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紫霧を纏う毒使い  作者: 雨請 晴雨
3章 魔人帝国シラカバ
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-68- えーるえん

お読みいただきありがとうこざいます

 ああ、なるほど、と。


 すとんと胸に落ちてくるように。

 かちりと当てはまるように。


 『彼女』の顔を見ただけで、ここで起きた全てを理解出来た気がした。


「──さようなら」


 そう言い放ったエンテの右肩を、シンリはそっと自らの胸に抱き寄せる。


 間一髪だった。

 少しでも遅れていたのなら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。


「シンリ、様……?」

「シンリ、さん……」


 エンテも、相対する『彼女』も、ぽかんと同じような表情で自分を見ていたのが印象的だった。


 傷だらけで、なにも身に付けていないエンテにローブを羽織り、シンリは一歩前に出る。


「エルゼ……」

「ッ!!」


 死んだと思っていた。

 死なせてしまったと思っていた。


 かつてシンリの後先考えない行動によって、村ごと滅ぼされてしまった少女。


 ユラは言っていた。

『彼女を怒らないで欲しい』と。


 違う。違うのだ。そんな話ではない。

 彼の言葉はあまりにも見当違いだった。


 怒る怒らないではなく、許す許さないでもなく。

 こと今回の件に至っては、他でもない自分自身が許されるべきではなく、罰せられるべきなのである。


 怒る権利というのならば、それは巻き込まれたエンテにしかない。


「……」


 いったいなんと口にすればいいのだろう。

 

 生きていてよかった? また会えて嬉しい?


 どの面下げてそんなセリフが吐けると言うのか。

 この状況の全ての原因が自分にあると言うのに。


「ち、違う……違うんです、シンリさん。これは……」


 シンリが言葉を選んでいると、目の前に立つエルゼが声を震わせながら言った。


「わた、わたし、は、この女を、殺そうとしたんじゃなく、て……その、あの、いなくなれば、シンリさんがわたしだけを見てくれる、って……わたしと一緒にいてくれるって、思って、それで、それで……」


 涙を零して、呼吸を荒くして、縋るような表情で。


「ごめん、なさい。きらわないでくださいすてないでください、ゆる、許してください。わたしにはもう、シンリさんしかいないんです。おじいちゃんもいなくなって、お父さんもころされて、帰る場所もどこにもなくて……わたしより、その子の方が大事なのは、わかってます、から……それ、でも、おねがいします、もう、わたしを、すてないで……」


 震える身体はとても小さく見えた。


 そんな彼女に、シンリは言わずにはいられない。


「違う……っ」

「……え?」


 なにもかもが違う。間違っている。

 どうしてエルゼは自分を責めているのだ。

 エンテを襲ったことは褒められたことではないが、それは決してシンリに対して許しを乞うことではない。


 エルゼは自分シンリを責めるべきなのだ、と。

 そう思って、その思考は自分が楽になりたいだけなのだと気付いて奥歯を強く噛み締める。


「違う、だろ。そうじゃないだろ。俺のせいでお前の村は無くなって、お前の家族は殺されたんだ。恨まれても仕方のない事をした」


 感情が揺れ動く。罪悪感や後悔が波のように押し寄せる。

 起伏の少ない聖霊の感情がこうも動いているのは、相手が自らの眷属だからだろう。


「これまでだって、お前のことをずっと死んだと思っていた。眷属の繋がりリンクだって、感じようとすればすぐにでも分かるのに、思い至りもしなかった。そもそも、リンクを切ったことすら忘れていた」


 シンリが眷属とのリンクを切ったのは、シセルを眷属化した時だ。シセルから流れ込んでくる悪感情が気持ち悪くて、全ての眷属とのリンクを断ち切った。

 エルゼとのリンクが切れたのは無意識だったが、言い訳になるはずもない。


「やろうと思えば、やり方はいくらでもあったはずだったのに。探そうと思えば、簡単に見つけることが出来たはずなのに。お前が思い詰めてしまった原因は俺にある。謝って済むことじゃないが……すまなかった」


 シンリは頭を下げた。


 それに対して、エルゼは。


「えへへ」


 笑っていた。


「何を笑ってるんだ……?」

「だって……」


 目をこすって、エルゼは言う。


「わたし、シンリさんに、見捨てられたって思ってて、でも、ちがうんですよね? シンリさんは、わたしを捨ててなんかいなかった。ほんとは助けようとしてくれてた。それが、とってもうれしいんです」

「エルゼ……お前それ、本気で──」

「もちろんですっ。わたしがシンリさんに嘘つくわけないじゃないですか」


 曇りのない笑顔が、シンリには恐ろしく見えた。


 信頼や好意という言葉では説明出来ない、盲信、あるいは狂信といった類いの感情がそこにはある。


 仮にも家族が死んで、故郷が滅びているのだ。

 その原因を作った男に対してする態度ではない。


 異常であるというのは、聖霊であるシンリにも理解できることだ。


「エルゼ」

「はいっ、なんですか?」


 泥沼だ。その心が弾んだような声色に、何を言っても無駄だということが理解出来てしまった。


 シンリが彼女に何を言ったところで、エルゼの心には届かない。

 いや、届いてはいるのだろう。届いた上で、全て肯定され、いいように解釈されてしまう。


 エルゼの人生をめちゃくちゃにしてしまったという罪悪感がシンリを苛み、彼女を拒絶することも出来ない。


 手詰まりだ。どうしようもない。

 エルゼをこのまま受け入れることでしか、この問題は解決しない。

 それも、問題の先送りにしかならないのだが。


「……いや」


 まだ方法はあった。

 このまま受け入れるのではなく、拒絶するのでもなく、彼女の目を覚まさせる方法が。


 今のエルゼの行動原理は、シンリに対する好意だ。

 ならば、幻滅させることでその気持ちを冷ましてしまえば、もしかしたら、今よりはマシになるかもしれない。


 ──その言葉は、エルゼを眷属にしたその日から、ずっと思っていたものだ。


「エルゼ、お前のその俺への想いは、作られた──」


 その想いは作られたものだと。

 強制的に押し付けられ、植え付けられた偽物の好意なのだと。


「し、シンリ様っ!」


 そう続けようとしたシンリの言葉は、今まで黙っていたエンテによって遮られる。


 少し焦った様子で、困ったような顔をして、エンテはシンリとエルゼの間に出てきた。


「さ、差し出がましい真似かもしれませんが、ここはわたくしにお任せ下さい」

「……エンテ、今の話はお前にも──」

「シンリ様っ!!」


 ほとんど叫ぶように、傷だらけの少女はシンリの名を呼んだ。


「シンリ様……わたくしは、その言葉の続きを聞きたくないのです」

「……っ」


 それさえも偽りの想いからの言葉だと。

 そう告げることが今のシンリには出来なかった。


 好きな人に、その人の口から、お前の好意は偽物だと言われた少女が、あまりにも悲しそうな顔をしていたから。

 今にも泣きだしそうなほど、苦しそうな顔をしていたから。


 しかし、そうなればそうなるほど、思わずにはいられない。


 彼女たちの自分に対する好意も、言葉も、笑顔も、態度も、その全てが……。


『我が勇者よ、ちょっとばかし下がってみてはどうじゃ』


 自己嫌悪の渦に飲み込まれていると、腰に帯びた木刀がぶるぶると震え、そう言った。


「だが……」

『お主よりも、そこの娘の方がうまくやるじゃろうて。言っておくが今のお主、最悪じゃぞ? 人間に寄りきれず、聖霊にもなりきれず、中途半端に人の心が分かる癖に、心ないことも言えてしまう。この人でなしめ』


 そうなのだろうか。

 いや、そうなのだろう。


 自分では正常な判断を下していたと思っていて、状況に合った言葉を発していると思っていた。

 それは本当に思っていただけで、客観的に見れば自分は間違っていたようだ。


 そんなこと、エンテの泣きそうな顔を見れば分かるはずなのに、言われるまで気付かなかった。


 聖霊にも人間にもつかない中途半端な思考。

 ミルネアシーニに言われて、妙に納得してしまう自分がいた。


「……」


 死んだと思っていたエルゼが生きていたことで、少し気が動転していたこともあるだろう。


 深く考えすぎていたのかもしれない。余計なことを考えすぎていたのかもしれない。

 こんなことでは、どう転んでも間違った答えしか出てこないはずである。


「まさか、木刀エルフに人でなし呼ばわりされるとはな」

『阿呆、杖じゃ、杖』


 くつくつと、顔は見えないのにミルネアシーニが笑っている気がした。

 だからシンリもつられて笑ってしまう。


 視野が狭くなっていた。エルゼしか見ていなかった。

 ここにはエンテも、ミルネアシーニもいたというのに。


「エンテ」

「はい。シンリ様」


 ひどいことを言ってしまったのに、今までと変わらず、彼女は笑顔で応える。


「あとは任せた」

「任されました」


 振り向きざまにエンテの頭に手を乗せて、少女二人に背を向ける。


「ああ、あとエルゼ」


 後ろを向けば、むすーっと不貞腐れた顔をしているエルゼがいた。

 名前を呼ばれれば、褒められた犬のように懐っこい笑を浮かべる。


「エンテと仲良くな」

『ふっ、なんじゃそれ』


 シンリは少し離れた場所で二人を見守ることにした。



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