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紫霧を纏う毒使い  作者: 雨請 晴雨
夢見た世界で少年は
79/124

あの人はいまーシンリー 3/3 4

お読みいただきありがとうございます。


よんわめ。

 成長の止まった大木に手を付きながらシンリが上を見上げると、木と天井の間の小さな隙間から遠くに陽の光が見えた。


 既に魔法は使えるため、その隙間を広げて地上に出るべきか普通に出入口から出るべきか迷っていると、後ろから声が掛けられる。


「すげぇなブラザー。地獄から一変、天国へってか。ま、地獄絵図だけどな。へへっ」

「なんだ、生きてたのか」


 正面の、天井が落ちている牢屋に目を向けながら言った。

 崩落して積み重なった瓦礫の間からぴくりとも動かない手が伸びている。


「あー、俺以外は死んでんじゃねえかな。潰れてるし。ま、それもある意味天国直行ってことで」


 へらへら笑いながら言う男は、あの牢屋で唯一正気を保てていた人物だ。

 灰色の髪と髭が伸びきっており清潔感はないが、身なりを整えればかなり女性受けしそうな外見をしている。

 正確な年齢は分からないが、少なくともシンリと比べれば親と子くらいの差はあるだろう。


「……なんだ、どうした少年。おじさんの魅力にやられちゃったのかな? そんな熱い視線を送られても、俺にゃ愛する妻と子が……ま、もう死んでんだが」

「いや、なんでもない」


 そう言われ、無意識のうちに視線を向けていた男の顔から目をそらした。

 彼の容貌になにか引っかかるものを感じたが、思い出すこともなかったので気のせいだと片付ける。


 そこで一旦ふたりの間に会話はなくなるが、崩壊した研究所は未だに騒々しい。

 人間の叫び声が響き、魔物の咆哮が轟く。

 小さな揺れは断続的に発生し、その度にぱらぱらと削れた天井の欠片が落ちてきていた。


「ガウッガァ!」

「おっとと」


 突然、オオカミのような魔物が棒立ちだった男の腕に喰らい付いた。

 しかし男は少し体勢を崩しただけで、涼しい顔をしている。

 それどころか、喰いちぎられていてもおかしくない腕は傷一つ負っておらず、逆に噛み付いたままのオオカミが「が、ガウ?」と不思議そうに鳴いていた。


「っ、」


 それと同時に、シンリにも迫る影があった。

 反射的に腕を振るうが間に合わず、顔面に飛来したなにかにバランスを崩して背中から地面に倒れてしまう。


 もふり。


 頭に乗ったそれを退けるために掴むと、返ってきた感触はそのようなものだった。


「こんこん♪」

「キツネ?」


 横になったまま、それを両手で持ち上げる。

 そこにいたのはいくつもの尻尾を生やした白く小さな狐だった。

 シンリの匂いを嗅ぐように、鼻をすんすんと鳴らしている。


「……………………」


 ──小動物を愛でたいという気持ちが自分の中にまだ残っているとは。


 そんなことを思いながら、シンリは子狐を胸に抱いて立ち上がる。

 男はオオカミを殺していた。


「なんだ、連れて行くのか?」

「お前には関係ないだろ」

「ま、そりゃそうだ」


 男はシンリに背を向けて歩き出す。

 別に男に着いていく訳ではないが、上にあがる階段を目指していたためシンリはその背中を追った。


 周りは既に生きている人間はおらず、魔物も多くが地上に出たようだ。

 地下に残っている魔物もいるが、シンリたちに襲いかかってくるような魔物は少なく、わりとスムーズに進むことができた。


 ふと。

 終わりの見えかけてきた階段の途中で男が立ち止まり、何事かとシンリも足を止める。


「……あいつもこんな風に濁ってたんだろうな」

「何の話だ」


 男は、シンリに誰かを重ねて見ているようだった。


「もしかすると、あとで怒られるかもしれねえんだが……ま、恩返しってことで」


 そう言いながら、男はシンリの頭へと手を伸ばす。


「……あ?」


 その動作があまりにも自然だったから、シンリには避けるという選択肢が思い付かず、動けなかった。


 男の指先がシンリの額に触れた途端、眩しい輝きが辺りを包んだような気がして。

 その一瞬の間、シンリは男の背中に羽のようなものを幻視した。


「なに、をし……うぅっ!」


 突如、酷い吐き気がシンリを襲う。

 だが、ここ最近なにも口にしていなかったシンリには吐き出せる物がなく、苦痛だけが続く。口を抑えた指の隙間から胃液だけが漏れ出る。


 同時に脳裏に過ぎってくるのはこれまでの出来事だ。

 人を殺し人を殺され、傷付け傷付けられ、血を見て死体を見て悲劇を見た記憶。自責。後悔。懺悔。

 聖霊となり薄れた人間性で犯した行為を、普通の高校生だった頃の精神で改めて見せつけられるような、そんな感覚。


 震える手でステフォを取り、涙で滲んだ視界の中で操作して水を飲む。


 膝をつき、肩で息をしながら、シンリは男を睨む。


「余計な、ことをっ!」


 知りたくなかった。感じたくなかった。

 悲しみたくなかった。苦しみたくなかった。


 あのままでいられたなら、この先もずっと俯瞰したように、無関心で、無感動でいられたのに。


 男がシンリにしたのは、精神の浄化だ。

 普通であれば、悲しいことや苦しいことがあればその度に立ち止まり涙を流したり、感情を吐露することで前に進む。

 だが悲しみも苦しみも清算せずにここまで来たシンリの精神は、本人には解らずとも酷く濁っていたのだ。


 そして男は能力上、他人の精神状態を感じることができ、それを浄化することができた。


 男は自分を睨んでいるシンリを一瞥する。


「余計なこと、か。ああそうだ。これは俺の自己満足に過ぎない。悪かったよ。ま、でも……これは言わなくていいか」


 妙にすっきりとした表情で男は笑う。

 彼は用は済んだとばかりに階段を上がっていった。


「待てよ、おい、待てっ!」


 男は振り返らない。

 シンリのことなどもう興味が無いように、歩調を乱すことなく足を進める。


 意味がわからない。

 戻された感情は今まで感じたことの無いレベルの苛立ちをシンリに送り届ける。


「くっそがあああぁ!!」


 遠くなる男に、シンリはただそう毒づくことしか出来なかった。



 同時刻地上。


「……ふざけるのも大概にしろぉ。これ誰が責任取ると思ってんだ」


 広げた本をパタリと閉じながら、王宮騎士であるムーサがぼやくように言った。


 目の前にあるのは魔物の死体。

 広がる光景はその魔物が破壊し尽くした学術都市ステンドだ。

 立ち向かった衛兵も、逃げようとした市民も関係なく物言わぬ肉塊としてそこかしこに転がっている。


「殲滅完了だよ☆ いやぁ、切り離したら増えるとか意味わかんなかったんだけど☆」

「俺だって理解不能だ。不死殺しの研究を進めさせてたはずなんだけどなぁ。不死の化け物だけ作って殺せねぇとかどいつもこいつも無能かよ」


 他の魔物の討伐を任せていたロザリンデが不満そうに言ってきたため、ムーサも苛立たし気に毒づいた。

 

 王宮騎士という身分を十全に発揮し、公的には禁じられていた研究、手を出してはいけない領分に踏み込んだ結果がこれだ。

 もはや言い訳もできない失態である。

 いったい何人くらい命を落としたのだろうか。

 その中に有力貴族の子息がいないことを祈りつつ、ムーサは空を見上げた。


「元凶はあの樹だろうなぁ」


 ステンドの中心部に生えた巨大な樹木。

 研究所のあった場所だ。無関係とは考えられない。


「さぁて、この失態を緩和できるだけのモノが出てくることを願うしかねぇなぁ」


 行くぞ、とロザリンデとその騎士を率い、ムーサは大樹のある方向へと足を進めた。



「ええいっ! キリがないぞ!」


 殺しても殺しても蘇生し再生し増殖する猿の魔物を前に、ミルネアシーニはそう喚いた。

 初めは五匹くらいだったにも関わらず、既にその数は百を超えている。


「ダカラ、相手ニスルナト言ッタダロウ」

「無意味に命を奪うこいつらを放ってはおけんじゃろ」

「……クダラナイ。ダガ、ソロソロ目障リデハアル」


 リグニアは両手を胸の前に突き出し、パンッと一拍打ち付ける。

 それだけで、終わった。

 猿の魔物は一匹残らず意識を失い、幸せな夢を見始めた。

 幸せすぎて、二度と目覚めることの無い永遠の眠り。


「終わりましたか!? では行きましょう! シンリ様の元へっ!」


 大樹を指差しエンテが言うと、それと同時にリグニアがいきなり顔を上げた。


「コノ匂イ……間違エルハズモナイッ!」

「お、おい! どこに行くのじゃ!」


 ミルネアシーニたちを置いて、リグニアは跳んだ。

 置いていかれたミルネアシーニはエンテを浮かせてその後を追う。


 向かう先は、奇しくも王宮騎士と同じく大樹だった。



 男が去った後も、シンリは階段の中腹で腰を下ろしていた。


「きゅぅ〜」


 どれくらいの時間がたっただろうか。

 一時間くらい経った気もすれば、まだ五分も経過していないようにも思える。

 いつまでもこうしてはいられないとは分かっていながらも、しかしここから動こうという気にもなれない。

 何がしたいのか、なにをすべきなのか、なにをしなければならないのか。何も、分からない。

 それならずっと、このまま子狐のふわふわとした毛並みを撫でながら、漫然と時間を浪費していることが一番有意義な時間の使い方なのではないかと、そう思う。


「きゅぅ〜」


 こんな時、独りになって、ようやく自分が恵まれていたのだと実感する。

 この世界に来てすぐにヒイラギやアキヅキと再会できて、そして今ではミルネアシーニやエンテがいる。

 今の今まで忘れていたけれど、自分は孤独ではなかったのだ。

 それらも、いつかはまた知らぬ間に忘れてしまうことになるのだろうけれど。


「……。よしっ」


 忘れたくないなぁと思いつつ、シンリは己を奮い立たせるように意気込んだ。


 ひとまず、心の整理はできた。

 まだまだ思うところはあるし、考えるべきことも多いが、とりあえず、ミルネアシーニたちに会おうと思った。


 子狐を頭に乗せ、階段をのぼる。

 出口から光が入ってきており、シンリは眩しさに目を細めながら外へ出た。


「ん?」「あ☆」「ぬ?」

「あ」「あ♡」「グゥ」「きゅ!」


 ムーサが。ロザリンデが。ミルネアシーニが。

 シンリが。エンテが。リグニアが。

 大樹の下へと集まった。



 その誰もが突然の事態に硬直する中、最初に動いたのは意外にもエンテだった。

 動じることなく一貫してシンリを第一とする彼女はシンリに近づくために足を動かした。

 それを見て我に返り、エンテよりもあとに動いたにも関わらず、エンテよりも先にシンリに接近したのはリグニアだ。捜し物──自分の子供である子狐を見つけ、自身の持てる身体能力を十全に用い、シンリに飛びかかった。

 だがもちろん、それをいつまでも黙って見ているほど王宮騎士は弱くない。ムーサはエンテをすぐさま無害だと判断し、目下最大脅威であるリグニアを排除するため本を開く。

 そんなムーサの思惑を知ってか知らずか、ロザリンデはとりあえずこの場にいる全員を攻撃するために範囲魔法を発動させた。

 しかし、そんな魔法が放たれれば、ほかはともかくエンテは確実に命を落とす。ミルネアシーニはロザリンデの妨害のために魔術の準備を開始する。


 と、そんな彼らについていけず、ただ眺めていただけのシンリ。


 一瞬の出来事だった。

 エンテが飛び込んできた瞬間に、シンリは危険を感じ彼女を守るように抱きしめ他の者らに背を向ける。


 轟音の後、それに見合った爆風が駆け抜ける。

 ムーサの能力(スキル)をリグニアが正面からぶち壊し、敵も味方も関係なく蹂躙しようとしたロザリンデの魔法がミルネアシーニによって逸らされた。


「やばいだろっ!」


 シンリの選んだ行動は逃走。

 エンテを抱えたまま風魔法で宙に浮き、理不尽以上の力を持つ彼らから距離を取ることにした。


「待テェッ!」

「なんで追って来るんだよ!」


 だが、シンリが知る由もないがリグニアの目的はシンリの頭の上に乗っている子狐である。

 目の前の敵を放置してシンリを追ってくる女性に、シンリは風魔法で迎撃しようとして……出来なかった。


 命を奪うことが、また自分から人間性を奪っていくような気がして。聖霊に近付いてしまうような気がして。

 また、同じような過ちを繰り返してしまうような気がして。


「くそっ!」


 一瞬の躊躇いだったが、化け物相手にその一瞬は命取りだった。


「おいおい、仲間割れかぁ?」


 しかしそれはリグニアも同じだ。

 魔物が王宮騎士に背を向ける。その行為の示す意味を、人間を嫌悪していたリグニアが分からないはずもないというのに。

 愛する我が子を前に冷静さを欠いていた彼女に、その代償はあまりにも大きく──


 その後方から迫る一撃があった。


「簡易版じゃが……『黒き邪龍の破滅(カタストロフ)』!」


 全てを飲み込み、全てを滅ぼし、全てを零にする破滅の咆哮。

 ミルネアシーニが即席で創り上げた魔術は本来の威力からすれば一割にも満たないものであるにも関わらずその威力は絶大であった。

 リグニアに伸びたムーサの魔の手を飲み込み、その直線上にあった街の全てを滅ぼし、今この状況を(リセット)とした。


「我が勇者、リグニアよ! 敵を見誤るでない! 今この場で成すべきことを考え……」


 口上の途中でミルネアシーニの声は途絶えた。

 無理もない。その首が、ロザリンデの騎士によって切り落とされたのだから。


「だよね☆ 敵をボクだけって思っちゃいけないよ、ミルネアシーニちゃん☆」


 ロザリンデが右腕を振り下ろしながら従えるのは全部で十五名の騎士たちだ。

 何人か不幸にもミルネアシーニの一撃に飲み込まれたが、敵の制圧には問題はないだろう。


「首を落として殺した気でいたか、馬鹿者!」


 首を失ってなおミルネアシーニの身体は立ち上がり、自身を殺した騎士の身体に木刀を突き立てる。

 だが。


「いいえ、いいえ。思っては、いませんよ。思えるはずも、ないでしょう。私たちは、つい今しがた、切ったそばから数を増す化け物を、殺し尽くして来たばかり、なのですから」


 騎士に、多くの強者が持つ慢心は欠片も存在しなかった。

 ミルネアシーニの外見に騙されることなく彼女を一人の敵と見定め、徹底的に警戒し、圧倒的に制圧する。

 木刀を掴まれ、首のない身体は空に放り投げられる。


「死なないんだろうけどねー☆」


 それを、地上から生えた稲妻が容赦なく貫いた。


 悲痛な叫びが響きわたり、焦げた小さな身体は地上へと落ちる。


「そんじゃあこっちも始めようかぁ。研究材料(せいれい)よぉ」


 魔物は、『古き血』は。

 戦いたくなくても逃げることは許されず。

 殺したくなくても、殺されたくなくても、本人の意志とは関係なく巻き込まれてしまうということを。


 シンリは改めて思い出していた。

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