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紫霧を纏う毒使い  作者: 雨請 晴雨
3章 魔人帝国シラカバ
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-66- ゆらゆらリメンバー

お読みいただきありがとうございます。

「なら死ね」


 深里がそう口にした直後、彼の身体から溢れるように出てきた藍色の霧が、僕の視界を覆うように広がった。


 目くらましか?


 そう思った次の瞬間には視界が狭まり、思考にモヤが掛かったように覚束なくなった。


「────── ───」


 何が起こった、と混乱するのは一瞬で、直ぐに状況を理解する。


 視界が狭まったのはただ単に瞼が下がったからで、思考が難しくなったのは眠くなったからだ。


『──シンリさんは……毒を使います』


 今回の深里襲撃にあたって、エルゼが僕に言った言葉を思い出した。

 であれば、間違いなくこれは毒なのだろう。


 それもただの毒ではない……睡眠毒。意識を奪うための毒だ。


 そしてそれは、僕にとって唯一の弱点である。


 死ねば即時に完全回復できるけど、逆に言えば死ななければ僕にできることは何も無い。


 毒が回って、力が抜ける。

 瞼が落ち、身体が地面に倒れる前の最後の力を振り絞って、僕は槍を自らの前に立てた。


 倒れゆく身体が、吸い込まれるように槍へと落ちていき、それが僕の心臓を突き破る。


 よし、死んだ。


 戦闘において、僕が死ぬことによって得られるメリットは2つある。

 1つは状態の完全回復。

 そして2つ目は、相手に対して不意を突くことができるということだ。


 死ねば誰からも忘れ去られるという特性上、目の前で死ねば、相手からしたらいきなり僕が現れるように見える。


 相手に敵と認識されることすらもなくなり、無防備な相手に僕の槍は必ず届く──


「あれ?」


 槍で毒を散らしたその先に、深里はいなかった。


 いったいどこに……


「ッ!」


 いつの間にか背後に回っていた深里が、躊躇いなく僕の首元に持っていた木刀を振り下ろす。


 不意を突かれたので驚いたけど、全然対処できる速さだ。

 槍で受けると、深里はまた毒霧を撒いて目眩しをする。


 毒を吸わないように息を止め、毒を散らすと、やはりと言うべきかまたもや深里の姿は消えていた。


 だけど……そんなはずは無い。いきなりいなくなるなんて、そんなことがあるはずがないのだ。

 瞬間移動に似たようなことができるのなら、最初からしているはずだから。


「……」


 僕は深里を『敵』と定めた上で、スキル【※※】による危険センサーを発揮する。


 いた。


 手を伸ばせば届くほど近くにいて、そこにいると分かれば深里の姿が肉眼でも視認できた。


 彼はあまりにも隙だらけに木刀を横薙ぎに振るおうとしていて、僕と目が合うと少し驚いたように目を見開いていた。


 そしてそんな隙を、僕は見逃さない。


 僕の槍捌きは世界最高峰の模倣、神速の槍。

 命までとる気は全くないけど、しばらく動けないくらいの傷は負ってもらおう。

 ……あまりやり過ぎるとエルゼに嫌われちゃうかなぁなんて思いながら、槍を突き出す。


 と、その瞬間、僕と深里の間に爆発が起きた。

 あまりの突拍子のないそれに、僕は吹き飛ばされ、頭から落ちて首の骨が折れて死んだ。


「僕じゃなかったら死んでたぞ!?」


 死んだんだけどさ!


 ……今の爆風には見覚えがある。

 おそらく、エルゼも使っていた風魔法だろう。

 反射的に使ったから威力の調整が出来なかったのだと思う。


 いいなぁ……異世界来て魔法が使えて!


 またもや見えなくなった深里に、センサーを使って発見する。

 普通に僕に背を向けてエルゼたちの元へ行こうとしていた。


「させないよ」


 僕の役割は深里の足止めだ。

 エルゼが望んだのなら、僕はそれを全力を以て成し遂げる。


 それだけは譲れない。譲らない。

 たとえ、どんな手を使ってでも。


「────」


 呪鬼の、呪いの促進。

 ただでさえ強化されている身体能力が、さらに飛躍的に向上する。

 ほんの少し、理性と引き替えにして。


 黒く染まった身体と思考。

 足に力を入れれば、100メートルくらいの差など一瞬で埋められる。

 そもそも深里襲撃時だって、風魔法で移動するエルゼに走って追いつけていたのだ。

 呪いで強化した今、追いつけないわけがない。


「なん……ッ!」


 飛んでいる深里の肩を掴み、そのまま地面に叩きつける。

 彼が逃げないように背中を押さえつけた。


「離せ……本気で、殺すぞ」

「────」


 交わす言葉を、今の僕は持ち得ない。

 ただ深里を止めるという意志だけで、この身体は動いている。


「最後だ。離せ」


 それでも動こうとしない僕に、深里は諦めたように小さく息を吐いた。



 その息は、黒かった。



 ぞわり、と。

 感じたことの無い恐怖が僕を襲う。

 まるでおぞましい化け物に背中を舐められたような悪寒。


 恐怖など感じない呪鬼の状態でなお、すぐにでも逃げ出してしまいたいと願ってしまう。

 それほどの恐怖が……


「────、あれ」


 死んだ? ああ、確かに今、僕は死んだ。


 苦しみも痛みもなく、ただ命だけが失われた。

 呪鬼の呪いが通常に戻っていなければ、死んだことすらも気付けなかったはすだ。

 そのくらい当たり前のように……死んだ。


 これもおそらく毒なのだろう。


 死んで、力の緩んだ一瞬で深里は抜け出していた。

 そして僕は、空中に漂った残りの毒でもう一度死んだ。


 うつ伏せに倒れていたので仰向けになる。


 いやー、無理だ。相性が悪い。

 呪鬼の身体は状態異常には弱いんだ。


「どうして、お前は……」


 深里が呟いた。


「……」


 彼はおかしなものを見るように、僕を見下ろしていた。


 その時、僕は初めて彼と目を合わせた気がする。

 日本にいた時とは異なる雰囲気を纏っていて、どこか神々しさを感じるような気もする。


 口から明らかに人間とは違う色の血を流しており、親近感を持った。

 彼もきっと、もう人間ではないのだ。


 それが少しおかしくて、自然と笑みが零れた。


「……あは」


 腕を動かして顔を覆った。

 この時間は夕日が眩しくていけない。


「早く行った方がいいよ。じゃないと、手遅れになるかもしれない」


 声は震えていないだろうか。

 にやけてはいないだろうか。


「どうしていきなり……?」


 ああ、やっぱり。聞き間違えじゃなかった。


「事情が変わったんだ。たった今。僕が君の邪魔をする理由はなくなった」

「……」


 深里が僕に背を向けたのが分かった。

 それでいい。


 早く離れてくれ。少し、1人きりになりたいんだ。


「それと……深里。フカザト・シンリ」

「なんだ」

「彼女はあまり……怒らないであげて欲しいんだ。あの子にも、相応の理由があったんだ」

「彼女……?」

「行けばわかるよ。さあ、行って」


 深里はエルゼたちの元へと飛び去った。



「くくっ……あはははは!」


 近くに誰もいないことを確認して僕は笑った。

 お腹を抱えて、目尻に涙を溜めて、笑った。


「あーあ。ははっ。こんなこともあるんだ!」


 幸せを実感する。

 望むものが、こんな形で、こんな簡単に得られるなんて思ってもみなかった。


 まさか……。


「まさか、深里まで僕を忘れていないなんてね」


 彼は言った。どうしてお前は生きているのかと。

 そんな言葉、僕が死んだところを見なければ出てくるはずがない。


 エルゼが覚えていた。深里も覚えていた。

 共通点はなんだろう。他にも僕を覚えていられる人はいるのだろうか。


 僕はしばらくの間、誰もいない場所で少しだけ泣いていた。

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