことですわ」
っ。
「……ありがとう」
自分の手を握り、アイは微笑んだ。「礼には及びませんわ」と、レイは変わらぬ笑顔を向けていた。ミカもウンウンと腕組みしてその光景を眺めていた。
「あのさ、そろそろ行っていいかな」
キキの声に、三人はハッとなった。
たった一人。モモだけは苦笑いを浮かべながら頬をポリポリと掻いていた。
「キキさん、すみませんでした。よろしくお願いします」
ミカの声に頷き、キキは首にかけているペンダントに手を当てた。
ペンダントはまばゆい光を発し、一瞬四人の視界を奪った。
「……っ!」
視界が回復したアイの目に飛び込んできたのは、ピンク色を基調とした衣装に身を包んだキキの姿だった。服の各所にはフリフリが付いていて、右手には先端にハートの飾りがついたステッキを持っている。
「詠唱なしで、変身した……」
自然に出たアイの呟きに、ミカはやんわり反応した。
「私たち三人は、基本的に詠唱なしで変身できるよ。……まぁ、キキさんとモモは例外的な感じがあるけど」
ミカの言い方に引っ掛かり、深く尋ねようとしたアイの言葉を、轟々と響いた機械音が邪魔した。反射でアイの体がこわばる。
耳をつんざくような機械音の中、指をさして新人二人の視線をキキの方に誘導しながら、ミカは声を張り上げた。
「変身したらあのデッパリに一歩踏み込むの! そしたら今みたいに機械が勝手に動いて足をはめてくれる!」
二人の視線の先では、キキの足の大きさに合わせて機械が上下左右に動き、キキの足を固定した。
大きくなる機械音に負けないよう、ミカの声も自然と大きくなる。
「準備ができたら今のキキさんみたいに右手をあげて……!」
言った瞬間、けたたましい音とともに、キキは高速で外界へスライドしていった。その速さは時速五十キロ。向こうの端になんて一瞬でつく。
カタパルトが外れて放り出されたキキは、直後に急ブレーキをかけて体を宙に静止させた。
それからターンしてきて、出口の近くで浮遊しながらこう言った。
「二人の練習もある。私がここで受け止めてやるから、どんどん来い」
キキのほぼ口パクにしか見えない言葉を読み取ったのか、ミカはすぐにみんなの方に向き直り、指示を出した。
「さあさあ皆、変身してじゃんじゃん行ってくれたまへ~」
呼び掛けに応じて、全員一斉に変身を始めた。
モモは左耳のイヤリングに、ミカは右目を覆う眼帯に、アイは右手中指の指輪に、レイは左手首の腕輪に手を添えた。
モモたちは何も言わぬまま光に包まれていく。
光の中から「二人は焦らず、ちゃんと詠唱して変身してね」というミカの声が聞こえた。
後輩たちはミカの言う通り、詠唱を始める。
「我が名はアイ。今この世に顕現す!」
「我が名はレイ。今この世に顕現す」
詠唱に呼応するように二人の体内から光が溢れ、それぞれの体を包み込んだ。
光の中で換装は終わり、光が収束するとそこには全く違う服装、頭髪の五人が立っていた。
モモは中華服のようなタイトスーツ。SFチックな無機質な線が幾本も入っている。黄緑色の髪はリボンをカチューシャのように使ってまとめられていて、手にはキキと色違いのステッキが握られていた。
ミカは上から下までミリタリーな服だった。上半身は防弾チョッキのような装備と隙間のないアームカバー&手袋。下も長ズボンとブーツでしっかり固められていて、各太ももに一つずつ、拳銃と弾倉が入ったホルスターが取り付けられている他、ライフルケースを背負っている。炎髪にはちょこんとゴーグルとカチューシャが乗っていた。
レイは剣闘士を彷彿とさせる軽装だった。胴回りを守る鎧と急所付近のズボンと前開きスカート、籠手とレガース以外は革製のベルトが体の各所に張り巡らされているだけ。腕や太ももなど、いろんなところが丸見えだ。武器は腕に付けている盾とグラディウス剣。。髪は灰色に変わり、先ほどまでの高貴な感じとは打って変わって薄汚れた世界の住人の雰囲気を纏っている。
アイは和装主体の剣士スタイルだ。膝まである薄紫の羽織を胸下の帯で締め、紺色のズボンをフリル付きのブーツに入れている。紫の髪と合わさってまとまった雰囲気を醸している。腰には宝石の天使の羽を模した装飾と宝石ように輝く石が端についた六十センチほどの杖が差さっていた。
「それじゃ、私から行きまーす!」
はしゃぐように前に出たのはモモだ。カタパルトにはまると、勢いよく右手を挙げてキキの胸に飛び込んでいった。
しかし、
「おおっとー!?」
キキは当たる直前に体を反らし、モモからの抱擁をかわした。
「もう、なんで避けるんですかキキ先輩!」
「ラリアットのがよかった?」
腕を回す同僚に、モモはかしこまって謝った。
「次、レイちゃんいくよー!」
二人に聞こえるのはミカの声。新人から先に出させるらしい。
轟音がしてから、少しの間をおいてレイは出てきた。
レイの前にスタンバイしていたキキは、レイの勢いに合わせて並走しながら、だんだんと速度を落としていく。
百メートルほどで、二人は制止した。
「先輩! いきなり速度を落としていただいてもいいのですよ!?」
「い、いや。それは私にもダメージくるから。それと先輩はやめて。あいつを思い出してイラつくから」
ガンガンがっついてくる態度の変わり様に、キキは引いていた。言うことだけは言ったが、心の中では結構バタついていた。
「さあアイさん! 私の胸に飛び込んできなさい!」
バッと両腕を広げる新人に危険を感じたのか、キキはレイを下がらせた。
「私が受け止める、さあ来い」
レイでないことが分かったからか、カタパルトに足をはめたアイは戸惑っていた。
「心配するな!」
語気を強めて、キキは言い放った。
アイに聞こえたのかは定かではない。だが、彼女が落ち着いたのは、見て取れた。
「いきます」
そう言ったような気がした。間もなくアイが手を挙げる。
目をしっかり前に向けて急接近してくるアイ。キキは腰を落として受け止める体勢をとった。
だが、それは要らなかった。
アイはカタパルトから足が外れると、自分で速度を落としてキキの前に静止したのだ。
「……」
キキは言葉が出なかった。
アイはふうと一息吐くと、目と鼻の先にいるキキに驚いた。
「あわわわ! す、すみません! お手を煩わせてはいけないかと思いまして」
目を力いっぱい閉じて、両手を忙しく動かしながらアイは説明する。
「それは、違う」
短くキキは反論した。
「私たちは先輩。君たちは新人。慣れないのだから、頼ればいい」
近くで優しく紡がれる声に、アイは目を開き、顔を上げた。
「それにこれに関して言えば、トップスピードを肌で感じることも一つの目的だ」
まずいことをした。そう感じたアイは、また釈明しようと手を動かし始めたが、キキが制した。
「でも、よくできたな」
目と目が合った。
アイの頬が若干赤く染まったような、
「ぶーつかーるよー!」
声が聞こえたかと思えば、アイの背から二本の手が伸びてきた。行く先は、
「ふひゃっ!?」
体に存在する、二つの柔らかい山だった。遅れてミカの顔がアイの肩に乗る。
「……!」
ことを理解したキキは、アイの体を這いずり回る手を振り払って、ミカの頭を鷲掴みにした。
「ミカ」
「いやあ、アイちゃん中々のモノ持ってんねえ」
キキの額に青筋が走る。
「いたいたいたいたいたいたいたい!」
「あ、あのキキ先輩、もういいですから!」
ミカの断末魔的な叫びを聞いたからか、アイはキキの手を止めた。
キキも、ミカの頭を解放した。
「ふう、危うく任務の前に死ぬところだった」
「自分のせいだけどね」
「ま、まあまあ」
三人のもとに、残りの二人も寄ってくる。
「まさかミカ先輩、カタパルト使わずにくるなんてな」
「驚きましたわ」
微笑んでいる二人。
キキも顔色を元に直した。「さ」という一言と一拍の拍手で、場が締まる。
「行くぞ」
「はい!」「仰せのままに」「わかりましたわ」「はい」
個々に返事をして、五人は下野山へと飛んでいった。