あの人はいまーシンリー 3/3 6
お読みいただきありがとうございます。
らすと。
東の神童は偉業を成した。
技術を進歩させ、文化を発展させ、文明を進化させた。
東の神童は偉業を成した。
人々の笑顔は増えた。
暮らしが豊かになった。
多くが幸福になっていった。
東の神童は偉業を成した。
けれど。
一人の笑顔のために十人が泣いてしまうような。
十人の贅沢のために百人が貧困になるような。
百人の幸せのために千人が不幸になるような。
千人の、一万人の、それ以上の命のために、それよりももっと多くの数の命が失われてしまうような。
そんな、偉業を。
成してしまった。
それは、単なるリソースの問題だったのか、あるいは他の理由だったのかは今ではもう知る由はない。
当時、結果だけ見れば、数字だけ見れば、恐ろしい程に多くの命が失われていたのだ。
普通に暮らす人々はそれを知らない。
様々な恩恵を齎した東の神童を『なんかすごい人』という漠然とした認識でしかない。
だが、各国の重鎮たちにとって、それは無視できないものだった。
このままでは、そう遠くないうちに必ず綻びが出てしまう、と。
そして、こうした結論が導き出されるのに時間はかからなかった。
『東の神童の排除』
それが、多くの国、多くの人、多くの命を巻き込んだ大戦の切っ掛けだった。
〇
「どうした聖霊ぇ!! 棒切れ振り回すのがそんなに楽しいかぁ!」
「うる、せぇ、よっ!」
シンリの繰り出す木刀での乱打を、拾った剣で正確に対処するムーサ。
実力差は歴然。
それはムーサに攻撃しているシンリが一番よく分かっていた。
このままでは絶対に勝てないということも、近いうちに負けてしまうということも。
撤退の二文字が頭に浮かぶ。
周囲をちらりと見てみると、総勢十人の騎士が等間隔に立ってシンリとムーサを囲んでいる。
離脱を試みれば、捕まってしまうだろう。
「考え事かぁ? 余裕だな」
と、一瞬意識を外しただけなのにも関わらず、ムーサはその隙を突いた。
剣を持っている手とは逆の手に持つ本を、器用に片手で捲り、目的のページを開く。
「『死者の腕』」
いきなり地面から生えてきた腕が、シンリの足を掴む。
一本どころではない。数十本の腕が伸び、生ある者に対しての嫉妬と憎悪でシンリの身体に絡みつく。
「うっぜぇ!」
冷たい地面の底へと引き摺り込まんとする亡者たちの腕。
シンリは自身が傷つくことを厭わずに、自らに風の斬撃を叩き込んだ。
強力ではあったが外部からの衝撃に脆かった腕は風によって断ち切られる。
同時に、飛び散ったシンリの血液が地面に染み込むと先端の尖った植物が生えた。
「今度はお前の番だ」
シンリは植物を意のままに操り、ムーサはそれを避けるために後ろへ跳躍する。
「はっ、言ったろ。お前の番ってな」
意趣返し。
気取られないように地面の中を進ませてきた植物が、ムーサが着地すると同時に彼の足に絡みつく。
「眠れ。この程度じゃ死なないだろ?」
眠るように殺す藍色の毒霧。
それを身動きの取れないムーサへと放出する。
今の人間に近い心理状態では、殺人という業は背負いたくないがそうも言っていられない。
この毒では王宮騎士の命は奪えないだろうと、ある種の信頼に頼って毒を浴びせる。
が。
ムーサがその毒を吸う前に、霧は文字通り霧散した。
「ムーサ様。勝手な判断ではありますが……」
「ああそうだなぁ。別にどうとでもなった」
ムーサを助けるために剣の一振で霧を払った騎士に対し、ムーサはぞんざいにそう返す。
ぶちぶちと植物を千切り、首をコキリと鳴らしてムーサは言った。
「生け捕りだ。殺そうとして殺せるモンでもねぇだろうが、絶対に死なせるな」
「仰せのままに」
騎士は、ムーサの部下ではない。
ロザリンデ直属の護衛兼騎士兼部下だ。
そしてそれ故に、その実力は王宮騎士にも匹敵する。
それが、十人。
「ふっ……」
あ、これ無理ゲー。
シンリは諦めたように両手を広げて降参の意を示した。
〇
「……」
大丈夫大丈夫。
どうせ死なないし、拷問されようが何されようが、痛みなんてほとんど感じない。むしろ飛び出した内臓を直に見てしまう方が精神的にダメージ受けるレベル。
たとえ拘束されたとしても、風で手足を切り離してその後で生やしたら問題もないだろう。
隙を見て逃げてエンテを回収して……まあ騎士に取られた木刀は、まあ、うん、まあ。
なんて、状況に対してかなり適当な思考を進めていると、予想通りに手錠を嵌められた。
その瞬間、少し身体が重くなったような変化を感じ、もしやと思い魔法を使おうとするが上手く魔力を動かせなかった。
なんだよこれ。海〇石かよ。
魔法が使えなくなったため、そんな例えを言ってみたり。
と、ここで問題になってくるのが魔法を使えなければ、すぐに腕を切り落とすなんて出来ないということだ。トカゲの尻尾のようには出来ない。
手順を踏めば、血から生やした植物で斬れるが、それを騎士たちが見過ごしてくれるかどうか。
と。
いつまで経っても、シンリを逃がさないように囲むだけで動かないムーサたちを不思議に思い、シンリは顔を上げた。
「なんだぁ?」
「いや、なんでも……」
上げた瞬間ムーサと目が合って、思わず顔を下げてしまうシンリ。
(いや、今ってちゃんと話ができるチャンスじゃね?)
そう思い直し、ムーサの目を見据えて口を開く。
「なあ……」
「黙りなさい」
やろうと思えば、呪詛を紡ぐだけで人を殺せるこの世界。
騎士のひとりに首元に剣を置かれ、牽制される。
が、そもそも首を落とされたくらいでは死なないシンリは構わずムーサに問う。
「東の神童ってどんな奴だったんだ?」
「……あ?」
睨むようなムーサの視線から目をそらすことはしない。
数秒の視線のぶつかり合いの末、ムーサは目を細めて言った。
「なぜ『それ』を口にする」
「探していたからだ」
「なぜだぁ?」
「壁を作ったのが神童なら、その神童と話すことができたなら、この『古き血』が虐げられる世界を変えられるかもしれない。そう思って」
まあ、もう死んだって言うのは信じるしかないんだろうけど。
そう付け加えてシンリは口を閉じる。
嘘はない。本心だ。
『東の神童』がシンリの知る香取 看取なら、一度作られて十年が経過した制度であろうと、何も無かったように撤廃できるのだろう。
生きていたとして、会えるかどうか、話せるかどうか、頼みを聞いてくれるかはどうかとして、出来る出来ないだけで言えば出来るだろうと、そう信じていた。
まあ死んでいたのであれば、どうにも出来ないのだが。
「あぁ、なるほど。神童に限らず四英雄にそう言った目的で近付く半魔共の報告は聞いたことがある。流石にここ数年は無かったんだがなぁ」
シンリの言い分を聞いたムーサはそう言った。
「……」
「……」
「あ」
不意に。
シンリは何かを見つけたような声を出し、目を細めてムーサの後ろを見た。
「なんだぁ?」
釣られて後ろを振り向くムーサ。
「王宮騎士ってこんな古典的な方法に引っ掛かるんだ……」
なんとなく思いつきでやってみたものが成功し、隙を生み出すことに成功したシンリは即座に腕を切り落として魔法で飛んだ。
「なぁ!? 聖霊ともあろうものが、ンな汚ぇ真似すんじゃねぇよ!」
人間よりもはるかに格の高い存在が、まさかそんなことはしないだろうという先入観から来る失態。
怒りよりも、どちらかというと幻想を壊された悲しみからの嘆きでムーサは叫んだ。
「はっはっはっ! 汚くて結構! 人間だもの!」
「聖霊だろうがッ!」
「聖霊だって汚い真似くらいするさ! じゃあな王宮騎士! もう二度と会わないことを祈っぐっへぇ」
捨て台詞を高らかに吐いていたシンリに、背後から何かがぶつけられた。
それによって魔法の制御が一瞬狂ったために、そのまま墜落する。
「くっそ、いったい何が……」
飛来し、共に落ちた『それ』を見てシンリは絶句した。
「キツ、ネ?」
「……ゥゥ」
白い体毛が血で赤く染められた一匹の狐。
もはや人の姿を取る力も残っていない、瀕死のリグニアだった。
「セイレ……ァトハ……託、ス……」
途切れ途切れの言葉を言い終え、彼女はその命を散らした。
「やっほー☆」
リグニアを投げ飛ばした少女が、シンリの前に立つ。
「久しぶりだねシンリのお兄ちゃん☆」
「ロザリンデ……」
「のーのーちがうよ☆ 魔法少女ロザリーちゃんだよ☆」
「ロザリンデ!」
悲鳴のように、シンリは叫ぶ。
その視線はロザリンデを見ていない。
ロザリンデが引き摺るように手にしている、『肉塊』に視線が釘付けになっていて。
震える声で、シンリは尋ねた。
「その手……何を、持っている?」
「これねー、おみやげだよ☆ 大切なもの、でしょ☆」
ゴミを放るように投げ渡される物体。
それが地面に落ちる前に、シンリはリグニアを置いて抱き留めた。
「………………っ」
手があって、足があって、胴があって、顔がある。
1人の少女の亡骸。
「……………………」
エンテ。
その名前を、シンリは口にすることが出来なかった。
「ーーーー」
ロザリンデが何かを喋っているが、耳に入る音全てが雑音に聞こえていた。
視界が歪んで世界がまわる。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ああ。
もう、いい。
身体の内側からどす黒いモノがせり上がってくる。
もう何も見えない。何も聞こえない。
何も感じない。悲しみさえも。
そこから先は、よく覚えていない。
最後に、懐かしい音を聞いた気がした。
〇
シンリが懐に入れていたステフォから、久々にポーンという電子音が鳴る。
聖霊とは完成された存在であり、そこに成長という概念は存在しなくなる。
シンリもその聖霊に近付くにつれて、成長、つまりはスキルレベルなどの上昇が無くなっていた。
だが先日人間寄りに引き戻されたことにより、また成長の機会を得て、そして今、レベルアップしなかっただけで蓄積されていた経験値が一気に注ぎ込まれた。
【毒霧Lv10】
シンリの体から墨をぶちまけたような黒い霧が放出される。
とうの昔に絶滅した魔物。シンリの持つ魔物スキルの原型であるバジリスクの祖先とも言える存在が保持していた究極の毒。
『死毒の黒霧』と呼ばれるその毒は、犯した対象に合わせて進化する。
殺すために、死なせるために、絶命させるために。命を奪うためだけの、死神の毒。
触れた瞬間に侵食は始まり、どんな生物だろうと確実にもの言わぬ死体へと成り果てる。
「あがっ、あ゛あ゛」
そしてそれは、自分自身すらも対象に含まれる。
他の生物より耐性はあれど、進化し続ける毒を完全に防ぐことなど不可能なのだ。
一説によると、古代バジリスクが絶滅した理由はそこにあると言われていたりする。
黒に侵食され、苦痛に顔を歪めるシンリ。
もはや敵味方など関係なく、シンリを中心に膨大な霧が広がった。
シンリの近くにいた者が瞬時に絶命し、それを見たムーサは驚きに目を見開く。
「死毒だァ!? 有り得ねえ! 有り得ていいはずがねえ!!」
それは神話の時代の力だ。
神がこの星で、地上で暮らしていた時代。そこに生きる魔物も同等の力を持っていたと言われている。
だが、そんな神にも届きうる力を持つ生物たちは様々な要因から全て絶滅したはずだ。
それ以降、そのような力を持つ魔物は確認されていない。
──なら、これはなんだ?
聖霊だから。
説明は、これでつくのか?
分からない。何も。
違う。今考えるべきはそれじゃない。
今は、この状況をどう生き延びるかだ。
「っ……逃げるぞ王女サマ! ぼさっとすんな!」
「んー、あれボクのせいかな☆」
「十割なぁ! とりあえず霧を飛ばせ!」
呆然としていたロザリンデを抱え、迫る霧から逃げるムーサ。
抱えられながら、ロザリンデは風魔法で霧を追い返そうというするが、あまり効果は見られなかった。
生命を持たぬモノすらも、その毒は殺してしまう。
「あーれー☆」
「お前もうちょっと危機感持てよ!?」
押し寄せる霧は膨大だ。
圧倒的な量の霧に対処が追いつかず、ムーサの指先が霧に触れた。
直後、肘まで黒に染まった腕。
そして瞬時に叫ぶ。
「腕を、斬れぇ!」
「はーい☆」
魔法を使い、躊躇なくムーサの腕を肩から切り落とすロザリンデ。
切り離された腕は霧に飲まれた。
「ぐっ……」
勢いよく血が吹き出し、一瞬目の前が暗くなったが、どうにか気力で持ち直す。
「転移魔法、準備かんりょー☆ からの、えいっ」
常人の万倍以上の魔力を持つロザリンデをしてようやく一回使えるくらいに燃費の悪い魔法。
時空を歪め、理を覆し、瞬間移動を可能とさせる空間転移の魔法だ。
シュン、という音と共にロザリンデとムーサがその場から消える。
黒い霧は、学術都市ステンドを死に染めていった。
〇
「ああ、十年前くらいか? 魔物によって街が一つ落とされたのは。ま、どうでもいいが」
学術都市ステンドをはるか上空から見下ろす存在がそこにいた。
白い翼を羽ばたかせ、へらへらと笑いながら黒い霧に侵食される街を眺めている。
その男の姿はまるで天使のようだった。
世界の破滅に立ち合っているような、そんな神話の一場面にありそうな天使。
雲間から差し込む光が、いっそうその光景を幻想的にする。
「しっかし……」
男は首を傾げて言葉を漏らした。
「偶然と言うには出来過ぎで、仕組まれたと言うには不確定要素が多過ぎる。『アレ』はいったい何をどこまで見通して、最終的にどんなことを仕出かすんだろうな。まさか、俺が浄化させるってのも折り込み済みなのか? ま、考えても分かる訳ねえが」
そう言って、大きく背伸びをした。
ひとつの仕事を終えて、リフレッシュするように。
「ん〜。担当の街が消えたってことは俺の役目も終わりってことでいいのかね。ま、何にせよ一旦戻らねえとな」
と言いつつも、男はその場から動こうとしない。
キョロキョロと周りを見たり、地上を見下ろしたりしている。
「……帰るよ? いいってことだよな、何もないってことは。いつもみたいに見てんだろ? おーい、おーい。…………。イケル・クミケル帰りまーす。言ったからな! 後でなんか言ったりするなよ」
もしも、その行動を誰かが見ていたとしたら、たいそう奇異な行動に見えただろう。
誰もいない場所で、独りで誰かに語り掛けるように喋る羽を生やした男など変人以外の何者でもない。
「帰ろ」
最後にそう呟いて、男は翼を動かした。
〇
命が失われた街。
しかしその街を、死の毒が充満している街を駆ける一人の少女の姿があった。
ぬいぐるみのような小さな狐を胸に抱き、息を切らして走っている。
不思議なことに少女と狐の身体は薄く透けており、毒が効いていないのも、霧に触れることなく透過しているからだ。
『白夢』という狐の魔物の基本能力のひとつである透過。
狐のみならず、人間である少女がその効力を得ているのは、ひとえに彼女の中に『白夢』の一部が取り込まれているからだ。
母狐に報酬として授けられた、一本の尻尾。
それを経由して小狐が能力を使用していた。
「はあっ、はっ、ぁ……」
少女は走る。
少ない体力で、自分以外誰も生きてはいない街を独り走り続ける。
駆け足から、徒歩へ。
そしてゆっくり歩いて立ち止まり、膝を折った。
「リグニア様……」
息絶えていた母狐の名前を口にする。
その亡骸には、九本あった尾は一本しかついていない。
少女に一つ託し、残りは命を賭して王宮騎士を騙し通して失った。
ズタズタになった尾がすぐ近くに落ちている。
「……きゅぅ」
「…………」
悲しそうに鳴いた狐の声を聞いて、少女は亡骸から視線を逸らす。
命の恩人の無残な姿を、見ることが出来なかった。
そして、すぐ横を見る。
「シンリ様」
「…………」
黒い霧を未だ放ち続けているモノ。
霧が邪魔をして、中身が誰なのかを判別することは出来ないが、少女は何度も最愛の人の名を呼ぶ。
「シンリ様」
「シンリ様」
「シンリ様」
聞こえていないのか。あるいは聞こうとしていないのか、返事もなければ反応のひとつもない。
微動だにせず、毒の霧を放出し続ける。
少女には呼び掛け続けることしか出来ない。
触れることは出来ないし、触れるために透過を解けば、数秒と生きていられないだろう。
だから、何度も呼び続ける。
何度も、何度も。
何度も、何度も。
「シンリ様」
「……ぇ?」
ようやく声が届いた時、霧の中の彼は生涯最後の涙を流した。
2章の最後あたりにシンリが都市を滅ぼしたって書いちゃったから、書かないとかなって思った。あとユラくん編の途中で『1/3』とか付けてたし。あれがなければ書かなかったし、もっと早く投稿できた気がするまである。気がするだけだけど。僕は悪くない。過去の僕が悪い。
シンリが
都市を
滅ぼした。
こちらからは以上です。




