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紫霧を纏う毒使い  作者: 雨請 晴雨
3章 魔人帝国シラカバ
91/124

-62- ゆらゆらメモリーズ 2/2

お読みいただきありがとうございます。

本日2回目の更新です。


 ザッハに言われるがまま、意識を失ったエルゼに重たい手錠と足枷を嵌めた。

 一応、その両方に魔力を乱す効果があるらしいが、どれほどの効果が見られるかはエルゼが起きてからでないと分からないそうだ。


 最後に、騒がれないように猿ぐつわを噛ませて……これ、なんか……。


「意識の無い少女の身体を弄くり回す……ははは。見ていてとても犯罪的ですよ、今のユラさん」

「……」


 いや、まー。自分でも思ったことだから何も言い返せないよね。

 なんなら馬車の中という密室で、拘束された少女を男ふたりが見下ろしているという場面も普通に通報案件である。


「では、このまま檻にでも入れておきましょう。下手に逃げられて他の奴隷を傷つけられでもしたら大変だ」

「……」


 犯罪的とかどの口で言ってたんだこの人。


 枷で重くなったエルゼを抱え、檻を運んでいる馬車に向かうザッハの後ろを着いていく。


「そういえば、エルゼはなんであんなに怒ってたんですか?」

「そうですねぇ。ほんの少し話をしただけですよ」

「話?」

「はい。彼女が知っておかなければならないことを伝えたんです」


 嘘か誠か、「私も伝えるべきか迷ったんですよ」と前置いて、彼はエルゼに言ったことを口にした。


「彼女の父親が殺されたことを伝えました」

「殺されたって……なんでそんなことザッハさんが知ってるんですか」


 奴隷というと、孤児だったり、親に売られたりというイメージがあったんだけど、違うのだろうか。

 そういえばエルゼがどういった経緯で奴隷になってしまったのか聞いたことはない。


 ザッハは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに得心が言ったように言った。


「ああ、ユラさんに話したことはなかったですね。エルゼさんの父親は……と言うより、エルゼさんの暮らしていた村の人たちは、全員奴隷となっているのですよ。その原因は彼女の祖父にあり、エルゼさん一家は村人に恨まれていた。そういえば、これもエルゼさんに話したことですが、その根本的な原因はシンリ・フカザトにあって……あ、この檻に入れてください」

「気になるところで切られた!」

「大きな声を出さないでください。エルゼさんが起きてしまう」

「む」


 そう言われてしまえば何も言えない。

 エルゼを檻の中に寝かせ、話の続きを促した。


「長くなるので詳細は省きますが、言った通りですよ。シンリ・フカザトが余計なことをしなければ彼女の村が滅びることはなく、彼女の家族が亡くなることも、彼女たちが奴隷になることもなかったでしょう」

「……それは、エルゼに伝える必要があったんですか?」


 ザッハがどうして深里を知っているのかとか、そこら辺の疑問はもうどうでもいい。


 ザッハはなぜそれをエルゼに言ったのか。

 父親の訃報はともかく、それ以降は知らない方が幸せだったはずだ。


「どうしてエルゼに言ったんですか」


 僕の問いかけに、ザッハはあっけらかんと答える。


「価値を上げたるためですよ」

「価値?」

「ええそうです。商品の価値を上げる。商人として当たり前のことを、当たり前のように実行しただけのことです」

「エルゼを怒らせることが、それとどう繋がるって言うんだ!」


 エルゼを怒らせたことを悪びれもせず、あくまで奴隷を道具としてしか見ていないザッハに思わず語気が強くなる。

 そんな僕の言葉を受けても、彼は淡々と話し続ける。


「いま私たちが向かっている場所は学術都市と呼ばれる所でしてね、ユラさんと同じくらいの年齢の方がお客様となります。そんな方々が好むのは、反抗しない大人しい奴隷なのですよ。正直、エルゼさんが怒ることは私にとっても予想外でした。理想では絶望し、悲しみにくれ……おっと。ユラさんどうかしました? 何やら苦しそうですねぇ?」


 ザッハの話を聞いているうちに、掴みかかりそうになった。

 いや、実際掴みかかろうとしたのだ。

 しかしその害意は、奴隷の首輪によって苦しみへと変換されてしまった。


 きりきりと締まっていく首輪。

 うまく呼吸が出来ずに瞳に涙が溜まる。


 奴隷の首輪。

 命令を強制させるだけでなく、持ち主に敵意を抱くことすらも許されない。


 それなら、と。

 首輪を壊そうとしても、首輪の力が働いて意思を曲げられてしまう。


 だが。


「こんな、もので……」


 人間のための道具(こんなもの)では。


 化物ぼくを従えることなんて、出来るはずもない。


 ────、─────。


 思考が。意識が。自我が。

 一瞬、途切れた。


 ぽきり、と。

 まるでお菓子が折れてしまったような音がして、首輪は簡単に壊れた。


「な、なん……」


 わなわなと身体を震わせるザッハが、僕をみていた。


 彼には、今の僕がどう見えているのだろうか。

 きっとひどく恐ろしい化物に見えているのに違いない。


「ば……化物」


 ああ、そうだ。

 僕は化物だ。


 呪鬼の呪いを少し促進させた。

 初めてこんなことをしたため、加減が分からず、少しやりすぎてしまったのかもしれない。


 今はまだ意識が残っているけれど、いつ理性を失って暴れてしまうか分からない。

 死ねば元に戻るのだから、さっさと死んでしまった方がいいだろう。


「◼◼◼」

「ひぃ!?」


 ……もう、人の言葉を話すことも出来ないのか。


 先程から僕に怯えっぱなしのザッハに背を向けた。


 その時、檻の中で気を失っているエルゼが一瞬視界に入った。


 罪悪感というか、なんともいえないばつの悪い感情がうっすらと浮かんだ。

 何かをしてあげようとして、結局何も出来なかったからだろうか。


 このまま彼女は奴隷として生きて、学術都市とやらで誰かに買われるのだろう。

 もう僕には関係の無い、関わることの出来ない話だけれど。


 あーあ。ちょっと、たのしかったんだけどな。

 奴隷として働くこと。エルゼやザッハや、他の奴隷と話すこと。人と接することの、全部が。


 やろうと思えば、1度死んで、何も無かったようにまたザッハに拾われて、たのしかった時間をもう一度過ごすことも出来る。

 まあ、やらないけど。


 自分だけ覚えていて、あとは誰にも覚えてもらえないなんて、そんな悲しいこと僕には耐えられない。


 これからどうしようかなと、決別の意を込めて一歩を踏み出し──


「う、うわああああああ!!」


 後方で、誰かの悲鳴と何かが壊れる音がした。


 何事かと振り向く前に、僕の目の前にも『異常』が現れる。


 蛇……いや、竜だ。

 細長い身体に、靄のような毒々しい色の瘴気を纏わせている竜。一対の翼で宙に浮き、とぐろを巻いて泳いでいる。

 瘴気に覆われている身体はそのおかげか実際のよりも数倍大きく見えたが、よく見れば爛れているようにボロボロだった。


 これはあれだな、と思う。

 どうしていきなりこんな所にいるのかは分からないけれど、間違いなくこの魔物の名前はドラゴンゾンb──


「ば、ばじ……りすく?」


 この魔物の名前はバジリスクらしい。

 後ろにいるザッハが震えながら言ってた。


 バジリスク……バジリスク? 忍者?

 よく分からないけど、魔物であることに違いはない。

 もうザッハたちと関わることはないと決めていたけど、最後に恩返しとしてバジリスクを倒そう。


「■■■……」


 ……あー。


 ステフォから槍を取り出し、とりあえず自分の首を掻っ切った。


 ……あー。……あー。

 終わっちゃったなぁ。


 忘れられてしまったことにしんみりしている余裕はない。

 一度死んで、呪鬼の呪いも初期に戻った僕は、目の前のバジリスクを殺しながらザッハに言った。


「ここは僕に任せて先に行け!」

「いま、どこから、現れ……」


 記憶を失くした人から見れば、僕はいきなり現れたように見えるようだ。


「いいから逃げてよ! バジリスクは僕が引き受ける!」


 馬車を襲っていたバジリスクも難なく倒す。

 どうやらこの魔物、あまり強くない。


 バジリスクの登場で唖然としていたザッハは、僕の声で我を取り戻し、商隊に全力前進を命じていた。


 それでいい。


 これで僕がバジリスクを全て殺せば、ザッハもエルゼも死ななくて済むだろう。


 そう、全て。

 1匹や2匹ではない。

 もはや数メートル先も見えないほどの濃霧。その瘴気が、数え切れないほどのバジリスクの存在を物語る。


 「「「ギィィィア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」」」


 バジリスクが押し寄せてくる。



「もっと速くッ! 学術都市はすぐそこにあるはずです! そこまで逃げ切ることができれば……近くまで行くことができれば、駐在している騎士がなんとかしてくれるでしょう!」


 商隊のリーダーである男が懸命に叫んでいた。


 今のところ何故か(・・・)バジリスクは追ってきていないが、いつ追って来るかも分からない。

 いざとなれば腕に覚えのある奴隷に命じて時間稼ぎをさせるつもりだが、それもどれだけ意味があるものか。

 バジリスクの真骨頂は、バジリスク自身すらも侵す強力な毒にあるのだ。

 どれだけ強かったとしても関係ない。毒は全ての生物に対して平等に死を招く。


 それ故に、不思議で仕方がない。


 バジリスクは本来、群れで行動することは有り得ないのだ。

 有り得ないことが起きている。これは何かの前兆か。


「……考えるのは、後にしましょう。ッ! 皆さん! 壁が見えてきましたよ!」


 学術都市にそびえる高い壁。

 その高さゆえにまだ距離はあるだろうが、ゴールが見えてきただけでも精神的な負担は相当に減っただろう。


 あと少し。

 あと少し。

 あと少──


「……は?」


 いつの間にか、周りはとても静かだった。

 自分以外にも人はいるはずなのに。馬だっているはずなのに。

 まるで生物の気配というものが全くしない。


 どくんどくんと妙に自分の鼓動が大きく聞こえて。

 はぁはぁと何もしていないのに次第に息が荒くなって。

 どろりと鼻や口から生暖かい血液が溢れ出して。


 彼は、死んだ。



 ユラは歩いていた。

 その身体には傷一つなく、息も上がっていない。


 しかし彼は間違いなく、今しがた百に近い数のバジリスクを殺し尽くした直後だった。


 彼が文字通り命を賭して逃がした商隊が辿った道を、ただ無言で歩いていた。


 ふと立ち止まり、立ちくらんだように身体を揺らすと、そのまま地面に倒れ伏す。


 毒が回ってしまい、死んでしまったのだ。

 バジリスクを全て倒したと言っても、撒き散らかされた毒はしばらく残る。


「……毒が強くなってる。バジリスクたちもこっちに来てたし、何かあるのかな?」


 呟いて、何も無かったように立ちあがり、歩みを再開した。


 戦闘中もその毒にやられて何度か命を落としたが、進むほど毒が強くなっていることをその身に感じる。


 呪鬼である自分ですらこれだ。

 普通の人間に耐えられるものではないはすだ。

 きっと、この先に生き残ってる人はいない。

 仮に生きていたとしても、自分を覚えている者はいない。


「……それでも」


 誰も覚えていなくとも、自分だけは忘れることの無い、確かにあったその時間を。

 その終わりを、見届けたかった。


「ああ、やっぱり」


 意外と、あっさり受け入れることが出来た。

 何となくそうだろうと、分かっていたからだろうか。


 死体。死体。死体。死体。死体。死体。


 どこを見渡しても、魂を手放した肉塊だけが転がっている。


 それは人間だけに留まらず、バジリスクのものもあった。


「……ふぅ」


 小さく息を吐いて、踵を返す。

 さすがにこれだけの量の死体を土に埋めて供養しようとは思えなかった。

 それに、死体に囲まれているというのも気分の良いものでは無い。早々に立ち去りたかった。


 と。

 ──── ──。


「……? いや、気のせい?」


 金属の擦れる音がした、気がした。

 耳が痛くなるような静寂が聞かせた空耳だったのかもしれないし、もしかしたら死体がずれて音が鳴っただけかもしれない。


 しばらく目を瞑って耳を澄ませる。


「ッ! 気のせい……じゃない!」


 確かに音がした。

 その音は弱々しく、聞こうとしなければ聞こえなかった程に微々たるものであったが、確かに存在した。


 それが意味するものは、生存者にほかならない。


「どこだ! どこにいる!?」


 辺りを見渡すが、それらしきものは見当たらない。


 ふと、横転した馬車が目に入る。

 根拠も確信もなかったが、何もしないよりはマシだと駆け寄った。


「……ぁ」


 いた。


 毒にやられ、顔を血で汚しながら。

 今にも死にそうな程に弱ってはいたが、彼女は生きていた。


「エルゼっ!」


 エルゼ。深里真理(クラスメイト)に捨てられた哀れな少女。


 まさか生きている人がいるとは思わなかった。


 すぐにエルゼを閉じ込めていた檻と枷を壊して、彼女を抱える。


「ぁあ……これ、で……」


 ユラに抱えられたエルゼはそう呟くと、風魔法を使って辺りに滞留していた毒霧を吹き飛ばす。

 その後地面に座り込み、何度か深呼吸を繰り返した。


 そして


「あ、はっ」


 笑った。


「あははははっ! なんて、なんて偶然……いいえ、なんて奇跡! 運命! わたしの人生の中で、2番目くらいに最高です! こんなに近くに……こんなに早くあなたに会えるなんて……っ」


 つい先程まで死にかけていた少女は、それが嘘だったかのように嬉しそうに笑う。


 そんな彼女の変化に戸惑い、ユラは唖然としてしまった。


 エルゼはひとしきり笑って満足したのか、ユラの方を向いてぺこりと頭を下げる。


「あのまま魔法がつかえなかったら、なにもできずに死んでいました。ありがとうございます、ユラさん(・・・・)

「あ、うん」


 ユラに礼を言うと、エルゼは風を纏って宙に浮く。

 そして空を飛ぼうと──



 彼女は、いま、なんと言った?



「え? きゃあ!」


 飛ぼうとして、その前に足を掴まれて引っ張られたエルゼは小さく悲鳴をあげて地面に落ちた。


「なっ、なにをするんで──「エルゼっ!」


 ユラの有無を言わさぬ剣幕に、エルゼは口を噤んだ。


 彼の表情は真剣そのもので、ゆっくりと、言葉を選ぶように言った。


「僕が、分かる──僕を覚えているの?」

「それは、どういう……」


 エルゼの言葉が終わる前に、ユラはおもむろに自分の手で自分の胸に突き刺し心臓を潰した。


「うわ、えっ、なに、えっ!??!? なにしてるんですかユラさん!」


 覚えている。

 覚えている。

 覚えている!


「ぅ、あ」

「えっ? えっ? な、なんで泣いてるんですか?」

「え、エルゼぇぇぇぇぇぇ!!」

「ちょ、抱きつかないでくださいっ! もうっ、ほんとうになんなんですか! もうっ!」



 覚えていた。忘れられていなかった。

 どうしてなのか理由は分からない。

 そんなことが気にならないくらい、嬉しかった。

 独りではなかった。


 あるのかも分からない寿命。死ねない身体。

 誰からも忘れられてしまうこの苦しみから開放される時は来るのかと、不安だった。永遠にこのままなのではないかと思っていた。

 それが否定された。

 救われた気がした。


 誰も自分のことを覚えていない。

 その中でたった一人、エルゼだけが覚えていてくれた。

 彼女は別に、そんな大したことをしたとは思っていないだろう。人が人を覚えているなんて、当たり前のことなのだから。


 その当たり前が、どれだけ嬉しかったか。

 その当たり前に、どれだけ救われたか。


「……なる、ほど? 要するに、ユラさんはわたしにすごく感謝してる、と?」

「感謝なんてものじゃない。言葉で言い表せるものじゃないんだよ。僕はいま、君のためなら世界だって敵に回せる」

「……じゃあ死んでくださいって言ったら死ぬ……なんで死んだんですか! 冗談に決まってるじゃないですかっ! 目の前でいきなり心臓潰される身にもなってください!」

「ご、ごめんね? でも僕は君に恩返しをしたいんだ。君が望むならなんだってしよう。死ねと言われれば喜んで死ぬし、いや死ねないんだけど。あ、奴隷の首輪壊そうか?」

「え、あ、はい。忘れてました。お願いします」


 そっかぁー。なんでもしてくれるのかぁ。


 手渡された、壊れた首輪の破片をくっつけて、その円からユラを見ながら考える。


 あ、そうだ。


 エルゼは口元を三日月のように曲げて、ユラにお願い事をする。


「……じゃあ、ユラさん。実はわたし、とってもとっても死んでほしい人がいるんです。殺すのを……手伝ってくれますか?」

「──君がそれを望むなら」

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