-69- シビトハザード②
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死んだ。死なせてしまった。
殺したかったが、死んで欲しかった訳では無かったのに。
「くっそがァ!!!」
落ちてしまったヒイラギを掴めなかった、骨剣と化している右手を思い切り城にぶつけて叫ぶ。
その声はやまびこのように反響し、しかしすぐに流れる風の音に掻き消されてしまった。
シビトは左手で頭を乱暴に掻きむしり、深い呼吸を繰り返す。
「すぅ……はぁ。落ち着け俺。祝詞を助けられなかった時点で全員を救うなんて最初から無理だったんだ。切り替えろ、白樺 司人。お前が今すべきことはなんだ」
指でこめかみを何度も叩きながら、ぶつぶつと自己暗示を掛けるように言い聞かせる。
最初から全員を自分の手で殺せるだなんて思っていない。
この世界に来て既に死んでいる者もいるだろう。この帝国に向かっている最中に命を落とす者もいるだろう。
その救えなかった内のひとりが、仲の良い友人だった。それだけのことだ。
「やるべきこと。ああ、そうだ。これ以上、クラスメイトを死なせない事だ。ならやるべきことは、ただひとつ」
ゆらりと立ち上がり、ヒイラギの落ちた壁際に背を向ける。
数秒目を閉じて、開く。
覚悟を決めたような鋭い視線で、睨み付けるように前を見据えた。
「今度はアキヅキを、殺す」
〇
落ちていく時の、なんとも言えない浮遊感。
飛び降り自殺は途中で意識が途切れるという話を聞いたことがあったが、異世界に来て人間離れしたせいか、はっきりと意識を保っていた。
それを幸か不幸かで言うならきっと……
「お、落ち……しっ、死ぬっ! なんとか……何とかしな」
べちゃり。
…………………………。
…………………………。
ヒイラギが地面に叩きられた瞬間、飛び散ったのは肉片ではなく泥だった。
アキヅキからコピーした、自身の肉体を泥に変質させるスキルだ。
ずずず、と。
ゆっくりと時間を掛けて飛び散った泥が1箇所に集まり、人の形を構築してゆく。
「……死ぬかと、思った」
息を整えながら、ヒイラギは辺りを見渡した。
「え……?」
一瞬、目を疑った。
何故ここにいるのかと思い、すぐにいてもおかしくはないと思い至る。
「あ」
「い」
「う。えー、惜っし! あ、今のは狙ったとかそういうのではなく……」
サッカーのPK戦のようなことをしていた3人の少年少女。
彼らの名前をヒイラギは知っている。
「糸井! 来栖! 内藤!」
糸井 八雲。
来栖 來夢。
内藤 依。
3人とも、ヒイラギのクラスメイトだった者たちである。
そのうちの1人が、あちゃーといった感じで天を仰いだ。
「すまんぜ、ヒイラギ」
その言葉と共に、3人全員が姿を消す。
1人は身体が糸のように解け、1人はどろりと溶けるように消え、1人は己の影に潜った。
「いったい、なにを──ッ!?」
油断していた、のだと思う。
つい先程までシビトと戦っていたばかりだと言うのに。
クラスメイトだと言うだけで、無意識のうちに気を許していた。
ここにいるということは、既にシビトに殺されゾンビになった者たちであるということなのに。
ヒイラギはどこからか現れた糸に縛られた。
身動きが取れない状態で、背後に現れたナイトウが、ヒイラギに向けて手を前に突き出す。
「ほんとに、ごめんね? 血弾!」
「あ あ あ あ あ あ あ ァ!!」
5本の指先から放たれる血の弾丸がヒイラギの背中に何度も浴びせられる。
気を抜けば意識が飛んでしまいそうな程の激痛。意識を失えば殺されるという事実だけが、飛びそうな意識をつなぎ止めている。
「ボールも友達!」
「ぐぁっ!」
クルスの蹴り飛ばしたサッカーボールが、ヒイラギの腹に直撃する。
いや、それはサッカーボールではなかった。
腹に張り付いたそのスライムは、そのまま捕食を開始する。
溶かされ、爛れてゆく肉体。少しずつ侵食される感触がありながらも、身動きひとつ出来ない恐怖。
ガチガチと歯が鳴った。
平然とした顔で目の前に立つ3人が、自分の記憶にあるクラスメイトと同一人物なのかと疑わしく思う。
意識とか、倫理観とか。
そんなに変わるものなのかと。
たとえヒイラギが殺され、ゾンビになったとしても、同じように新しく来たクラスメイトを殺せるとは思えなかった。
「もう一度言う。すまんぜ、ヒイラギ。シラカバの奴が俺たちに下した、たった一つの命令。それが、生者である同級生をその手で殺すことなんだ」
「く、くるすぅ……」
「そんな目で……見るなよ。俺たちだってやりたくてやってる訳じゃない。お前がこうして殺されそうなのは、お前にも原因があるんだぜ? 命令のトリガーは、俺たちがここにいるってバレることだからな。お前が落ちてこなけりゃあ、俺らはあのままサッカーしてた」
怖い怖い怖い怖い。
殺される。
きっと彼らは一切の躊躇をしない。
クラスメイトを殺すことへの葛藤も、罪悪感もないままに、容赦なくヒイラギの命を奪うだろう。
それがたまらなく、怖い。
「よし、で、誰が殺す?」
もはや3人はヒイラギのことなど気にもせず、話し始める。
「ラムが食い殺すのを待ってもいいが、それでゾンビにならなかったら俺ら怒られるぜ?」
「うーん、僕の糸で首落とそうか? くいっていけるよ、くいって」
「あ、じゃああたし貰ってもいいかな? ひっさびさに生き血を飲みたいしぃ、ね?」
「好きにしろ」
「やたっ」
スキップしながらヒイラギに近づくナイトウ。
彼女はヒイラギの後ろにゆくと、抱きつくように腕を回す。
「はぁぁ。いい匂い。ミックスジュースみたいな匂いがするよ、ヒイラギくん」
興奮に顔を赤らめて、身体を擦り付けるように動かす。
血を吸い、精力を取り込むことで、永遠の若さと美貌を得る吸血鬼。しかしその色気や柔らかい感触を楽しめる余裕はヒイラギには無い。
「俺たちは何を見せられてんだぜ……」
「さ、さぁ……?」
楽しんでいるのはその場でナイトウだけだった。他のふたりも困惑している。
ぺろりと、彼女がヒイラギの首元を舐めると、勢いよく血が吹き出した。
「いただきまぁす」
ヒイラギの血を口に含み、嚥下する。
ナイトウは幸せそうな表情を、一瞬だけ浮かべ──
「あぁ……、んぇ、ッ!?」
──すぐに青ざめて、地面をのたうち回る。
「──ァ──……ッ!!」
声にならない叫び声が響く。
吸血鬼にとって、同族の血は猛毒となるのだ。
自信満々に飲んでいたから、ゾンビには猛毒にならないのかと思ったがそんなことはないらしい。
それは経験の差だった。
ヒイラギは知っていて、他の彼らは知らなかった。
その異常事態は突破口となり得る。
突然のことに状況を理解出来ていないイトイとクルスが近寄ってくる。
それは……悪手だ。
ヒイラギが身動き出来なかったのはイトイの糸に拘束されていたのもあるが、彼らに全く隙というものがなかったからだ。
抜け出したとしても、残りの2人に取り押さえられていたはずだ。
だが今は、それがない。
「てめぇヒイラギ! お前、何をしたァ!」
「クルス、動くな。イトイもだ」
ヒイラギは腕から光の剣をのばし、泡を吹いて痙攣しているナイトウの胸に切っ先を当てていた。
当てた部分が、焼かれるようにジジジと煙を上げていた。
それを見て、向かってくる2人は足を止めた。
「なんの、真似だ? 俺らは既に死んでんだぜ? 心臓潰そうが、首がちょん切れようが、俺らが死ぬことはねぇのだぜ」
「嘘だな。なら脅しに止まる必要はないし──そもそも俺の能力は嘘を見破れる。近付いたら刺すぞ」
クルスの目を見据えてヒイラギは言い切った。
彼は諦めたように息を吐く。
「……くそっ、だせぇぜ。ああそうだぜその通りだぜ。俺らだって死ぬぜ? で、だ。お前にその覚悟はあるのかヒイラギ。素面のまま、正常な思考のままクラスメイトである俺らを殺せるのか?」
「もちろん」
声が震えないように気を付ける。
殺すつもりは無い。殺す度胸もない。
けど、殺すと思わせなければ殺される。
「殺そうとしてくる相手を、殺さない理由なんてないだろう?」
「……本気か?」
「なんなら、すぐにでもナイトウを殺して見せようか?」
「いや──その必要はないぜ」
「な……っ!?」
ヒイラギの立っていた地面が盛り上がり、大きな口を開いたように、スライムが飛び出してきた。
「や、め──」
「ははははは! 油断したなヒイラギッ! 土スライムのラム3号だぜ! 喰らい尽くせ──
「なんだよこれ! 催眠か……? 幻術? くそっ。目を覚ませクルス!」
「はははは……。……あ? イトイ、か? なんでお前が3号に喰われてんだぜ?」
「僕が知るかよ! お前がやったんだろ!? とっとと外させろ! 細切れにするぞ!」
そこでようやく、クルスは自分が見ていたものが、ヒイラギによって見せられていたものだと理解した。
もはやヒイラギは去っており、目の前には変わらずナイトウが苦しんでいる。
どのくらい時間が経ったのかは分からないが、ずっと意識のあったイトイがすぐに追いかけることを提案しないということは、ヒイラギにはもう追いつけないのだろう。
完敗であった。
「くそ……逃げられたのだぜ」
「多分もう出番ない三銃士を連れてきたよ」
糸井八雲
蜘蛛の魔物スキル。
自在に糸を出し、操れる。自身も糸になれる。
長さ、硬度、その他もろもろは調整できる。
来栖來夢
スライムの魔物スキル。
スライムの生成、合成、能力付与、もちろん自分もスライムになれる。分裂もする。
サッカーボールのようなサッカーボールスライムも作れるし、野球ボールスライム、バットスライム、グローブスライムだって多分作れる。
内藤依
吸血鬼の魔物スキル。
吸血種。不老不死などと言われるが、それはどちらも正しくない。成長が遅いだけで、不老じゃない。再生力が強いだけで、不死じゃない。奴らを表す言葉はきっと……これ結構前にやりましたね……。




