あの人はいまーシンリー 3/3 5
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ごわめ。
「行ケ。我ガ時間ヲ稼ゴウ」
シンリとムーサの間に、守るようにリグニアが立ちはだかった。
「でも……っ」
ミルネアシーニはやられ、すぐにでもロザリンデやその部下たちがこちらに向かってくるだろう。
ならば、その先に待っているのは蹂躙だ。
逆に言えば、ロザリンデたちと距離のある今ならばまだ逃げられるのだ。──どちらかが囮となることで。
シンリは逃げたい。生き延びたい。リグニアの提案は棚ぼたのようなものではあった。
しかしその提案を受け入れた結果に彼女が死んでしまうというのなら、見殺しにするという選択をしたのなら、それはシンリが間接的に殺すようなものであるというのなら。
シンリはその提案を受け入れることができない。
「ーー勘違イスルナヨ。我ハ貴様ニ、我ノ娘ヲ守レト、ソウ言ッテイルノダ。断ジテ貴様ヲ救ウタメデハナイ」
娘。ムスメ。我が娘……?
一瞬考えたが、その疑問はすぐに繋がった。
リグニアが、ヒトであった彼女が大きな狐に変化していたからだ。
彼女が自分の子供を助けるために身を呈したのだと、シンリはこの時理解できた。
「必ず……戻ってくる。エンテたちを安全な場所に置いてくる。だからそれまで死ぬなよ」
──大切なモノを守るために命をかけることができるなんて、自分よりも余程人間らしいじゃないか。
ならば自分も見習わなければならない。
「……シンリ、様?」
エンテを落とさないように、もう一度強く抱きしめる。
失わないようにと、昨日決意したばかりだというのに、もう忘れてしまっていたというのか。
不甲斐なさに思わず笑みが零れてしまいそうだ。
「行くぞ」
そう言って、飛んだ。
後方で、獣の咆哮が轟いていた。
〇
学術都市ステンドのその端。
市民の避難は完了しており、だからといって魔物が暴れた気配もない。ただ人がいなくなったと言うだけの、普通の場所だ。
その内のひとつの家屋。その扉の前にエンテと子狐を下ろした。
「終わったら迎えに来る。それまでは大人しくここに隠れていてくれ」
「……シンリ様。わたくし、あの少女には見覚えがあります」
「王女らしいからな。見たことくらいあるんじゃないか?」
そう茶化そうとしても、エンテは取り合ってはくれなかった。
「そしてシンリ様はやられていたと、そうエンテは記憶しております」
「ああ」
「それでも、行くのですか?」
裾を掴まれて、涙の溜まった大きな瞳で見つめられる。
逃げることは、きっと咎められることではないのだろう。
やろうと思えば、ミルネアシーニの本体である木刀もスキルで手元に召喚することができる。
馬鹿正直に王宮騎士と正面からやり合う必要などどこにもない。
いま、ここまで逃げることが出来ていることすら奇跡と言ってもいいのだから。
けれど。
けれどこれはシンリにとって、千載一遇のチャンスでもあるのだ。
王宮騎士ムーサ・テラーはネイロ村を滅ぼした人間だ。
エルゼや、村人たち、そして盗賊たちを殺した張本人なのだ。
その怒りは、つい先程まで思い出すことも出来なかったが、今は明確に感じることが出来ている。
時間が経てば薄く消え入ってしまうこれを、晴らすことができるかもしれない唯一の機会。それが、今なのだ。
と。
それを、エンテに伝える。
彼女にこれまでのことを話した事は無かったから、掻い摘んでムーサが仇なのだと、そう言った。
エンテはたぶん、納得はしていなかったが、自分のわがままでシンリを拘束するなど彼女にはできない。
必ず戻ってきてくださいと、シンリを送り出した。
「まったく、嫌になる」
空中を進みながら呟いた。
建前だけを述べ、本音を一言も漏らさなかった自分に嫌気がさす。
たしかに、ムーサに対する怒りはある。
しかしそれはあまりにも時間が経っていて、かなり風化した感情であるというのが実際のところだ。
ムーサを殺したところで死んだ人間が戻ってくる訳でもない。
聖霊云々を抜きにしても、シンリは元からどこか冷めた部分があったのだろう。
では、シンリは何のために戦地へ舞い戻るのか。
ミルネアシーニや、ましてや碌に話したこともないリグニアを助けに行くためでは断じてない。
もとよりシンリが学術都市ステンドまでやってきた理由はたった一つ。
「王宮騎士ムーサ・テラー。奴ならきっと、『東の神童』の真相を知っているはずだ」
その情報は、たとえなにかを失うことになったとしてでも得るべきものなのだと、そう信じて。
〇
『ムシケラガァ!』
人の数十倍、ともすれば街を囲む壁程の大きさを持つ八尾の狐。
一歩進めば人間など踏み潰し、戯れに尾を動かせばそれだけで街並みは崩壊する。
その破壊力すらもただの付属品に過ぎず、その化け狐の本当の力は常軌を逸した幻惑能力だった。
曰く、世界すらも欺くことが出来ると言われ、その姿を見た者が白昼夢のような幻術を見せられることから、付けられた名が縮めて『白夢』。
ロザリンデの騎士を含め、対処出来なかった者は夢の世界に囚われた。
「ーーだが、それだけだぁ。それが最大の武器であり、故にそれさえ対処できたなら後は大した問題にはならねぇ」
空が、落ちてくる。
太陽が近付き、全てを蒸発させる獄炎の如き熱気が肌を焼く。
息をすれば喉が爛れ、破れた喉から血液が逆流し呼吸すらままならない。
──幻術だ。
目を閉じ、そう自分に言い聞かせることでムーサは夢から解き放たれた。
横を見れば、夢から抜け出せなかった騎士が太陽の熱に溶かされたように上半身から蒸発している。
自分自身すらも改造し、状態異常耐性が高いムーサですらほんの少し術に掛かるのだ。
ロザリンデの騎士といえど戦える者は少数だろう。
絶対に曲がらない信念を持つ者などが幻術に対抗できるとは言うがーー。
「あっれれー☆ なんかみんな死んでくんだけど☆」
元から精神に欠陥のある者にも術は効かないらしい。
「なんだ、王女サマ。無事だったのか」
「そういうキミは、ちょっと焦げてるね☆」
「バッカお前これお前、大人の男ってのは肌黒い方がモテるんだよ」
自分で気付かない部分に幻術の影響を受けていることを指摘され、ムーサは早口に言い訳をした。
そして気を取り直すように咳払いして本を開く。
「魔典グリム──全章解放。さて、久々の大物だぁ。失態の言い訳ぐらいにはさせてもらわねぇとなぁ」
「うーん☆ もう挽回できないレベルだとおもうけど……まあいいかっ☆ 魔法少女ロザリーちゃん爆誕っ☆」
邪悪な雰囲気を纏う本を捲るムーサ。
隣で魔法少女の服装へと変身し杖を構えるロザリンデ。
王宮騎士たちの、本気の戦いが始まった。
〇
巨大であるということはそれだけで脅威となる。
並の攻撃はまず届かず、よしんば届いたとしてもそれは距離によって少なからず減衰しているだろう。
その上、巨体ゆえ攻撃が致命傷となる内臓に届くことはなく、そもそも厚い毛皮を貫くことすら困難だ。
いかに王宮騎士といえどその前提を覆すことは難しく、シンリが戦地へ戻ってきた時も、未だにリグニアを仕留めきれていなかった。
「思った以上に強かったのか、あのキツネ」
シンリは建物の影に隠れながら、化け狐と戦う王宮騎士を眺めていた。
その手にはミルネアシーニの木刀が握られているが、彼女の姿は見えない。
死にはしないが相当の深手を負ったため顕現できるだけの力を保てなかったのだ。今は最初の頃のように意識も無く木刀の中で眠っている。
「下手に介入してやられるのもカッコつかないしな。せめてロザリンデがどっかに行ってくれたらいいんだが」
今、ムーサもロザリンデもその部下たちもいる中で乱入しても、片手間に倒されることは目に見えている。
だからといってムーサ1人ならなんとかなるという訳でもないのが難しいところだが。
「選択ミスったかなぁ。や、でもここで逃したら真実は分からないわけで。あー、ミルがいたら囮大作戦が使えたってのに。肝心なところで……」
と、シンリはいきなり言葉を止める。
突如背後に現れた気配を察知したからだ。
精神的に普通の高校生に戻っているシンリだが、それでも聖霊であるということには変わりなく、能力などは一切変わっていない。
視線の先に王宮騎士の姿があることから、必然背後にいる存在は彼らではないということだ。
ならば、ただの人間に聖霊であるシンリが遅れをとるはずもない。
脅すか気絶させるかして無力化を図ろうと、木刀に風を纏わせて振りかぶり──手を止めた。
「って、なんだキツネかよ。おどかすな」
「我ヲキツネト呼ブナ。喰ウゾ」
シンリは肩を竦めて、改めて戦場を見返した。
キツネと王宮騎士たちの戦いは相変わらず激しい。もはや街のことなど考えていないのか、ムーサは瓦礫で巨大ゴーレムを創り暴れさせ、ロザリンデはいくつもの隕石を雨のように振らせていた。
流石に巨大なキツネといえど、自らと同じ大きさの攻撃は通じるらしく、悲痛な叫びが聞こえてくる。
その声を聞いていると、ただ見ているだけの自分が責められているような錯覚に陥るようでーー、と。
シンリはもう一度後ろを振り返った。
「え、お前あそこにいるじゃん」
「幻術ダ」
「あれ、幻術ってなんだっけな」
首を傾げながらリグニアを見るシンリ。
リグニアはそんなことはどうでもいいとばかりに鼻を鳴らして口を開く。
「アレハ我ガ離レレバスグニ消エル。アノ人間共ト争ウ気ガナイノナラ、幻術ガ消エル前ニ去ルガヨイ」
「なんだ、わざわざ言いに来てくれたのか。親切かよ」
その言葉にリグニアはシンリの持つ木刀に目をやりながら返した。
「ソノ者ラニハ世話ニナッタカラナ。報酬ハ既ニ支払ッタガ、マア、ソウダナ。親切ダ」
言葉を噛み砕くように言ったリグニアをシンリは少し驚いたような、珍しいものを見るような顔をした。
魔物とは、なかなかどうして人間味が溢れている。
「でも、せっかくだけどその気持ちだけ受け取っとくよ。お前が抜けるのは少し、というかだいぶ……いや致命的なレベルであれかもだけど、俺は俺でまだやらなきゃならないことがあるからさ」
「フン」
またリグニアは鼻を鳴らし、シンリに背を向けるとエンテたちのいる方向へと消えていった。
〇
「はっ、やっぱニセモンじゃねぇか」
いきなり跡形もなく消え去った大狐を前に、ムーサは驚くことなくそう言った。
「さっき言った通りだ。あとは頼むぜ王女サマ」
「おーけーおーけー☆」
膨大な魔力を持ち、それが自身の身体から溢れ出ているロザリンデ。その溢れた魔力は全て彼女の知覚領域となり、その範囲内にいるリグニアがどこにいるかなどは何もかも分かっている。
当然、幻術の他に本体がいたことなども全て見抜かれていたのだ。
魔力を放出してリグニアを追ったロザリンデと入れ替わるようにシンリはムーサと対面した。
誤算的にロザリンデはいなくなり、希望通りムーサと対面できたシンリだが内心は穏やかではない。
リグニアの向かった場所はあの子狐の所であり、そうなれば必然エンテもそこにいる。
リグニアとロザリンデが戦うことになればエンテが危険に晒されるため、シンリはロザリンデの後を追うか迷ったがーーしかし、ムーサという王宮騎士を前にして取れる選択肢など限られているのだ。もちろん、今すぐエンテの元へは戻れない。
ムーサは目の前に現れたシンリにピクリと眉を動かして、しかし嬉しそうに言った。
「正直、お前は逃げたモンだとばかり思っていた。だから、キツネだけでも狩れたら上々ってなぁ」
だが、とムーサは本を開きながら続けて。
「両方手に入るたぁ運がいい。わざわざ戻ってきてくれるなんてなぁ」
「──聞きたいことがあった」
「あ?」
あの大きなキツネを前にしていた緊張感など欠片も持ち合わせていなかったムーサ。
シンリを侮り、べらべらと口を動かしていた彼に、シンリは単刀直入に尋ねた。
「東の神童は、本当に死んだのか?」
「っ」
自分が優位にたっていることを疑わず、余裕の表情を浮かべていたムーサの顔がその質問を耳にした途端に強ばった。
「……おいおい、どういうことだぁ?」
ムーサは低い声で言う。
「何故お前のような奴の口から、あいつの話が出てくる! あいつは何年も前に死んだはずだろうが!」
「っ……やっぱり、死んだのか」
予想外の話題に焦り感情を剥き出しにしているムーサと、改めて真実を告げられ衝撃を受けるシンリ。
彼らの状態は歪なほどにすれ違っていたが、それでも同じ場所に立っているという事実は変わらない。
「聖霊という貴重な個体。生きていようが死んでいようがどちらでも構わなかったけどなぁ、どうやらお前には聞き出さなければならないモンがありそうだ」
「聞かれても答えられることなんてねえよ。……会ったことのない奴のことなんて」
本を広げるムーサに対し、シンリは木刀に風を纏わせながらそう言った。




