-63- 帝国黙示録
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平成が終わってしまうその日の前夜、僕は夜更かしをした……
「……」
ヒイラギが部屋を出ていってから少しの時間、シビトは黙って目を閉じていた。
生者であるヒイラギの反応が離れたことを確認すると、勢い良く立ち上がって窓の近くに駆け寄る。
そして。
「お、おえぇぇぇぇえええええ……」
窓の外に思い切り嘔吐した。
「……あのクソにゃんこ。何が『誰でも泥酔間違いなしにゃ』だ。酔わないどころかまだ全然いけそうな顔してたぞ……」
口元を袖で拭いながら、シビトはそう毒づいた。
にゃんこ博士に作らせた、有り得ない度数の酒。
色々手を加えて、口当たりはカクテルのように飲みやすいが、1杯も飲めば急性アルコール中毒になってもおかしくないという物である。
死者であるため感覚が鈍っているシビトですら、アルコールが回り吐いてしまったほどだ。
それをヒイラギは何食わぬ顔で飲み干し、しっかりとした意識と足取りで去っていった。
「あぁ……駄目だ。予定が狂っちまう……。あ、本当やばい気持ち悪い。回る……回る……」
床に横たわったシビトは、両手で顔を覆って、そのまま動かなくなり──
「──ふぅ〜」
いつの間にか部屋に侵入していた少女に息を吹きかけられた。
「寝ちゃ、ダメっしょ!」
閉じていた瞼がゆっくりと上がり、瞳だけ動かしてシビトは闖入者の顔を見た。
「……助かった。回復魔法がダメージになる俺らにとって、お前の吐息は本当にありがてぇ」
「いーのいーの! それよりも、だよ!」
少女はにっこりと笑って。
「ラギーとヅッキーだっけ? 早く仲間にしてあげないとね!」
〇
時は少し遡って。
子供たちと同じ部屋に案内されたアキヅキ。
お腹がいっぱいになった子供たちはふかふかのベッドに横になってすぐに寝てしまった。
そんな子供たちの寝顔を見て、自分も寝ようかなーなんて思っていたが、ふとトイレに行きたくなり、部屋の外に出た。
特に何も考えず歩いて数分。
「……どうしましょう」
彼女は城の中で迷っていた。
目的であるトイレの場所も分からず、そして既に元いた部屋がどこにあるのかも分からない。
どっかにいるだろう使用人に聞けばいいでしょなんて、甘い考えをしていた数分前の自分を恨む。
「というより、流石に誰もいなさすぎじゃないですか……?」
おそらく、この帝国という国で一番大きな城。
その広さは、アキヅキが生きてきた中で一番の規模と言えるだろう。であれば、メイドなり執事なり、それなりの数の使用人がいてもおかしくない。
それなのに、誰ともすれ違うことがないなどあるのだろうか。
「……まあ、あったんだからあるんでしょうけど……。いやでもまだ夕方ですよ? 七時を回ったくらいですよ? 誰とも会わないなんて、運が悪いの一言で済ませていいんですかねぇ」
ぶつぶつと不満そうに呟くアキヅキは、思い出したようにその身を震わせた。
「と、と、とりあえず、ほんとトイレどこにあるんですかもうっ!」
考え事をすることで尿意から意識を逸らしていたのにも限界が来たのだ。
早歩きになってすたすたと廊下を進む。
もうなりふり構っていられないと、人に聞くために目につく扉を開けていったが、どの部屋にも誰もいなかった。
もー、もー! とちょっと嫌な汗をかいてきたのを感じならがら、ふとアキヅキはとある部屋の前で急に立ち止まった。
いや立ち止まったというには語弊がある。
アキヅキの身体はその意思とは関係なく動かなくなってしまったのだ。
足を動かすこと、手を動かすこと、まばたきをすることすら不可能で、状態としては『金縛り』と言ったところだろうか。
(えっ……? えっ……!?)
もちろん喋ることも出来はしない。
混乱、焦燥、そしてほんの少しの諦観。
(あ、諦めてたまりますかっ!)
アキヅキは目の前の部屋を見た。
他の部屋とは明らかに違う豪華な飾り付け。
とりあえずトイレではないことは確かだ。
だがおそらく、誰かしらこの中に人はいるだろう。
と。
『良かった……。偶然でもこの部屋の前を通ってくれて』
一瞬。
ほんの一瞬だったが、尿意を忘れてしまうほどに凛とした綺麗な声が扉の向こう側から聞こえてきた。
「あ、動く……」
アキヅキの身体が自由に動かせるようになったのと同時に、目の前の扉が音を立ててゆっくりと開いた。
「逃げなさ……逃げて、ください。一刻も早く、この国から。じゃないと……」
お姫様だと思った。
見たこともないような輝かんばかりの金髪。
少しやつれ、目の下にはうっすらとクマが出来ていたが、損なわれることの無い圧倒的な美しさ。
同時に同性のアキヅキからみても守ってあげたくなるような愛らしさと、それに反する、いっそ暴力的なまでのスタイルの良さ。
とりあえずアキヅキの女子としての自信は跡形もなく消え去った。
そんなお姫様の言葉を途中で遮り、アキヅキは若干涙目で言い放つ。
「トイレどこですかっ!?!?」
お姫様は呆気に取られた顔も綺麗だった。
〇
「にゃー、ごー。にゃー、ごー。にゃー、ごー……むにゃむにゃ……にゃにゃにゃ……」
「すぅー。すぅー。すぅー……ぅん、ううっ……。………………。すぅー。すぅー……」
酔いつぶれたにゃんこ博士とシセル。
彼らは適当な部屋に運ばれて床に転がされていた。
「にゃー、ごー……」
「すぅー……」
規則正しい寝息。
シセルは気持ち悪いのか、たまにうなされたていたが、起きる気配もない。
「にゃー」
「すぅー」
……。
……。
おもむろに、むくりとにゃんこ博士は起き上がる。
ふにゃ〜と両手をあげて大きな欠伸をして。
そして。
そのままその鋭い爪を、シセルの首元目掛けて振り下ろした。
ガキンッ!
甲高い音をあげて、それはシセルが首から下げていたネックレスに防がれる。
「にゃんだ。起きてたのかにゃ」
「当たり前だろ。敵地の中で酔い潰れるなんて有り得ない」
横になっていたシセルがにゃんこ博士を蹴りあげるように起き上がり、にゃんこ博士はそれをバックステップで回避した。
「……ヒイラギやミカヅキは信じてたようだけどね。生憎と、初対面の誰かを信用するなんて、とてもじゃないけどできないよ」
シセルがネックレスを引きちぎると、それは巨大化し、武器としての三叉槍として変化した。
「それは正しいにゃ。にゃけど……」
にゃんこ博士は袖から杖を取り出して、その柄を引き抜いた。
いわゆる仕込み杖というもので、中から出てきたのは切れ味の良さそうな刃だ。
「この国に入った時点で、もう手遅れなのにゃ」
大きく城が揺れた。
「!?」
「先に謝っておくにゃ。他の奴らは死者に殺されるが──」
にゃんこ博士は鋭い目付きでシセルを見据えて言った。
「──にゃーに殺されるお前は、ゾンビになることすら叶わにゃいにゃ」
〇
「すまねぇ。すまねぇなぁラギ」
「シビ……ト?」
廊下を歩いていたヒイラギ。
その横から壁をぶち破って、巨大なドラゴンに乗ってきたのは、言わずもがな帝国の皇帝白樺司人だった。
「本当に。本当に本当は、お前にはお前の妹の事で謝って、許してもらってから実行するつもりだったんだ。配下にしちまったら、許せっつったら許すとしか言えなくなっちまうからなぁ。まあ、配下にする前でも許してもらえるかは分からねぇが……」
「シビト、どうしたんだ? なにを、いきなり……」
困惑するヒイラギに、シビトはドラゴンの肩の上で手のひらを立てて謝った。
「お前が入学してきた時、聞いてきたよなぁ? 妹が誰にいじめられていたのかって。みんなに聞いて回ってたよなぁ。あの時は俺も含め、誰もが知らねぇっつったと思うけど、まあありゃ嘘だったよ。俺もいじめてた奴の1人だわ。ごめんな」
「……は?」
「あと、ごめんついでにもう1つごめんな? 俺に殺されてくれ」
ヒイラギが言葉を返す前に、シビトの巨大化した腕が、既にヒイラギの目の前に迫ってきていた。
「くっ!?」
腕はそのまま壁にぶつかるまで伸び、押さえつけられたヒイラギは身動きが取れなくなった。
シビトは伸び切った腕を肩から千切る。
するとグネグネと動いてまた新しい腕が生えてきた。
絶対に死なないシビトがにゃんこ博士に人体実験を頼んで得た特性『肉体変質』である。
「シビト! なんでこんなことをするんだ! それに……っ! お前が妹をいじめてた!? 殺されてくれ!? 意味が分からない! 何を言ってるんだよお前は!」
「本気で言っているのか、嘘なのか。お前には分かるんだろ?」
「……っ」
「そういうことだよ」
ヒイラギの前までのしりのしりとドラゴンが歩いてシビトを乗せてもやってきた。
シビトがそこから飛び降りると、ドラゴンはみるみる縮んで少女の姿になった。
「なんで……天葉がここに。シビトは、誰も来てないって……」
ヒイラギはその少女の名前を知っていた。
彼女の名前は龍ケ崎 天葉。ヒイラギやシビトのクラスメイトである。
「やっほーラギー! 元気してた?」
ヒイラギの混乱を他所に、彼女はマイペースに屈託のない笑顔を浮かべてそう言った。
「……なあ、ラギよ。俺はもう誰にも死んで欲しくねぇ。誰も失いたくねぇ。後悔はしたくねぇ。自分の無力さを嘆くのは嫌なんだ。だから──」
「シビト! なにをして……!」
ぎりぎりと、隣にいた龍ケ崎の首を絞めて。
ぼきりとその細い首をへし折った。
しかし。
「あははははは」
当の本人は、何事もなかったかのように笑っていた。
「あははははは。見てみて! こうやって回したらフクロウ見たい! あ、やべ首取れちゃった」
「どうだ? ラギ」
シビトは言った。
「俺には力があった。自分で殺した生物を、ゾンビとして蘇らせることの出来る力だ。そしてゾンビは死ななくなる。にゃんこ博士に頼めば傷だって直るし、リミッターが外れてるから力だって強くなる。デメリットで言えば俺の命令は絶対って所だけど、別に命令するつもりはねぇ」
「……シビト」
「悪いことなんて一つもねぇ。あ、まあ回復魔法でダメージを受けたり、光魔法が極端に弱点になったりするけど、些細なことだ。どうせ直る」
「シビト!」
なんだよ、と言うシビトにヒイラギは言った。
「いったい何人殺した?」
「数えてねぇよそんなもの。だがまあ……同級生は半分弱くらいだろうな」
「なっ……」
言葉も出なかった。
同級生を殺したと、そう軽々しく言えるものなのか。
ヒイラギが怒っているのを見て、シビトはやはり、といった顔をした。
受け入れられなかったか。
まあそんなことは分かっていた。
自分も立場が逆だったならそう考えていたかもしれない。
精神が麻痺している今では、動いているなら生死など、そんなものは些細なこととしか思えないが。
「殺す前は、だいたいお前と同じような反応をしていたよ。……おいアマハ。いつまでも遊んでんじゃねぇ。ラギを殺せ」
頭をくっつけようと四苦八苦していたアマハにシビトは言った。
「あれシビーがやらないの? ラギー、アマちより下になっちゃうよ?」
「いいんだよ。進んで俺に殺されたお前と、拒んだラギとの差だ」
「うーん。りょーかい! じゃあラギー! ウェルカムこちら側へ!」
なんの躊躇いもなく、アマハはヒイラギに龍の腕を振り下ろした。
E.O.T.D.




