-56- 四英雄『南の博士』
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シラカバ帝国。
そこに住んでいた人間が死に、食屍鬼やゾンビといった不死者として再び動き出したこの国は、しかし今までと変わらない日常を送っていた。
白樺 司人という高位の不死者から派生した彼らは、通常のような放置された死体から生まれた不死者とは異なり、理性があって生前の記憶もあった。
隣人に噛み付いた記憶があっても、家族を引き裂いた記憶があっても、恋人を喰らった記憶があっても、シビトの『これまで通りに過ごせ』という命令に従って過ごしている。
それはとても奇異な光景だった。
「ドうしタの? はヤく食 べ なさイ」
「……」
ゾンビパニック系の映画やゲームでも、生き残りが主人公となって物語が進むように、今回の騒動でも難を逃れた生存者はいた。
たとえば、いち早く危険を感じ、タンスの中で息を潜めて三日三晩閉じこもっていた少年。
逃げ隠れることに限界を感じ、決死の覚悟でゾンビの蔓延る地獄へと出てみれば、これだ。
片目の落ちた母親に朝食を急かされる。
「モシかして、調子でもワるいの?」
「ち、違うよ。違うんだよ、母さん……」
命を落としたはずの母親に心配そうな顔で見つめられる。
母親は熱を計ろうとしたのか、息子の額に手を伸ばす。
「や、やめろっ!」
たとえ母親だったとしても、ゾンビが、魔物が迫ってくることに違いはない。
少年は恐怖から反射的にその手を弾いた。
脆くなった母親の腕は肩からちぎれ、テーブルに落ちた腕は用意された朝食をひっくり返した。
「あ、ああ……」
「もウ、何をするノよこの子は……」
「あぁああああああああ!!」
耐えきれず、家を飛び出した少年。
扉を開けてもそこにいるのは命を失った住人たち。
突然叫びながら勢いよく扉を開けた少年を何事かと目を向けた彼らの視線は、少年にとって獲物を見るモノにしか見えなかった。
「あ……」
恐怖が頂点に達し、糸が切れたようにその場にへたり込む。
後ろから、ひたりと、母親の冷たい手が肩に置かれた。
「さァ、早く朝ごはんヲ済ませマしょう?」
シラカバ帝国の生存者。それは少なからず存在する。
ただ、それが幸せなことなのかは分からない。
シラカバ帝国の住人は、これから老いることなく、変わることもない日々を送ってゆくことだろう。
〇
「ふわぁーあ。皇帝っつってもやることねーなぁ」
ふわっふわのベッドに横になりながらステフォをいじるシビトは退屈そうにそう漏らした。
国の運営は、不眠不休で働けるようになった大臣たちが行っているためなんら問題はない。
皇帝の行うべき仕事も前皇帝にやらせているし、そもそも前皇帝がいなくてもただの高校生に過ぎないシビトに知識はないためどっちにしろやることは無い。
「今は1番近い奴で……3日くらいはかかりそうだな。さて、誰が来るのやら」
ステフォのグループチャットでは、どうせなら同窓会的なのでもしようぜ! みたいな雰囲気に誰かが話をまとめたため、多くのクラスメイトが向かっているはずだ。
「あー、けど……」
誰かが来たら、『彼女』がもうこの世に存在していないことを言わなければならないなと。
少し、思うところがあって。
と。
そこで扉がノックされた。
「入っていいぞー」
「はいるにゃー」
皇帝の部屋に入ってきたのは人間大の二足歩行の猫だった。
焦げ茶色で縞模様の、猫。
猫が立って服を着て靴を履いている時点で不気味だが、人間と同じ大きさというのはそれだけで不気味だ。虎などではなく、そこら辺にいるノラ猫がそのまま大きくなったような感じである。
ついでに言ってみれば、左手だけが猫の手ではなく人間のものと同じというのだから、出来の悪いバケモノのようだとシビトは思った。
「よぉ、にゃんこ博士。報告を聞こうか」
「その呼び方はやめるにゃ。にゃーだって好きで猫にゃ訳じゃにゃいのにゃ」
「にゃにゃにゃにゃうるせーな」
「理不尽にゃ」
猫の手である右手で顔を洗う【にゃんこ博士】と呼ばれた人物……猫。
「猫じゃねえか」
「ちがうにゃ。本能にゃにょにゃ」
「滑舌悪くね?」
「骨格が悪いにゃ。にゃーは悪くにゃい」
「ほぅら、ねこじゃらしだぞー」
「にゃ、やめ、にゃぁあああああ! 抗えにゃい本能がにゃーを狂わせるにゃあぁぁぁぁ!!」
シビトに弄ばれ、いつの間にか四つん這いとなって彼の持つねこじゃらし(のようなもの)から目を離せない博士。
「はっはっは」
けらけらと笑うシビト。
扱いは雑だが、シビトはこの猫のことを見下している訳では無い。
むしろ尊敬すらしているだろう。
なにせ、彼が帝国の壊滅を成し遂げた背景に、にゃんこ博士の協力は不可欠であったのだから。
にゃんこ博士。世界には『南の博士』と名を轟かせる英雄だ。
莫大な知識、知恵、叡智を以てどんな不可能をも可能とさせる知能を持つ。
もしも、もう少し早く博士に会えていたなら、シビトはクラスメイトの女の子を失うことも……。
「いや、無意味な仮定か」
「にゃ?」
「なんでもねぇ。そろそろ本題に入ろう。いつまでも遊んでんなよ」
「理不尽にゃ」
不満そうな顔で音もなく立ち上がる猫。
そのまま近くのソファに陣取って横たわった。
「頼んでいたのは……」
「頼まれていたのは、お前から派生した死者共がどれだけ人間の原型をとどめているのかを調べること、そうだにゃ?」
セリフを先回りされて言われたシビトは特に表情を変えることなく、「ああ」と頷いた。
「お前を真祖、直接手を降した奴を二位、二位が殺した奴らを三位、順に四位五位と下げて呼称するにゃ。確認されたのは十位まで。それ以下は恐らくお前との繋がりが遠すぎて死体も残らず消えたと思われるにゃ」
「続けろ」
「続けるにゃ。下位の不死者に多かったのは骨人間や腐肉死体にゃ。腐った死体がゾンビににゃるのではにゃく、ゾンビににゃったから肉が腐るという新たな発見があってちょっと楽しかったにゃん」
「感想は後でいい。で、直せるのか?」
「いくらにゃーが天才と言えども、無い肉を付け足したり、腐ってるものを元通りには出来ないにゃ。お前が、これからやってくる仲間たちにお前のやったことを知られたくないのなら、さっさと処分するのが正解にゃ」
ふぅ、と息をついて背もたれに体重を預け、シビトは少し考える。
この帝国を壊滅させたことに後悔はない。クラスメイトを目の前で殺されたのだ。後悔なんてあるはずがない。
だが、罪のない民間人を含めたこの国の住人の命を奪い尽くしたことを、日本の価値観から言って受け入れて貰えるとも思ってはいないのだ。
クラスメイトが、理由があるにしろ大量虐殺を行ったと知ったらどう思うだろう。
門をくぐった途端にゾンビが歓迎する国をどう思うだろう。
嫌だろう。
だから、シビトは全力で隠蔽することにした。
幸いと言っていいのか、動く死体のほとんどは、一目見て死んでいるとは分からなくなっている。少し顔色が悪いとか、その程度だ。
しかし、骨だとか、腐っているとか、もう人間に見えないのは、もうダメだ。
1箇所にまとめて隔離しておくのでもいいが、万が一見られるかもしれない可能性を考えると、跡形もなく消してしまえるのが一番いい。
考えは纏まった。
「だな。処分しておいてくれ。方法はお前に任せる」
「にゃ。それと、まだもう1つ報告があるにゃ」
「ん? なんかあったっけか」
「にゃあ、報告とはちょっと違うんにゃが、調査中にちらほらと生者を見かけたにゃ。そいつらは放っておいてもいいのかにゃ?」
「ああ、そのことか」
シビトはゆっくりと目を閉じる。
死者の王である彼には、死の対局に位置する『生』の気配をかなりの広範囲にわたって感じることが出来る。
なるほど。
この城の中にもこそこそ動いている人間がいる。城下町にも思ったよりも多くの人間が生存しているようだ。
しかし、それだけだ。
彼らに何が出来るというのだろう。
彼らの動きを見ればよく分かる。死者に怯え、けれどかつて親しい間柄だった故に、隙だらけのゾンビを倒すことすら躊躇っている。
受け入れ難いこの状況を、自分を殺して受け入れている。
そんな奴らを放っておいたところで、一体何が起こるというのか。何が起こせるというのか。
対応の必要は無いと、シビトはそう結論を出す。
それよりも気になったのは。
「あ」
「にゃ?」
「にゃんこ博士って死んでなかったんだな」
「……………………にゃ、優しくしてね」
「きっしょ。中年オヤジが何言ってやがる」
「冗談にゃ。不老不死は魅力的にゃから殺されるのはいいんにゃが、この姿のまま固定されるのは勘弁にゃ。せめて人間に戻ってからがいいにゃ」
「博士のそういうとこ結構好きだぜ」
「糞ガキに言われてもきっしょいだけにゃ。美女になってから出直してくるにゃ」
「はっはっは。ぶっ殺しちゃうぞこのクソ猫野郎」
「ふしゃああああああ!」
「……ん? おおっと?」
威嚇する博士をそっちのけに、なにかに気づいたように顔を上げたシビトは口元をにやりと曲げて笑みを浮かべる。
「おいおい誰だよ、ノーアポでいきなり来るとかいいサプライズじゃねえか」
「にゃーん?」
「さあ博士。少し働いてもらうぞ。とりあえず見せられないモンは全部隠しとけ。あと適当に歓迎っぽい準備を。もちろん腐肉なんて出させるんじゃねえぞ?」
帝国内に新しく命ある者が入ってきたことを感知したシビト。
おそらくはクラスメイトの誰かであろう。
そう思うとつい嬉しくて、自然と笑ってしまう。
ようこそ、俺の国へ。
お前も仲間に入れてやるよ。




