-67- えんえる
お読みいただきありがとうございます。
シンリさんが、目の前にある高い壁に囲まれた都市にいることは分かっていた。
本当はすぐにでも会いにいきたかったけれど、猛毒の漂う都市の中には入れない。
だからゆっくりと待つことにした。
何日でも待つつもりだった。何週間でも。何ヶ月でも。たとえ何年後の話だったとしても。
思ったよりもすぐに出てきてくれて良かったと思う。
本当はもう毒を全部吹き飛ばしてでも会いに行こうと思ってたから。
ユラさんに止められなかったら、毒の中に突っ込んでいたかもしれない。
シンリさんの気配を辿って飛んでいった。
そこで、あの女の幸せそうな顔を見て。
死ねって思った。殺したいって思った。
目障りだ。シンリさんとの再開に邪魔な存在。シンリさんがわたしの元に来てくれなかった原因。
こいつさえいなければ。死ね。
あの人の隣で笑っていたのはわたしだったはずなのに。あの人の傍にいるのはわたしだったはずなのに。
あの人を好きになったのはわたしの方が先だ。あの人と出会ったのはわたしの方が先だ。あの人に救われたのはわたしの方が先だ。
なのになのになのになのに!
どうしてお前がそこにいる! どうしてそこにいるのがわたしじゃないの!?
……きっと、立場が逆だったなら、あなたも同じことをするだろうから。
わたしがあなたにすることを、恨まないでね。
別に恨んだとしても、どうでもいいけれど。
〇
攫われた。理由は? 寒い。こいつは誰だ?
シンリ様と引き離されている。目的はシンリ様?
この感覚は風魔法。寒い。どれだけ離された?
命。身代金。研究材料。あと寒い。
この感じ……女。しかも、歳はあまり変わらない。とても寒い。
「………………」
エンテは自身の置かれている状況を冷静に分析する。
思考は大切だ。力のない自分が取れる唯一の選択肢。
理由や目的が知れたなら、そこから活路が見いだせる可能性がある。
まだ何が目的かは分からないが、どうやら自分は抱えられ、風魔法で宙を移動しているらしい。
しかも水浴びをしていたから裸で。
風が濡れた身体に当たって著しく体温を下げている。
一緒に水浴びをしていた小狐のシロがいなければもっと寒かっただろう。
「………………へくちっ」
鼻をすする。
自慢ではないが、あまり丈夫な身体でないことは自分がよく分かっている。
このまま体温が下がり続ければ、程なくして意識を失うだろう。最悪、命を落とすかもしれない。
いや、死ぬのは別にいいのだ。怖くはない。
けれど、死ぬのなら好きな人のために死にたいし、殺されるのなら好きな人に殺されたい。
要するに、今、こんなところで訳も分からず訳の分からない相手に殺されるのは真っ平ごめんだ。
「……シロちゃん」
「こんっ……こんっ!」
『透過』
エンテの中に融け合わさった、シロの母親であるリグニアの力の一部と、シロの未熟な力が同調して発現する唯一の能力。
幻術による極小規模な世界の改変。
自分の実体はそこには無いと定義することで、任意の対象を名前のごとくすり抜ける能力である。
「くっ……」
高速移動の中、腕の中から落下する。
うまく着地することが出来ずに地面を数メートル転がった。痛い。
あちこちが擦り切れて血が滲み、痛みで痺れる身体に鞭打って立ち上がる。
視線の先、相対するのは同い年くらいの少女だった。
その瞳に光は宿っておらず、もしかしたらシンリ様に出会う前の自分はこんな感じだったのだろうかと、そう感じた。
「……」
「……っ!?」
少女は無言のまま腕を振るった。
風魔法により形成された風の刃が、エンテ目掛けて放たれる。
「い、いきなり……問答無用ですか」
「……」
何度も放たれるそれを『透過』することでやり過ごす。
完全に殺す気だ。
風刃がエンテの身体を通り抜けるたび、血の気が引く。当たらないと分かっていても、次の瞬間『透過』が切れてしまったらと思うと生きた心地がしない。
それでもエンテは考えることをやめない。
問答無用で自分の命を狙うその姿勢。
他にはなんの理由も目的もなく、自分を殺すことが目的なのだとエンテは考えた。
(なら、初手でその風の刃を放てば良かったでしょうに…)
少なくとも水浴びをしていた時の自分は無防備だった。
だからこそ、こうして連れ去られてしまったのだ。
それをしなかったということは、やはり他にも何か目的があるのか、あるいは……
「そんなことも分からないほど、お馬鹿さんなのでしょうか?」
「うるっっっさい!! 死ね!!!」
目を大きく見開いた少女は、先程の風刃とは比べ物にならないほど大きな風の塊をエンテに放つ。
「……言葉は通じている、と」
言葉が通じるなら、会話ができるのなら、いくらか時間を稼ぐことはできる。
ただ不安要素があるのは、今ここにシンリがいないことだ。
エンテはシンリに自分が大事にされているという自覚がある。
許されると分かっているから恥ずかしいお願いだってできるし、存分に甘えられる。
そしてだからこそ、自分が攫われたのなら、すぐに駆けつけてくれるという信頼もあった。
それが一向にやってくる気配がない。
来てくれることに疑いはない。であれば足止めなど、すぐに来れない理由があるのだ。
その間の時間を、どれだけ稼げるか。
「……厳しい、ですね」
『透過』を使える時間は無限ではない。
リグニアに託された力は有限であり、供給されることもなければ回復することもない。
魔力を欠片ほども持たないエンテだからこそ、違和感として力の残量が明確にわかる。
連続使用で使えるのは、三分といったところだろう。
「撃っても無駄だということが、分からないのですか?」
「……チッ!」
少女は攻撃の手を止め、エンテを強く睨みつける。
同時にエンテは『透過』を解いた。
ここまでは予想通り。
どんな人間でも魔力は有限である。無駄な攻撃をし続けるようなバカな相手でなくて良かったと内心安堵する。
「……すぅ、はぁ……」
静かに深呼吸して、相手を見据える。
シンリと過ごす間に、過去話をせがんだことがある。
その中に出てきた人物で、もし生きていれば、エンテの存在を厭うかもしれない人がいた。
シンリ様は、死んだと言っていたけれど。
──きっと、間違えていないはず。
「貴方は……エルゼ様、ですね?」
「……へぇ。わかるんだぁ……どうして?」
少女──エルゼは否定せず、口だけ歪めて笑った。
「も、もも、もしかしなくてもシンリさんがわたしのことを!?」
一転、頬に手を当てもじもじと髪を弄りながら、ちらちらエンテに尋ねる。
「シンリさんは……わたしのこと、なにかいってた?」
「……」
死んだと思っていました。
などと正直に言う必要は無い。
なら……
「とても可愛い女の子だと仰っていましたよ」
「そ、そうなの……?」
さらに頬を染めて恥ずかしそうに照れるエルゼ。
ちょろいなと思いながら、エンテは笑顔でエルゼを褒める。
「はい。可愛くて気が利いておしゃれで強くて頼りになって、エルゼは……ちっ、エ──もにょもにょンテェは俺の嫁! と毎日のように聞かされておりました」
「お、お、おおおお、お嫁さんだなんて……っ。気が早いですシンリさん! キスも1回しかしてないのに……」
「!?!?」
ぴしり。
エンテの笑顔に亀裂が生じた瞬間だった。
「き、キス……そ、それは、まさか……くく、口と口の……?」
「えっとぉ……」
エンテの問いに、エルゼは意味ありげに微笑んで、口元に指を立てて言った。
「な、い、しょ」
──死ねばいいのに。
エンテが沸き上がる殺意にわなわな震えていると、幸せそうなエルゼはにこにことした表情で口を開く。
「お嫁さん……お嫁さんかぁ。ふふっ。うん、やっぱり!」
口の前で手のひらを合わせて言った。
「シンリさんにはわたしだけいたらいいよね!」
「同感ですね」
エルゼが風を放つ──と同時にエンテは駆け出した。
もちろん『透過』はONにしてある。
「シンリ様にはわたくしだけで十分です。貴方は、要らない」
「……後から出てきたくせに、むかつく女」
「わたくしにとっては貴方がそれです」
『透過』状態のエンテにはどんな攻撃も効かない。
だからエンテは恐れることなくエルゼに向かって進むことができる。
「あはっ」
だが。
エルゼはその『透過』の弱点に気付いていた。
「わたしの勝ち」
「なに、を──ッ!?」
地面が破裂した。
エルゼが地面に向かって風魔法を放ったのだ。
膨れ上がった大地は、その上にいたエンテを高く打ち上げる。
「こほっこほっ、砂煙が。でも……」
エルゼは目線の先で横たわっているエンテを見た。
呼吸はしているが、それはとても弱々しく、命が尽きるのは時間の問題に思える。
「こんっ! こんっ! しぃぃぃ!!」
エルゼが近付くと、シロが威嚇する。
「くすくす。これからはわたしが主人になるんだよ」
「………………シロ、ちゃん」
「きゅ!? きゅぅぅぅん……」
名を呼ばれたシロがエンテの頬をぺろぺろと舐める。
エンテは横たわったままエルゼに目線を向けた。
「あれぇ? まだ生きてるんだ」
「わたくしを、殺せば……シンリ様、が、悲しみますよ」
「そのくらいの悲しみならわたしが埋めるから大丈夫」
「……シンリ様は、きっと、怒るでしょう」
「でもきっと最後には許してくれる。シンリさんは優しいから」
シロを撫でようと、エルゼはシロに手を伸ばすが、威嚇され尻尾で払われる。
それでもエルゼは楽しそうに笑っていた。
その様子はもはや既に、エンテのことなど眼中にないようで……。
「……………………、でした」
「? なにか言った?」
「どうやって貴方に近付くかだけが、問題でした」
エンテはエルゼの伸ばした腕を掴んだ。
「……だから?」
「『透過』は、こんな使い方もできるんです」
エルゼを掴んでいる右手以外を『透過』させる。言うなれば『部分透過』だ。
空いている左手をエルゼの胸の前に持っていき、そのまま中に入れる。
「このまま左手を元に戻せば、貴方の心臓はどうなるのでしょうか」
「え……まさ、か……」
ようやく自分の置かれた立場を理解したエルゼは顔をひきつらせる。
身体を小刻みに震わせながら、自分の胸から伸びているエンテの腕を見た。
「とどめは自分の手で刺したいと思ったのでしょう? だから貴方はわたくしに近付いた。その風魔法で殺すなら、近付く必要などなかったのに。それが……貴方の敗因です」
「や、やめて……」
「貴方とわたくしは似ているのでしょうね。だから、弱った振りをすれば近付いてくれると思いました。立場が同じだったなら、わたくしもこの手で貴方を殺そうとするでしょうから。……今みたいに」
「や、だ。やめてよ。まだ……わたし、まだシンリさんに……そ、そう! シンリさん! わたしを殺したらシンリさんが悲し……」
「ならばわたくしが慰めましょう。怒られたのならば、許してくれるでしょう。貴方が先程言っていたように」
「ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいゆるしてくださいごめんなさいおねがいしますたすけて……っ」
涙をぽろぽろ零して懇願するエルゼに、エンテは……
「さようなら」




